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第4章:十六弁の同期(シンクロニシティ)

 深夜の明石海峡大橋。海を跨ぐ巨大な鋼鉄の吊り橋は、豪雨のカーテンに遮られ、対岸の淡路島の灯は絶望的に遠く感じられた。橋を叩く雨は、もはや自然界の音とは思えないほどの規則的なリズムを刻んでいた。時折、強烈な横風が四輪駆動の巨体を揺らし、橋を支える巨大な主塔が唸るような低音を響かせる。海面は真っ暗で、飲み込まれたら最後、情報の断片すら残らないような深淵を呈していた。

 「……先生、さっきから車のオーディオから聞こえる、このノイズ。これ、ラジオの雑音じゃありませんよね? 完璧なパターンを持ったパルスだわ。十六ヘルツ……いや、その倍数で刻まれている」

 助手席でタブレットを操作していた玲子が、眉をひそめてスピーカーに耳を寄せた。彼女の白い指先が、画面上の波形解析チャートを素早くスワイプし、周波数成分を抽出する。

 「気づいたか。これはただのノイズじゃねえ。……同期シンクロ信号だ。十六ヘルツを基軸としたパルスが、雨粒の衝突音やエンジンの振動に干渉してやがる。この世界の『物理エンジン』が、俺たちの接近を検知してクロック周波数を上げ始めたんだよ。演算負荷を増やして、俺たちの意識をこの現実に繋ぎ止め、処理落ち(ラグ)を起こさせようとしてるんだ。つまり、現実の密度を高めて、俺たちの思考能力を飽和させようとしている」

 「そんな馬鹿な。天候まで制御されているって言うんですか? 物理法則そのものが、私たちを拒絶しているみたい。まるでシステムの免疫反応よ。私たちがウイルスだとでも言うの? それなら、この世界は私たちにとって、最悪のホスト・コンピューターね」

 徳永はハンドルを握る太い腕に力を込め、不敵に笑った。ハンドルの革がミシリと鳴り、その腕の筋肉が浮き上がる。

 「ウイルス? むしろ俺たちは、この硬直したシステムに対するデバッグ用の『特権命令』だ。いいか、聖徳太子がなぜ『十七条の憲法』なんて中途半端な数字を掲げたと思う? 十七は、管理権限を意味する十六に、人間の自由意志である一を足した数字だ。彼はこの世界の『システム制限』を知っていた。十六弁のロゼット、すなわち十六菊紋の管理下にある因果律から、いかにして人間が主体性を獲得するか……そのためのエスケープ・シーケンスがあの憲法だったんだよ。彼は、法という名のコードで、システムの挙動を書き換えようとしたんだ」

 「太子がシステムエンジニアだったと? 飛鳥時代に、彼はプログラミング言語を使っていたっていうんですか? 仏教じゃなくて? それじゃあ、あの仏像は演算装置の端子だって言うんですか?」

 「ああ。当時の『仏教』は、一種の高度な情報工学、あるいは宇宙論的なOS論だったんだ。そして空海が全国に配置した曼荼羅の配置、四国八十八ヶ所の巡礼路……あれはただの宗教儀礼じゃない。日本の国土というマザーボードに巨大な『同期回路クロック・ジェネレータ』を埋め込んだんだ。大師は、この列島の地下にある『エネルギー』の流れを整えることで、システムエラーである天災や飢饉を抑え込もうとした。彼は天才的なネットワーク・アーキテクトだったんだよ。そして、その同期を司るマスタークロックの紋章こそが、十六菊紋だ。皇室がそれを守り続けてきたのは、この世界のOSを安定させるためなんだ。世界の同期が外れれば、物理定数は崩壊し、俺たちは文字通り消えてなくなる」

 橋の中央付近、巨大な主塔を通過した瞬間、耳を打っていた豪雨の轟音が突然消え、異様な、真空の中に放り出されたような静寂が訪れた。雨は降っているはずなのに、フロントガラスを叩く音が一切しない。玲子が外を見ると、雨粒が空中で静止し、規則正しいグリッド状に並んで青白く発光しているのが見えた。

 「……先生、雨が止まってる。いいえ、固まってるわ。座標の更新が止まったみたい! 周囲のテクスチャがバグり始めてる! 海の色が、データの欠落したような灰色に変わっていくわ」

 「同期がズレ始めたな。俺たちの存在がシステムにとっての特異点シンギュラリティになった証拠だ。いい兆候だ。このまま淡路島の『おのころ島神社』の座標へ最短距離で突っ込む。あそこは、この仮想現実における最初の演算ユニットが配置された場所だ。いわばシステムの『原点オリジン』だよ。すべてはあそこからプログラミングされたんだ。管理者権限を持つ者がアクセスすれば、世界の初期化さえ可能になる」

 車が淡路島へと上陸した瞬間、再び轟音と衝撃が戻った。代わりに、島全体の空気が、まるで見えない巨大なドームに覆われたかのような、異質な密度の静寂に包まれた。徳永は無言で車を脇道へと逸らし、おのころ島神社の深い森へと舵を切った。ヘッドライトの光が、雨に濡れて黒光りする楠の巨木を次々と照らし出していく。その樹皮には、まるで集積回路の配線図のような苔の模様が不気味に浮かび上がり、二人の接近に呼応するように微かに脈打っていた。それは、地脈が呼吸しているかのようだった。


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