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わたし、わたし、わたし。

 父から手紙を貰った。便箋は相変わらず安っぽくて、素っ気が無くて、飾り気がなくて、それが父らしくあった。内容は自分は元気だという事、お盆には帰ってくる事、健康には気を使う事。その三つだった。しかしながらこの手紙の意味している所は、無関心で、世間に疎くて、性格の悪い私に夏を知らせる所にあると思う。だなんて母に言ってみた。母は少しだけ微笑んで、頬に人差し指を当てて、少しだけ茶目っ気を持って、もうお年頃なのね、と言った。その口調がなんだか悔しくて、悔しくて。そうよ、とだけしか答えられなかった。父への返事を書いた。私は元気です。たったそれだけ書いた。その文面をみて母が、やっぱりお年頃なのね。やっぱりお年頃なのね。と嬉しそうに繰り返していた。繰り返していた。繰り返していた。私は悔しくなってその場から逃げだしてしまった。部屋の中で、やっぱりお年頃なのかな。ベッドに寝転んで、目をつむって、唇を動かして、呟いた。やっぱりお年頃なのかな。わたし、わたし、わたし。

 ともちゃんがおひるごはんの時間に、今度映画を見に行こう。って誘ってくれたので、友達の何人かで映画を見に行った。大変だったのは、映画の主役の俳優の名前を知らなかった事、なにを着て行こうか決め切れなかった事、それからお小遣いが無かった事。でもともちゃんは、大切な、大切な、本当に大切な友達だから、断らなかった。もしかしたら私は断れなかったのかもしれない。でも確実に言える事は、私はともちゃんと映画を見に行った。ということ。映画を見ている最後でヒロインの女の子が、腰に手を当てて、そっと目を瞑って、そっと身を乗り出してキスをするシーンがあった。その時に私もこんな風に、好きな人にこんな態度をとってみたいと考えた。ともちゃんに感想を聞いてみた。私とおんなじ考えかと思ったけれど、ちょっと違っていた。すこしだけともちゃんとの距離を感じた。感想の後にともちゃんから、ちーちゃんはどういう感想を持っているかと聞かれて、少しだけ考えて、少しだけ迷って、少しだけ躊躇って、ともちゃんとおんなじだよ。と答えた。なんだか情けないな、私。

 もうすぐ夏休みだね。後ろの席のゆうちゃんに言われて、私は夏休みの事を全然考えてなかった事に気がついた。どうしてそんな事を考えたのかと言うと、ゆうちゃんの言葉には続きがあって、夏休みはどうするの? という質問が付け加えられたからだ。私は少しだけ考えているふりをして、天井を見上げて、窓を見て、それからゆうちゃんの瞳を見て、まだ考えていないの。と答えた。じゃあ、一緒に私と遊ぼう。そんな瞳をゆうちゃんがした気がして、でも、でもね、私、部活があるの。部活。だから、あんまり遊べないかもしれない。私は逃げるように答えたけれど、これは嘘だ。でもなんだか夏休みは友達と遊ぶような、そんな気楽で、のんびりとした、気ままな時間を送ってはいけないような気がした。ごめんね、ごめんね、ごめんね、ゆうちゃん。でもゆうちゃんは私の言葉の本当の意味なんて知る由もなく、そうだよね、ちーちゃんは部活があるもんね。忙しいよね。でも暇があったら連絡してよね。だなんて言葉をこの私に返してくれた。ごめんね、ごめんね、本当にごめんね。

 私はソフトテニスをしている。上手なのか、下手なのか、私にはよく分からない。コーチが夏休み前の週末に練習試合を組んだ。私、練習試合が嫌い。あの負けてしまってもなにも失わないような、笑って負けをごまかせるような、次頑張ればいいような雰囲気の練習試合は大嫌い。一緒にペアを組んでいる隣のクラスのれなちゃんがそっと私の肩を叩いて、頑張ろうね。絶対、絶対勝とうね。と言った。でも、私は負けても構わないという雰囲気も、勝たなければならないという雰囲気も、どちらも嫌いだったから返事に困った。けれど、うん、絶対、絶対勝とうね。なんて返事をしてしまうから勝ち負けなんかに流されるのだと思う。私は流されず立ち止まる事が出来ないのだ。いままでも、これからも、そしてもっとこれからも。

