プロローグ
10月19日ぶん
よし、次はハッピーエンドにする!
頑張ってハッピーエンドにする!
ひねくれている自分にもキャラクターをハッピーエンドにすることは出来るはずなんだ!
空を見上げることが好きだ。
目を焼く輝きを持つ太陽が、点々とわたあめを思わせる白い雲が、青空の中に浮かぶ。そして、そんな空を一羽の鳥が独り占めして翼を広げて自由に旋回している。
そんな空を見上げて、自分もそこに行きたいと手を伸ばすのが僕の癖でもあり、この世で一番大好きなことだ。
今日も空を見上げる。
空を悠々とかけるのは、茶色い鳥。
雀が一生懸命羽ばたかなければ高くまで登れないというのに、大きな体をしたその鳥は翼を広げているだけで飛んでいる。
猛禽類に分類されるあれの名前は何だったか。タカか、ワシか……。
ただ、空を統べる王者の風格を持ち、他の鳥類を寄せ付けず一人悠々自適に飛んでいる姿はとても気持ちよさそうで、とても羨ましかった。
だから、僕にも翼が欲しいと願った。
感情からこの結論に至るまでの因果関係を説明するのは、それこそ心とは何なのかについて語らなければいけない気がするから難しい。説明して納得させるのは難しいが、僕の中では単純な理論。羨ましいから、僕も欲しいと思った。空を飛ぶことが気持ちよさそうに思えたから、自分も空を飛びたいと思った。
ただ、それだけのこと。
考えに至った時期があまりにも幼い子供の頃だったから、浅慮だったということもあるかもしれない。
だけど、幼い頃願った「空を飛びたい」という願いは、年を経た今でも変わらない渇望となって僕を動かし続けている。
原点回帰のために戻ってきた実家。
その二階にある僕の部屋は相も変わらず残骸であふれていた。
もはや一種の展示場。
子供の浅慮な考えによって作り出された翼第一号は、翼の形に切り取られた新聞紙だった。
強度なんてもちろんない。翼の形をしただけの、たった一枚の新聞紙なのだから。
大きな翼を腕にくっつけて飛べば空を飛べるだろうと考えた僕は、新聞紙を切り取ってそれをセロハンテープで腕にくっつけた。
もちろん、飛び跳ねても飛ぶことなんてできやしなかった。
第二号は薄いベニヤ板。
強度が足りないのだったら、強度を付け加えればいいと考えたのだろうか。
長方形の形をしたベニヤ版を腕にくっつけてフライト。今の僕では案の定、あの頃の自分にとっては不思議なことに空を飛ぶことは出来ず墜落。
その衝撃でベニヤ板は割れ、その残骸が今も尚哀愁漂わせながら部屋の隅に立てかけられている。
第三号はビニール傘。
雨風が強かったある日、濡れないために傘をさして外に出たら浮遊感を味わった。
それが僕にとって、初めての空を飛ぶという感覚だった。
ただ、一瞬の浮遊感の後、傘はひっくり返りビニール部分は吹き飛んでしまったが。部屋の中にあるのは骨組みだけになったビニール傘である。
第四号はまたも紙で作ったものだった。
しかし、第一号とはまったく質が異なる。
第三号のビニール傘で頑丈な骨組みと薄い膜が翼の形をしていればいいと思ったのだろう。
子供の僕にとって頑丈なものとは、新聞紙を縦長に丸めて作った剣であり、簡単に手に入る紙であった。
それをまた腕にセロハンテープで括り付けて、いざフライトと勢いよく振ったら案の定折れて失敗。
この部屋に置かれた、翼の残骸たちはそんな僕の失敗の歴史だった。
子供の頃は柔軟な発想力と知識の無さから様々なものを作り上げた。
折り紙を使って羽毛のようなものをたくさん作ってみたり、道端に落ちているそれをかき集めて見たり。家中の傘を解体して翼を作ってみたり、使う紙を変えてみたり。
失敗してもめげず、なんでも挑戦するものだから度が過ぎたことも行い両親や親友に怒られたこともあった。今では呆れが籠ったような目で見てくるが、それでも最後は「頑張れ」と応援してくれる僕にとって大切存在であることに変わりない。
部屋の片隅に置かれていた型紙で作られた飛行機を手に取り、頭上高く掲げピュッと手から離した。
まだ、僕は諦めない。
今日の筋トレ日記。
朝、起きて頭が痛くてやってない。
夜、疲れて小説考え続けてまた疲れてやってない。
結論、やってない。
メリハリのある生活を送るようにしないと。
だから頭が痛くなったりするのだ。