見えなくなった世界で僕はようやく生きられる
街は混乱していた。あちこちから誰かの悲鳴が聞こえる。突然の不運に嘆いて、痛みと恨みを訴えて、誰かに届けと、助けてくれと。これだけの人が外で一斉に声を上げるところを見るのは初めてだ。実に騒がしい。
それも仕方の無いことか。電気は止まり、水道から水は出ない。テレビもラジオも何も言わなくなった。電話も何処にも繋がらない。
外を見れば道の上に人が何人も倒れている。火事が起きたのか遠くに赤い火がポツポツと見える。消防車のサイレンは聞こえない。救急車やパトカーの姿も無い。僕の見える範囲には、動いている自動車は無い。
見慣れた東京の街が、見慣れないものに。パニック映画程の迫力は無いけれど。
これが世界の終わりというものだろうか?
アパートの二階から道を蠢く人達を見ながら、僕は冷めていた。人の悲鳴が、嘆きの声が、煩くやかましくなるほどに、何故か頭の中はシンと冷えていくようで、冷静になる。
可哀想に、とは思っても他人事。悲惨と不幸を訴えてる人が目の前にいるが、それもこれまでの世界と変わりはしない。
遠い国で起きているか、すぐ目の前で起きてるかの違いでしかない。
東京は混乱し、都市としての機能は止まった。テレビもラジオもつかなくて解らないが、おそらく世界中がここと同じ様になっているのだろう。みんな何が起きたかと混乱し、喚きながら外を彷徨く。中には諦めて家の中で大人しくしている人も、いるかもしれない。
僕はまた乗り遅れたか。みんなと同じようにはできなかったか。だからみんなと同じように嘆くこともできないし、大声を上げる気分にもならない。助けて、と叫ぶ気にはなれない。
こういうところで皆と同じようにできないところが、空気が読めないと言われるところだろうか?
外からは声、声、声、で耳が痛い。みんなそろそろ静かにして欲しい。助けを呼んでも、助けに来てくれる人もいなさそうなのに。それでも他にできることも無く、声を上げて助けを呼ぶ。警察や自衛隊が来る様子も無い。
火事の火が何処まで回るか解らない。何よりここは人の悲鳴ばかりで煩くて、耳がどうにかなりそうだ。安全な静かなところに行くとしよう。アパートを出て、これからどうするかを、静かなところで考えるとしよう。
なんと、僕がこれからどうするかを考えるとは? なんてことだ。皮肉を感じて苦笑してしまう。昨日まで、どうやって死のうか、そればかり考えていたのに。その僕がこれからどうやって生きていこうかと考えているなんて。
リュックの中に着替えとタオル、頭痛薬に絆創膏、軍手に懐中電灯と部屋の中にあり使えそうなものをリュックに入れる。
帽子を被り玄関を出る。住み慣れたアパートの玄関から、道路に人が倒れて蠢く外へと歩き出す。
誰も彼も、四つん這いで赤ちゃんのように道を彷徨いている。手に触れた別の人と、泣きながら、抱き合いながら話している人もいる。襟首を掴みあい、怒鳴り合う人もいる。片手で相手の服を掴み、離さないようにして殴り合う人もいる。不幸を悲惨を訴える声が耳障りだ。
皆、大きく声を出し、人の声の聞こえた方へと這っていく。手と膝を地面につけて、手で前方をペタペタと触って探りながら。
そして誰もが同じ言葉を口にする。
「目が見えない!」
と、
おそらく原因は昨日の夜のこと。あれを見た人達はみんな目が見えなくなってしまったらしい。世界中の人達が見ていたことだろう。だから、世界中で今、僕が見ているこの東京の街と同じことが起きていることだろう。
専門家でも無い僕には正確なところは解らない。しかし、推測できることもある。他には思い付かないだけなのだが。
起きたことは、誰も彼も目が見えなくなった。たったそれだけのことで、街は大混乱だ。
少しばかり前のこと、ひとつの彗星が地球に近づいて来るのが発見された。地球に衝突するか、と騒ぎにはなったがその軌道は地球にも月にも影響は無く、離れたところを通り過ぎるだけだった。
巨大な彗星も通り過ぎるだけでなんの被害も起きなければ、ただの天体ショーだ。僕のように破滅願望がある人や、終末思想のカルトは期待していた分ガッカリした。
なんだぶつからないのか。地球なんて当たってピンボールのように弾けてしまえば良かったのに。そんな一部の不謹慎な願いを嘲笑うように、巨大彗星は通り過ぎていった。
その巨大な彗星は不思議な光を放ち、夜空を渡る。更にはこの夜は流星群も見え、星に興味が無い人も千年万年に一度あるかどうかの天体ショーを眺めていたらしい。