 読書が苦手な私がこうして一冊の小説を読みあげたのは、明日の練習試合に行きたくないから、勝つ事も負ける事も嫌いだから、上手くいかなかったときのいいわけが欲しいから。他にもいっぱい、いっぱい理由があった。でも、今夜読んだ小説は、とても、とても面白かった。内容は主人公の男が本当にどうでもいいような理由で、人を殺してしまって死刑になってしまう話だった。こんな事を言うと皆から嫌われちゃうかもしれないけれど、普段から日常の色々な場面で友達と会話をするときでも、正直な意見を言えない私にとって、この主人公の男がすごく羨ましかった。自由奔放で、自分自身に嘘をつかず、たとえそれが原因で死を迎えてしまってもありのままを受け入れる事の出来るこの主人公が、すごく、羨ましい。そっと本を閉じて、そっと本を開いて、最後のセンテンスをひとさし指でそっとなぞって追いかけながら、もう一度読んでみた。既にカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。

 結局私は練習試合に行かなかった。それから私は眠ってしまって起きたのはお昼過ぎだった。でもこれで良かった。ともちゃんに、遊ぼう。とメールした。部活はいかなくてもいいの? と返事が来たから、大丈夫。と答えた。しばらくしてともちゃんがうちに来た。それから二人でお買い物をした。時々ともちゃんが部活の事を聞いたけれど、私は適当に、本当に適当に、まるで興味を持たないかのように、いいの。とだけ出来るだけ気にしていないように答えた。そのたびにともちゃんは、へえ、そうなんだ。じゃあいいよね。と答えてくれた。なんだかそれが清々しかった。でも、これは一度きりにしようとも思った。これ以上繰り返したら、部活を辞めてしまいそうだから、そうしたら父に怒られるから。夜、コーチから連絡があった。私は、今日は本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。と、それだけ言った。コーチは次からは気をつけるように言うだけで、他の事は私が思った以上になにも言わなかった。逆にそれが不安になって、今度はれなちゃんにごめんね、とメールした。送信ボタンを押す瞬間、緊張して、恐ろしくて、でも戻れなくて。思い切って送信ボタンを押したとき、これで良かったのだな、と思った。

 終業式。体育館に集まる生徒。なんだか惰性で流れているような、そんな川の水の流れのようだった。今日はとても暑かった。それでも、暑い。だなんて呟いているような生徒を一人も見かけなかった。やっぱり、夏休みなのだな、と思った。終業式の最中、いよいよ夏休みだね。ともちゃんに話しかけられて、笑顔で返した。一緒に遊ぼうね。と私は約束をした。それから教室で成績表を貰って、担任の先生から注意事項を聞かされて、クラスメイトに手を振って。さあ、夏休み。なにをしよう。

 恥ずかしいけれど、私、好きな人がいるの。どうして、どうしてこんなことを宣言したのかと言うと、なんだかこのままじゃ前に進めないような気がしたから。立ち止まって、うつむいて、振り返って。そんな繰り返しはもう嫌だから。前に進もう。前に、前に、前に。ともちゃんと終業式の夜にこんなやり取りをした。でもともちゃんに、不思議ね。ちーちゃんに好きな人がいるなんて。なんて返事をされた。そのときほんの少しの距離感と、言葉では表せないような不安と、私を分かってもらえない悲しさで、メールの返信ボタンを押す指が震えた。そうだよね、やっぱり変だよね、私に好きな人がいるなんて。返事はこうだった。けれど本当は、ひみつ。だなんて言いながら好きな人の話を、顔を想像して、声を思い出して、隣に私の姿を想像しながら説明したかった。ばか。ばか。ばか。ともちゃんのばか。でも、こんなことを言ってしまう私はもっとばかだ。だいきらい。

