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山の人

作者: 04号 専用機

まぁ要するにそんな感じで

 都会ってのは、たとえばそれはそびえ立つビルと忙しない国道なのだ。

 数年ぶりに足を踏んだ都会の土はジリジリと暑く、その癖して不意に冷たさを感じさせた。

 数分歩いているとクラクラして、喫茶に逃げ込んでも人とコンクリートのジャングルだと言うのだから恐れ入った。

 何が言いたいのかというと、とどのつまり、都会と言うのはそういうものだと言う事を、僕はすっかり忘れていたのだ。

 年月というのは恐ろしいもので、ちょうど、枝を切り落とした樹木がその傷を数年のうちにすっかり塞いでしまうように、自分の傷――表面的にしろ内面的にしろ――をすっかり消してしまうのだ。

 実際、傷跡はあるし、その下には生き節としてしっかり痕跡が残っているのだが。

 ホコリを払ったばかりの自宅の床の、木造のふんわりとした感触を頬に感じながら、自分は深くうんうん唸った。

 やはりどうあっても都会と言うのか、人というのか、所謂そういう、排ガス的な濁っていそうな熱気というのは好きになれぬ。

 職業上の挨拶で仕方ないとは言えさっさとおさらばしたかった。

 しかし明日の昼過ぎまで何もすることがない。些か暇なのは嫌いな自分で在るし、財布をポッケに突っ込んで、歩きに出掛けることに決めた。


 都会ってのは、たとえばそれは煙たい空気なのである。

 誰かがどこかでこの高層ビルほどもあるドデカい煙草を更かしてるんじゃと思えるような空気は頭痛を産むのだ。

 おかげで朗らかであった僕の顔はすっかりしかめっ面で打ちひしがれた。こなくそう。

 鬱蒼と繁ったコンクリートジャングルの中を掻き分け掻き分け進んでも、どこまで行っても同じ景色が広がっているような気がした。

 何と言っても太陽が見えないのである。ちょうど枝葉に乗った雨雫が日光を反射するように、それより遥かに害の有りそうな光を、ビルの窓硝子が反射していた。

 おかげで俯いて歩く羽目になる。

 面白くない。

 本屋を見つけたので適当に数冊買い込んだ。

 無駄に頑丈に鍛えられた体は数冊の重みなど物ともしない。鞄を持ってくるべきだったと思いながら、僕は更にこの煙たい空気の中を歩いていく。


 都会ってのは、たとえばそれは狭っ苦しい空なのである。

 夕時であることに気付いたのはもうすぐ日が落ちようかという手前だった。

 元を辿れば故郷であるはずの都会は、なんにも変わらぬ。なぜかと言うとビルというものは、コンクリートとアスファルトは、成長しないからである。

 私は頭を低く低くして、とにかく歩いた。

 中身は大して代わり映えせんと言うのに、外観を変えたがるのはなんなのだろう。人の性だ。良く見せたいだとか流行りになりたいだとか、たぶん、そういう具合だろう。

 私はぶつくさ言いそうになるのを堪えて代わりに歩いた。

 腹が減った。しかし何と言っても空気が不味い。粉っぽい。一つ息を吸ってやると土に顔から突っ込んだような具合になって私は思わず唾を吐く。

 フラフラ歩いていると、そんな都会の路地道の奥の片隅に、温かな質感を感じる喫茶を見つけた。

 おそらく純喫茶の類だろう。

 僕は吸い寄せれられるように店内に入った。


 カランと乾いたベルが鳴る。

「水、水、水、水をくれ」

「いらっしゃい。こんな時間にお客さんかい」

 僕はカウンター席にどっかと座り込んで、ついで買い込んだ本が入ったビニル袋を隣の丸椅子に置いて、とにかく水をくれとぼやいた。

 おかしな客が来たもんだと思ったのか思わないのか、はっきりしない反応を見せる店主は鬢に白髪の混じるような歳のようであった。

 ふと笑ったように見える。

 僕の前に水が置かれたかと思うが早いか、口に残った埃っぽい空気ごと水を胃の中に押し流す。

「生き返った」

「それは良かった。ご注文はあるかね?」

「小腹を満たせるものを」

 店主は落ち着いた様子でこくりと頷いた。

 数分待つと香りが鼻腔をくすぐった。

 パンを焼いているのか。フレンチな感じの匂いである。

「お客さん、見ない顔だが。ここに来るのは常連ばかりなのに」

「ここ木造でしょう。そういうとこから降りてきたんです」

「ははぁ、山の人。中々騒がしいもんでしょうこの街は」

「まったくですな。僕がいた頃と何も変わっちゃおらなんだ。相っ変わらず憎たらしい街ですよ」

「おや、この街の出身か」