らしい、というのは僕にはそれが解らないからだ。その日の夜は家の中から外に出ていない。来週中に出て行く予定のアパートの部屋を片付けていた。
一緒に星空を見るような友人もいない。星に興味も無い。タロットでは星は希望の意味があるが、それならなおさら僕には縁遠い。
希い望みなんて、枯れて失せた。
アパートを片付けて、退去してから何処かでひっそりと自殺するつもりだった。そのとき僕の頭の中は、どうやって死のうか、とばかり考えながら、アパートの中を片付けていた。
外で星を眺める人達の声が耳障りで、窓のシャッターを下ろして。
まとめた荷物だけ実家に送り、田舎の方も片付けてしまわなければ。
いずれ自殺するにしても人に迷惑はかけたくは無い。何処かでひっそりと死ぬとしよう。
生きていけなければ、死ぬしかないのだろう。昔からいろいろなことを諦めてきた。
空手、書道、油絵、バイオリン。いろいろと習い事はやらされてきたが、どれひとつとして物にはならなかった。親の見栄に付き合わされただけなのだが。
どれもこれも、才能が無い、諦めろ、となり、やめてきた。諦めていくうちに自信が失せて、いや、そんなものは最初から無かったんだろう。どもりがちになり、口で人と話すのが難しくなってきた。劣等感ばかりが育ち、人の目を見ることが怖くなっていった。
頑張れば頑張るほどに、なにもかもが上手くいかなくなってゆく。どうすれば上手くいくのか、もう、手段も方法も解らなくなってきた。
物にはなりそうも無い、才能が無い。だったらそれからは手を引き可能性のある分野を見つけて、努力するのが正しい。その理屈は解る。
だが、解ったところでどうなるというのか? そもそも、この厳しい社会で生きていく、という才能そのものが欠如していたならば?
才能が無いことを嘆いて、生きていけないと諦めて、死ぬしかないのだろう。僕が生きていても資源の無駄使いにしかならない。僕が呼吸する分の酸素が勿体無い。これ以上、他人の迷惑にはなりたくは無い。
この世界は、この社会は、僕という未熟な鈍いプレイヤーにとって難易度が高過ぎるゲームだ。なにもかもが難しすぎる。そして騙される方が悪いのだと、奪われていく。騙して奪う方が賢いのだ、と胸を張るのがこの世界だ。
全てが金という価値に換算される世界。
金を手に入れる手段の行き着くところは、奪う、盗む、騙す、の三つだ。優しい人間は損をする。真面目な人間は気を病んでしまう。
長生きするのは悪人だけ、いや、もともとの仏教用語では出家していない人間のことを悪人と呼んでいたか。
この日本という、ハードモードでチュートリアルもよくわからないところに産まれて、今ではもはやどうにもならないところにまで来てしまった。行き着いてしまった。
僕のスペックでは何をするのも足りない。まったく足りない。もしも生まれ変わりというものが本当にあるのなら、次はもう少しイージーモードでお願いします、神様、仏様。
もはやこの世に望むこともありはしない。
外で星を眺めるロマンティックを味わう人達。同じ地上に立ち、同じ空気を吸っていても、僕は彼らと同じ世界で生きている気がしない。僕は生きていける気がしない。そもそも同じ地面の上に立っている気がしない。
もう悩むことにも疲れた。それなら早々にゲームオーバーになるとしよう。あの世の方がこの日本よりもイージーモードであることを祈る。
外では大量に流れ星が降り注ぎ、誰もが眺めて、中には祈る人もいるのだろう。流れ星に願いを込めて。
そんな外を視界に入れたくも無く、1日中窓のシャッターを下ろして閉ざしていた。外界に背を向けるように、布団に潜り眠る。
寝ているときだけが、安らぎのとき。朝など2度と来なければいい。朝日など拝みたくも無い。
しかし、泣こうが喚こうが願おうが祈ろうが、時が過ぎれば朝は来る。慈悲の欠片も無い。全てが残酷に過ぎる。
昔から朝日が昇る、という言葉はどこかおかしいと思っていた。太陽の周りを地球が回る。太陽は昇ったり沈んだりなんかしない。
なのに皆、未だに地動説が発見されて無いかのように、日が昇る、日が沈む、と口にする。それを疑問に感じることも無いようだ。
日は昇りも沈みもしない。自転して動く地球の上に立つところから、太陽が見える位置に来たり、見えない位置に行ったりする。どちらも動いているのは地球だ。
太陽の方が動くのは天動説の世界だろう。それなのに日が昇ると言うのはおかしくないか?