 偶然見た星座占いで私の星座が一位だった。普段は占いなんて全然信じないのだけれど、こういう時はなんだか期待してしまう。都合がいい女だと思う、私。今日は久しぶりの部活。れなちゃんにおはよう。と声をかけられたので、出来るだけ微笑んでおはようと返す。それからこの間の練習試合の時のおわび。ごめんね。と謝るとれなちゃんは、いいよ。って言ってくれた。なんにも理由なんてないのに部活を休んでともちゃんと買い物に行った自分がとても恨めしく感じた。部活の間すっと心の中で私は、ごめんね、ごめんね、ごめんね。と呟いていた。おひるごはんはれなちゃん達と一緒に食べた。今日はなんだか良い事が起こるような気がして、自分でお弁当を作った。ちょっと砂糖を入れすぎた卵焼き、本当は冷凍食品のコロッケ、少し焦げてしまった唐揚げ。少しずつ失敗はあったけれど、自分で作ったものはやっぱりいちばん美味しい。そうしていたら、朝の占いが当たったのだろうか。本当に良い事が起こった。それはふとした偶然で、ちょっとした気まぐれで、まるで神様が微笑んでくれたかのような、そんないくつかの出来事が重なって起こった。きょう私は水筒を持ってくるのを忘れてしまったのだ。こんな暑い日だから私は調子を崩してしまわないようにスポーツドリンクを作っていたのだが、どうやら占いの一件で気分が浮ついていてしまったのか、それともなにかの暗示であろうか、私はスポーツドリンクを家に置いたまま部活に行ってしまった。おひるごはんの時にその事に気がついて、れなちゃんとジュースを買いに行った。運命なんて言葉、嘘みたいで、都合が良すぎて、でも少しだけ羨ましくて嫌いだけれど、このときだけは信じてみたい気持ちになった。何故なら私の憧れの人がそこにいたから。それだけでもうなにも言う事は無かった。

 私は小説を読むのは嫌いだけれど、詩を読むのは嫌いではなかった。詩を読むのには時間がかからないし、その情景に自分を置く事が出来るから。むかし、ずっと好きだったあの人は、アルファベットの名前順でさえひどく離れていて殆ど会話をする機会なんて無かったの。だなんて詩の一文があったのを覚えている。どうしてこの状況で私がこの詩を持ち上げたのかと言うと、そっくりそのまま今の私にその情景を投影していたから。本当は行く事が無かったであろう自動販売機に、同じクラスであるのに殆ど話す事が無かった憧れの彼がいたのだ。胸が震えた。彼もまた部活の休憩時間らしく、一息つくためか、それとも灼熱の暑さから逃れる為か、とにかく自動販売機に来ていた。彼はバレー部に所属していた。でも背は小さくて、腕は本当に細くて、バレー部にいるのが不思議なくらいかよわかった。でも、見ているとなんだか不安で、応援しているこっちがかわりにバレーをしたくなるような、常に一緒にいてあげたくなるような雰囲気を彼は持っていて、そんな彼にいつの間にか私は魅了されていた。本当はあんまり会話をした事も無いのにできるだけ優しい声で、でも本心は隣のれんちゃんには気づかれないような声で、でも緊張で少しだけ変に高くなってしまった声で、××君今日も部活なの? だなんて聞いたけれど、これはちょっと変な質問だった。そんなの見れば分かるから。××君は暑さのせいで疲れている為か、こういうことは嫌だけど突然話しかけられた事に対してちょっと嫌気を感じているのか、はたまた別の理由があるのかよく分からなかったけれど、私の問いかけに対する返事に元気がなかった。それでも頷いてはくれたのだけれど。これからどう話そうかと考えているとれなちゃんが××君をせきたてるように、そんなんだからバレーがうまくならないのよ。堂々としないと、堂々と。ねえ、ちーちゃんもそう思うでしょ? 私は感心してれなちゃんの言葉を聞いていたのだが、突然矛先を向けられて、返事に窮してしまった。私の××君の好きな所は、守ってあげたくなるようなかよわさだったので、私は言葉を濁すことだけしかできなかったが、××君は、そんなの分かっている。分かっているよ。僕が運動部に入ったのが間違っていたのかな。なんて悔しそうに言った。この言葉を聞いて、もっと私は××君を好きになってしまった。だって、その口調があまりにもかわいらしかったから。ぎゅーっと抱きしめてあげたくなったから。でも、少しだけいじめてみたくもなったから。

