彼女の『やりたいこと』
「あーもう、どうすればいいっていうのよー!」
「こないだみたいな音出せばいいんだろ、オイ」
同い年の豊浦奏恵の叫びに、滝田聡司はあっさりとそう言った。
学校祭が間近に迫った今日、吹奏楽部ではもちろん練習が行われている。
奏恵がエキサイトしているのは、学校祭のコンサートでやる曲『シング・シング・シング』についてだ。
来年から三年生として、トランペットのトップ奏者となる彼女には今回、大きな課題に悩まされていた。
すなわち。
「こないだみたいな音って言ったって、あんなきったない音じゃ意味ないのよー!!」
曲中に出てくる高音が、自分の思った通りに出せないというものだ。
トランペットの音というのは、どうやっても、なにをあがいてもよく聞こえるので。
周りで聞いている人間以上に、吹いている本人は出している音が気になるらしい。きょとんとする聡司と、同い年の春日美里をよそに、奏恵は叫ぶ。
「あれはあたしの目指してる音じゃないの! もっと華麗に、シンフォニックに! あたしの目指してるトランペットの音っていうのは、それなのよ!」
「ジャズトランペットがシンフォニック目指してどーする」
「別にそんなに言うほど悪いものじゃ、なかったですけどねえ」
交響曲的な――というように彼女の目指しているものは、本来、オーケストラで求められるものである。
今回はそういう曲じゃない。
そう言う聡司に奏恵は「そーだけどぉ……」と口を尖らせつつ、ぶつぶつと続ける。
「なんっか、納得いかないのよ。それで納得しちゃいけない気がするっていうか。
……あのときの音を出したら、あいつらを認めたみたいでムカつくというか」
「本音はそれかよ、おい」
高音が出ない出ないと奏恵は言うが、実は一度だけ、それっぽく高音を出したことがあった。
それが聡司が最初に言った、「こないだみたいな音」だ。
ここにいる三人で軽音部に行った際、奏恵が出していた音である。別にそれでいいのにと聡司と美里が顔を見合わせている中、本人だけがそれを嫌がっていた。
もうそんなこと、言ってられる時間もないのに。
苛立ち半分呆れ半分で、聡司は奏恵に言った。
「おまえがどう思ってるかなんて、ぶっちゃけどうでもいいよ」
甘えてんじゃねえぞクソったれ――というセリフはそれでもさすがに飲み込んだが。
その分、噛んで含めるように聡司は言った。
「おまえ自身もこないだ言ってただろうが。お客さんにどういうバランスで聞こえてるか考えろって。それを本人がガン無視して、自分の吹きたい感じだけを求めて吹くっていうのは、逆にお客さんを軽んじてることにならねーのか」
「む……」
「あのう聡司くん、それはちょっと言いすぎ――」
「春日は黙ってろ」
「む、むぅ?」
珍しく聡司が強気に出たので、美里が目を白黒させて言葉を引っ込める。
このあいだ軽音部のキーボードに、怒りのたけをぶつけた残響がまだ残っているのだろうか。そのときのことを思い出しつつ、聡司は続けた。
「おまえが本当にやりたいのは、『軽音部に反抗して曲の求めてる音を出さないまま、イライラし続ける』ことなのか。そうじゃねーだろ」
本当にやりたいことやるっていうのは、そうじゃねーだろ――あのキーボードの優等生だってそうだし、そこにいる美里だってそうだが。
「みんな我慢の意味を履き違えてねーか。オイ豊浦、おまえが本当にやりたいことっていうのはなんだ」
「そ、それは、高い音を出すこと……」
「それは『やらなきゃいけないこと』だろ。そうじゃなくて、本当に『やりたいこと』はなんだ」
「それは……」
その答えはたぶん、彼女自身しか持っていない。
ソロやメロディーを成功させて、自分がみなから賞賛されることなのか。
自分の考えた吹き方を、イメージ通り完璧に吹くことなのか。
あるいは――
「……学校祭のコンサートが超成功して、本番が超盛り上がること……」
聡司と美里が見ている前で、奏恵は少し下唇を尖らせて、ボソリとそんなことを言った。
なんだ、わかってんじゃねーか――そう笑いつつ、聡司は言う。
「だろ? だったら、軽音部がどーとか、そんなちっちゃいこと言ってる場合じゃないだろうが」
「だ、だって……」
「聡司くんの言うとおりですよ、かなちゃん!」
「おまえが言うな、春日!?」
「ひゃうー!?」
こちらも結局、似たり寄ったりの人間である。
乗っかってきた美里に、聡司は先日の怒りを思い出して突っ込んだ。彼女の場合はまた奏恵とは違うが、それでもどこかで変な『我慢』をしていることには違いない。
それが自分の行動と選択によって、どう変わっていくか。
そんな思いがちらりと頭をかすめたが、聡司は結局、それを振り切った。
それを背負って叩いてしまうことは――彼女の『やりたいこと』ではないと、知っていたからだ。




