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日影の都  作者: イツキ
第五章 光と影と
46/48

(12)

「――なんだか、お客さんが増えたようだね」

 高見の見物、というように沈黙を保っていたシェイドが、おもむろに口を開いた。味方の参戦に弛んでいた空気が一気に緊張を取り戻す。口元を三日月型に歪め、彼は余裕ぶった態度を崩さない。この程度の援軍、物の数にも入らない、とでも言いたげな表情だった。

「あれが首謀者か?」

 オルゼスが確認するように呟く。人間にしか見えない“影”と異形の化け物の姿を見ても、彼に動揺は見られなかった。ある程度の話をルカから聞いていたからなのか、それとも騎士として積み重ねてきた経験ゆえか。落ち着き払った様が心強かった。

 オルゼスの問いに無言で頷くと、ゼキアはルアスに視線を移した。心得ているとばかりに、視線がかち合う。未だルアスの策を詳しく聞けていなかったが、行動を起こすなら好機である。

「どうすればいい?」

「シェイドとあの化け物を引き離せるかな。あと、化け物の方の動きを少し封じられればなんとかなると思う」

 短く問い掛けると、ルアスも手短に成すべきことを説明する。それぞれが互いに目配せすると、自然と役割が決まっていた。

「私は男の方を貰い受けるとしよう。あの化け物については任せる」

 言うなり、オルゼスは己の剣を手に駆け出した。その豪腕を振るい、寄り添うようにして立つ二つの“影”の間を割く。シェイドは黒い棘を操り応戦するが、オルゼスは驚くほどの速さでそれを躱し、敵を切り裂かんと剣を振り上げる。しかし、その斬撃は盾のように変化した黒い影に防がれてしまった。

「さて、私はオルゼスに加勢ね」

 続けてルカが飛び込み、オルゼスの背後に伸ばされていた触手を叩き切る。傷こそ負わせずとも、徐々に二体の距離は開いてきていた。

 彼らの姿を見守りながら、ゼキアは己の半身とも呼べる剣に魔力を流し込んだ。決定打となるべき炎を放つべく、熱が爆ぜる。

「さっさと、そこをどけ!」

 切っ先から迸った焔は巨大な蛇のようにうねり、異形の化け物の足元に落ちて激しい爆発を起こした。砕けた石畳の欠片が飛び散り、巨体が傾ぐ。

「行くぞ!」

「うん!」

 上手く吹き飛ばされてくれれば、と願っていたが、やはりそこまでは叶わなかった。だが想定の範囲内だ。出来た隙を逃すまいと、一気に距離を詰める。

 おもむろにルアスが屈み込み、地面に触れた。焼け焦げて黒くなった土から、不似合いなほど瑞々しい緑が顔を出す。新緑の芽はたちまち細長く伸びた蔓となり、化け物の太い足に絡みついた。その身体を引き倒そうと幾重にも巻き付き、微かに軋んだ音を立てる。しかし化け物の巨躯に華奢な蔓が敵うはずもなく、古い糸のようにあえなく引きちぎられてしまった。それでも、爆発の余波から立ち直る余裕を与えないだけの役目は果たしてくれた。化け物は鈍重な身体の重心を戻そうと、後方へ一歩足を引く。それが好機だった。

 ゼキアはよろけた化け物の懐に飛び込むと、有らん限りの力をもってその脛を切りつけた。重く、泥を切るかのような手応えと共に刃は容赦なく化け物に食い込んでいく。やがて剣は、片足をつきはぎの身体から切り落とすことに成功した。

 その瞬間、あたり揺るがすような低い音が辺りに谺した。鼓膜を裂くほどの不協和音に、思わず耳を塞ぐ。それが目の前の化け物の咆哮だと気付いたのは、一瞬遅れてのことだった。化け物の足の断面は肉も骨もなく、血も流れていない。ただ黒い凝固体のような物が波打っているだけだった。それでも痛覚に準ずるものは存在していたらしい。

 苦悶の叫びと共に、異形の化け物はついに体重を支えきれず地面に倒れ込んだ。すかさずルアスがそこへ駆け寄る。彼の手が伏した身体に触れた、と思った時だった。なにかに感づいた化け物が片手を大きく振りかぶり、ルアスを打った。小柄な少年は易々と吹き飛ばされ離れた場所に転がされる。