 れなちゃん、今日はありがとう。私の携帯のアドレス帳に××君のアドレスが増えた。あれから休憩時間が終わるまでの間れなちゃんを介しながら××君と色々な事を話した。驚いたのは想像以上にれなちゃんと××君の仲が良かった事。でも、おかげでずっと××君と仲良くなれたような気がする。夜、少しだけ××君とメールのやり取りをして、少しだけまた明日会えると期待して、今日の××君の笑顔を思い浮かべながら眠った。おやすみ。おやすみ。おやすみなさい。いい夢を見たいな。

 ともちゃんとゆうちゃんと一緒にお買い物に行った。最近部活ばかりでともちゃんとも遊んでいなかったし、ゆうちゃんとは夏休みの前に約束をしていたから今日は一日遊ぶことにした。本当はそんな気全然なかったのだけれど、洋服屋さんでついかわいいワンピースを見つけて思わず買ってしまった。ねえ、ちーちゃん。今度の夏祭りはそれを着て出かけるの? ゆうちゃんにそう聞かれて、やっと私は今年の夏祭りの存在を思い出した。だから誰と行くかなんて全然考えていなかった。ただ浴衣を着て、友達と露店で楽しんで、花火を見て帰る。それだけの物だととらえていた。今年はどうしよう。そう考えていた時にともちゃんから、今年も一緒に夏祭り行こうね。だなんて言われて頷きかけたけれど、××君の顔を想像したら頷くわけにはいかなくなってしまったの。ごめん、私、今年はまだ決めてないの。また夏祭りが近くなったら連絡するね。それだけしか言えなかった。でも、心の中では既にどういう理由でともちゃんの誘いを断ろうかなんて考えていた。

 父から手紙が届く。相変わらず届くのは毎月の頭で、そこが時々お父さんの凄い所だと私は思う。手紙はやっぱり安っぽくて、素っ気が無くて、飾り気がなかった。手紙の中身は、自分は元気だという事、お盆には帰ってくる事、健康には気を使う事。やっぱりその三つだった。お父さんの手紙になんら変わりはなかったけれど、私がこの一ヶ月間で前進したからであろうか。それとも、父が遠ざかっているのだろうか。父の手紙の文面はなんだか遠く感じてしまった。

 コーチが週末に練習試合を組んだの。本当は行きたくないのだけれど、今度は行かないといけないよね。と××君にメールを送った。どこで練習試合をするの? なんて返事が来たから、思わず叫びたくなって、その気持ちを伝えたくて、でもなんだか××君がそんな事を言うのは不似合いだななんて考えて、うちの学校であるの。と返事を送った。じゃあ、行こうかな。返事が返ってきた時、やっぱり××君には似合わないよ。なんて照れくさく返したんだけど、とっても嬉しかった。週末は心から本当に頑張ろうと思った。夏祭りの事も言おうと思ったけれど、なんだか二人で行くという事を考えたら恥ずかしくて、言えなかった。でも夏祭りにはともちゃん達とお買い物に行った時に買ったワンピースを着て行きたい。それだけは私の中で既に決まっていた。だって私が浴衣を着てふたり並んで歩いたら、なんだかふたり似合わないような気がするから。そう、だって私の方が背が高いもの。

 練習試合。本当に××君が来てくれた。コートの外から応援してくれる姿が嬉しくて、恥ずかしくて、集中できなくて。だから、試合に負けちゃった。それが悔しくてなんだか少し泣いちゃった。泣いてないふりをして、にっこり微笑んで、一緒にお昼ごはんを食べよう。って××君を誘ったの。せっかく見に来てくれたのに、このままじゃつまらないでしょ。だなんて強がってみたけれど、涙は隠せなかった。不安そうに××君は、もしかして僕のせいなの。なんて聞いてきた。そうに決まっているじゃない。ばか。ばかばかばかばか。ばか。大好き。だなんて言えなかった。本当はそうなのに。それも重なって涙が止まらなくなってしまって、そんな姿を××君に見られて、慌てふためく××君を私は見て。他のソフトテニス部員はどう思ったのだろう、私達ふたりに。

