「いってらっしゃい」
「じゃ、滝田。あたしらは音楽室に帰るから」
「あ、ああ……」
吹奏楽部の同い年にそう言われ、滝田聡司は、複雑な気持ちでそう答えた。
吹奏楽部のミニコンサートも終わって、学校祭二日目も後半にさしかかり、全てが終わるまであと少し。
そしてその最後を飾る軽音部のライブは、この二日間の学校祭の中でも、一番のイベントとなるはずだった。
ライブは体育館で行われる。そのため、今までここをミニコンサートで使用していた吹奏楽部は、楽器を全て撤収して、軽音部に場所を明け渡さなければならなかった。
しかし今回、吹奏楽部と軽音部のダブルヘッダーとなっている聡司だけは、ここで吹奏楽部の面子と別れ、今度はライブの準備を始めなければならないのだ。
既に吹奏楽部の他の部員たちは、荷物を全てまとめ、体育館から撤収を始めている。
なのでこれからはもう、聡司は軽音部の人間だ。
そう、振る舞っていかなければならないのだが――
「……」
先ほど吹奏楽部の後輩から借りたドラムのスティックを見て、聡司は沈黙した。
自分と同じ打楽器の担当である、あの小さい後輩の貸してくれた、そのスティック。
それはなるほど彼女の実力どおり、機能性に優れたいいものであった。彼女が楽器屋で、時間をかけて選んだであろうことがよくわかる品だ。
そしてその大切なスティックを、今自分は預かっている。
「……貝島」
軽音部の本番が終わったら、必ず私のところに返しに来てください。
この言葉の意味が、わかりますか――?
そう言った後輩の声が脳裏に響いてきて、聡司はそのスティックを握り締めた。
軽音部か、吹奏楽部か。
この本番が終わったら、どちらかを選択するはずの自分は――ひょっとしたら、このスティックを使う資格がないのではないか、とも思う。
わかっている。自分のスティックは折れそうだったのだ。だから仕方がなかった。
とはいえ、これでよかったのだと――そう自信を持って言い切ることもできなかった。
だから気持ちが、どうにも切り替えられずにいたのだが――
「滝田ッ!! あんたもう、しっかりしなさいよね!!」
「――!」
再度、こちらに声をかけてきた豊浦奏恵にびっくりして、聡司は思わず彼女の方に顔を向けた。
すると奏恵は、呆れたような困ったような笑みを浮かべ、こちらを覗きこんでいる。
「なーにを、今更シケた顔してんの。あたしをさっき、あんだけ焚きつけたのは誰? そのあんたがそんな顔してて、どーすんのよ」
「い、いや。そりゃそうなんだが」
「いやもなにも、なーいっ!!」
言いかけたこちらのセリフをさえぎって、奏恵が叫ぶ。
机をひっくり返すように両手を勢いよくあげて、彼女はなにかが弾けてしまったかのように大音声をあげた。
「なーによそれ!! あたしをこんなにバカにさせちゃって、自分だけはカッコつけて、いっちょまえに考え込んでるってわけー? ないわー。ほんっとないわー」
「と、豊浦」
「だーかーらーさー! そんな顔してるヒマがあったらあんたもとっとと、バカみたいにドラム叩いてなさい! さっきみたいに! バカみたいに!!」
「いや、そんなに馬鹿馬鹿言わんでも」
「バカにバカって言ってなにが悪いのよ、バーカ!!」
「小学生か、おまえは!?」
奏恵のあんまりな物言いに、さすがの聡司もそう叫ぶ。
こんなに馬鹿馬鹿言われたのは、小学校のとき以来だ。
そんな低次元すぎる言い合いには、本気で怒る気などなかったのだが――それでも騒ぎを聞きつけて、言い合いを止めようとする人間はいる。
「どうどうかなちゃん。聡司くんが困っているのですよ」
「春日」
相変わらず、のんびりとした笑顔で春日美里が奏恵の制服の裾を引っ張っていた。
明日から、部長になることが決まっている彼女は、もはやとっくにそんな覚悟は決めていて――
こんなときでさえいつもの調子で、こちらに向かって告げてくる。
「じゃあ、聡司くん。ライブがんばってくださいね。思いっきり盛り上げちゃってください!」
「……春日」
「みんな応援してますから」
そう言って、美里が見たほうを釣られて見れば――
そこでは、同い年の永田陸と美原慶が手を振っていた。
「そっちでも、おもしろいことをやってこい滝田。気が向いたら聞きに行く」
「ま、ヤラかしちゃってくだサイ♪」
「おまえら……」
こんなときでも、まるで変わらずそんなことを言ってくる友人たちに。
気がつけば聡司は、おかしくて笑みを浮かべていた。
まったく、なんなのだ、この愉快な馬鹿どもは。
悩んでいたこっちが、もっと馬鹿みたいじゃないか。
そう考えたらスッと気持ちが軽くなって、またオレって単純な馬鹿だなあ、と笑いが漏れる。
「わかった。じゃあ――まあ、行ってくるわ」
「はい。いってらっしゃい」
どんな結論が出ても。
あの後輩も、いつかこの気持ちをわかってくれる日が来るだろう。
美里の、そして同い年の彼女たちの顔を見ていると――そう思うことができた。
「――よし! じゃあ、これから思いっきり、やらかしてやりますかねぇ!」
そう気合いを込めると、今度は向こうで軽音部の連中が。
こちらに向かって笑顔で手を振っているのが、ようやく目に入ってきた。