「ルアス!」

「いった……大丈夫、ちょっと身体ぶつけただけ」

 慌てて駆けつけると、ルアスは顔を顰めながらもはっきりとゼキアに応えた。そのことに安堵しつつ、敵の様子を窺おうと顔を上げ――そこでゼキアは、信じられないものを見た。

 打ち捨てられた人々の骸を幾つか挟んで、化け物と引き離されたシェイドは未だオルゼスとルカを相手にしていた。ルカがはしこく駆け回って攪乱し、オルゼスが隙をつくという連携で上手く立ち回っている。その最中に、唐突に別の存在が割り込んだ。片足を切り落とされた、異形の“影”の末端である。身体から伸ばした触手を針のように尖らせ、獲物に目掛けて空を切る。風の如く素早い動きで、シェイドに対する二人へ襲い掛かり肉を断つ。そうだとばかり、思っていた。

 危ない、と叫ぼうとした声は発されることなく掻き消えた。既に、触手は標的の胸を刺し貫いていたのだ――己を作り出した、同胞である男を。

「なっ……!?」

 オルゼスとルカを狙うと思われた触手の針は、深々とシェイドの身体を突き刺していた。本来の敵の合間をすり抜け、次々と細い触手がシェイドに群がっていく。手元が狂った、という様子ではない。まさしくシェイドを殺めるための行動である。予想だにしなかった光景に、誰もが絶句した。ただ一人、シェイド本人を除いて。

「……そう。私を食うのかい。傷を癒すなら、力の密度が一番高いものを食うのが手っ取り早い」

 目を丸くしたのもほんの一瞬で、シェイドは得心のいったように自ら触手に手を差し伸べた。

「ならば、私は君の一部となって見届けよう……こうするからには、後はしっかりやっておくれよ。我らの、悲願だ」

 苦痛にあえぐこともなく淡々と言い終えると、シェイドは瞼を閉じて項垂れた。胸に穿たれた針を支えに四肢を投げ出し、不格好に宙に浮く姿は完全に力を失っていた。血が滴ることもなく、筋肉が痙攣することもなく、脱力した身体は少しずつ形を崩し始める。貫かれた胸から、或いは指先や髪の毛から黒い靄が立ち上り、異形の“影”の元へと集っていく。やがてシェイドの姿は跡形もなく消え去り、集った靄はつぎはぎの巨体へと吸収されていった。

「どういう、こと?」

 ルアスが不安気に呟く。ゼキアとてその答えは持ち合わせていなかった。突然仲間割れしたとでもいうのだろうか。そもそもあの化け物に仲間割れ出来るほどの知性があるとも思えないが――そんな疑問は、次の瞬間に解消されることとなった。

 切断された化け物の足の断面が、不自然に波打つ。黒く不気味な肉芽が見る見るうちに盛り上がり、無くなった部位を元の形に形成し始める。唖然としてゼキア達が動けずにいるうちに、異形の“影”は全く元通りの足を手に入れてしまった。

「……シェイドの力を食ったのか。腹に入れば何でもいいのかよ」

 ようやく理解が追いつき、ゼキアは苦々しく呻いた。人を食らい、その力を身に付けるという“影”。逆に言えば、力を得られるなら食物は選ばないらしい。傷を癒すためなら、共食いもする――それほどにあの化け物の破壊衝動は強いものなのだ。

 新たな片足を得て五体満足となった化け物は、おもむろに立ち上がって喉を反らした。途端、その醜く裂けたその口からおどろおどろしい咆哮が発された。響き渡ったそれに倣うように、周りに残っていた獣達も次々と遠吠えのような声を上げる。続いて、人の悲鳴、呻き、剣が虚しく空を切る音。それらが一気に押し寄せた。騎士団の増援に押され気味かと思われた“影”達が、突如として猛烈な反撃を始めたのだ。瀕死と見えた獣が急激に息を吹き返し、通っていた筈の刃や魔法が弾かれる。対応しきれなかった何人かの騎士達が、鋭い牙の餌食となった。生み出した僕の活性化――異形の“影”はそんな力まで持ち合わせているらしい。否、まさに今手に入れたのかもしれない。黒い靄を吐き出しながら佇む化け物は、瞳に湛えた虚がよりいっそう深くなっているようにも見えた。