 私はいま一人で公園のベンチに腰掛けている。今日の朝××君にメールを送った。昨日のことを謝りたいの。私の望む返事なんてあんまり期待していなかったけれど、いいよ。そう返事が来た時は出来るだけ優しくして、なるべく二人距離を詰めて座って、そっと寄り添ってあげたいなんて思った。学校の近くの公園で待ち合わせをしたけれど、実は約束の一時間前から来ていたの。みずから約束の時間を示しておいて一秒でも早く会いたいなんて言うのはわがままなのかな、私。実のところを言ってしまえば、昨日のことを謝るだなんてメールでも電話でも会わずに済んだ事なのだ。しばらくして××君はやってきた。まだ約束の時間には随分早かったけれど、××君は私の顔を見て微笑んでくれた。××君は私の隣に少しだけ離れて座ったんだけれど、私はそれを詰める。その様子を見て驚いたように私の顔を彼は見る。今度は私が微笑み返す。ねえ、驚いた? 驚いたよね? 驚いたでしょ。そんな瞳をしながら。それから今度は私が緊張をする番。息を吸って、息を吐いて、もう一度吸って。昨日は突然泣き出しちゃってごめんね。××君が来てくれたのに変な姿見られちゃって。お年頃なのかな、私。でも、ちひろさんがこんなに真面目に部活をしているだなんて思わなかった。だって、メールではいつも辞めてしまいたいなんて書いていたから。あら、そうだっけ。少しだけ続いていた言葉のやり取りのリズムを少し落とす。そして××君は私の事を嬉しそうに話す。私は頷きながら相槌を返す。こんなふたりきりの時間なんて初めてで、それが嬉しくて、いつまでも続いてほしかった。続いてほしかった。そう、続いてほしかったの。どのくらい話しただろう。夕焼け。西日が嫉妬でもしているかのように限りなく私達二人に降り注いでいた。その情景に祭り囃子の情景を思い浮かべて、夏祭りの事を私は思い出していた。私から誘ってみるべきだろうか。なんて考えたけどすぐに自分の中で却下した。そして私は改まったように××君の方に向きなおして、人差し指を唇にあてながら口を開くの。もうすぐ夏祭りがあるね。他の女性が見ていれば誘っているようにしか聞こえない下心丸見えの言葉を言ってみた。互いに少しだけ黙って、一瞬視線がぶつかって、恥ずかしげに視線を互いにそらして。その間に私は魔法の言葉を心の中で呟くの。私からは言わせないで。なんていじわるな魔法の言葉を。そして魔法がかかったかのように、観念したかのように、見透かされたように彼は小さく呟く。本当は聞こえているのに、聞こえないって私は返す。もう一度呟く、聞こえないって私は返す。ねえ、なんて言ったの。もっと大きな声で言ってよ。もう、聞こえているんでしょ。一緒に夏祭りに行きたいな。って言葉。その先に返事はいらなかった。これ以上ない笑顔だけで十分だった。その晩ともちゃんにメールをした。私、他の人と一緒に夏祭りに行きたいの。だから行けない。ごめんね。返事はすぐに来た。聞いたよ、××君と付き合っているんでしょ。私は夏祭りで二人並んで歩く姿を想像しながら、そうだよ。と返信した。私はそうだよね、もうそんな仲なんだよね。みんなに知られても恥ずかしくない仲なんだよね。なんて繰り返していた。

 お盆の前日に父が帰ってきた。少し疲れた表情をして、我が家の空気を思いっきり吸って、なにも変わらない我が家に安心した顔をしていた。こんなことを言ったら怒られるなんて分かっていながらも、おみやげを頂戴。だなんて言ったみた。やっぱり怒られた。父はなんにも変ってはいなかった。私はどうだろう。やっぱり変わっているのかな。お年頃なのよね、私。次の日家族でお墓参りをした。ちょっと不謹慎だけれど私はご先祖様に、ときめきを与えてください。だなんて願ってみた。神様にお願いするだなんて、私らしくはないのだけれど。

