プロローグ
投稿頻度遅いです。
急かされれば書けます。
経験した者も少なくはないだろう。子供の頃、悪戯をしては逃げ回る。逃げ回った末に怒られる。それでもまた悪戯を繰り返す。同じ悪戯をするだけではなく、同じ人だけではなく、複数の人、複数の物に様々な悪戯を仕掛けた。
悪戯を数えきれないほど仕掛けたが、どの悪戯にも共通する楽しさがあった。僕の個人的な意見だが、それは逃げ回る時だ。逃げ回った末には怒られることがわかっている。それなのにその最中には笑いが込み上げ、止まらない。にやにやだとか、悪い笑いなどと言われる事があった。それが子供の頃の僕にはたまらなく楽しかった。僕はその笑いに悪印象を感じてはいなく、「子供なら当たり前」と信じきっていた。
やがて時は経ち、悪戯を仕掛けようと考える事さえ忘れ去っていた。精神の成長だ。僕は不意にそう思った。不意だったとはいえ納得せざるを得なかった。実際に悪戯を下らないと思うようになっていた、ではなく「子供なら当たり前」だと自分自身が思っていたからである。大人は悪戯をしない。子供っぽいことをしない。そう信じていたし、僕はそうだった。大人は許されない、子供の世界より厳しい世界にいるのだと信じていた。
殺人。罪だ。それは命を絶つ行為。悪戯なんてものではない。状況によっては死罪となりうる。
それも可笑しい話だ。一人の命を絶たせたのならば一人の命で償うべきだと僕は思う。
では、被害者がそれを望んだ場合、どうなるのか。望んでいたことに気付いたのなら、どうなるのか。被害者が望んでいたことに気付いたことに、加害者が気付いたのならば、何をするのが正しいのか。
正しいことなど、あるのか。
答えがあるのならば苦労はしない。誰も罪を犯しはしない。いいや、答えがあったとしても、罪を犯してしまう者もいるだろう。たとえ未遂であったとしてもそれは未遂という名の罪に問われる。
人を刃物で刺す。許された行為ではないことは明白だ。だが、被害者が結果的に許したとしても罪に問われる。だからこその殺人未遂罪だ。
未遂なのだから子供の頃の様に、悪戯で済むと思う者もいるのだろう。
許されるわけがない。