「おかえりなさい」、そしてまた――「いってらっしゃい」
そう、これまでは吹奏楽部と軽音部――どちらかを選ぶという話のはずだった。
だが、滝田聡司が、吹奏楽部も軽音部も、両方続ける、と言い出したことで。
吹奏楽部の女子部員たちは、揃って呆然と口を開けることになっていた。
そして、その中で――
「ちょ――チョっと、待ってくだサイ、待っテください?」
いち早く声を出したのは、やはりというかなんというか。
柔軟な考え方の持ち主である、サックスの美原慶だった。
彼女は混乱する雰囲気を振り払うように手を振って、聡司に言う。
「どういうことですか、ソレ? なにがどうなったらソーなるのか、ワタシたちには、サッパリなんですケド」
「ああ――まあ、そうか。そうだよな」
そういえば、軽音部のライブが終わって、そのままのハイテンションで来てしまっていたため、彼女たちにはここまでに至る経緯を、まるで説明していなかったのだ。
この微妙な雰囲気は、きっとそのせいだろう。
そう思った聡司は、自分がこの結論を出した理由を、彼女たちに伝えることにした。
最初は、この吹奏楽部が、自分にとってとても窮屈なものだったということから始まった。
だから自由な軽音部に惹かれたけれど、しかしその軽音部も、どこか自分の求めていたものとは違っていることに気づいて。
それでどっちを選んだらいいのか分からなくなって――そのままずっと、両方の部活を行き来していて。
そうしたら、いつの間にか――
両方の場所が自分にとって、大切なものになっていたということを。
「……」
「だからさ。今日の二つの本番を通して思ったんだよ。ああ、だったら――どっちの部活も続ければいいんじゃないか、って」
なぜか眉間にしわを寄せて指を当てる慶に、聡司は自分の素直な気持ちを、そのまま口に出していた。
吹奏楽部も、軽音部も。
今日はその両方の本番が、自分にとって楽しいものだったからだ。
だったら、もっと続けたい。
続けて、ずっと楽しい時間を過ごしていきたい――それが今の自分の、偽らざる気持ちだった。
軽音部のライブで、二本のスティックを持つことになったときに、ようやくそれに気づいたのだ。
そう言うと――慶は額を押さえたまま、苦笑いをして言ってくる。
「……なるほど。なんとなく、わかりましたヨ。つまり、両方好きだからショウがないってことですね」
「あ、そう。それ」
あ、わかってくれたか――と、聡司がほっとすると同時に。
しかし慶は、ため息をつきながら続けてくる。
「……あー、ナルホド。そーデスね。ああ、自分が浮気したクセに開き直って、『だって、どっちも好きなんだからしょうがないだろ!』って言う男って、きっとこんな感じなんでショウね」
「ちょっと待て!? そんな人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ!?」
自分のこの純粋な気持ちを、断じてそんな風に解釈しないでほしいのだが。
しかし、彼女は処置なしという風に笑って、肩をすくめるだけだった。
なので聡司が、そのまま抗議を続けようとすると――しかし今度はトロンボーンの永田陸が、ふむとうなずいて言ってくる。
「そうか、兼部か。まあ別にいいんじゃないか」
「先輩っ!?」
それに、一学年下の貝島優が、信じられないといった声をあげる。
そういえば、この後輩は最初から、自分が軽音部の練習に行くことにいい顔をしていなかったのだ。
優は、聡司と同じ打楽器パートだ。
その同じ打楽器の人間である聡司が、兼部をすることでこちらの練習に支障をきたすようでは困る――と、彼女は言いたかったのであろうが。
けれども陸は、もうそんなことは考えていないといった口調で、いつものように言ってくる。
「いいじゃないか、それで。だって、吹奏楽部には残るんだろ? だったらこの部が、もっとおもしろくなるのは間違いない。じゃあ私はもう、それで構わないぞ」
「それはそうですけど、でも……!」
「あー、色々と、言いたいことはわかるんだけど。優ちょん」
なおも食い下がろうとする優に――今度はトランペットの豊浦奏恵が、苦笑いしながら言ってきた。
「吹奏楽部には残るって言ってるんだし、そこは今まで通りって考えればいいんじゃないかな。それにコイツ、軽音部とこっちを行き来するようになってから、バカみたいに上手くなったでしょ? それをこのバカから奪うってことは、上達を阻害することになると思うんだよね」
「うっ……」
「……豊浦」
なんだか、バカバカ言われていることは気になったが――
言われてみれば確かに、聡司の腕は軽音部に行くようになってから、飛躍的に上がっているのだった。
それがわかっているからこそ、後輩は奏恵の言葉に声を詰まらせる。
そして奏恵は――さらに困ったように笑って、そこに言葉を付け加えてきた。
「ま、あたしも軽音部に行って思ったけどさ。色々経験して今までとは違うものを聞くっていうのは、いいことなんじゃないかなって思うよ? 二つのいいとこ取りしてさー。あたしもそれで今回、自分のやりたいことができたわけだしね」
「豊浦……おまえ」
今日の本番で、誰しもの耳に残るハイトーンを出した彼女を――聡司は驚きと感謝を持って見つめていた。
奏恵とは、なんだかんだ色々あったが。
それでも、彼女を軽音部に連れていってよかった。そう、思うことができた。
だから聡司は、未だ納得いかないといった様にむくれる小さな後輩に。
少しかがんで、声をかける。
「なあ、貝島。これで――いいかな? 軽音部と吹奏楽部、両方やっても」
「……」
すると、優は――
「……ああぁぁぁ、もう!!」
少しの沈黙の後、もはやヤケクソといった調子で。
顔を真っ赤にして、もはや半泣きといった様子で、叫んできた。
「約束ですよ! 向こうもこっちも、両方がんばる! それができなかったら、本当承知しませんからね!! 基礎練百叩きの刑ですからねーっ!!」
「あはははは――それは最初から、約束してたことだろ!」
向こうもこっちも、両方がんばる――それは、この話が始まったときに、この後輩と最初に約束していたことでもあった。
その約束は果たされて。
そしてまた、ここに新たに交わされることになったのだ。
だから、今度もまた大丈夫。
お許しを出してくれた、ちっちゃい後輩の頭を撫でて――聡司は、最後に。
これまでの一連のやり取りを微笑ましげに見つめていた、春日美里に向き直った。
「なあ、春日。いいだろ?」
「ええ。まったくもって問題ありません」
明日からこの部の部長になる美里は、おかしそうに聡司に対して笑いかけてきて。
そして彼女は、堂々と――宣言する。
「部活的にも、校則的にも、なにも問題はありませんよ――部長としても、聡司くんの結論に、まったく異存ありません!」
「よっしゃあ! そうこなくちゃな!」
嬉しげにそう言う彼女に――聡司は親指を立てて、そう返事をした。
好きなことをやればいいと、そう言っていた次期部長に対する。
それは、最大限の答えだった。
「んじゃ、さっそく軽音部のところに行って、入部届でも書いてきますかね――!」
そう、これで吹奏楽部からの許可は得たのだ。
あとは軽音部に入部するだけ――そう思って、軽音部の部室に向かおうとする聡司に。
美里が声をかけてくる。
「ええ、聡司くん――おかえりなさい。
そして――いってらっしゃい!」
「ああ。じゃあ――まあ、行ってくるわ!」
そうだ、『いってらっしゃい』の後は、『おかえりなさい』。
そうやって、また新しくなっていく居場所たちのことを――
聡司はとても、愛しく思いながら音楽室を飛び出していった。




