[33]サーカスとサプライズ
劇場へ続く清潔で明るいホールは、昨日も見た通り沢山の人で溢れ返っていた。幾つか種類のあるパンフレットの中の、写真付きで立派な冊子と一番手頃な物を買う。ゾウやトラ、オランウータンなど動物達と写真を撮る子供達や、見学しようと集まった群衆の中を、二人は惜しみながらもすり抜けた。入場口をくぐった途端現れた赤く丸いテントのような場内は、広過ぎず狭過ぎず、ショーを直に肌で感じられそうな心揺さぶる空間だった。(註1)
席には近さに応じて幾つかのグレードがあるが、二人は空中ブランコも良く見られるように、中間の高さの席を選んでいた。間もなく開演だ。あの珠園サーカスのショーを初めて見た時のワクワクした期待感が、二人の心を虹色に染め上げていった。
演目は各十分~十五分程度で、動物を中心にしたショーが多く、鳥やプードル、馬の曲芸、特にゾウのこなす軽業は素晴らしかった。あの巨体が小さなボールの上で静止したり、台の上で蛙立ちをしたり……他にも人間による玉乗りやアクロバティックな演舞も多い。そしてもちろん空中ブランコも! 二人はその艶やかで華やかな、自分達の舞台では行われない幾つかの真新しい技に、瞬きも惜しむほど釘付けになった。
さすがに人生の半分以上を捧げたユーリー・ニクーリンの名前を冠するだけあって、ショーとショーの間を彩るピエロ達の掛け合いは、まさしく絶妙だった。滑稽でユーモラスな仕草は、ロシア語が分からなくとも大爆笑だ。凪徒もモモも暮をどんなに連れてきたかったことかと、楽しみながら胸の内では悔しく思っていた。そして珠園サーカスにも複数のピエロがいたら、更に面白くなるに違いないとほくそ笑んだ。
中盤十五分の休憩を挟んだ約二時間のショーは、響き合う沢山の拍手に見送られ惜しまれつつも、瞬く間に終わってしまった。(註2) 退場する観客の晴れやかな笑顔を見上げながら、満足そうに大きな息を吐く。殆どの喧騒が流れ去っていった頃、それに続こうとモモもようやく立ち上がったが、隣の凪徒は腰を上げる気配もなく、
「モモ、トイレか?」
自分の膝に頬杖を突き、ひょんなことを訊いたので、モモは「え?」と言葉を返した。
「いえ、だってもう出ないと」
「いいんだ。これからスタッフが迎えに来るから、此処で待ってろ」
「……え?」
訳も分からず、とりあえず隣の席へ戻るモモ。凪徒はそれを見下ろし、
「明日の公演、親父の金で貸し切ってやった」
「ええっ!?」
ニンマリ笑って大それたことを告白した凪徒に、モモは思わずシートの上で飛び跳ねた。
「実際明日は休演日なんだが、事情を説明したら快諾してくれたんだ。これから団員と打合せをして、リハーサルと本番は明日だ」
「リ、リハーサル? 本番?」
静まり返った場内に、モモのすっとんきょうな声が響き渡る。
「母さんに見せたいだろ? ──お前の舞を」
「あっ……──」
鮮やかに決められた凪徒のウィンクと説明に、モモはハッとして両手で口元を覆った。──自分の演舞を、お母さんに──!?
「だから、な? 今朝の『アレ』位、ご褒美ってことでいいよな? なっ?」
「え……」
凪徒の思いがけないプレゼントに、モモは感動で言葉を失い、涙さえ溢れそうになった。が、まるで悪戯っ子のような言い訳をされて、途端見開かれていた眼は点になった。
若干納得が行かないが、余りある贈り物であることには間違いない。それに──。
──先輩が、あたしの『あの姿』を『ご褒美』って言った──。
「こ、今回……だけは、許します……」
モモは微かに鼻の頭を赤くし、横目で視線を外しながら、小さな声で承諾をした。再び立ち上がり、勢い良く身体を二つに曲げ、元気良く感謝の言葉を告げる。
「ありがとうございます! 先輩!!」
「礼は帰国したら、親父に言ってやってくれ」
姿勢を戻したモモの笑顔に、はにかんだ凪徒の顔が眩く反射をした──。
[註1]赤い場内:時期で内装が変わるようですので、現在は赤くないかも知れません。
[註2]公演時間:調べましたところ、公演時間が「一時間半」と「二時間半」の二つに割れまして、現状どちらなのか調べきれませんでしたので、間を取って「約二時間」と致しました。
★次回更新予定は十二月三十一日です。




