[23]カイロと回路
凪徒の向こうに見える歩道を歩く人波が、こちらに目を向けては冷やかしの口笛を鳴らしたり、ギョッとした顔で過ぎていった。
「せ、先輩!? あ、圧死する~~~! 凍死する~~~!!」
モモは雪と凪徒の狭間で身動きが取れなくなりながらも、必死に叫んでみたが、
「圧死はともかく、凍死はねぇだろ~? だって……こんなにあったかい……カイロがある……」
雪に突っ伏しながら答えた凪徒の返事に、一瞬驚き固まった。
──そ、それは、あたしの赤面している『ほっぺ』ですから~!!
確かに凪徒の左掌はモモの右の頬を包んでいて、その頬は熟れたように赤らみ、熱を発していた。
「俺……初めて……酔ったかも……。気持ち、いいもん、だな……」
そうしてやや向こうを向いていた凪徒の顔が、モモの方へ返された。余りに近い距離のニヤけた寝顔に、モモは再び抵抗する力が抜けてしまった。
──あ、あたし……もし……このまま『事故』でキスしちゃっても、先輩だったら嫌じゃないんだろうか……?
ふとそんな疑問がよぎる。
「さ、むい……ねむ、い……」
都会のど真ん中の街角で、雪山遭難でもしているかのような台詞を吐き出し、目を閉じたままの凪徒の顔が、『モモのほっぺ』の温かさを求めて近付いてきた。モモは思わずのけぞったが、右頬を覆う掌に邪魔されて全く逃げ場がない。
「うっ」
──先輩の息で、こっちまで酔っちゃいそうだ……。
香るウォッカにモモは顔をしかめた。
──や、やっぱり、やだっ! こんなにお酒臭くて、先輩の記憶にも残らないファースト・キスなんて~っ!!
と、その時──。
『凪徒くん、凪徒くん、今すぐモモから離れなさい』
「え?」
──団長!?
何処からか団長の声が聞こえ、凪徒の行為を諌めたのだ。
「団長~? まっさかなぁ……此処はロシア! モスクワだぞ~? 第一、俺はモモになんて……俺が触れてるのは、カイ──」
──ひゃあああっ!!
益々近付く凪徒の面。すると更に、
『えー、凪徒さん、凪徒さん、モモからすぐに離れてください』
「秀成君?」
今度は秀成の声が、モモと凪徒の間から聞こえてきた。
──これって、もしかして……?
「あぁ!? 秀成~? 俺に命令する前に、お前のやるべきこと、ちゃんとやれっての!」
──酔ってる割には、ちゃんと返事するんだなぁ……。
モモは冷静に凪徒の様子を観察するも、凪徒がモモの上から退くことはなく途方に暮れた。
そして極めつけの三発目は──。
『くぉらぁぁぁ!! 凪徒ぉぉぉっ!! モモからどけって言ってんだよっ!!』
──く……暮さん……?
「あっ!? ……暮っ?」
ドスの効いた暮の怒鳴り声が、やっと凪徒の意識を覚醒させ、ビクンと顔を上げたかと思うや否や、一気に起き上がり直立した。
「あ? モモ? 何やってんだ、お前」
「な、何って~~~!」
途端正気を取り戻した凪徒が呆れたように、雪山にめり込んだモモを見下ろして声を掛けた。
「まったく、こんな所ですっ転んだのか~? ほれっ」
モモの手首を引っ張り起こした時には、既に凪徒はいつも通りだった。
「お、お早いご帰還ですねっ」
「ゴキカン? 何だそれ。ほら行くぞ」
「はい……」
踵を返して歩き出す凪徒に、モモも慌てて後ろをついて行く。
──団長達の声、きっとこのピン留めからだ……。録音なのかな? もしかしてアルコールを含んだ呼気に反応する──?
だからこそリンはあんなに肌身離さず着けるよう強要したのだと、モモは改めて納得した。更に機器であることから入浴時には外すことと、就寝時にも近くに置くようにと。
──それって、先輩がさすがにウォッカなら酔うと思ったから? ……ううん、もしかして、先輩は記憶がないだけで、以前にも酔ったことがある?
モモはサーカスメンバーの用意周到さと、凪徒の「突然過ぎ」且つ「異様に短い」酔っ払い振りに、苦笑いを浮かべながら感心した──。
★次回更新予定は十一月三十日です。