「当然、親玉も凶暴化してるよな……」

 ふと、深い闇色の目が此方を見た。全身に悪寒が走る。どこか焦点の合わないその視線は、放つ力ゆえか殊更不気味さを感じさせるものだった。

 警戒しつつ剣を構え直し、相手を見据える。新たな栄養を取り込んで、奴はさぞ力が漲っていることだろう。迂闊に近付くべきではないかもしれない。しかし、とルアスの顔を窺うと、彼は小さく頷いた。

「どっちにしても、やることは変わりないよ。一つに纏まってくれた分楽かもね」

 立ち上がり敵を睨む瞳には、怯えるような翳りなどひとつも見当たらなかった。自分も怯んではいられない。躊躇する時間が命取りかもしれないのだ。

「……あの化け物が光の子の魔力を溜め込んでるなら、僕が――」

 ルアスがみなまで言い終える前に、異形の“影”が動いた。靄から作られる黒い触手は倍ほどにも数を増し、鞭のようにそれを振るって周囲を無差別に破壊する。もはや標的も何もあったものではなく、目に付いたもの壊し、人を襲う。これまである程度は理性的な動きをしていたのが、手綱を取るシェイドがいなくなったことで完全に暴走しているようだった。雨のように降り注ぐ攻撃を剣で払い、炎で壁を作り、どうにか耐えしのぐ。その合間に、ルカ達が同じように攻撃の手を払いながら駆けてくるのが見えた。

「二人とも無事!? 一体どうなってるの!」

「どうもこうも、見ての通りだよ! 共食いしたんだ」

 混乱気味に叫ぶルカをあしらいつつ、ルアスに目配せする。

「……本体に直接触れられればいいか?」

「うん。あの触手は魔法で形を作ってるようなものみたいだから、あんまり意味ないんだ。刺されたら何かする前に死んじゃうし」

 彼が何をしようとしているのかは、先程の言葉で概ね理解した。危険ではあるが、確かにそれならあの化け物を討てるかもしれない。ルアスにしか出来ないことだ。

「後ろの雑魚頼んだぞ!」

 困惑の声が聞こえた気がしたが、それを無視してゼキアはルアスと共に駆け出した。説明している余裕はない。あちらにはオルゼスもいるから、詳細は伝わらずとも上手く動いてくれるだろう。

 向かってくるゼキア達が見えているのかいないのか、異形の化け物は雄叫びを上げながら周囲を破壊し続けていた。石畳が、花壇を作っていた煉瓦が砕け散り、辺りに礫が舞う。影の手は驚くほど広い範囲を一体で攻撃し、避けきれなかったその一部が頬を裂いた。傷を負いながらも猛攻をかいくぐり、化け物の足元を目指す。あと少しで飛び込める――そこで、はっきりと目が合った。

 敵、或いは餌を識別した夥しい触手が、無造作にこちらへ伸ばされた。手足を絡め取ろうとするそれを切りつけ、爆風を起こしてどうにか回避する。しかし、ルアスが間に合わなかった。無数の触手に包まれ、彼は何も抵抗出来ずにいた――否、抵抗せずにいた。

 耳に届いた悲鳴はルカのものだっただろうか。自分も反射的に身を乗り出すが、半ば触手に飲み込まれたルアスが目線で制する。触手はそのままルアスを引き摺って本体の元へ戻るようだった。そうだ、あれに触れることが出来れば。

 深く息を吐き、ゼキアは剣を構え直す。その間に、ルアスの姿は完全に黒い触手の中に埋もれてしまった。焦ってはいけない。彼は、自らあの中に身を委ねたのだから。脳裏によぎるのは、いつか貧民街で見た光景だった。襲い来る“影”を魔法で瞬く間に葬ったルアス。その魔力はルカから拝借したものだった。他人の魔力さえ操る彼の封力――それがあれば、あの化け物が溜め込んだ光の子達の力を逆に利用できる筈だ。

