13.トラブルは突然に(2)
「今日はもう上がってくださって大丈夫ですから、今は休んでください」
オルテンシアがそっと声をかけると、小さく返事が返ってきた。
「……私が、人間を知りたいと思うのは、いけないことだったのでしょうか」
そう言われ、以前シグルズとした話を思い出す。
リーナは人と妖精どちらにもルーツを持つ存在だ。
「私、そんなつもりじゃなくて、ただ、お父さんのことをもっと知りたくて、それで……」
人の世に紛れて働くことにした、ということか。
今の時代、妖精が街中にいたって何もおかしなことは無い。
魔族だって道ですれ違うぐらいにはたくさんいる。
神秘の世界を守るために外から切り離されたこの国で、妖精の存在を身勝手な思想で制限することは許されない。
そんな常識を忘れたかのように、あの女性は、リーナに意見を押し付け酷い言葉を投げつけた。
もう一つの自分のルーツを知りたい。その気持ちに間違っているところなんてひとつも無い。
それなのに、人間側から否定されてしまえば、リーナはどうすれば良いのだろうか。
「分かってました。オーナーが私を飾り物にしたがっていたことも、意地悪な人がいることも」
オルテンシアもシグルズも、リーナの言葉に耳を傾ける。
「それでも……人の良きところを知って、自分なりに理解したいと思ったのです」
たとえ不当な扱いを受けても、リーナは人の善性を信じていた。
その思いは踏みにじられ続け、今もリーナの心を苦しめている。
人間として、魔法使いとして、オルテンシアはリーナに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「あらあら、泣き虫さんがいるみたいね」
コツコツとヒールの音が聞こえてきたと思えば、イヴェッタが姿を現した。
「私のところへいらっしゃい。今は、ゆっくり眠るといいわ」
「ミス・イヴェッタ……私は……」
「いいのよ、何も言わなくて」
イヴェッタはリーナの横へ寄り添うように座った。
リーナを見つめるイヴェッタの眼差しは優しく、慈愛に満ちたものだった。
「ここはイヴェッタに任せよう」
シグルズとオルテンシアは再びエントランスに戻る。
沈黙が気まずい。シグルズの顔も険しいままだった。
リーナのためにできることは、今の自分には無いのかもしれない。
むしろ、人であるオルテンシアがどんな言葉をかけたとしても逆効果になる可能性もある。
だが、だとしてもこのままにしておくことは館長としてできなかった。
「私、あの人たちに考え直してもらいたいです。それで、リーナさんにちゃんと謝って欲しいです」
「俺もだ。このまま終わらせるつもりはない」
以前シグルズはリーナがこの街に来た理由を教えてくれた。『彼女は人間を良き存在だと信じている。それを証明するために魔法使いに紛れて働くようになったんだ』と。
その思いを胸にこの魔法博物館を選んでくれたのなら、館長として必ず応えなければならない。
それに、エドアルドがオルテンシアにこの博物館を任せてくれたのも、オルテンシアが魔法使いグレイナーシャ氏の意志を尊重していると思ってのことだ。
魔法博物館で妖精と人の対立が起こるようなこと、グレイナーシャ氏は望まないだろう。
なにより、リーナに魔法博物館での悲しい思い出なんて作って欲しくなかった。
(ここは、あなたが悲しい顔をするための場所じゃない)
博物館へ来たばかりの時、シグルズはオルテンシアに『博物館を愛してくれる人』を求めていると言った。
何かに執着することもされることも嫌いだった。いい職場だけれど、愛着を覚える程になるかは分からなかった。
けれど今ならはっきりと言える。
オルテンシアは魔法博物館を大切に思っていて、周りの人にもそうであって欲しいとまで思えるようになっていた。
「この博物館らしいやり方で、リーナさんを笑顔にできたら……」
その時、オルテンシアはあることを思い出した。つい最近思い立ったばかりだった、この状況にもっとも相応しい計画だ。
「そういえば!」
顔を上げると、シグルズと視線が合う。
彼も同じことを考えていたらしい。
「企画展だ。妖精と魔法使いについての展示、今こそやるべきじゃないか」
「はい! 私もそう思います」
何度かシグルズとは話していたが、ちゃんと覚えていてくれた。
来館者ならのリーナへの素敵な気持ちから思いついた企画だ。
もし、リーナがもう人を、魔法使いを信頼できないと思ったとしても、妖精を愛し敬う人々もいるということだけは伝えたい。
「私たちの初めての企画展です。必ず、成功させましょう」




