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ありがとう、さよなら

 中島篤人(なかじまあつと)は、坪山亜里沙(つぼやまありさ)が連れてきたフルート吹きである。


 彼が銀色のフルートを吹く様は、線の細い顔立ちと相まって非常に絵になるものだった。

 木管楽器を吹けば、繊細なあの構造に引っ張られてあんな顔になるのだろうかと滝田聡司(たきたさとし)は思ったことがある。まあだからといって、打楽器を辞めてフルートを吹こうとは思わなかったが。

 それでも同じ吹奏楽部の男子なのに、なんでこんなに格差があるんだろうとは常々思って来た。

 篤人は亜里沙とつきあってもいたからだ。


 外見……は、まあそりゃ、あっちのがいいだろう。

 中身もまあ……なにかとたてついていた自分よりも、最初から抵抗しても無駄だと知っていてハイハイやってきたあっちの方が、女子ウケはいいかもしれない。


 そんななので篤人は、選挙で次期副部長に選出されてもいた。

 途中入部というハンデをはね返し、実力と人望でもって副部長に選ばれた彼を聡司はスゲーなーと思いこそすれ、妬んだことはなかった。

 吹奏楽部で少数派もいいところの男子部員は、そんなことでいちいちいがみ合っている場合ではないのである。


 だが彼は、途中入部ということで少し遠慮している部分があった。

 いまいちみなの動きについていけてないところがあった。言うことはとても正鵠を射たものだったのに、雰囲気に負けて自分の意見を口に出さないことが多かった。

 それをカバーするために聡司はなるべく彼に話しかけるようにしていた。

 他のみなもそれがわかっていたから、副部長にして仲間として改めて彼を迎え入れようとしていたのだ。


 それなのに。


「……辞めたい?」


 次期部長で聡司と同い年である春日美里(かすがみさと)は、その問いかけに硬い表情でうなずいた。


「……はい。篤人くんと亜里沙ちゃんが……もう、部活に来たくないと」

「なんだそれ……」


 聡司はうめいた。吹奏楽部は今、学校祭でのコンサートに向けて練習中だ。

 篤人と亜里沙は二人でフルートを吹いていた。フルートパートは全部で三人。この二人と、初心者で入って半年しか楽器を吹いたことのない一年生。それだけだ。

 今二人が抜ければ、その一年生がひとり残されることになる。それはいくらなんでもあんまりではないか。


「なんで二人いっぺんにそんなこと言い出すんだよ。……まさかとは思うけど」

「はい。まさか、です。あの二人、お別れしちゃったみたいです」

「マジか……」


 この話を聞いた時点でなんとなく予想はついていたが、それでも改めて聞くと最悪な理由だった。

 人が言ってどうなるものでもない。こうなるとどちらかの復帰しか望めなくなる。

 関係が修復すれば話は別だが。しかしおそらく、もうどうにもならないからこその、この現状なのだろう。


 篤人か。亜里沙か。どちらかを引き留めるしか――


「……亜里沙ちゃんの説得には、みんなで行きました。けどもう、ダメみたいです」

「となると、篤人のほうか……」

「そっちもみんなが引きとめに行ってるようですが……」


 美里が口をつぐんだ。やはりそちらも、状況が芳しくないのだろう。

 だからこそ聡司に頼みに来たのだ。同じ男子部員である彼なら、あるいはと。

 聡司はうなずいた。途中からとはいえ、篤人とは何度か本番をやってきた仲だ。辞められるのはつらい。


「わかった。オレが行ってみる」

「はい。……あの、わたしも一緒に行っていいですか?」

「春日も?」


 意外な申し出に聡司は驚いた。彼女はそういうゴタゴタを嫌っていそうなイメージがあったからだ。

 争いを嫌い、和を尊ぶ。

 よく言えばそうで、悪く言えば少々臆病だった。高い身長に似合わず気が小さい。聡司はそう思っていたが――


「……わたしも、あと少しで部長になる身です。いつまでもこんなんじゃ、ダメ……です」

「春日……」


 美里の表情は相変わらず硬かったが、その奥には強い決意が見て取れた。

 それを無下にはできなかった。


「……わかった。行こう」


 聡司はうなずいた。そして美里と一緒に、篤人の元へと向かった。




「……なんだよ、二人して」


 中島篤人は、疲れた表情でそう言った。

 初めて見る彼のそんな顔に気後れしたものの、聡司は篤人に単刀直入に切り出した。


「……辞めるなんて言うなよ」

「仲間だろ、ってか。もういいよそれ。聞き飽きた」

「篤人くん……」


 にべもない返事に、美里が苦しげな顔をする。

 これはもう、だめなのではないか。そんな思いを抱きつつ、聡司はさらに声をかけた。


「坪山はもう、来ないみたいだ。だったら別にいいじゃねえか。両方辞めるなんてさ、もうほんと、やめてほしい――」