 黒い触手の塊が本体に辿り着く。化け物はどこか嬉しそうに喉を鳴らし、目の前の餌に手をかける。変化が起きたのは、その瞬間だった。

 唐突に、異形の“影”の動きが鈍る。身体がいうことを聞かない、と首を傾げた化け物の周りから、漂っていた靄が消えた。代わりに歪なつぎはぎの身体から溢れ出したのは光だった。“影”の身体を内側から焼くように、眩い閃光が迸る。化け物の口から、街全体を揺るがすような断末魔が響いた。直視することさえ出来ない輝きが、確実に“影”を弱らせていく。今だ、と頭の奥で何かが囁いた。

「――覚悟しやがれ!」

 光の渦の中に大きく踏み込み、ゼキアは悶絶する化け物に向かって大きく剣を振り下ろした。胸から腹にかけて大きく出来た切創から、いっそう強い光が溢れ出す。どん! という爆発音と共に暴風が巻き起こり、ゼキアは光と熱の奔流に晒された。咄嗟に目を瞑り顔を庇うが、吹き飛ばされて地面に転がされる。瓦礫が皮膚に裂傷を作り、熱風が喉を炙った。痛みに呻くことさえ出来ずに、膨大な魔力が起こした嵐に歯を食いしばって耐え続ける。そうするうちに、風は少しずつ弱まっていった。

 ――そして、ようやく目を開けることが出来た時には、既に化け物の姿は無くなっていた。

「やった……のか?」

 呆然と呟いた自分の声で、ゼキアは我に返った。慌てて起き上がり、ルアスの姿を探す。そう離れてはいないはずだが、巻き上がった粉塵と、強い光に目をやられたお陰で視界が心許なかった。それでも必死に目を凝らしているうちに、地面に横たわる少年の影を見つけた。

「ルアス! おい、無事か!?」

 足をもつれさせながら駆け寄り、身体を揺さぶる。熱で火傷したのか白い肌は赤く腫れ、全身が煤けたように汚れている。ほどなくしてくぐもった声がその喉から漏れたのを聞き、ゼキアは安堵の息を吐いた。

「ゼキア……上手くいった?」

「みたいだな。まったく、流石にどうなるかと思ったぞ」

 ぼやくゼキアに、ルアスは苦笑する。助け起こすついでに、その額を小突いてやった。いくら分かっていたとしても、こちらは友人と敵を一遍に切るような真似をさせられたのである。万が一ルアスの命が失われるようなことになったらと、気が気ではなかったのだ。笑い事ではない。

「ん? お前、それ何だ?」

 ぐったりと脱力しながらもルアスが強く拳を握っているのに気付き、ゼキアは視線を落とした。その質問にルアスはゆっくりと手を開いて見せる。握っていたのは、小さな黒い球体だった。一見炭のように見えたが、すぐにそうではないことに感付く。小さく渦を巻く、深淵の闇。あの異形を最初に目にした時と同じ、言葉に出来ないおぞましさが球の中に凝縮していた。再びルアスの顔に目を戻すと、彼はたどたどしく説明しはじめた。

「あの“影”の魔力、全部爆発させたら街ごと吹き飛んじゃいそうだったから。真ん中にあるのはただの小石なんだけど、前に作ったお守りの要領で定着出来ないかと思ってどうにか……すごく不安定なんだけど」

 そう言うと、ルアスは球体を地面に置きゼキアを見上げた。自分の成すべきことを察して、ゼキアは立ち上がり一歩後ずさった。

「あの状況でそんなことしてたなんて、大した奴だな……お守りと同じなら、壊しちまえば魔力も無効化するな」

「うん、お願い」

 真っ直ぐ切っ先を球体に突きつけると、ゼキアは一思いに剣を突き刺した。ごく僅かな抵抗を覚えた後、球体は実に呆気なく砕け散った。音すら立てずにぼろぼろに崩れて、砂に還る。

 突然、周囲の音が消えた。いや、正確には喧しく騒いでいた一部の存在が消え失せていた。街を襲い、騎士達が奮闘していた獣達が一瞬にして消滅したのである。剣を振り上げていた騎士が呆気にとられたように目をしばたかせ、やがて驚愕と安堵の声を上げた。今までとは違ったざわめきが徐々に広がっていく。

