6.妖精と魔法使い(1)
転職から二週間。
よく晴れた朝、オルテンシアは慌ただしく身支度をしていた。
既に博物館での勤務を始め、ようやく慣れてきたかと言う頃に朝寝坊をしてしまったのだ。
(慣れたように思っていても、まだ疲れているのかも)
化粧道具を片手にため息をつく。
今日は帰宅したら早く休もう。幸いにも明日は休日だった。
エドアルドに案内されたオルテンシアの新居は、博物館の近隣にあるほどよい広さのアパートメントだ。
家具や不足していた日用品もあっという間にエドアルドが揃えてくれて、不自由はしていない。
元々荷物はほとんど持ち合わせていなかったため、まだ部屋はがらんとしているが、窓辺にはイヴェッタがくれた鉢植えの観葉植物がちょこんと佇んでいて微笑ましい。
出ていく時に困るため、新しく荷物は増やすつもりは無いが、せっかく素敵な部屋を借りたのだから飾り物を一つ増やしてみるのも悪くないかもしれない。
「寝癖、気付かれるかな……」
鏡の前で何度も髪をいじる。
毛先が変にうねってしまって、何度櫛を通しても寝癖が目立っていた。
仕方が無いので長い髪をまとめて、三つ編みにする。
紺色の髪は相変わらず毛量が多く、いずれさっぱり切ってしまいたいと思うぐらい。
「っと、もう行かないと」
ようやく髪型が決まったところで、姿見で衣服を確認する。
エドアルドがくれた出勤服……支給された制服と言うべきなのか。
白のブラウスに黒のベストと揃いのスカート。
制服らしいフォーマルさの中に、青色のタイとカメオブローチの飾りが可愛らしさを演出している。
シグルズも似たような仕立ての衣装なのだが、イヴェッタは学芸員ではなく庭師の為、自由な服装で良いとのことで、日ごとに素敵なドレスで現れる。
庭で魔法を操りながら優雅にのびのびとしている姿は様になっていて、絵画のような姿だと思わずにはいられない。
ようやく身支度を終えると、鞄を持ち靴を履いて、ドアを開ける。
真っ先に視界に入る人物は、ここ数日から変わらない。
「おはよう、お嬢さん」
「おはようございます、シグルズさん」
今日はオルテンシアがいつもより遅かったからか、シグルズは廊下の壁に寄りかかり待っていてくれた。
待ち合わせをしているわけではない。ただ、同じ職場へ同じ時間に同じ場所から向かうのだから必然的にこうなっただけだ。
シグルズが住んでいるのは、隣の部屋なのだ。
二階建ての小ぢんまりとした建物なので、元々部屋数は少なく、選ぶ余地はなかった。
数日続くうちに待ち合わせのようになり、断る理由もないので一緒に出勤している。
わざわざ待って貰わなくてもと言えば、シグルズ曰く、暇だからとのことだった。
「三つ編みかあ。いいじゃないか、君の優しい雰囲気に良く似合うよ」
「……あ、ありがとうございます」
朝からバタバタと騒がしくなかっただろうか。寝坊したとは言えず、どうか気付かれないようにと祈るばかりだ。
(隣は気まずいから、なんて言ったら避けてるみたいで感じが悪いだろうと思ったけど……やっぱり変えてもらえば良かったかな!?)
シグルズの距離感がいちいち近いのもあるが、やっぱり心臓が持たない。どうしてしまったのだろう。
惚れっぽい性格ではなかったはずなのに。
「お嬢さん? どうかしたかな」
「い、いえ。なんでもないんです」
誤魔化すように視線を逸らし、シグルズの横を歩く。
雇われた以上はよこしまな考えを消して、仕事に集中しなければ。
役職名は館長としても、人手不足ゆえ、オルテンシアの業務は多岐にわたる。
古い収蔵品は修復士であるシグルズに任せるとして、展示室の準備、求人広告の作成、企画展の計画、収蔵庫の管理や日々の掃除だってある。
展示品もただケースに並べれば良いという訳では無い。
照度と温湿度の管理はまず第一に、埃やカビ、虫害の対策も必須だ。魔法博物館は基本的には問題ないが、収蔵庫の中の古いものまではまだ手が回っていない。
求人だって、人を集める前に業務のマニュアルを整えたい。オルテンシア自身、ここに来たばかりで博物館の全てを把握している訳では無いからだ。
エドアルドに至っては、全てオルテンシアに一任するとのことで、もう一週間は姿を見せていない。
本業が忙しいとの事らしいが、彼の本業とは一体どんな職なのだろうか。
物件をいくつも持っており、数多くのコネクションを有する男……そこから何となく想像してしまう職業は、小説の読みすぎが原因だろうと思っておく。
とにもかくにも、現状は二人で手分けして進めるしかない。
オープンの予定日は再来週を目安に、できるだけ余裕を持って決めている。
正式なオープンの日時はエドアルドたちは特に決めていなかったようなので、オルテンシアが設定した。
焦る必要はないが、目標はあるに越したことはない。
ぎこちない通勤時間があっという間にすぎれば、本日の業務開始だ。
「それでは、今日一日もよろしくお願いします」
改めて始業の挨拶をするが、結局シグルズと二人きりなのであまり意味は無いかもしれない。
それぞれの持ち場へ移動し、作業を開始する。
シグルズは、修復中の魔法弦楽器がもうすぐ完成しそうだから後で一緒に確認して欲しいと言っていた。
それまでに、まずは作った求人広告と掲載場所の候補を検討し、すぐに手が付けられる事務作業をさっと片付けておく。
黙々と働くことは嫌いじゃない。
以前の職場では、そのせいで余分な仕事まで体良く押し付けられがちだったが、少なくともここにそんな人はいない。
そうしていると、ふと、コンコンという戸を叩く音が聞こえてきた。
「……お客様?」
書類から顔を上げてペンを置く。
エドアルドやイヴェッタがわざわざノックすることはない。
エントランスに向かえば、ちょうど、リンと呼び鈴を鳴らしながらドアが開いた。




