よく通る、耳の芯を揺さぶるような声で
最初の曲は、まず軽快なマーチだった。
のはずだったのだが、学校祭初日のトップにやる曲ということで、気合が入りすぎてガチガチになっている。必死になっているのに音が響かない。けれどももう本番は進んでいくので、やるしかない――そんな感じだ。
どの楽器もそうだが、特に吹奏楽器は呼吸を使うため、身体の状態がモロに出る。
緊張していると音もあまり出ないし、そうすると練習でできたものもできなくなる。なので、半ばパニックになりながらやっていくことが多いのだが――
しかし、それも時間と共に持ち直してくるものだ。
後半になるにつれて音が伸び、そして段々と周りも見えてきたところで――一曲目が終わった。
「ふう……」
やはり本番には、特別な『なにか』がある。
それを肌で感じて、滝田聡司はまず一発目の曲が終わったことに一息ついていた。
観客からの、パラパラとした拍手が聞こえてくる。学校祭ということで、雰囲気はコンクールとはまた違うもので――しかし、こうして知らない人間を前にして演奏するというのも、音楽室で合奏するのとは、また全然違うものだった。
自分たちの演奏を聞いている人がいるといないとでは、こんなにも出す音に差が出てくる。
それは、軽音部でも一緒なのだろうか――そう思って、聡司はちらりと客席にいる、軽音部ボーカルの結城紘斗を見た。
吹奏楽の演奏を聞くのは初めてだ、というその友人は、遠くの席で感心した顔で拍手をしている。
だが聡司は、それを見て――まだまだ、と笑いたくなった。
本番はまだ、これからなのだ。
こんなもので満足してもらっては困る。
ミニコンサート、と銘打っていても、やる曲やジャンルは盛りだくさんだ。真面目なものから流行のポップス、そしてここにいる吹奏楽部の二人の部員と、紘斗たちのところに行ってセッションしたジャズまで――ジャンルも叩く楽器もその中のリズムも、これから自分がやることは、本当に多岐に渡るのだ。
その全部で、今みたいなツラさせてやるから覚悟しやがれ――と不敵に笑って、聡司は次の曲で担当するシンバルの前に移動した。
観客の拍手が収まるのを待って、顧問の先生が改めてあいさつと、曲の紹介を始める。
次の曲は、先のコンクールでやったものだ。慣れたものであり、他の部員たちもさっきよりは心置きなく演奏できはずだったのだが――
しかし、聡司は見てしまった。
体育館の段差を利用して、作られたステージ。
その壇上、一番上にいるトランペットの豊浦奏恵が――笑顔を見せる様子など微塵もなく、ただひたすらにこわばった顔をしているのを。
♪♪♪
奏恵がそんな顔をしている理由に、聡司は思い当たる節がいくつかあった。
例えば、苦手な紘斗が見に来ているのに気づいて、あまりいい気分がしないとか。この学校祭で先輩たちは引退になるので、自分がもっとしっかり吹かなければと思っている、とか。
それ以外にも様々な要因があるだろうが、しかしたぶん、一番の原因は――
「えー、ありがとうございました。次に演奏するのは、吹奏楽でジャズをやるときは、必ず誰かが名前を挙げるほどの有名な曲、『シング・シング・シング』です」
この曲のソロの高音に、異様にプレッシャーを感じているからだ。
何曲かやった後に顧問の先生が観客に向けて言ったこのセリフに、むしろ奏恵の方が反応するのを見て、聡司は自分の予想が当たっていたのだと悟った。
あの馬鹿、きのうはあんなにやる気になってやがったくせに、今更ビビってんじゃねえよ、と言いたくなる。
まあ、その気持ちはわからなくもない。誰だって、自分ひとりしかやっていないところで失敗なんてしたくない。
ましてや、こんな風に聞いている人たちがいる前では、なおさらだ。
けれど、それをどうにかしてやるのがおまえじゃねえのか――本番中なのでしゃべれないが、奏恵にそう声をかけてやれるものなら、そうしてやりたかった。
けれど、今はどうすることもできない。
むしろ顧問の先生は、逆にハードルを上げるようなことを言う。
「この曲は何年か前に、ジャズを題材にした青春映画でも使われていたので、お耳にされた方も多いと思います。その他にも、様々な場面でBGMとして使用されています。そんな有名な曲になっておりますので、ぜひ聞いて、『あ、これどこかで聞いたことがある!』と思ってくださいね」
ちょ、先生――
そんなにプレッシャーかけないでくださいよ、と内心ひきつり笑いを浮かべて、聡司はドラムの前に座った。
『シング・シング・シング』のイントロはまず、ドラムのソロなのだ。
これが始まった瞬間、分かる人ならすぐにその曲とわかる。
しかしそんなことを考えながらも、聡司はそれでもカウントを取り、自分のリズムを打ち始めた。
ここは指揮者からの合図でも、誰でもなく自分の演奏から始まると――そうこの顧問の先生からは、事前に言われていたからだ。
そう言われたときは肝を冷やしたものの、同時に、ようやく自分の腕を信頼してもらえたのだとわかって、とても嬉しかった。
だから、豊浦。
おまえも、そんな顔してねえで、自分がやりたいようにやっちまえよ。
そんな風に思いながら、聡司は自分自身もそんな気持ちで、曲を進めていった。
最初のトロンボーン、トランペットはソロではなく、パート全員での演奏だ。
ここまでは普通にやっていけばいい。奏恵のソロまでは、まだしばらくある。
というかこの曲には、トランペット以外にもソロであったり、パートだけで吹くものがいくつか存在する。
まずは、クラリネット。これは今回聡司はあまり関わっていないのでよく知らなかったのだが、人数の多いクラリネットにも実は、このソロを誰がやるかで争いがあったらしい。
それは、やりたいからで起こった争いなのか、やりたくないからで押し付け合いになった抗争なのかはわからないが――できれば前者であってほしいと、聡司は思う。
そしてサックス。あのチャシャ猫みたいに人を食ったような態度の同い年も、今回はこれをやりたくてやってきたようなものだ。彼女は楽しそうに好き勝手に吹いて、こっちに向かってニヤニヤ笑ってみせた。
そして、奏恵が前に出る。
ソロが始まった。最初から、ちょっと高い音域だ。
それなのに奏恵はジャズトランペットというより、いつものように格式ばってきれいに吹こうとしているような感じで――もうそれだけで、彼女がどうにか必死で、音を当てにいこうとしているのがわかる。
けど、そうじゃないのだ。
今おまえに求められてるのは、そうじゃないのだ。
もっと過激で、人の耳の芯を揺さぶるようなハイトーン。
それを出してほしいのだ。聞きたいのは失敗しない演奏じゃない。もっと突き刺さるような音で。
それを観客だって望んでいるはずで――ていうか、軽音部に行ったときはそれが出てたじゃねえか。
「ちくしょ……っ!」
けれども、自分も叩いている以上は、なにも口を出すことができなかった。
助けてもやれない。だってそれが『自分で演奏をすること』だからだ。
ここ最近でそれがわかっているだけに、聡司はかえって悔しくて、ドラムを叩きながら歯噛みした。どうすればいい、どうすればいい、どうすればいいのか。
このままじゃいつもの音楽室での練習みたいに、あの後あいつは、最後の高音が出なくなって――
と、そんな未来を、聡司が予想したときに。
「豊浦さーん! がんばってえぇぇぇーっ!!」
そこでいつものようによく通る、耳の芯を揺さぶるような声で。
軽音部のボーカル、結城紘斗は――会場中に響くくらいに、大きく奏恵に向かってそう叫んできた。




