[30]会えなかった理由と二人の関係
椿の嗚咽はしばらく続いた。時々カミエーリアが心配そうに戸口から覗いたが、凪徒が後で全て説明することを約束すると、母親を心配して背中をさするモモに柔らかな微笑みを送り、安心したようにキッチンへ消えていった。
椿は時々落ち着いては、母親を看取った後の話をポツリポツリと進めたが、寄せる波のように高ぶりがやって来ては、涙が言葉を途切れさせた。
椿の母は、モモを施設に置いて去った数日後の渡航から、約三ヶ月で亡くなったという。それから葬儀と身の回りの整理を済ませ、日本へモモを迎えに行く為に空港へ向かう途中、その事故は起きた。
まだ冬の始まりの街を一気にやって来た寒波が襲い、うっすら初雪の積もった路面は急激に凍りついていた。自家用の運転手に任せて後部座席に座っていた椿の車は、二十台以上を巻き込んだ玉突き事故の、ほぼ真ん中に位置していたのだという。もはや記憶すらないが、車両の何か硬い金属に両脚を挟まれ、それは抉るように喰い込んだ。周りは大破した車両が炎上し、火の海の中で救助の手はすぐに近付けなかった。結局九死に一生を得たが、何十日も生死の境を彷徨うことになった。運転手は死亡、遭遇した八割方の人間が亡くなった凄惨な大事故の中、命だけでも助かったのは幸運だったと、誰もが椿を慰めた。
椿の全身には悔恨の念が廻り、しばらく口も聞けない程の凄まじい振盪が押し寄せていた。両膝下切断などという大きな障害を負ったことよりも、それにより娘と会えなくなってしまった喪失感の方がどんなに深かったことかしれない。それでも三年が過ぎ、モモの四歳の誕生日をモスクワで祝った頃には、何とか自分を取り戻していた。そして気付く──神が自分をお裁きになられたのだと。
「私は……浅はかでした。一度手放した娘を易々と取り戻せるなどと、安易に思った自分を神はお諫めになられた……自業自得だと思いました。やはり……罰が下ったのです」
やっとしゃくり上げるような泣き方を収めたが、椿の自分を責める言葉は変わらなかった。
「あたしは……神様のことは分からないけど……」
モモは既に拭う力のない椿のハンカチの代わりに、自分のハンカチを母親の頬に添わせた。
「もし神様がいらして、今まであたし達が離ればなれになっていたのなら」
「……なら?」
椿の震える唇が、モモの途切れた言葉の意味を問う。
「きっと赦してくれたってこと……だよね? だったら一緒に神様に、「ありがとうございます!」って言おう、お母さん。だからもうお母さんは何も気にしなくていい、自分を悪く言わなくていい──」
「桃瀬──」
モモはほんのり目尻に涙を浮かべて、ゆっくりニッと笑ってみせた。腰を上げ、正面に屈み込み、母親の細い首に両腕を巻きつける。頬に触れる柔らかな髪、匂い立つ花の香り。
──だって、やっと会えたんだ……ずっと会いたかった、お母さんに。
そしてモモは心から微笑った。──だって……やっと分かったのだから。
──あたしは、捨てられたんじゃなかった……──!
☆ ☆ ☆
「カミエーリア、イズヴィニーチェ(ごめんなさいね)」
ついにモモは母親から、愛情のこもった抱擁を返され、捧げられた。それに気付いたように、カミエーリアが少し早目の温かな夕食を供す。ダイニングテーブルに着いた凪徒とモモは、ロシア風水餃子の「ペリメニ」や伝統的な魚のスープ「ウハー」などの美味しさに驚き、二人の『椿』に微笑ましく見守られながら舌鼓を打った。
その間に椿がカミエーリアへ全てを説明したのだが、既に大体のことは察していたらしい。話が次々と進む度に深々と頷いて、にっこりと笑っては自分のことのように喜びを表した。
「凪徒さん……先に自分の話ばかりで大変失礼を致しました。それで、あの……凪徒さんは、どのようにして桃瀬と出逢ったのでしょうか? 桜社長様は、あの後の私の足跡を辿られて、桃瀬を凪徒さんの妹として、育ててくださったということですか?」
「ああ、いえ……」
食事の手を止めた凪徒は、少し困ったような顔でモモに視線を移した。それを感じたモモは、
「え、えーと、先輩は……あ、あたしの、先生です!!」
「先輩? 先生?」
慌てたモモから飛び出した二文字二つに、正面の椿の瞳は丸くなり、呆れた凪徒からは冷たい横目が投げられた。モモは挙動不審に首を振り、視界に映り込んだ二人の様子に、思わず苦笑いを返していた──。
★次回更新予定は十二月二十一日です。




