[10]天使と悪魔
二杯目の茶で喉を潤す。既に外は真っ暗闇だった。組織だか機関だか知らないが、モモはそこで無事に過ごしているのだろうか。そんなことを思いながら窓の外の星空を見上げて、凪徒は再び団長の姿を目に入れた。
「で……そのナントカって奴はどこに在るんです?」
「さてな。何しろ国家機密だから」
団長の飄々とした答えが、凪徒のこめかみに力を込めさせた。
「そんないいかげんな話、信じられる訳ないでしょうが! どうして団長は平気なんですっ」
「まぁ……知り合いの知り合いの知り合いくらいだからの」
そこまで行ったらもはや他人だ。と、凪徒は腹の煮えくり返るのを何とか収め、平静を取り戻すために大きく息を吐いた。
「もちろんモモは丁重に扱われ、テストを終えた後、不合格なら四日後ここへ戻される。が……合格すればいずことも分からない養成所に送り込まれ──」
「団長はモモを手放してもいいって言うんですか!?」
「──お国のためだろ?」
「個人を犠牲にして、何が国家だっ」
ギリギリと奥歯を噛み締めた凪徒の背中は徐々に丸まり、怒りの我慢も限界に近付いていた。一旦頭を抱えて目を伏せ呼吸を整える。やがてゆっくり背筋を伸ばし、団長を睨み付けたまますっくと立ち上がって、その真ん丸な身体を冷たく見下ろした。
「団長の考えは分かりました。モモは自分で探します」
「どうあがいても無駄だ。国が動いてるんだから」
自分の膝に頬杖を突き、冷めきった茶をすすった団長も立ち上がったが、何をしても見上げる格好の背丈の彼には、幾ら頑張っても威厳や権威は見当たらなかった。──それでも。
「ま、そういう訳で警察に話しても、あちらさんは動かない。これは誘拐事件にはならんで、そっちは諦めときなさい。が、公演に影響しない程度でお前が動くのは構わんよ」
──団長?
そう首を傾げたのは凪徒だけでなく、腰かけたままの暮もであった。
「では、失礼します」
独り部屋を出る凪徒にピシャリと扉を閉められた先の暮は、やっと緊張をほどいて団長に呟いた。
「いいんですか、団長? あれは本気ですよ?」
「いいんじゃないか、暮? たまには本気にさせてみても?」
「?」
そう返した団長に対し、暮の頭には疑問符が駆け巡った。先程の凪徒と同じように星空を見上げる。ここでの巡業の暗雲立ち込める始まりに、仄かに不安を募らせた。
☆ ☆ ☆
──ああもう、何だっつうんだ! 胸くそ悪いっ!!
団長室を出た凪徒は、筋状に光の零れるコンテナハウスや車の間の路地をズンズンと歩き、珍しく美しくない姿勢で自分の寝台車まで肩を怒らせていた。
「あ、お帰りなさい、凪徒さん。食事取ってありますよ」
車内に入るなり掛けられた声にギョッとし、小さなちゃぶ台の傍の眼鏡少年に目を留める。音響照明係の秀成。──そうだ……このパソコンおたくに掛かればきっと──。
「秀成クン~ちょっと頼みがあるんだけど?」
秀成は料理に掛けられたラップを取りながら、背中に悪寒の走るほどの猫撫で声にビクついた。恐る恐る後ろを振り返ったが、こんな時の凪徒の頼みは常軌を逸していることが殆どだ。いや、ここは何とか断ろうと、毅然とした態度を取り戻す。けれどそんな秀成に対して凪徒の方が一枚上手だった。
「秀成クン、俺は知ってるんだよ? 雑技団のリンにお前がちょっかい出したことを……」
「ひ~っ! な、何でもしますっ、凪徒お兄様っ!! だからそれは誰にも内緒に……」
レンズの向こうの長い睫が涙に濡れ、凪徒はおそらく殆どの女性が昇天するような美しい『天使』の笑顔を向けた。
「そう来なくっちゃ! じゃ、早速頼むよ。若いから三日くらい徹夜でもイケるだろ?」
──『悪魔』だ……。
秀成は無理やり首を縦に振らせ、凪徒の依頼に耳を傾けた──。
★次回更新予定は四月三日です。




