[11]桃瀬と明日葉
厚手のカーテンの一部が引かれ、レースを透して春らしい陽差しが差し込まれた。暖かく眩い、あたかもオーロラのような緩やかな光の波。
モモはいつになく深い眠りに包まれていた。柔らかで肌触りの良い布の感触、背中に感じるシーツの下のマットは、ちょうど良い硬さで心地良い。
二年に一度の慰安旅行で出掛けた時でも、こんなに伸び伸びと身体がリラックスしたことはないと思われた。まるで海の中をプカプカと漂っているように、心まで宙に浮かんでしまいそうだ。
左側のそんな明るさから寝返りを打ち、鼻をくすぐる薔薇のふくよかな香りでふと目を開いた。ぼやけた視界は淡いピンク色。桜の絨毯の上にでも横になっているのかしら──?
「──はっ!」
夢心地の世界からようやく現実を思い出して、モモはいきなり飛び起きた。眠気眼を擦り慌てて辺りを凝視するが、どうしても夢から覚めたとは思えない。目を覚ましたという夢でも見ているのだろうか? もう一度眠ってみれば夢から覚める?
「失礼致しました、お嬢様。天気がとても宜しかったので、ついおひさまの光を入れて差し上げたくなりまして……」
モモは足元の向こうから聞こえる女性の声に耳を傾けたが、さすがにその『お嬢様』が自分のこととは思えなかった。
「やっぱりまだ夢の中なんだ。こんなの現実じゃない……」
もう一度頭から布団を被った暗闇の中、目が潰れてしまいそうなほど瞼を閉じた。数十秒後に再び開いて身を起こす。すると先程遠目に見えた女性がすぐ右側に立っていて、モモは思わず驚きの声を上げてしまった。
「わっ!!」
「あら……また失礼してしまいましたね。お起きになられますか、明日葉お嬢様?」
「え……?」
──アスハ?
やっぱりこれは夢なんだと改めて思わずにはいられなかった。明らかに彼女は自分に向かって『アスハ』と呼んだのだ。あたしは『桃瀬』。──そう……よね?
「あの……ここはどこですか? 私はアスハではなく桃瀬です。あなたはどなたですか?」
ベッドの上で正座をし、モモは戸惑いながら問いかけた。気付けばこのまま舞踏会にでも行けそうなレースの美しいネグリジェを身に着けている。目の前の布団も「布団」だなんて言ってはいけないような豪奢で繊細な作りだった。
ベッドサイドに侍り、困ったような微笑みで見つめる女性は二十代半ばといったところだろうか。いわゆる最近流行りのメイド服を落ち着かせたような衣装で、確かに口振りもメイドらしかった。
「あのっ……」
何も答えない女性にもう一度問いかけようとした矢先、遥か遠くの扉からノックの音が聞こえた。女性は扉へと向けた視線を今一度モモへ戻し、
「明日葉お嬢様、ご主人様がお見えになられました。このままお会いになられますか? お召し替えを先になさいますか?」
──アスハじゃないって言ってるのに~!
否定の眼差しを一心に向けてみても、メイド風女性のマイペースは一向に変わらない。これ以上質問するのは無理だと悟ったモモは、とりあえず扉の向こうの『ご主人様』とやらに事の真相を確かめることに決めた。仕方なく着替えを先にとお願いして、『ご主人様』にしばし待ってもらうよう託けたが、出てきた華やかなドレスを目に入れた瞬間と、手伝おうと胸元のボタンに手をやられた刹那、モモはこの世の物とは思えぬほどの大きな悲鳴を上げていた──。
★次回更新予定は四月六日です。




