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日影の都  作者: イツキ
第三章 ひそやかに揺れる
20/48

(2)

 久しぶりに訪れた市場は、予想通り多くの人で賑わっていた。記憶に有る限りこの場所が閑散としていたことなど一度もなく、恐らくイフェスで最も活気に満ちている場所ではないだろうか。

「いやー、良い買い物したわね! 楽しかったぁ」

「……そりゃ良かったな」

 必要な買い出しを終え、荷物を持って歩く市場の道。晴れ晴れとした笑顔で歩くルカとは対照的に、ゼキアはぐったりとため息をついた。様々な人でごった返す広場は、歩き回ればそれなりに疲弊するものである。しかし今日に限っては、この疲労感の原因はそれだけではなかった。

 それというのも、全てはルカのせいである。確かに彼女の値切りっぷりは素晴らしく、口の上手い商人が舌を巻く程のものだった。お陰で予定よりも出費が少なく済んだのは有り難かったのだが、問題はそれ以外である。道を歩けば客引きの声にいちいち反応し、必要のない店をあちこち物色し――いつの間にかすっかり彼女に振り回され、いつも以上に体力を消耗してしまったのである。

「あれ、なんかぐったりしてない? どうしたの?」

「……なんでもねぇよ」

 きょとんと尋ねるルカに少なからず殺意が芽生えたが、もはや文句を言うのも億劫である。ゼキアは罵声を飲み込み、話をすり替えた。

「それより、いい加減に戻るぞ。ルアスも帰ってるかもしれねぇし」

 家を出たのは午前中の早い時間だったというのに、気が付けば太陽はとっくに頂点を通り越していた。既に用を終えたゼキアとしては、早々に帰路につきたいのである。そんな心中を察したかどうかは定かではないが、これにはルカも素直に頷いた。

「そうね、もういい時間だし――」

 そう言いながらルカが空を仰いだ、その時だった。

 唐突に、甲高い悲鳴が辺りに響き渡った。人々の活力が溢れる市場におよそ似つかわしくない、切羽詰まったような――子供の声、だろうか。

「なんだ、今のは」

 反射的に足を止め、ゼキアは音源を探った。周囲を見回してみると、一件の店の前に人だかりができている。

「あそこかしら? 行ってみましょう」

「あ、こら待て!」

 同じものを見つけたらしいルカが、真っ先にその店先へと駆け出した。ゼキアの制止などまるで耳に入っていない。

「……ああもう、さっきからあいつは!」

 ひとつ舌打ちをすると、ゼキアは仕方無しに彼女の後を追った。こんなもの、明らかに厄介事である。進んで巻き込まれたくはない。が、放っておいて後味の悪い思いをするのも嫌なのである。

「くそ、どこ行きやがったあの女……」

 問題の場所には、すぐに辿り着くことが出来た。しかし肝心のルカの姿が見当たらない。人混みに紛れてしまい、いつの間にか見失ったようだ。

 胸の内で思い付く限りの悪態を吐きながらも、瑠璃色の髪を探して周りを注視する。すると、否が応にも騒ぎの原因が目に入った。

「いやぁーっ! 何すんのよこのジジイ! 離しなさいよ!」

「何すんだはこっちの台詞だクソガキ! その手にあるもん返しやがれ!」

 激しく言い合っていたのは青果店の主と思しき禿げ頭と、その店主に首根っこを掴まれたみずぼらしい少女だった。その細い腕の中には、いくつかの赤い果実がしっかりと抱え込まれている。

「物盗りか……」

 無意識にゼキアはそう呟いた。この状況からして、他は有り得ないだろう。 少女の年頃は十に手が届くかどうかだろうか。短い金髪は埃に塗れ、すっかりくすんでいる。加えて顔も手足も、露出している部分は全て泥だらけだった。羽織っている外套も擦りきれてボロボロである。恐らくは、貧民街で暮らす浮浪児なのだろう。

「このっ、いい加減にしろってんだよ!」

 抵抗を止めない少女に、禿げ頭の店主は一際大きな声で怒鳴り付けた。それと殆ど同時に、店主は少女の身体を地面に引き倒す。少女から上がる悲鳴など意にも介さず、店主はその腹を思い切り踏みつけた。

