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なにしてくれるんだ、おまえは!

 その声を聞いたとき、その場にいる全員がぎょっとなった。


 演奏者も、聴衆も。

 それはそうだ。今は本番中、しかもソロを吹いている場面なのだから。

 普通だったら、観客はなにも言わずにそのときの音を聞いていなくてはならないはずである。

 だが、吹奏楽のコンサートなど初めて来ると言っていた結城紘斗(ゆうきひろと)は、そんな暗黙の了解など知るはずもなく――本当にただただ、自分の言いたいことを大声で訴える。


「大丈夫だよ、豊浦さん! こないだうち来たときは音出てたじゃん! やっちゃえやっちゃえー!!」


 軽音部でボーカルを担当しているだけあって、紘斗の声はやたらでかい。

 なのでその叫びのおかげで、ここにいる観客の誰もがようやく、今バンドの前でトランペットソロを吹いている少女が豊浦(とようら)という名前で、そして彼女が応援されているのだということを理解した。

 ひとりで吹く場面。

 確かに、どう考えても緊張するところだ。言われてみれば、音だってどこか頼りなくて――でも、それでもおまえはできるんだ、と、彼は彼女に言っている。

 その突然始まった奇妙な掛け声に、顔をしかめる観客もいたものの――そこに気づいた大部分の観衆は、微笑ましいといった顔をした。

 友達か、あるいは彼氏か――そんなことを考えた人間もいたかもしれない。

 いずれにしても、どんなことがあっても、本番は止まれないのだ。

 それは奏者全員が心得ていることで、顧問の先生も、笑いながら指揮棒を振り続けている。

 そして滝田聡司(たきたさとし)も一瞬動揺したものの、もちろんドラムを叩き続けていた。

 未だ続く、紘斗の叫びを聞きながら――


「がんばれがんばれ豊浦さん! がんばれがんばれ豊浦さ――! むぎゅ!」

「すみません! こいつがお騒がせしてます!!」


 と、紘斗はまだまだ続けようとしたものの、彼の隣にいた岩瀬真也(いわせしんや)が、慌ててそれを止めにかかる。

 ここ最近で軽音部の助っ人で来ていたとはいえ、基本的には優等生の彼だ。まだまだ紘斗の性格を理解しきっておらず、最初の叫びであっけに取られ、反応がここまで遅れたのだろう。

 だが。


「く、くっ……ふ、は、はははは……!」


 でも、それでよかったのだ。

 一連のやり取りを眺めながら、聡司はこらえきれずに笑い声をこぼしていた。

 なんとなく、今はあの顧問の先生の気持ちがわかる気がする。


 なんてことしてくれるんだ、あの馬鹿ったれ。

 そんな愉快なことしてくれたら――あとはもう、やるしかないだろうが!


 そう思って、聡司はドラムを叩く手に力を込めた。


「やってやれ、豊浦……!」


 そして豊浦奏恵(とようらかなえ)を見て、念じるように、一言だけつぶやく。

 ここまで来たら、あとは最後の高音をかっ飛ばすだけだ。

 ソロのほとんどは終わっている。あとはラスト、これまでの練習では外していた、シメの音を出すだけだ。

 あの、人の耳の芯に突き刺さるような。

 全ての心を揺さぶる、つんざくようなトランペットのハイトーンを――!


 と、そう思ったとき。


 ぷっしゅううううううううう――と。


 盛大に息の音だけが聞こえてきて。

 思わず誰もが、その場にずっこけそうになった。


 出なかった。

 聞きたかった音は、聞こえなかった。

 けれど彼女が挑戦しようとしたことは、この場にいる全員に伝わっていた。音が当たらなくてがっかりした様子でお辞儀する奏恵を、しかし観客は、拍手を以って出迎えている。

 そして、この騒動を巻き起こした、張本人も。


「ドンマイドンマイ! 明日は大丈夫だよ、豊浦さん!」

「うっさいわ! なにしてくれんのよ、あんたはーーーーッ!?」


 そんな、舞台と客席で交わされた、大声でのやり取りに。

 今度は笑いが巻き起こって――なぜか会場は、さっき以上の拍手に包まれていた。

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