 たまには父親に親孝行するのも悪くないような気がして、次の日は父親の買い物に付き合って、家族で食事をして、父の肩を叩いてあげた。でも肩叩きをしながら私が考えていたのは全然そんなことじゃなくて、やっぱり明日の夏祭りのことであった。どんなことを話して、どんなものを食べて、どんな笑顔をするのか。そんなことばかり考えていたの、私。やっぱりお年頃なんだな、なんて思っていたら母親から口を出された。明日の夏祭りお父さんと行っちゃいなさい。ちひろもお年頃なんだし、もうお父さんと行くつもりなんてないのでしょ。別にお父さんと行くことは嫌ではなかった。けれど明日は××君と約束をしていたから、××君が誘ってくれたから、私もその気持ちに答えたかったから行かなきゃいけなかった。でもおとこのこと一緒に夏祭りに行くから無理なの。なんて言えないもの。恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて。だから言ったの。わたし。でも、でもねお母さん。私、明日の夏祭りはもう他の人と行くって約束しているの。だから、駄目。駄目なの。そんな言い訳でお母さんが引いてくれたらどんなに良かっただろう。いいじゃない、ともちゃんと一緒に行くんでしょ。ともちゃんとは毎年行けるじゃない。そうじゃないの、違うのお母さん。ともちゃんじゃないの。じゃあ誰なの。高校のお友達? もしかして男の子と行くんじゃないでしょうね。此処で、そうよ。だなんて言い切れたらどんなに楽であっただろう。でもやっぱり恥ずかしくて、恥ずかしくて、お母さんにはまだ秘密にしておきたくて。いいわ、いいわよ。お父さんと行ってあげる。行ってあげるわよ。それだけ言い残して逃げちゃった。私。きっと、きっと泣いていたのだと思う。お年頃なのだわ、お年頃なのだわ、お年頃なのだわ。私。

