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3話.妹

5歳の合同魔力測定の儀式から、数週間が過ぎた。

 イニティウム公爵邸を包んでいた狂騒は、まるで嘘だったかのように冷え切っていた。

 あの日を境に、僕につけられていた英雄の再来という呼び名は消え失せ、代わりに「欠陥品」、「一族の恥」という言葉が王都中を飛び交うようになった。

 連日のように山ほど届いていた貴族たちからの贈り物はピタリと止まり、代わりに届くのは親戚や他派閥の貴族からの嫌味と抗議の手紙ばかりだった。


『公爵家の嫡男が魔力ゼロなど、前代未聞の恥晒し』


『血筋の汚点だ。直ちに廃嫡し、修道院へ幽閉すべきだ』


 使用人たちの態度も露骨に変わった。

 かつては僕が廊下を歩くだけで深々と頭を下げていた彼らは、今では遠巻きに冷ややかな視線を向け、ヒソヒソと嘲笑うようになった。

 魔力を持たない者は平民以下の「出来損ない」なのだ。

 だが、僕にとってそんな周囲の評価はどうでもよかった。

 本当に心が痛んだのは、僕を庇い続ける両親の姿だった。


「気にするな。アロイスは私が手塩にかけて育てる。外野が口を出すことではない」


 父クロノは、親族会議で僕を廃嫡しようとする長老たちを一喝し、心ない手紙を全て暖炉の火に放り込んだ。

 母シャーロットも、使用人たちが僕を蔑ろにすれば容赦なく解雇し、「あなたはあなたのままでいいのよ」と、変わらぬ優しさで僕を抱きしめ続けてくれた。

 世界中が僕を否定しても、この二人だけは全力で僕の盾になってくれた。

 だからこそ、僕は申し訳なかった。

 僕がただ守られるだけの弱い子供でいれば、この優しすぎる両親は、いずれ貴族社会の悪意に押し潰されてしまう。

 そんな息の詰まるような日々の中、イニティウム家に一筋の光が差し込んだ。


「……アロイス。入りなさい」


 父に呼ばれ、僕は静かに寝室の扉を開けた。

 ベッドの上には、少し顔色の悪い、しかし幸福に満ちた笑顔を浮かべる母がいた。そして彼女の腕の中には、小さな小さな毛布の包みがあった。


「おいで、アロイス。あなたの妹よ」


 僕の五歳下の妹。

 名前は、セリナ。

 僕はベッドに近づき、恐る恐るその小さな顔を覗き込んだ。

 淡い金色の産毛。規則正しく上下する小さな胸。

 そっと指先を伸ばすと、セナの小さな手が、僕の指をきゅっと力強く握りしめた。


「……あったかい」


「ふふ。セナも、お兄ちゃんに会えて嬉しいのね」


 母が愛おしそうに目を細める。

 その温もりを感じた瞬間、僕の胸の奥で、ドクンと何かが大きく脈打った。

 可愛い妹だ。

 この子には僕みたいに思われてほしくない。

 しかし、このままでは、この子の未来には「欠陥品の兄を持つ可哀想な令嬢」という呪いがついて回る。

 社交界に出れば、僕のせいでセナまで心ない言葉を浴びせられるかもしれない。ノアやエリスのような天才たちと比べられ、後ろ指を指されるかもしれない。


(……そんなこと、絶対にさせるものか)


 僕は、セナの小さな手を握り返した。

 自分への悪意は我慢できる。だが、僕のせいでこの優しすぎる両親や、生まれたばかりの無垢な妹が傷つけられることだけは、絶対に許容できなかった。

 逃げて隠れている場合じゃない。

 魔力が無いなら、無いなりの戦い方があるはずだ。

 魔法至上主義のこの国で、誰もイニティウム家を――僕の家族を馬鹿にできないほどの「圧倒的な力」を手に入れてやる。

 小さな妹の寝顔を見つめながら、五歳の少年は、静かに、しかし決して折れない鋼の覚悟を決めた。



 それから数日後のこと。

 イニティウム家の豪奢なダイニングルームには、食器が触れる微かな音だけが響いていた。

 長いテーブルの端と端。

 公爵としての激務の合間を縫って、父クロノが僕と一緒に夕食をとってくれていた。母はまだ産後の肥立ちでベッドで休んでいる。

 周囲には、給仕をする数人の使用人たちが無言で控えていた。

 僕は、目の前のお皿に乗った分厚いステーキ肉をナイフで小さく切り分け、口に運んだ。

 そして。


「父上。お願いがあります」


 アロイスは肉を頬張りながら、真っ直ぐに父を見据えた。

 ピタリ、と。

 父の手が止まり、周囲に控えていた使用人たちが僅かに肩を揺らした。

 5歳の子供が発するには、あまりにも落ち着き払った、明確な意思を持った声だったからだ。


「……なんだ。言ってみなさい」


 父はナイフとフォークを置き、真剣な眼差しで僕を見返した。 


「僕に、家庭教師をつけてください。剣術や学術を、魔法以外のすべてを身につけたいのです」


「……魔法以外の、すべてを、か」


 まるで値踏みするように、僕の目をじっと見つめ返してくる。

 そこにあるのは、魔力ゼロの宣告を受けて絶望し、塞ぎ込んだ哀れな息子の姿ではない。

 這い上がり、何かを成し遂げようと飢えている「戦士」の目だった。



「アロイス。お前は、無理をして公爵家の跡継ぎになろうとしなくてもいいのだぞ。私とシャーロットが、必ずお前の居場所を守ってやる。…それでも、お前は自ら過酷な道を選ぶというのか」


「はい」


 僕は迷うことなく頷き、最後の一切れの肉を飲み込んだ。


「僕は、公爵家の名誉のために強くなりたいのではありません。ただ、強くなければ守れないものがあると知ったからです」


 もう二度と優しくて暖かい父と母に恥をかかせないように。

 この小さな妹を守るために。

 僕の決意を帯びた声が、広いダイニングルームに響き渡った。

 沈黙が降りた後。

 父クロノは、ふっ、と短く息を吐き――やがて、おもむろに口角を吊り上げた。

 それは、公爵としての威厳ではなく、一人の父親としての、誇らしげで獰猛な笑みだった。


「……よかろう。そこまで言うのなら、私がお前の覚悟に応えよう」


 父は立ち上がり、力強い声で宣言した。


「明日から、我が国が誇る最高の学者たちをこの屋敷に呼ぼう。そして剣術は……そうだな。かつて私と共に戦場を駆け、今は引退した『あの男』を呼び寄せるとしよう。並の兵士よりよほど厳しいぞ。覚悟はできているな?」


「望むところです」


 僕は深く頭を下げた。

 ここからだ。

 僕の魔力量0という事実は決して覆らない。だが、だからといって弱いまま生きるつもりは毛頭なかった

 知力、体力、技術、そして魔法の枠に囚われない理外の剣術。

 全てを喰らい尽くし、僕は最強へと至る。

 これが、アロイス・フォン・イニティウムの復活と、あくなき修行への第一歩だった

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