こんな細かいことを気にするから、僕はこの世で生きづらいのか。
朝起きてシャッターを開けたときに、その生きづらい世界が様変わりしていた。あれほど気取ってマトモぶってカッコをつけていたわりに、中身は追いつかず腐った世界が、誤魔化し方も取り繕い方も忘れて、グロテスクなはらわたをさらけ出していた。
外を歩けば大混乱。アスファルトの上に泣き声が響く。昨日まで何事も無く生きていた人達が、朝、起きれば目が見えなくなっていた、ということのようだ。
昨日まで目が見えているのが当然の世界から、今日からは暗闇の中で暮らすことになった人達。混乱するのも当然か。
住宅街の中、道を赤子のように四つん這いで進む人達は、助けを求めて喧しく叫ぶ。だが、僕が周りを見回しても目が見えている人は、誰もいないようだ。
動く自動車も無い、自転車に乗る人もいない。信号も見えていないようで、アスファルトの上を手探りで這う人々。家の中にいるよりも外に出れば、誰かが助けてくれるのでは無いかと出て来た人達のようだ。
独り暮らしで突然、目が見えなくり、電話も通じないとなれば誰かを頼るしか無いからだろうか?
手探りで彷徨く人達に捕まらないように、道を進む。人の声がワンワンと耳に煩い街の中を、火事の火が見える方の反対側へと歩く。
昨夜、星空を見なかった僕はこれまでと変わらず目は見える。電線に止まる黒いカラスも見える。さて、今のところ目が見える人はどれだけいるのだろうか?
巨大な発光する彗星の光を見た人が、失明した、と僕は推測したが、その光の影響を受けて僕が失明するのは危険だ。
効果があるかどうか不明だが、UVカットのサングラスをかけておく。
眼鏡屋でサングラスを物色して大きめで色が薄いものを。店員もいないので、ガラスの自動扉をバットで壊して店に。ついでにレジを壊してみたけど、中は空っぽだった。
コンビニに入り食料に飲み物をリュックに入れる。ビニール袋にも詰める。どれもこれも無料で手に入る。お金に困っていたときには、コンビニでこんなに品物をカゴに入れたことは無い。
炭酸飲料のペットボトル。キャップを開けて中身を飲む。誰が何処まで混乱しているのか、消防、警察、自衛隊、まだここには来ていないようだ。サイレンの音も聞こえない。
炭酸飲料を飲みながら、悲鳴と怒声、泣き声に呻き声が聞こえる街を見る。
誰も彼もが目が見えなくなった世界で、僕は目が見える。何人いるのか解らないが、どうやら僕はその勝ち組の方に運良く入れたらしい。
昨日までのハードモードの世界が、今日からは突然にイージーモードになるようだ。巨大彗星ひとつで世界の設定がガラリと切り替わったように。神様がコンフィグでもいじったのか? これからは誰もが目が見え無いことが当たり前の世界で、僕は目が見える、という利点があるのだから。
警察が機能してる様子も無い。携帯電話も何処にも繋がらない。
と、なると金も食料も取り放題か? もう金に困ることも無いのか? 警察も機能せず、法律も関係無い世界になったのか? あぁ、これなら、父の会社を倒産に追い込んだ、銀行の奴等、親会社の偉い奴等、その会社の株主を、手当たりしだいに八つ当たりで殺したとしても、警察に捕まらないかもしれない。社会が崩壊したならば、大人しく法律を守る必要も無いし、犯罪者となることに怯えることも無い。
これでは、誰も裁かれない、捕まらない。
殺してもいい、奪ってもいい。
秩序が消え、法を守る力も失せている。
流れ星は願いを叶えてくれるという。
これは誰の願いが叶った世界の姿だろうか?
僕は、あの巨大彗星がくれたこの機会をどう使おうか。
ガードレールに腰掛けて、コンビニから取ってきた菓子パンの袋を開けてかぶりつく。誰も目が見えないなら、何をやっても見つからない。他人の視線を恐れて、これまでできなかったことも簡単にできそうだ。
あぁ、ようやく。
誰もが見えなくなった世界で、僕はようやく生きていけそうだ。