 ごめんね。呼び出しちゃって。私は公園のベンチに座って待っていてくれた××君に一言謝った。あれから一晩考えて、私はお父さんと一緒に夏祭りに行くことにした。そしてお父さんと一緒に夏祭りに行くことはこれで最後だって決心した。そっと隣に腰掛けて、××君に微笑む。いいよ。暇だから。この言葉の後にちひろちゃんの事が好きだから。なんてつくのはいつになるだろう。××君の顔は微笑んでいたのだけれど、これから私の口にする言葉を聞いて表情を曇らせると考えた時、なんだか悲しくもあった。××君の瞳を見つめる。彼は今なにを考えているだろう。私が今日の夏祭りの事を話すと考えているのだろうか、それとも私の口からの告白を期待しているのだろうか。でも、それは駄目。駄目なの。夏祭りを誘ってくれた時の様に勇気を振り絞らせて、××君に告白させるのだから。そして私はそれに仕方なく了承するの。胸の中ではこれほどまでに嬉しい事は無いと知りながら。でも、でもまさか私がこれから一緒に夏祭りに行けないなんていうとは思っていないだろう。でももしかしたら少しだけ腫れている私の目と、少し暗そうな表情をしている私を見て気付いているのかもしれない。この間の様に寄り添い合ってみようと思ったけれど、これはもっと大事な時に取っておかなければならないような気がしてやっぱりやめた。少しの沈黙。今日の夜の祭りの情景。思い浮かべて、そこに私を投影する。勿論隣には今わたしの隣に座っている彼。綿飴を食べる二人。きっと彼は自分の顔よりも大きい綿飴を顔につけちゃって私を笑わせてくれるのだろう。くじ引きをする二人。きっと当たらないけれどやってしまう。互いに外れて、互いに顔を見合わせて。互いの意思を確認しあうのだろう。そして、射的。腕の細い彼はきっと狙いの物なんて取れないだろう。それを見た私は失敗するふりをして、後でこっそり一人で挑戦をして、その景品を帰りにそっと渡すのだ。限りない感謝の気持ちを込めて。それから、それから……。沈黙を壊すように、私の幻想を壊すように立ち上がって、一歩前に進んで、振り返らないで。きっと泣いているんだ、私。泣いている姿なんて見られたくない。見られたくないからそのままの状態で話しかける。あのね、一緒に夏祭りに行けなくなっちゃった。出来るだけ強がってみた。声はまだ震えていない。でも、早く返事をしてくれないと込み上げてくる嗚咽を抑えきれる自信がなかった。返事が来ない。ごめんね。と遅れて付け足して返事を求めてみた。××君は、あのね。と大きくひとこと私の注意をひきつけてから喋り始めた。ほんとうはね、今日呼び出されたときに予感がしたんだ。もしかしたら神様が僕の耳元で囁いたから気づいたのかもしれない。でも、今日はきっとちひろさんとは一緒に夏祭りに行けないような気がしたんだ。だから、ここに来る前から覚悟はできたいた。さっきこっちへ向かってくるちひろさんの表情も泣きだしそうだった。その表情を見た時に今日は無理なんだな。って確信した。ずっとね、諦めよう。また次の機会があるじゃないか。なんて考えようとしたけれど、やっぱり無理だよ。どうしてかな。バレー部じゃずっと試合に出られない時でも次の試合を待っていられるのに。まるで魔法をかけられたみたい。ちひろさんの事が頭から離れなくなるような、そんな魔法。××君は魔法だなんていうけれど、それは恋に落ちているっていうの。でも、だからこそ夏祭り一緒に行こうって勇気を振り絞って誘ってくれた気持ちに答えてあげたかったの。なんて口で言えたらどんなに楽だろう。そっと涙をぬぐう。さっきの言葉を言えなかった代わりに、私にできる精いっぱいの合図を送る。今度一緒に別の場所に行こうね。ね。××君。泣いていたのがばれてしまったかもしれない。だって、胸の奥からこみ上げてくる嗚咽が止まらないんだもの。振り返らないままもう一歩踏み出す。本当は走って逃げだしたかった。帰るね。互いの距離を遠ざけないようなそんな素っ気ない挨拶をして私は歩く速度を速める。でも、待って。なんて××君が叫んだから。びっくりして立ち止まってしまったの。そして××君が私の方に歩み寄ってくるのが足音で分かった。なにをするのだろうかと思ったけれど、絶対に振り返らないでね。としか言ってくれずに××君はそのまま黙ってしまった。沈黙。もう帰ってしまおうかと思い始めた頃に、後ろからすすり泣く声が聞こえて後ろから抱き締められた。ひとりで泣いて逃げてしまうなんてずるいよ。僕だって寂しいんだよ。好きな人と夏祭りに一緒に行けないなんて。寂しいんだよ。ねえ、寂しいんだよ。それだけ言って××君は驚いたように私から離れた。なにがあったのか分からなくて振り返る。やっと振り向いてくれた。言われてみてはっとした。××君にうまく乗せられちゃったな。それから××君は照れくさそうに言ったの。勢いに任せて抱きついてみたけれど、やっぱり恥ずかしいね、これ。その言葉を言う表情が本当におどけていて、なんだか本当に××君らしくて、これ以上ないくらい可愛らしくて思わず笑っちゃった。私。

 夏祭り。お父さんと一緒に歩くだなんて恥ずかしいけれど、これで最後。そう、最後。最後だから。この間言っていたワンピースはやっぱり着なかった。だってあれは××君の為にとっておくのだから。着物を着て、お父さんに声をかけて、少し驚く父の顔を見て。夏祭り会場にお父さんと二人、並んで歩いていく。隣にいるのが本当は××君だったと考えると、ちょっと許せないような気がしたけれど。それでも隣で照れくさそうに歩くお父さんに私は言うの。ねえ、お父さん。私、好きな人がいるの。って。

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[一言] 甘酸っぱ過ぎるっ・・・! 今まで読んだ中で5本の指に入る甘酸っぱさだっ・・・! 改行が少なくて読みづらい・・・
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