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1話.英雄の瞳

 聖ルクセリア王国、筆頭公爵家イニティウム。

 王族に次ぐ権力を持ち、歴代の最高位魔術師を数多く輩出してきた名門の豪奢な屋敷。その奥深く、重厚な扉で閉ざされた分娩室には、張り詰めた緊張感が漂っていた。

 痛みに耐える悲鳴と、それを励ます声が夜通し続きやがて、白々と夜が明け始めた頃。


「……オギャア、オギャアッ!」


 生命力に満ちた、元気な産声が部屋中に響き渡った


「……生まれました! 元気な男の子です!」


 取り上げた老齢の医師が、震える手で赤子を高く掲げる。

 汗と涙に濡れた母、シャーロットが安堵の長い息を吐き、ずっと傍らで手を握っていた父にして公爵のクロノが、弾かれたように身を乗り出した。


「おお……! でかした、シャーロット! どれ、私に顔を見せてくれ!」


 普段の厳格な公爵という仮面を投げ捨て、ただの一人の父親としてクロノは赤子を抱き留めた。

 まだシワだらけの小さな顔。クロノが不器用な指を伸ばし、そっと赤子の頬に触れる。

 その時だった。

 赤子が、ゆっくりとその瞼を開いたのは。


 その瞬間。


 分娩室を包んでいた歓喜の空気が、ピキリと音を立てて凍りついた。

 クロノも、シャーロットも、医師も、周囲を囲んでいた侍女たちも、全員が息を呑み、赤子の顔を――正確には、その『瞳』を凝視して動けなくなった。

 その瞳の色。

 それは、ただの青ではなかった。

 晴れ渡る天空よりも深く、深海の底よりも澄み切った、吸い込まれるような、透き通る『(アオ)』。

 それは、この魔法至上主義の国において、誰もが知っている色だった。

 お伽話の絵本で、教会のステンドグラスで、王城の壁画で。

 かつて魔族の支配からこの世界を救った伝説の五人『黎明英雄』。その1人が持っていたとされる、伝説の瞳の色そのものだったのだ。


「こ、これは……まさか、『蒼』だ……」


 沈黙を破ったのは、医師だった。

 彼は血塗れの布を持ったまま、その場にガクンと膝をつき、震える両手を組んで熱烈な祈りを捧げ始めた


「英雄の再来だ……! おお、神よ! 奇跡だ! イニティウム家に救世主が現れたぞ!」


 その言葉を皮切りに、部屋の空気が爆発した。

 侍女たちが歓喜の涙を流してひれ伏し、護衛の騎士たちが剣を掲げて感嘆の声を上げる。


「黎明の英雄様だ!」


「我が国は永遠の栄光を約束された!」


「奇跡の御子だ!」


 部屋の温度が、人々の異常なまでの期待と興奮で急激に上がっていく。誰もが、生まれたばかりの赤子に「自分たちを導く神」の幻影を見て、狂乱の渦に呑まれていた。

 そんな熱狂の渦の中心にあって、父クロノだけは違った。

 彼は周囲のざわめきなど一切耳に入っていないかのように、ただ静かに、腕の中の小さな命を見つめていた。

 やがて、大きな手で赤子の柔らかな金糸の髪を撫でふっと破顔する。


「……よく頑張って生まれてきたな。偉いぞ」


 英雄の再来でも、救世主でもなく。

 ただ一人の父親としての、不器用で真っ直ぐな祝福

 ベッドの上のシャーロットも、熱狂する周囲の者たちに困惑したように目配せをした後、穏やかに微笑んで両手を伸ばした。


「ええ、あなた。……本当に可愛い、私たちのアロイス」


 クロノから赤子―ーアロイスを受け取ったシャーロットは、その小さな額に優しく口付けをした。


『アロイス・フォン・イニティウム』


 それが、僕の名前になった。

 前世の記憶を微かに残したままこの世界に生まれ落ちた僕は、ぼんやりとした視界の中で、自分を取り巻く異常な光景を眺めていた。

 医師や使用人たちは、期待を膨らませていた。

 それが、僕の人生における、最初の幸福であり。

 そして、最悪の『呪い』の始まりでもあった。


 僕が蒼い瞳を持って生まれたという事実は、瞬く間に王都全土、いや、大陸中に知れ渡った。


「英雄の再来が、イニティウム公爵家に降臨された!」


 国中がお祭り騒ぎになった。

 僕が歩けるようになる前から、屋敷には連日のように王族や高位貴族から山のような貢ぎ物が届いた。

 国王陛下からは直筆の祝福の親書が贈られ、教会からは聖女が派遣されて僕の健康を祈祷した。

 誰もが、僕の未来に無限の幻想を抱いていた。


『きっと、三歳になる頃には上級魔法を使いこなすに違いない』


『五歳の魔力測定の儀式では、水晶が砕け散るほどの魔力を見せてくださるだろう』


『将来は王国軍の総司令官か、それとも王女殿下の伴侶か』


 期待。期待。期待。

 それは、実体のない暴力だった。

 彼らは僕という人間を見ているのではない。僕の瞳を通して、過去の英雄の幻影を見ているだけだ。

 物心ついた僕は、その重圧の中で息を潜めて生きた

 英才教育を施すために雇われた王国一の家庭教師たちは、僕が魔法の基礎理論のページをめくるだけで「おお! さすがは英雄様!」と涙を流して拍手喝采した

 だが、期待が膨らめば膨らむほど、僕の心は冷え切っていった。

 なぜなら、僕自身が一番よく分かっていたからだ。

(……僕の体の中には、何もない)

 この世界の誰もが当たり前のように持っている魔力。

 空気の鼓動、血の巡り、生命の熱として感じられるはずのそのエネルギーが、僕のには感じられなかった


「アロイス。無理をして本を読むことはないぞ。お前はお前のペースで大きくなればいいんだ」


「そうよ。今日は中庭で一緒にお茶にしましょうね」


 両親だけは、異常な周囲の熱狂から僕を庇うようにいつも優しく微笑みかけてくれた。

 だからこそ、僕は恐ろしかった。

 この『嘘』がバレた時。

 僕が英雄の生まれ変わりでもなんでもない、ただの『魔力ゼロの欠陥品』だと世界が知った時。

 この優しすぎる両親は、一体どうなってしまうのか周囲の狂気的な期待は、どのような悪意となってこの家に牙を剥くのか。

 そして、運命の日は容赦なく近づいてくる。

 この国の貴族の子供が必ず受けなければならない、一生を左右する絶対の儀式。

 五歳の誕生日に行われる、魔力測定の儀式。

 王国中の貴族が注目する中、僕の真実が暴かれる日は、もう目の前に迫っていた。


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