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440と442

「じゃあ、やってみよっかー」


 軽音部のギター担当、結城紘斗(ゆうきひろと)豊浦奏恵(とようらかなえ)にそう言った。

 奏恵は吹奏楽部のトランペット担当だ。

 それが今、友人に引っ張られる形でここに来ていた。


「はいはい。やればいいんでしょやれば……」


 そして、なし崩し的にセッションをすることになっていた。

 奏恵ともう一名を連れてきた滝田聡司(たきたさとし)は、やはりドラムの席から二人のことを眺めていた。


 奏恵が譜面をセットする。

 曲は今度の学校祭で吹奏楽部が演奏する、『シング・シング・シング』。

 紘斗がこの曲の歌詞を知っているということだったので、二人で合わせるのはこれになった。知ってて楽譜がある曲の方が、こういうのが初めての奏恵もやりやすいだろうというのもある。


 カウントは紘斗が取って、曲が始まった。

 ギターは後々歌があるのでコードを弾き、奏恵は裏のバッキングを楽譜通りに吹く。


 と――奏恵は顔をしかめた。


「……ちょっとごめん。なんか音がおかしいんだけど」


 それは聡司も聞いてて感じていた。


 なんだか、そもそもの音が微妙にずれている気がする。そのほんのわずかがとても気持ち悪い。

 チューニングは合っているのか。そう訊くと、二人は「合ってる」と答えた。


「合ってるよ。ちゃんとチューナー使ったし」

「あたしも使って合わせたよ」

「……おまえら、ちょっとチューナー貸せ」


 なんとなく勘が働いて、聡司は二人のチューナーを受け取った。音を拾って高低を針で表示する、ごく普通のチューナーだ。

 電源を入れると、違和感の謎が解けた。


「紘斗は440、豊浦は442ヘルツで合わせてるだろ。そりゃ合わねえよ」


 基準音の周波数自体が、既に微妙にズレているのだ。

 たった2ヘルツだが、それでも気持ち悪いことに変わりはない。

 吹奏楽部の基準音は、よほど暑いときか寒いときでない限り442ヘルツだ。

 対して軽音部は440。

 なのでお互いの普通を重ねると、普通じゃない事態が生じることになる。

 ならばどちらかがどちらかに合わせなければならないのだが。

 どっちに合わせるか。そう思って聡司が奏恵を見ると、「440なんて、もっと寒いときじゃないと無理だよ」と言った。


「管全部抜いて、ようやく合うか合わないかだと思うよ。だからそっちが合わせてよ」

「まあ、物理的に無理ならしゃーないか……。紘斗、ちょい高めでチューニング頼む」

「わかった」


 今回はこっちに譲ってもらうしかないだろう。

 しかし、部が違うとこうも違うか、と聡司は改めて思っていた。

 そもそもの基準。楽譜のあれこれ。

 男女比や、部の雰囲気。

 普通だと思っていたことが、ちょっと外に出ると普通じゃなくなっている。

 それを知るのは聡司としてはおもしろいことだったし、そのときそのときの場に合わせてやっていけばいいのだとも思っていた。


 だが、違うもの同士でやることになったとき――

 そのときは、今のようにどちらかが譲らなければならないのだ。


 ならば学校祭が終わって。

 二つの本番を終えたとき。


 自分は、いったいどちらを選べばいいのか――?


 演奏で手一杯でしばらく考えていなかったことが、久しぶりに頭をもたげていた。


「……」


 軽音部と吹奏楽部。

 両方に顔を出して、思ったのは――


「――聡司くん?」

「――あ、ああ。春日か」


 連れてきたうちのもうひとり、吹奏楽部の春日美里(かすがみさと)がいつの間にかそこに立っていたのに気付いて、聡司はそこで考えを打ち切った。

 今はそれを考えていても仕方がない。目の前の状況に対応した方がいい。

 先のことはまだわからない。

 不思議そうな顔をしている美里のことをそれ以上見られなくて、聡司は軽音部のベース担当、石岡徹(いしおかとおる)の方を見た。

 美里と徹は、『シング・シング・シング』のチューバの譜面を書き換えていたはずだった。だがこうして美里がいるということは、その作業は終了したらしい。

 確認のため――それ以上に思考を今考えていた方向から逸らすため、聡司は美里に訊いてみた。


「……どうだ、新しいベースライン」

「はい! なんかおもしろそうな感じになりました! あとは実際吹いてみて、オクターブ下げたりして調節していきます!」

「そっか。よかったな」

「はい! 来てよかったです!」

「……そうだな」


 コードやら違う音符やら、書き込みだらけの譜面を見せてくる美里に聡司はそれだけ返事をした。

 そう、これはこれでいい経験なのだ。

 否定することではない。

 だから聡司は、美里と徹に言った。


「なあ。今、紘斗と豊浦が『シング・シング・シング』合わせようとしてるんだよ。だったらベースも入らねえか? その新しいほうの確認も兼ねて」

「おお、やってみるか」

「いいですね! やっぱり実際やってみないと!」

「じゃ、オレもドラムではーいろっと」


 なんにせよ、見てるだけでは退屈なのは確かだった。

 そろそろこちらも加わりたい。紘斗と奏恵にそう言うと、二人は異口同音に賛成の言葉を口にした。


 美里はチューバを持ってきていないので、楽譜を徹に渡してエレキベースで入ってもらうことにする。今回はエレキベースも442だ。

 

 カウントは自分が取る。スティックを打ち鳴らしたら、曲が始まる。

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