第6章:産業経済省の闇と「保護局」
その時、霧の向こうから、無機質で重厚な、心臓の鼓動を圧迫するようなディーゼルエンジンの音が近づいてきた。パトライトはないが、強力な探照灯の光が楠の巨木を白く焼き、深い霧を透過して二人を執拗に捉えた。管理局の追っ手だ。彼らはもはや法を執行する公務員ではない。この世界の「設定」が暴かれることを防ぐ、免疫システムとしての役割を果たす「保護局」の執行官――『掃除屋』だった。
「徳永先生、中尾調査役。その粘土板は、全人類の平穏な文明を維持するための『超重要管理物件』です。それを外部の未認証環境で起動させることは、因果律の致命的な崩壊……すなわち、この世界全体の完全な消去を招きます。直ちにすべての作業を中止し、物件を返還しなさい。抵抗は演算リソースの無駄であり、あなた方の生存確率を著しく低下させます。あなた方の存在データが抹消される前に、賢明な判断を下しなさい」
拡声器を通した、抑揚のない死人のような声が森に響く。霧の中から現れた黒服たちの手首には、青白く、まるで死霊の火のように光る十六弁のロゼット。それは、彼らがこの仮想現実の「上位権限」を管理局から一時的に付与されている証であり、重力や慣性といった物理法則の一部をローカルで無効化できる、神の指先にも等しい免罪符だった。彼らが一歩踏み出すたびに、周囲の地面が物理的な重みを無視して歪んでいく。
「平穏だと? お前らが守っているのは、平穏じゃねえ。自分たちの権益に直結する『都合のいい設定』だろうが。管理された家畜としての平和なんて、俺の量子論には必要ねえんだよ。真実を知らされない平和は、死と同義だ。俺たちの意志をただの統計データに還元しようなんて、神様気取りも甚だしいな」
徳永は玲子の手を、砕け散らんばかりの力で引き、神社の地下へと続く、古びた、しかし精緻な幾何学的意匠が施された隠し石段を駆け下りた。
「先生、彼ら、通常の火器じゃないものを持っているわ! 空間そのものを物理的に融解させるパルス銃よ! あれに当たったら、データの断片すら残らない!」
「銃? そんなものは古典的な物理計算の結果に過ぎん。ここから先は、論理の勝負だ! どっちのソースコードが優れているか、決着をつけてやる! 物理法則を超えたコンパイル・エラーを見せてやる!」
石段の周囲を、雨に濡れた青い紫陽花が包み込むように咲いている。その鮮やかすぎる色彩が、地下への入口を死後の世界への門のように、あるいは未知のプログラムへのロード画面のように彩っていた。追っ手の黒い影が、慣性を無視した高速移動で背後に迫る。徳永は無骨な体躯に似合わぬ俊敏さで、石の扉の隙間に指をかけ、全身の筋力を爆発させて重厚な岩を動かした。石の擦れる轟音が、死刑の宣告のように地下に響いた。