「なっ……!」

 欠片ほどの容赦もない店主の行動に、ゼキアは瞠目した。それだけでは飽き足らず、店主は更に少女を蹴り飛ばす。

「――よっぽど痛い目見たいらしいな、この乞食が」

 忌々しげに毒づきながら、店主は暴力を振るい続けた。幾度も足蹴にして地面を転がし、少女が起き上がろうとすれば頭を踏みつける。その度少女は

苦痛に呻き、むせ込んで吐き出した唾には血が混ざっていた。そんな様子を見ても、店主の行為は治まるどころか徐々に過激にさえなっていた。

 ――このままでは、あの少女は死んでしまう。明らかにあの店主は行き過ぎだ。そう思ってゼキアが行動に出ようとした、その時だった。

「いい加減にしなさいよ、このハゲ!」

 ゼキアが何かするより先に、人垣から飛び出した影があった。店主に罵声を飛ばし少女との間に立ちはだかったのは、先程から探していた瑠璃色の髪――言わずもがな、ルカだった。

「うげぇ……あいつ……」

 それを認めた瞬間、反射的にそう漏らしていた。わざわざあんな風に悪目立ちしては、碌なことにならないというのに。

「……そこを退いてくれや、お嬢さん。先に盗みを働いたのはそのガキなんだぜ?」

「そうだとしても、貴方の暴力は行き過ぎよ! こんな小さな子相手に……これ以上やるなら、騎士団を呼んで捕まえて貰うわよ!」

 ルカの言い分は、少なくともゼキアの立場からは尤もなものだった。しかし、数多の野次馬の中でそれに同意する者は誰一人いなかった。いたのは、奇異なものを見るように視線を送る者や、顔を寄せて囁きあう者。ルカの台詞に冷笑を浮かべる者もいた。彼らに少女を助ける気があるようにはとても見えない。

 ――それはそうだ。この街では貧しい者に人権などない。貧民は虐げられるものだと、相場は決まっている。それがイフェスでの常識だ。

「……胸糞悪い」

 とうの昔に知っていたはずの事実だが、目の当たりにすれば気分が悪いに決まっている。早々にこの場から立ち去るために、ゼキアは路上の青果店に目を向け意識を集中した。要は、少女が逃げられればいいのだ。

「騎士団? 呼んだってお縄になるのはこのガキの方さ。ろくに税も納めないような非国民が、更に盗みまで働いたんだからな! これぐらいやんなきゃ、頭に蛆の湧いた貧民共にはわかんねぇんだよ!」

「なんですって――!?」

「おーい、おっさん」

 逆上するルカを遮るようにして、ゼキアはわざとらしく大声を上げた。店主の視線が自分に移ったのを確かめると、店の方を指し示す。

「あんたの店、なんか焦げ臭いぞ。煙草でも消し忘れたんじゃねーか?」

「……ああ! 俺の店がっ!」

 店主が店を目にした時には、既にそこは火事の様相を呈していた。奥方から黒い煙が立ち上ぼり、辺りにはきな臭さが広がる。勿論、これはゼキアの思惑によるものだ。魔法を使い、奥にあった荷物に少々火を点けさせてもらったのである。

 悲痛な顔で店主が駆けていったのを見計らうと、ゼキアはルカに目線を戻した。さっさと行け、というように手を振って合図を送った。ルカは突然の火事に困惑した様子を見せていたが、それに気付くと慌ただしく少女を助け起こす。そのまま早足で立ち去るのを見て、ゼキアもまたその場から離れルカの姿を追った。今度は見失ってたまるかと気を張っていたが、幸いなことに程なく彼女の所在は知れた。

「ゼキア、こっちこっち」

 人目を憚るように名を呼ばれ、ゼキアは足を止めた。声の出所を探って辺りを見渡すと、一件の屋台の影から手招く誰かの姿。それに誘われるままに、店の裏側へと回り込む。どうやらこの屋台は早々に店仕舞いしたらしく、中に潜り込んでも咎められることはなかった。姿勢を低くして息を潜めると、ルカは深々とした溜め息をついた。

「はぁ、逃げ切れて良かった。出来ればあの親父、懲らしめてやりたかったんだけど」

 安堵して落ち着いたように見えたのも束の間、彼女の怒りは未だ治まったわけではないらしい。憤然と肩を怒らせるルカに、ゼキアは眉宇をひそめた。

「あのなぁ、あの場で喧嘩なんざしてみろ。取っ捕まるぞ」

「でも悪いのは明らかに向こうじゃない。あのまま放っておいたら、この子死んじゃってたかもしれないのに!」

「そういうことじゃなくてだな――」

 ゼキアが言い返そうとしたその時、側から激しく咳き込む声が聞こえた。見れば、連れて逃げてきた少女が胸を抑え、苦しそうに喘いでいる。店主に蹴られた際に胸をぶつけたのだろうか。