「まぁ。いやしかし元々から嫌いなんですこの街は。だから山に逃げたと言うんですか。なのにここに戻ってくる羽目になった。本末転倒と言って然るべきですな」

「ハハハ、嫌い嫌いと言う人は、大抵どこか魅力を知っているものですよ」

 店主は笑いながら僕の前にフレンチトーストの乗った皿を置く。

「おかえりなさい。珈琲は私のおごりです」

「いただきます。そしてただいま」明日にはさよなら。

 トーストを一噛みすると甘味が舌を刺激して、釣られたように僕の嗅覚は甘い香りで覆われた。

 奥歯で先程の店主の言葉を咀嚼して見ると少々苦い気がするから不思議なものだ。

「魅力、魅力ね。それにしたってそんなもの、果たして一度でも感じたことがあるのかな」

「一つだけ知っていて、それ以外、嫌な部分があまりに多いと、逃げたくもなるものですよ」

 苦い。

 僕は食指を進める。

 それにしたって苦い。

「いやなんにしても僕がこの街のことを嫌いだと言う事は変わらんじゃないか」

「そうですか、そうですな」

「なに、からかうのならおやめなさい。山の人間は穏やかに見えてすぐ口喧嘩には乗るもんですから」

「ハッハッハ、面白い人だ」

「こっちの役所に文句でもなけりゃこんなとこまで降りてや来んですよ」

「とどのつまり文句があると」

「そこまでは行かんが物申すことが二三ありまして」

 珈琲は元々苦いものだ。

「ほぅ山のお人が」

「そう山のお人が」

「何を?」

「獣です、獣。山に放すのはおやめなさいと。おかげで山は荒れ放題ですよ」駆除しようにも苦情が適わんのである。「何もせんやつはうるさいもんです。なもんで、黙らせてもらおうってことで、こっちまで降りてきたんです」わざわざ僕が。「わざわざここまで」

「それは、災難」

「まったくまったく。撃ち殺すのが残酷だと言うなら獲物を放つ方はどうなんだと。そっちの方が余程残酷で人道から外れとるんでないのかと」

「ごもっとも」

「そうでしょう」

 言い終えもぐもぐ咀嚼する。

 もう苦くはなかった。

「いやしかし、よくもまぁ決意したもんだ。文句を言いに行こうとは中々誰も考えないが」

「だから言っとるでしょう。こちとら実害があるんです。ピーチクパーチクやかましいのは都会の嫌なとこですよ。確かに便利ですけどね、それがいかん。便利すぎると人間嫌にやかましくなる」

「ハハァ、確かにそれは一理ある」

「でしょう、でしょう。あんた中々話せるお方ね」

 こうなると、トーストの味は格段にうまくなるのだからたぶん僕は単純なのだろう。

「本お好きなので?」

「いんやぁいや。むしろ嫌いです。こりゃ単なる暇潰しと言うか、ま、一緒の睡眠薬ですな」

「そんな風に使われちゃあ本も可哀想でしょう」

「そうですか。そんなことはない。多種多様に使い方があって大変よろしいとは思いませんか」

「物は言いようだ。私はそうは思わんね」

「そうですか、ならそういう使い方は悪いんでしょうな、以後しないよう心がけます」

「それにしても眠くなるのは分かりますがね」

「やっぱりあんた話せる人」

 珈琲を飲み干してしまった。

 財布を見てそれからちらりと時計を見る。とっぷり夜になろうと言う頃だ。

「ふんむ。時間が時間だ。僕はそろそろ帰ります。いきなり押し掛けた客にありがとう」

「なに、客は客です。これも何かの啓示と思って精進しますよ 」

「ありがたい。ではこれにて」

 さよならと言う前に一枚紙切れをカウンターに置く。

「釣りは要らんのでね」

 僕はさっさとその喫茶を後にした。


 都会ってのは、たとえばそれはギラギラ目に付くネオンの夜景なのである。

 蛍だってこんな目に毒そうな光はしてないし、こんなに埃っぽいのだって春先の、杉が花粉を出す頃ばかりだし、そもそも花粉症なんてのは、ディーゼルガスが粘膜を弱くしたから起こる、まぁ「ディーゼル症候群」とでも呼ぶべきもんで、要するに杉と言うのは悪役にされた可哀想なやつなのである。

 ちょうど、都会に放り出された僕のように。

 家に着くや否やうがいで埃を外に出す。

 薄汚れた外も家の中もおんなじで、僕の喉はすっかりイガイガであるし、僕の鼻はすっかりグズグズであって、まるでそうトナカイのようになっていた。

 おまけに飯もうまくない。水もまずい。

 その日はさっさと寝ることにした。


 ビルの一角から見える夜景が綺麗であったのが、せめてこの街の良いところだろうか。

 僕は罵りながら眠りに落ちた。

この後文句吐き散らして帰ったと思う

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