「終わった、か?」

 途端に猛烈な脱力感に見舞われ、ゼキアはずるずると座り込んだ。傍らには、これまた座り込んだままのルアスがいる。

「終わった、みたい……」

「あ、おい!?」

 ゼキアの言葉を繰り返したかと思うと、ルアスは後ろに倒れ込むようにして力を失った。地面に頭をぶつける前に辛うじて受け止めると、穏やかな寝息が聞こえてきた。緊張の糸が切れて、これまでの疲労か一気に襲ってきたようだ。

「……お疲れさん」

 むしろ、辛すぎる出来事もあっただろうによくここまで倒れなかったものである。意識のない少年の頭をくしゃりと撫でると、その感触に反応してルアスは微かに瞼を動かした。しかし、目覚める様子はない。これは抱えて帰るしかなさそうだな、などと考えていると

ふと頭に無骨な温もりを感じた。そのまま、髪を乱すように無遠慮に撫でられる。

「……お前も、な。よく守り切った」

 いつの間にか背後にあった気配。その手が自分がルアスにした同じ動きをしているのを悟り、ゼキアはなんとも言えない気分になった。誰がやっているのかなど分かりきっているだけに、振り返るのを躊躇する――あれだけ憎々しく思っていた筈なのに、なんだか酷く懐かしかった。

 だからといって、されるがままなのも釈然としない。結局ゼキアは背後の人物、もといオルゼスの手を振り払うようにして顔を上げた。

「殆どルアスが遣ったようなもんだ。あとそれ止めろ、もう撫でられる歳じゃねぇ。そんなことしてる暇があるなら街の方どうにかしろよ騎士団長様」

 どう接するか決めあぐねて、ゼキアは早口にまくし立て目を逸らした。ろくに抑揚もつけない口調に苦笑しながらも、オルゼスは頷いた。

「違いないな。ではルカ様、後ほど」

「ええ、ありがとう」

 そこで、ようやくゼキアは佇むもう一つの人影に気が付いた。共に行動していたのだから当然なのだが、失念しているとは自分も相当疲れているようだ。

「ルアス、寝ちゃったの?」

「……ああ」

 騎士達に指示を飛ばすオルゼスの背中を見送り、ルカも傍らに屈み込む。ルアスの寝顔を覗くと安心したように笑みを浮かべ、軽く叩くようにその頭を撫でた。そしてその手を、なぜかゼキアにも向ける。

「待て、何する気だ」

 嫌な予感に咄嗟に仰け反って距離を取ると、ルカは不満そうに眉を顰めた。

「なんでオルゼスは良くて私は駄目なのよ」

「元から誰にも許可してねぇよ!」

 訳の分からない理屈に力の限り反論すると、ルカは声を上げて笑った。そして、ほんの少し悩むように首を捻る。

「うーん……じゃあ、はい」

 そう言いながら、ルカはゼキアに手のひらを向ける。意図が掴めずにいると、彼女は穏やかに微笑んだ。

「とりあえず勝利、ってことで。……色々あったけど、失ったばかりじゃないと思うから」

 果たしてそうだろうか、とゼキアは逡巡する。街は無惨に破壊され多くの犠牲者が出ている。ルアスは拠り所を無くしたし、ルカとて父親を失っている。国王はあんな所業を行って償いも無いまま死んでしまい、エイリム王国の先行きに明るいものはあるのだろうか。

 ――だが少なくとも過去と違うのは、惨状を食い止めようとした者達がいたことだった。たった一人の王女は民を救おうと駆けずり回り、機能を失っていた騎士団も街のために動いた。それはこれからの希望になり得るのかもしれない。そしてゼキア自身も、変化を感じていた。絶望した過去に捕らわれ、嘆きながら何もせず過ごすのはもう終わりだ、と。かつて描いた、虐げられる人々を救う夢を諦めてはいけないのだと、どこからかそんな声がきこえてくるようだった。

 思案にふけりながら、ルカと彼女の手のひらを交互に見返す。ルカは変わらず瑠璃の瞳で真っ直ぐとゼキアを見つめ、その目に疲労の色はあっても陰りは無いように思えた。ルアスもだったが、こいつもなかなか大した奴だと、口には出さずに頭の隅で思った。

「……とりあえずは、な」

「ええ。お疲れさま」

 ルカに応えるように、ゼキアも手を差し出す。二つの手が合わさって、ぱしん、と軽快な音を立てた。


 ――こうして、街中を巻き込むに至った騒動はひとまずの幕を下ろしたのである。

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