序章:朝〜回想
目が覚めて、三十秒ばかりは、自分が置かれている状況がうまく飲み込めない。先ほどまで自分が含まれていた空間と、今自分が位置している場所との間には大きな差がある。身を起こし、顔を揉む。皺の深い掌をじっと眺める。身体中に奇妙な汗をかいている。汗自体は熱くも冷たくもないが、足の裏や脇の下など、妙なところにばかり溜まっている。そんな風にして徐々に自分を自身の身の器になじませていくことで、矢崎は現在自分が四十二歳の中年男性であることを思い出す。
ベッドから抜け出した矢崎はまっすぐに書棚へと向かう。この夢を見た朝はいつも必ず卒業アルバムを開く。そこにはかつて少年だった自分と永遠の少女である彼女の姿が記録されている。彼女の名は菅野、十二歳。彼と彼女は同じクラスで、出席番号はほとんど正反対だったが、どうしてか変則的な日直当番制を採用していた(たまには逆から組んだほうが面白いでしょ? とは当時の担任の声)当時のクラスでは、彼女と一緒に当番を組むことが多かった。……大昔の話だ。日直日誌に何を書いていたかさえ、今となってはひとつも思い出せない。
夢を見た朝に卒業アルバムを開くのは、当時を懐かしむためではない。子供だった頃の自分の写真を見ることによって心のどこかが癒されるとか、懐かしい初恋の思い出に肩までどっぷり浸かって物思いに耽るだとか、そういうことのためではない。矢崎はこの〈夢を見ること〉を除いては、それほど感傷的なタイプの人間ではなかった。およそ世の中にはびこる共感だとか、感動だとか、恋愛だとか、アイミスユーだとか。そういう物事には大した関心を示さない。どちらかと言わず現実主義者で、霊魂や魂などの存在はもっとも信用していない。その志向性はおそらく職業から起因しているものだが、とりわけ幼い頃からそういう傾向にあったかもしれない。……とにかく、彼は現実にあるものしか認めないし、愛せない。
卒業アルバムの中ほど、クラスのページには矢崎と彼女の写真が載っている。矢崎はそこを飛ばして、一気に終わりの方までめくる。最後のページには当時の新聞記事がスクラップされている。これは他の(宇宙旅行士や内閣総理大臣の)記事などのように、印刷の段階で掲載されたものではない。矢崎が当時、自分の手で新聞記事を切り抜き糊で貼ったものだ。紙は古く、黄色く変色していて、接合面は頼りなく、強い風が吹けば今にもどこかへ飛んで行きそうな気がした。矢崎は湿した太い親指で力強く、乾ききった糊の跡をなぞる。
それは数片の新聞、モノクロの社会面の小さな記事で、見出しにはこう書いてある。『小6少女、交通事故死』大体が一段編成で十数行ほどの短い記事だ。容疑者の長距離トラック運転手(34)の氏名は公開されているが、少女の本名は載っていない。目撃者もあり、容疑者の証言もあり、事件自体は滞り無く処理された。事故から一月後、治療の甲斐なく少女が亡くなったので、罪名は業務上過失致傷罪に落ち着いた。刑期は執行猶予付きで三年。事件の概略はこうだ。
ガードレールのない片側一車線の道路。不意に歩道から降りて信号のない横断歩道を渡ろうとした少女と、たまたま集中力の途切れたトラック運転手が運悪く出会ってしまった。刹那、咄嗟に、一瞬の出来事だった。トラックは少女を避けようと対向車線の電信柱に衝突するほど曲がったが、コンテナの後部は少女の小さな身体を吹き飛ばした。空気の抜けたゴムまりのように道路へ倒れた少女を見つけた第一発見者の老女が、まず叫び、複数名の野次馬が集まり、運転手が運転席から出てきて、それから救急車が呼ばれた。精密な現場検証の後、運転手は警察が取り調べのために連れて行った。
少女は取り立てた外傷がなく、額の小さな擦り傷を除けば出血も少なかったので、すぐに息を吹き返すだろうと思われた。だれもが願った。「今は、ちょっと眠っているだけです。じきに気がつくでしょう」医者も言った。少女の両親はわらにもすがる思いでその言葉を信じた。
けれども結局、少女が目覚めることはなかった。
トラックに跳ね飛ばされてから後、彼女は自分の力で呼吸をしなかった。見た目に傷はなくとも、脳に重大なダメージを負っており、自発的な呼吸をすることが出来なかったのだ。病室のベッドの上、人工呼吸器から伸びた大げさな蛇腹のパイプが、横たわる少女の口元に取り付けられていた。
矢崎はそんな彼女の姿を何度か見舞ったことがある。自分の小遣いで買ったお見舞いの花を片手に病院へ行き、ベッドに横たわる彼女の横に立った。眉毛ひとつ動かさない彼女の顔を眺めている内に矢崎は、自分がとても大掛かりな冗談の一部に組み込まれているみたいに感じた。今に自分が吹き出し、大声で笑ってしまう。「なんだよ馬鹿やってんじゃないよ」そう口に出す。……すると彼女がいつもみたいに、つられて吹き出して「なーんてね」なんて言ったりして。身を起こして、笑い合って、小突き合ったりなんかして。まるで初めから事故なんてなかったかのように。
しかし物事はそこまで単純ではない。物語ならいざ知らず、実生活に於いては、そう簡単に劇的な奇跡は起こらない。彼女はいわゆる脳死状態だった。回復の見込みはまずなかった。一見身体は正常に働いていても、それを司る脳がもうだめになってしまっているのだった。幼い矢崎はおぼろげにしかそのことを理解しない。当時は〈脳死〉という言葉すら聞きなれない単語だった。周囲の大人たちがそのことを正確に理解していたかどうかすら疑わしい。
少女の両親に向かって、安心させるように、主治医は何度も繰り返した。「目が覚める可能性はあります」「ただ、それがいつのことになるのかは、わたくしどもにはっきりしたことは言えません」「このまま治療を続けていれば、あるいは」「いつかきっとよくなるでしょう」しかし、治療と言ってもやっていることは栄養点滴と、人工呼吸器による酸素吸入と、あとは日に一度やってくる看護婦(当時はまだ看護師という呼び名ではなかった)のこなす身の回りの世話と簡単なマッサージだけだった。
「ずっと寝たきりにしておくと、身体に穴が空いちゃうの」とある日、毎日欠かさず行われるその行為に疑問をぶつけた矢崎に向かって、看護婦が説明した。「お医者さんの言葉で褥瘡って呼ぶんだけど、重力ってね、意外に侮れないものなの」「シーツに擦れたりしてね、自分の重みで身体に穴が空いちゃうのよ」「だからこうして、毎日ちょっとずつ動かしてあげるの」看護婦は甲斐甲斐しく少女の身の回りの世話をした。
少女の横たわるベッドの横に立ち尽くしながら、矢崎は頷き、なにも言わなかった。言えなかった。けれど、大人しく彼女を見舞いながら、この世のあらゆる不条理が許せなかった。
「それで彼女が目をさますのか?」
「どうして彼女を轢いた人間がのうのうと生きている?」
「医者ならなんで彼女を助けないんだ?」
「大人たちは涙ぐんでばかりでなにひとつためになることをしない」
「彼女は生きている、そのうち起きる、そうだろう?」
「じゃあどうしていつまでたっても〈そのとき〉がやってこないんだ」
「彼女は生きているのか? 本当に……?」
幼い矢崎が医者という仕事、医療、人を救う行為そのシステム、哲学、技術、観念などに興味を向けるようになったのは、すべてこの出来事がきっかけだった。