謎の楽譜
滝田聡司が軽音部のメンバーに、今度の練習で吹奏楽部の部員を連れていってもいいかと訊くと、即座にOKと返された。
「全然構わないよー。別に気にしないで当日来てくれてもよかったのに」
「ああ、まあ一応、な」
ギター担当の結城紘斗のあっけらかんとした様子に、聡司はほっとしてそう言った。ひょっとしたらと思っていたが、その不安は杞憂だったようだ。
ベース担当の石岡徹は相変わらず、沈黙しているが。それでも特に反対する様子はないので、別に構わないのだろう。
これで話は通った。
軽音部と吹奏楽部。
同じ音楽系の部活でありながら、このふたつはあまりに気風の違う部活同士だった。
だから両方の練習に出ている聡司は思ったのだ。このふたつの部が交流することは、きっとお互いにとっていい刺激になるのだろうと。
そう思っていると、紘斗は言った。
「あ、でもなんの楽器やってる人なのかは聞きたいな。それによってはセッションできるだろうし」
「トランペットとチューバの二人だよ。名前聞いたことあるか? 豊浦奏恵と春日美里」
吹奏楽部の同い年の二人の顔を思い浮かべながら、聡司は答えた。
同じ学年だ、知っているかもしれない。
特に美里は女子としてはかなりの長身だ。学年でも目立つ存在ではある。
そう思って言ったのだが、紘斗には特に覚えがないようだった。
むしろ、楽器の名前に反応していた。
「へー、トランペットか! ふつーに一緒にできるじゃん!」
「い、一緒にやるかなあ、あいつ……」
紘斗の言葉に聡司は顔を引きつらせた。軽音にトランペットが入ることはあるとは知っていたが、当の奏恵本人があまり軽音部にいい印象を持っていないのだ。
一応言ってはみるが、やってくれるだろうか。
むしろこの話に乗り気なのは、もう片方の楽器の美里のほうで――と聡司が思っていると、さらに紘斗が言った。
「ていうかチューバって、なに?」
「……知らないよなあ、普通」
当の美里が聞いたら涙ぐみそうな反応である。
まあ確かにトランペットに比べれば、知名度は雲泥の差と言ってもいいのだが。聡司自身も吹奏楽部に入らなかったら一生知ることがなかっただろう。
それでも訊かれたら答えるしかない。
美里のやる楽器を、聡司は説明した。
「えーと、低音楽器だな。トランペットのでっかいやつ……みたいな」
「へー」
「ほー」
紘斗の反応が先ほどより格段に薄いのがどうにも気の毒なところだったが、今度は別の人間が反応した。
これまで黙っていた徹だ。
やはりベースということで、低音楽器という単語に心引かれるものはあるのだろう。
なので聡司は徹に、そもそもこうなった理由を説明した。
「そのチューバをやってる春日が、エレキベースもやってみたいんだとさ。だから石岡、来たら頼むぜ」
「わかった」
言葉少なに、徹がうなずく。
無愛想というか、こいつに任せて大丈夫かなあと思っていると、徹はぽんと手を叩いた。
「ああ。春日美里というと、あいつか。あのでっかい女か」
「……それ言うときっと本気で泣くと思うから、やめてあげてくれよ」
知ってるんじゃねえか、というツッコミより優先して、聡司はそう言った。
やっぱり事前に話をしておいて正解だった。なんだか微妙に不安になってきて、聡司はさらに言った。
「まあ、なんだ。同じヘ音記号同士、仲良くやってくれ」
「ヘ音記号ってなんだ」
「は……?」
思いもよらない返事を聞いて、聡司は絶句した。
ヘ音記号。
楽譜においては低音楽器の記譜に使われる、確かに一般的ではない形式だ。
チューバの楽譜はそれで書かれている。しかし同じ低音楽器であるエレキベースの徹が知らないというのは、どういうことなのか。
呆然としていると、徹は言ってきた。
「エレキベースの楽譜は普通、そんなので書かれてないぞ」
「え……じゃあ、なにで書かれてるんだ?」
「決まってるだろう」
そこで徹はなぜか、胸を張った。
「TAB譜だ」
いや、なんなんだよそれ。
無意味に力強い徹の様子に、聡司は心の中だけでそう突っ込んだ。




