情けない先輩
「ぎゃあああああああッ!?!?」
「なっ、なんなんですか先輩っ!? どうしたんですか!?」
そこで滝田聡司が思わずあげた叫び声に反応したのは、聡司と同じ打楽器の後輩、貝島優だった。
学校祭二日目の吹奏楽部コンサートが、終わった直後。
本番がいい感じに盛り上がって終わったことで、どの部員も満足して、ほっとした気分でいたときだった。
あとは体育館を片付けて、音楽室に撤収するだけ――というときに、この聡司の悲鳴である。
間近で同じく楽器を片付けていた優が、慌てて駆け寄ってきても無理はない。あまりに慌てていたせいで、つまづいて転びそうになった彼女だったが、なんとか転倒せず聡司のところまでやって来た。
そんな後輩に、聡司は持っていたドラムのスティックを差し出す。
「貝島、これ……」
そのスティックは先ほどの本番で酷使したせいか、ひび割れが走っていた。
これでは、次の軽音部の本番では使えない。
いや、使えるかもしれないが、途中で折れる可能性がある。吹奏楽部と軽音部のダブルヘッダーを本日務める聡司にとって、これは由々しき事態だった。
だが、ちっちゃい後輩はそれを見て呆れたように肩をすくめる。
「なんだ、ヒビが入ってるだけじゃないですか」
「なんだ、じゃないだろ貝島!? あーどうしようこれ!? どうしよう!?」
「どうしようって。スティックはある意味消耗品ですから、ヒビが入ることなんてままあることじゃないですか。なにをそんなに焦って――」
「お願いだ貝島!! おまえのスティック貸してくれ!!」
「はあぁ!?」
聡司の渾身のお願いに、しかし優は顔をしかめてこちらを見た。
それはいつもの威厳のない先輩を見る、呆れかえった目つきだった。
そして後輩はそのまま、怒ったようにこちらに言ってくる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ先輩。代えのスティック用意してないんですか!?」
「用意してない!! そんなもんカケラも考えてなかった!! だって吹奏楽部だったら、おまえが全部管理しててくれてるもん!!」
「なにを情けないことを、後輩に向かって全力で叫んでるんですか!? まったく、さっきはやたらカッコよかったくせに、ちょっと油断するとこの人はすぐこれだから……っ!?」
最後の方はよく聞き取れなかったが、どうも彼女は自分の用意の悪さに、相当機嫌を悪くしたらしい。
けれど、次の本番だって聡司にとっては、とても重要なものだった。
そう――ひょっとしたらこの後輩とは、二度と一緒に演奏できなくなるかもしれないくらいに。
そんな後輩にこうして頼み込むのは、虫がいいことなのかもしれない。
けれどもう、楽器屋にスティックを買いに行っている時間はないのだ。だったらこうして身近なところで貸してもらうしか、手は残されていなかった。
だから、後輩に必死で頭を下げる。
「頼む貝島……っ! もうおまえしか、頼れるやつはいないんだ!! 次の本番だけでいい、スティック貸してくれ!!」
「あー、もう……。本当にこの人ときたら……」
心底うんざりしたような声をあげて、優が額を押さえた。
もういい。それでいい。情けない先輩と言われようが構わない。
だって、実際そうなのだ。
だったら恥も外聞もなく頼み込んで、せめて次の本番だけは叩けるようにお願いするしかない。
すると、そんな聡司の死に物狂いの態度に呆れたのか、ほだされたのか、後輩はため息をついて言ってくる。
「わかりました……貸しますよ、貸せばいいんでしょう」
「……!! マジか! ありがとう! 助かった!」
「ただし、条件があります」
喜ぶこちらにぴしゃりと言い放ち、優は打楽器のスティックケースを持ち出した。
そして、その中からドラムのスティックを一組取り出し、聡司に差し出して言う。
「このスティックは吹奏楽部のものです。軽音部の本番が終わったら、必ず私のところに返しにきてください。――この言葉の意味が、わかりますか?」
「……」
彼女の意図するところを察して、聡司はスティックと後輩を見て、黙り込んだ。
自分はこの二つの本番が終わったら、どちらの部に行くか、選ばなくてはならない。
吹奏楽部か。軽音部か。
その選択を、聡司は今日の両方の本番を叩いてからするつもりだった。
だがこの後輩は言っているのだ。
軽音部には行かず、こちらに残れ――と。
「……貝島」
この情けない先輩に、そこまで言ってくれるこの後輩は、大したものかもしれなかった。
けれどそれとは裏腹に、彼女の手は震えていて――今にも泣き出しそうだった。
だから、そんな後輩に対して、聡司は言う。
「……わかった」
無論、返しには来るつもりだった。
だから聡司は、優の手からスティックを受け取った。
このスティックは彼女からの借り物だ。
だから、返しに行くことは間違いない。
間違いは、ないが――
「……ごめんな、情けない先輩で」
だけどそのとき、自分が彼女を泣かせない結論を持っているかどうかは、わからなくて。
震える手を差し出す後輩に、聡司はそんな言葉をかけることしかできなかった。