「おい、大丈夫か?」

「そうよ、先に怪我の手当てしなきゃ! 貴方、大丈夫――」

 少女の様子に慌てたように、ルカが手を伸ばす。しかしそれは、ぱしん、という乾いた音によって阻まれた。

「……なんのつもり」

 噎せ返りながらも少女はゆるゆると顔を上げ、碧眼が鋭くルカを睨み付けた。

「なに、って」

 叩かれた手を握りしめ、ルカは戸惑いがちに繰り返した。

「あなたみたいな何の苦労もなさそうな人が、私みたいな乞食を庇うなんて。新手の遊びでも流行っているの? 偽善者ごっことか? 私たちをバカにするのも大概にしてよね!」

「そんな、私は……」

 怒濤の勢いで捲し立てる少女に気圧され、ルカは途中で口ごもる。少女はそんなルカを一瞥すると、一目散に雑踏の中へと駆け出していった。

「あ、まって!」

「おい、よせ」

 一緒になって走り出そうとしたルカを、ゼキアはすんでの所で捕まえた。振りほどかれないよう、掴んだ腕を引っ張りこちらを振り向かせる。

「――ゼキア! なんでよ!」

 やはり彼女は激昂し、ゼキアを恨みがましそうに鋭い視線を向けた。その表情に、ゼキアは密かに嘆息する。彼女はゼキアが止める理由も、少女の言葉の意味も、理解していないのだろう。

「追いかけてどうする。今の様子じゃ、手当てするどころか暴れだしかねないぞ」

「わからないじゃない! ちゃんと話せば大丈夫よ!」

「……あーもう、解ってねぇのはお前だろうが! 何でも知った気になってるんじゃねぇよ! いい加減にしろ!」

 耐えかねて思わず怒鳴り付けると、さしものルカも口を閉ざした。それでも何か言いたそうに唇をわななかせていたが、やがて観念したように再び座り込む。

「……どうして」

 たっぷりと時間をかけて、ルカはその一言だけを絞り出した。

「……さっき、店の親父のこと止めなかっただろ。なんでだか解るか?」

 おとなしくなったルカを見て、ゼキアも幾分か声を落として問い掛ける。ルカは数舜の間を置いた後、小さく首を振った。

「簡単だ。とばっちり食いたくねぇんだよ。あれが行きすぎなことぐらい、誰にだってわかる。でもこの国……特にイフェスでは、貧民は虐げていい、むしろ善しとする風潮がある。庇おうとすれば逆に罪に問われかねないな。貧民の人権なんて、ほとんど無いようなもんなんだよ」

「――そんな! おと……国王陛下は、ちゃんと民を考えて政治をしているわ! だから国がこれだけ栄えたのよ。それに騎士団だっているじゃない」

 ゼキアの言葉に、ルカは必死の形相で噛みついた。確かに、彼女の言うことは間違いではない。今の王のお陰で国が発展したのは事実だ。その恩恵を受けている人間にとっては、民を思っての政治、とも取れるのかもしれない。ただ、その“民”の中に、貧しい者が含まれないだけの話なのである。過去の戦の皺寄せを押し付けられている身としては、彼は暴君に他ならない。それに付随する騎士団も、また然り、である。

「お前だって、貧民街に“影”が出たのを見ただろ。本当に民のことを考えてるなら、とっくにどうにかしてるはずだ。仕事は寄越さないのに税は取るし、街の人間もそれが当然だと思ってる。俺逹みたいな貧乏人が、国や市街地の人間を信用出来ないのは当たり前だ」

 口にするうちに語尾が荒くなっていくのは、仕方のないことと言えよう。段々と苛立ちが増してくるのが嫌で、ゼキアは話を締めにかかった。

「裕福な奴がわざわざ関わってくるなんて偽善にしか見えないんだよ。だからさっきの子供もああいう反応になる。相手の心情を慮る気があるなら、関わるな」

 一気にそこまで言い切ると、ゼキアはルカを差し置いて立ち上がる。

「――そろそろ行くぞ。こんな所でいつまでも座り込んでたら、それこそ騎士団に通報されるぞ」

 言下にルカをせっつくと、彼女は緩慢な動作で腰を上げた。すると何かに気付いたようにぱたぱたと身体のあちこちに手をやり、苦虫を噛み潰したような顔になる。

「……財布がない」

 呻くように声を絞りだし、ルカは肩を落とした。今気付いた、ということは恐らく先程の少女の犯行だろう。抜け目ない子供である。

「やられたな。まぁ、これに懲りて次からもっと考えて行動しろ」

 すっかり落ち込んだ様子のルカを小突き、ゼキアはようやく自宅への道を辿り始めた。

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