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この傾斜が命

「この傾斜がいいんだよね! この傾斜が!」


 と言って、軽音部の結城紘斗(ゆうきひろと)はギターのアンプを足で踏みつけた。

 盛り上がっているライブのシーンで、興に乗ったボーカルがよくそんな体勢を取るが、彼はそれに憧れているらしい。


「この傾斜が命なんだよ! な、そう思うだろテツ!?」

「うん、そうだな。命だな」

「って言いながら、淡々と作業進めるのな、石岡……」


 そんなテンションの高い紘斗とは、まるで対照的なベースの石岡徹(いしおかとおる)の様子に。

 滝田聡司(たきたさとし)は笑いをこらえながら、自身もライブの準備を進めていた。

 学校祭の事実上、最大最後のイベントとなる、軽音部の体育館ライブ。

 その準備は紘斗と徹の軽音部員二人と、聡司ともう一人の助っ人による四人で行われていた。

 聡司にとっては吹奏楽部の本番の後の、本日二回目のステージである。

 だが不思議なことに、そこまでの疲労は感じていない。それもこれも、吹奏楽部でも軽音部でも、こうして愉快な連中に囲まれているおかげかもしれなかった。

 まあ、その分明日はちょっと、目も当てられないことになっているかもしれないが――そんなこと、今気にしてもしょうがないだろう。

 明日なんてそんな先のこと、今考えたってわからないのだ。

 だったら今はただ、目の前にあるライブのことだけを考えていればいい。

 そう考えながら、ドラムを設置し、角度などを細かく調整していく。アンプや配線などのことはよくわからないので、その辺りは軽音部のあの二人に任せておいた。紘斗はあんな感じではあるが、その分徹がテキパキと冷静に機材の配置を進めていくので、特に問題はないだろう。


「ドラムはそこでいいな。キーボードもそこでいい。よし、アンプもつないだし、次はマイクテストをするか」

「よしきた! マイクテスト! マイクテスト! 今日はおれ、朝納豆を食べてきました!」

「いらん情報を大声で叫ばんでもいい」

「おいしかったです! だから今日のライブも最高になるよ!」

「なるほど。じゃあそこは思いっきり叫んどけ」

「なんか……いいなあ、おまえら」


 聞いているこっちが生暖かい笑みを浮かべてしまうような二人のやり取りに、聡司は思わず、そんなセリフをつぶやいていた。

 軽音部は軽音部で、女子連中ばかりの吹奏楽部とは、また違った雰囲気があっていい。

 どんな本番も、こいつらとならやっていけそうだ。

 そんな風に、聡司は思ったのだが――

 しかしどうも隣の助っ人キーボードは、また違う思いを抱いているようだった。


「……」

「おい。どうした、岩瀬」


 自分と同じく、頼まれて今回の本番に参加することとなった銀縁メガネの優等生、岩瀬真也(いわせしんや)

 彼はかつてピアノをやっていたということで紘斗に駆り出され、また実際に、その腕も確かな人物なのだが――しかし今の真也には、それまでの余裕が全く感じられなかった。

 しきりに手を制服の太ももあたりに擦りつけ、なにかをブツブツとつぶやいている。

 これでは、先ほどの紘斗と徹のやり取りも、まるで耳に入ってもいないだろう。そんな状態には覚えがあったので――聡司はしょうがねえなあとため息をつきつつも、もう一度、彼に話しかけることにした。


「おい、岩瀬。岩瀬。おまえ、なにやってんだ」

「……あ」


 声をかけられた真也は、そこでようやく我に帰ったという様子で、こちらを見返してくる。

 キーボードの前に座る彼は、同じく隣のドラムの席で腰を下ろしている聡司に、困ったように言ってきた。


「……すまん。手汗が止まらないんだ。鍵盤がすべりそうで、怖くて……」

「緊張してんのか」

「……そうだよ。くそ。そういえば考えてみればボクは、一回ピアノから離れてから、本番なんて久しぶりなんだ。……情けないよな。きのうまではあいつらに対して、あんなに大口を叩いてたっていうのに……」


 そう悔しげに吐き捨てて――真也は恐る恐るといった風に、右手を自分の顔の高さまで上げた。

 その手は傍目にもはっきりと、小刻みに震えている。


「……いざとなったらこのザマだ。手の震えが止まらない。ちくしょう。ちくしょう……っ」

「……岩瀬」


 吹奏楽部でソロを吹いた、あのトランペットの同い年と似たような――あるいは、もっと深刻かもしれないその状況に、聡司は顔をしかめた。

 こいつも、自分と同じように考えられれば気も楽になるだろうに。

 先のことを心配したって、そこには不安が渦巻いているだけなのだ。

 だったらそんなことなんて考えないで、ただ演奏することだけに集中した方が、結果的に事はうまくいく。

 そう思って、なにか真也に励ましの言葉をかけようとした聡司だったが――どうにも、どんな言葉をかけてもうまくいくような気がしなくて、口だけをぱくぱくさせることしかできなかった。

 なんだか、どんな言葉をかけても、今のこいつには意味がない気がする。

 だったら、他の――なにか別の方法で、この繊細なピアニストを勇気付けたいところだったが。

 どうすればいいだろうか。ふと、そんなことを思ったところで。


「岩瀬」


 徹がベースを持って話しかけてきて、二人は顔をそちらに向けた。

 今の会話など、特に聞いていたわけでもないだろうが。

 彼は、真也に向かって言ってくる。


「音をくれないか。部室にチューナーを忘れてきてしまってな。取りに行くのも面倒くさいから、キーボードの音で調弦したい」

「石岡……」


 なんということでもない、といった調子で言ってくる徹ではあったが――聡司は驚きに目を見開いて、彼を見返していた。

 そう、音だ。

 今の真也に届くのは、彼が自分自身で出した音だけだ。

 そう思ってもう一度隣の助っ人キーボードを見れば――彼は恐れながらも、「わかった」とうなずいていた。


「……なんの音だ」

「一番下の弦だから、Eの音だ」

「……了解」


 そう言って、震える手を鍵盤に伸ばせば――


 ポーン、と。


 いつもと変わらぬピアノの音が、キーボードから聞こえてきて。


「……ああ」


 それに、真也は一瞬虚を突かれたような顔をして。


 それからすぐに、泣きそうな顔をして、笑った。


「……なんだ。出るじゃ、ないか」

「当たり前だ。鍵盤を叩けば音が出るのがキーボードだろう」

「……そうか。そりゃ……そうだな」


 なんでそんな当たり前のことに、気づかなかったんだろうな、ボクは――と。

 真也はおかしそうに苦笑いして、天井を見上げて、もう一度笑った。


「この場にいる誰よりも成績はいいはずなんだが、なんでなんだろうな……」

「いや、おまえそーいうことサラッと言うから、嫌味だって思われるんだぞ」

「だって、真実だぞ?」


 そんなこともわからないのか、貴様は――と、いつものように不敵に笑って。

 銀縁メガネの優等生は、こちらに向かって言ってくる。


「この本番が終わったら、貴様らと次のテストの勉強を一緒にやってやってもいい」

「えー。そんなめんどくせーことやめてくれよ。こっちから願い下げだわ」

「そうか? おまえらにも分かりやすく教えてやるぞ」

「おい、なんでもいいから次の音をくれないか」

「なになにー? みんな、なにしてんの?」

「おまえが来るとさらに話がややこしくなるから、来んな、紘斗っ!?」


 とまあ、そんなやり取りを挟みつつ――


 学校祭、その最後を飾る軽音部のライブの準備は、四人で着々と進められていくのだった。

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