「フルートが一人しかいなくて困るから、か?」

「――っ」


 冷ややかな物言いに、言葉を封じられる。

 そんな聡司に篤人はさらに言いつのった。


「それは無責任だ、ってな。さっき海道が来て、そんなこと言ってた。

 あいつらしいよなあ。クソ真面目で、理詰めでさあ。副部長に選ばれたんなら辞めるんじゃない、ってさ。――そういうんじゃ、ねえのになあ」


 仲間だなんだって言いながら、結局本音はそれだよな。

 乾いた笑いを浮かべて、篤人はそう言った。


「いなくなられると困るから、引きとめにかかっているんだろ。俺は『部品』で、仲間じゃねえんだ。ここ数日で、みんなに言われてよくわかったよ」

「篤人くん、それは違……」

「フルートが少ないと困るって言ってたのは、扇か。おまえならもっとうまくなれるから辞めるなって言ったのは、豊浦か。金賞取るのにおまえは必要だからって言ってたのは、誰だったっけな。忘れた。……俺はそんな理由で楽器吹いてたわけじゃ、ないのになあ」

「……」


 どこか遠い目をしている篤人を見てようやく、聡司にはわかった。

 坪山亜里沙と別れたのが、篤人が部活を辞めたい理由ではない。

 それはきっかけに過ぎない。火種はずっと前から、目の前にくすぶり続けていたのだ。

 それから目をそらしていたのは、自分たちだった。


「俺はなんで……。ああ、もう自分でもなんで楽器吹いてたんだか、わかんなくなってきちゃったな……」


 彼は誰かに聞いてほしかったのだ。「おまえはなにがやりたいんだ」と、ただそれだけ、彼の意思を。


 誰も、彼の本音を聞こうとしなかった。

 そのうち、彼は自分でも自分がなにをやりたいのか、わからなくなっていったのだ。

 そこに副部長への選出、そして坪山亜里沙との件があった。

 それで完全に折れ――細かい細かいすれ違いが積み重なって、解きほぐせないくらいになってしまった。

 その結果が、これだ。


「篤人……」


 聡司はもう一度、彼の名前を呼んだ。

 言いたいことを言えなかったのは、自分も同じだ。

 彼の気持ちが一番わかるのは自分のはずだった。けれど、気づいてやれなかった。

 責められてもかまわない。だからもう一度――


「……なあ、オレは嫌だよ。おまえがいなくなるのはさ。だから辞めないでくれよ。また一緒に――」

「……説得力がねえよ。どうせおまえも辞めるんだろ」

「な……」


 篤人が暗い目を向けて来て、聡司は思わず絶句した。

 いや、それだけではない。

 彼は聡司が心の底で思っていたことを突き付けてきたのだ。


「辞めて軽音部行くんだろ。貝島に泣かれてどこにも行かないなんて言ってたけど、ありゃ嘘だ。……俺にはわかる。

 なあ滝田。貝島が泣いたらおまえは全部あきらめるのか? やりたいことを全部押しこめて、ずっとあそこにいられるのか?」

「それ、は……」

「無理だろ。このままじゃおまえは俺と同じことになるか、その前にぶち切れて軽音部に行くかどっちかだ。……まあ、もうどっちでもいいけどな」


「……わたしが」


 篤人と聡司の間に、それまで黙っていた美里が割り込んできた。

 聡司は彼女の方を見て――そして、ぎょっとした。

 美里は目にこぼれそうなほどの涙をためて、それでも泣くまいと、目を見開いて小刻みに震えていたのだ。

 泣くことによって判断を狂わせないように。さきほどの篤人の言葉の中に出てきたそれを忠実に守り、美里は震える唇を開いた。


「わたしが、部長になって……みんなが言いたいことを言える、部活を作ると言ったら、篤人くんは……残ってくれますか」

「春日……」


 彼女も篤人が言いたいことがわかったようだ。その上で、取れるうちで一番の方法を差し出してきた。

 『部品』ではない。無理やりでもない。

 ただ『仲間』として一緒に過ごしてほしいだけ――


「……もう遅いよ」


 差し伸べられた手を、しかし篤人は振り払った。

 そして美里はそんな彼の選択を、大きく開いた目で正面から見続けた。


「なんかもう……めんどくさいんだ。分かり合うとか仲間とか、そういうのもういいよ。疲れた」

「おい、篤人!?」

「わかり、ました」

「春日までなに言ってんだよ!? おい!」

「聡司くん。ここで、無理やり、篤人くんを説得したら、それは、なんの解決にもなりません……!」


 がくがくと震えながら美里は言う。


「『これ』は、彼の意思です。はじめて、言ってくれた、篤人くんの、本音です」

「……うん。ありがとう春日。最後の最後で、訊いてくれたな」


 ふ――と。

 美里の言葉に、初めて篤人は、安心したように微笑んだ。


「ありがとう――じゃあな」


 そして中島篤人は、二人の前から立ち去った。

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