めでたし、めでたし……?
これで、ようやく自分の好きなことができるようになる――と。
そう思いながら滝田聡司は、軽い足取りで軽音部の部室に向かっていた。
吹奏楽部と、軽音部。
その両方を兼部することが許された今、もはや自分の邪魔をするものは何もない。
だからこれからは、自分の好きなようにドラムを叩いて、もっともっと楽しいことができるんだ――
そう考えながら、聡司は最高に上機嫌で軽音部の部室の扉を開けた。
するとそこには、今日のライブで一緒だったバンドのメンバーがいる。
ギター兼ボーカル、結城紘斗。
ベース、石岡徹。
それに自分と同じく、学校祭限定の助っ人として呼ばれていたキーボード、岩瀬真也。
そして――
「……なあ紘斗、そいつ誰?」
なぜかそこに、さらに見知らぬ男子生徒がいて。
あまつさえ、そいつが部室の床に膝をついて号泣しているのが見えて。
聡司は思わず、その生徒の前にいる紘斗に、そう質問していた。
自分が音楽室に行っている間に、一体なにがあったのだろうか――そう思っていると、その男子生徒の肩に手を置いていた紘斗が言ってくる。
「ああ、こいつね、軽音部にいた元ドラムのメンバー」
「……ああ。そういえば、そんなことも言ってたっけか」
かつて、軽音部にいたという部員。
そういえば、前に紘斗から聞いていた。ドラムとキーボードのメンバーが、男女関係のいざこざから、部活に来なくなってしまったということを。
だからこそ、紘斗は自分と真也に声をかけることになったのだ。
学校祭のライブに出るのにメンバーが足りない、助っ人として出てほしい――と。
そして、そのいなくなったはずの軽音部の部員が、今ここにいるということを考えると――
「……あれ?」
どこか、自分の目算がおかしくなり始めたことに気づいて。
聡司は呆然と、声をあげた。
いや、だって。今更、どの面下げて出てくるというのだ。
今日のライブは、ここにいる軽音部のメンバーや真也、そして自分のおかげで、大盛況のまま幕を閉じたというのに――
「ううっ……紘斗。オレが、オレが悪かったっ! あんな女と別れたくらいで、情熱を失って、音楽から離れちまうなんて――オレは、オレは、なんてバカなことをしちまったんだ……!」
「あのね。こいつ今日のおれたちのライブを見て、すっげえ感動しちゃったんだってさ。それで、それをここに言いに来たんだって」
「そ……そっか。そうなのか……ふーん……」
そう。確かに今日のライブは、軽音部の歴史上からしても相当にすごいものだったらしい。
それは、吹奏楽部の同い年からも聞いていた。それはやはり、本当のことで――自分たちの演奏は、こんなにも彼の心を揺さぶることになったのだ。
それはとても、素晴らしいことだった。
素晴らしいことのはず、なのだ。
だけど――
「くそ……っ。紘斗、オレは大切なものを忘れていたんだ。あの強烈なグルーヴ感! 聞くもの全ての目を覚まさせるような、熱狂のリズム! それを、オレも、オレももう一度味わいたいんだ! 頼む! 紘斗! 徹! オレをもう一度メンバーに入れてくれ! すまない、この通りだ!!」
「…………」
それがどうして、このような結果になるのだろうか。
紘斗や徹に向かって土下座するその男子生徒を――聡司はただひたすら、沈黙をもって見つめることしかできなかった。
「……えー?」
何がどうして、こんなことになってしまったのだろう。
半ば呆然としている頭で、そんなことを考える。
自分があんな思いをして、ようやく自分の本当の気持ちを、探し当てたというのに。
それがどうして、こんな名前も顔も知らないやつに、全部かっさらわれなければならないのだろうか。
そう思って、紘斗を見ると――
「そうだね! わかった! また一緒にやろうぜ、な!!」
「だよね!? どうしたってこの展開、そうなるよねー!? ちっくしょおおおぅっ!?」
事実上のリーダーである紘斗が、そんな鶴のひと声をあげてしまって。
聡司は天に向かって頭を抱え、心からの叫び声をあげるしかなかった。
そう、確かに自分は学校祭限定のお手伝い。
その条件で、今回の依頼は引き受けたのだ。
なら本来の部員が戻ってきたら、その役目は終わることになる。いや、まあ別にサブメンバーとして入れてもらうという選択肢もあるにはあるのだが――今この状況でそれを言い出す気には、どうにもなれなかった。
なので聡司は救いを求めて、同じく助っ人としてこの軽音部に来ていた、真也に声をかける。
「なあ、岩瀬……盛り上がってんな、あっちは」
「……そのことなんだがな、滝田」
そう、彼は自分と同じように、軽音部内でのこの熱いやり取りを、どこか遠くから見つめていた人間のはずだった。
そのはず、だったのだが――
しかし彼は、そこでこちらの予想外の発言をしてくる。
「その……ボクもな。軽音部、入ろうと思って」
「………………」
その、これまでの優等生の態度からは信じられない、衝撃の展開に。
聡司は今度こそ、岩のように固まって沈黙した。
だが真也は照れて顔を逸らしたせいで、聡司の様子には気づかないまま――ボソボソとこちらに向かって、小さな声で言ってくる。
「ま、まあ……なんだ。おまえにやりたいことやれって言われて、無理矢理連れてこられて、なんだかんだ色々と言いたいことは、あったわけだが……。その、やっぱりピアノ弾くのは、いいなって思っててだな……」
「……ふ、ふうん……。そうなんだ……」
「今日の本番も、すっごい不安だったけれども、やってみたらすごい楽しくて……。ええと、その。もっと……もっと続けたいなって思って……」
「ほ、ほほう……」
「今まで塾とかあって忙しくて、ピアノを続けることは、どこかで諦めてたけれど……。……そうだな。やっぱりボクは、ピアノを弾いていたいんだ」
「…………」
と、沈黙する聡司をよそに、そこまで言った真也は。
一転してしっかりした口調になって――強い決意を込めた眼差しで、こちらに向けて言ってきた。
「ありがとう、滝田。ボクがピアノを弾き続けようと思えたのは、間違いなくおまえのおかげなんだ」
「……あ、うん。ソウ。そうナンだ。よかったネ……」
「じゃあボクは、あいつらにそれを言ってくる」
「ウン、イッテラッシャイ……」
そして、自分に背を向けて、軽音部の輪の中に入っていくその、銀縁メガネのキーボードの彼を。
聡司はもはや、魂が抜けかけた状態で見送った。
真也の入部は、結局はまだキーボードが欠けたままのバンドにとって、非常にありがたいものとなるだろう。
さらに真也自体の腕も、かなりのものなのだ。
だからここから新しくなった軽音部のメンバーは、さらに盛り上がってこの先も、自分たちの音楽を作っていくことになるだろう。
「……あれー?」
そして今、目の前で真也の入部を聞いた軽音部のメンバーたちも、「え!? 岩瀬も入ってくれるの!?」「そうか、またよろしくな」「おまえは今日のライブで、キーボードをやってたやつか! すごかったぞ!!」などと、ワイワイと言い合い大変な喜びようで――
それはとても、いいことのはずだった。
新生軽音部、ここに誕生。
めでたし、めでたし。
と――
そう言いたかったところなのだが。
「……あれええええええぇぇぇぇ!?」
なんだかそれが、自分の描いていた未来予想図と、ちょっぴり違っていて。
理解不可能なその状況に、聡司は今度こそ本当に心の底から、ただただ叫び声をあげるのだった。




