[19]茉柚子とモモ
無料なのを良いことに、アルコール類をおかわりしまくる凪徒と、映画を鑑賞しつつも、つい唖然と隣の様子に見入ってしまうモモが、夜空の旅路を楽しんでいる(?)頃、暮は──。
「お待たせしてしまってすみません~!」
待ち合わせ場所に直立して十五分、遅れてきたことを詫びながら駆け寄った茉柚子を、晴れやかな笑顔で迎えていた。
「い、いえ! 自分もまだ着いたところであります!」
息つきながら笑みを返す茉柚子に、思わず敬礼する暮。完全にイカレている。
「それじゃ……行きましょうか?」
「は、はい!」
茉柚子はそんな暮を和やかな表情で誘った。この街は自分の方が知っているのだからと、予約をしてくれたレストランで、サーカスの話・園の話に盛り上がり、もちろんモモの『兄』として誘いを掛けた暮は、モモの施設での様子も問い掛けた。
「そうですね……何て言いますか、モモって──」
その質問に茉柚子は、しばし想い出の中を漂うように、視線を逸らして小首を傾げた。
「あの子、生まれてすぐに入園したのに、いつも何処か遠慮がちでした。他の同じ立場の子供達は、園を我が家同然・職員を親同然として接することが出来ていたのですけど、何か一線を引いているって言いますか……子供なのに子供らしくない子だなぁって……職員ではなかった私でさえ、傍から見ていてそう思いました。でも私が就職して大人になって、何となく到った結論なんですが……」
そこで少し俯きがちに言葉を止めた茉柚子の面には、恥じらいを示すような不思議な微笑みがあった。
「多分……あの子、私のことを気遣っていたのだと思います。園長である母は、いつも必ず園の誰かの『母親』でしたから。私自身の母親である時間はとても短くて……まだモモが三歳位の頃、私は確かもう高校生だったのですけど、母と喧嘩になったことがあって、その時自分の中の箍が外れてしまって……「母さんは、私の母さんじゃない!」って叫んでしまったんです。ずっと心に溜め込んできたことを、私も母も、そして後ろで聞いていた幼いモモも気付いてしまった……それからなのだと思います。モモが自分の気持ちよりも、他人の希望を優先するように育っていったのは。後になってようやく気付きました。だから私、モモに悪いことしちゃったなって、今でも思ってるんですよ……」
茉柚子は『過去』に身を置きながらも、そんなモモの思いやりにつけ込むかの如く、『今』ですらモモに強いてしまっている現状を憂い、悔しそうに瞳を閉じた。
暮は静かに話を聞いていたが、ずっと手に持ったままのフォークを一旦戻し、
「自分の見解は、早野さんとは違います」
と穏やかな口調で反論した。
「え……?」
驚いて顔を上げる茉柚子に、暮は優しい眼差しを送る。
「モモは……きっと貴女を尊敬していたのだと思います。お母さんを他の子供達に取られてしまっても、気丈に振舞ってきた貴女を。実はサーカスでも、モモの遠慮深さは気になるところでした。自分やモモの相棒は、モモが無理しているのだと思っていたのですが、モモ自身はそれに気付いていなかった。昨年の春にちょっとした事件が起こりまして、それが良いきっかけになり、モモは或る意味『自分の殻』を破りました。でも今までのモモを捨て去った訳じゃない。過去の良い部分を残しながら、自己を表現出来るようになりました。きっとモモは貴女を尊敬し、貴女のようになろうと努めてきたのだと思います。今まではそれが『過ぎて』しまっただけ……だから、貴女は気に病むことはない」
茉柚子はハッと目を見開き、唇は開いたものの何も言えなかった。暮の温かな笑顔が眩しいように、頬が上気して、すぐ視線を目の前の料理に下げた。
「そんな尊敬されるなんて……有り得ないですよ。私はずっと何処かで、母を独占するあの子達を妬んできたんです。三十を越えて、やっと母の仕事を心から理解出来るようになって、後を継ぐ決心がつきました。まだサポート役と言っても、おつかい程度のことしか出来ない新人ですけれど」
「そうでしょうか。貴女と話していると、とてもモモの口調に似ていることに気付かされます。モモは貴女に憧れていたのだと思いますよ?」
褒められれば褒められるほど、口にした食事の通っていく先がジンと痛む感じがした。自分はこんなにモモのことを愛してくれているサーカスの人達から、彼女を奪おうとしているのだ──罪悪感が身体中に広がり、何を食べているのかすら、味も分からなくなっていく。
「モモのこと、良く分かってくださっているのですね……」
「貴女方からお預かりした大切なお嬢さんですから」
──そう思うのでしたら、どうか私達の許へ、モモを返してください!
そう叫びたい気持ちを押し殺して、茉柚子は変わらない和やかな笑みを返した──。
★次回更新予定は十一月十九日です。




