第六話
「た、たす……たすけてくれ!」
スーツを着崩している男は、情けない声を上げながら逃げ惑っていました。ですがその男の後ろには誰も居はしません。にも拘らず男は時折振り返っては大声で誰かに助けを乞いていました。
「おしえて」
どこからか機械的な音声を耳が捕らえました。
男は悲鳴を上げて立ち止まると勢いを殺しきれずにそのまま転んでしまいます。歯をガタガタと鳴らし、足をブルブル震わせながら周りを見渡しました。
前方から小柄な影が男に近寄ってきています。その影を見た瞬間、男の顔色は絶望の色へと変わり始めました。
男は声を上擦らせながら叫びます。
「や、やめろっ・・・・・・!!」
「おしえて?」
「くるなぁ!!」
「ねぇ、知ってるんでしょ?」
小柄な人影は、男の言葉を無視して近づきました。
月明かりに照らされ、その姿形が露わになります。その人影は大きめの血塗られた白いコートを羽織り、右手には血みどろのナイフを握っています。140センチにも満たない底身長は厚底のパンプスを履くことによって誤魔化され、髪はフード内に収まり、表情は口元だけが笑みを浮かべている道化師の仮面によって隠れています。
小柄な人影は不気味な印象を纏っていました。その最たる理由は道化師の仮面にありますが。
「何でもいいの。ね?」
「ひぃっ!!」
小柄な人影は首を傾げながら男の首元にナイフを当てます。そして、ゆっくりと的確に頸動脈を斬りました。
「…………」
「バイバイ」
血を噴き出しながら倒れる男を見下ろしながら、小柄な人影は別れの言葉を告げました。その声は、童女のように高めで純粋さの残る声でした。
冷たい風が吹き荒れる廃ビル並ぶ暗いくらい裏路地に、サイズの合った白いコートを着ている少女がいました。その白いコートはペンキでも溢したのか、所々赤黒いシミのようなものができています。白いコートに隠れた暗色のセーラー服にも、赤黒いペンキが飛び散っていました。幸いにも、暗色な為目立ちはしません。
「嫌な夢。嫌な現実」
少女は膝を抱えながら蹲り、昔の記憶に思いを馳せます。
——あの時も今回も、たったの一つも守れなかった
昔、少女は今回のように大事な者を守れずに、家を出て裏路地を彷徨い蹲り続けたことが一度だけ数ヶ月の間だけありました。昔というほど昔でもなく、たった四年前の出来事です。仲の良いと思っていた友達二人に見捨てられ、彼女も親友も幼馴染もボロボロになりなが戦い、抵抗の末に襲撃者共を引かせることに成功しました。しかし、その代償は決して安くはありません。共に戦った幼馴染が記憶を無くしてしまったのです。挙句の果てには彼女と親友を責め立て、彼女の心に深く消えることのない傷をつけることになってしまいました。
という非常に悲しい出来事でした。
彼女のせいで人生を狂わされた者も少なからず居ます。でもそれは、仕方のないことだったのです。
そんな憐憫の情を覚えてしまいそうな少女の名前は……いえ、今の少女は『凶殺の道化師』と呼ばれる極悪人。国に指名手配されている凶悪な殺人鬼です。
少女は、道化師の仮面を指で突きながら、空を仰ぎました。目元には微かに滴が溜まっているようにも思います。
今にも雨が降りそうなくらいの曇天の下で彼女は一人何を思っているのでしょうか。
「……——たい。もう、死にたい」
光の失った瞳でポツリと呟きます。今の彼女は相当精神的に参っているようです。
「どして、死にたいわたしをよそに死んで行くの?」
懐から刀身剥き出しの血で真っ赤に染まっていたナイフを取り出し、独りごちる少女。
自分で殺しておきながら言う台詞ではありません。
少女が家を飛び出してからそろそろ一月が経とうとしています。その間に少女が屠った頭のイカれたマッドな研究者は数知れず。
違法な研究をしている組織を悪徳組織と呼びます。表沙汰や大事になれば魔組合が対処してはいますが、基本的に魔組合は黙認状態です。なぜか、それはそんな人非道的な研究で発展される魔道具、魔法師の未来があるからです。
そろそろ魔組合に目をつけられてもおかしくはありません。
悪徳な研究者でも、魔組合や警察以外の者が殺し正統性を証明できなければ、それは立派な犯罪者に他なりません。それに、魔組合からしてみても後に自分達の手柄にするような研究の成果を壊されたら一大事です。
「これ、まだ未完成なんだっけ?」
少女はポケットから緑色の石のようなのと怪しい黒ずんだ液体の入った注射器を取り出します。
「効能は……覚えてないや」
薄ら笑みを浮かべ、それを見つめるまゆり。
完全に自棄になってしまったかのように、まゆりは首筋にそれを当てました。
「……クスっ、やっぱ怖い」
だらんと腕の力を抜きます。注射器は手の中から逃げるようにコロコロと転がって行きました。
取りに行こうとして立ち上がり、止めます。
——馬鹿みたい
少女は道化師の仮面で顔を覆い、ナイフを強く握ると、転がっていった注射器とは逆方向に歩き始めました。
より複雑化している裏路地をなんの迷いもなく、進んでいきます。
「今日はどんな風に遊ぼうか」
ニンマリと笑顔が作られた道化師の仮面を付けた殺人鬼は、腕に書かれた名簿を見て静かに囁くのです。
まゆりちゃんは幼女の頃から極悪非道な殺人鬼。そんな子が一度足を完全に洗って脱したのに、またどっぷりと足を突っ込んでいます。
もう、引き上げてくれる人は現れないのでしょうかね?
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