10.名前で呼んで(2)
「この調子なら、来週には開館できそうですね。リーナさんが来てくださって本当にたすかりました」
「本当ですか。お役に立てたのならば何よりです」
「あとは、お客様がたくさん来てくださると良いのですが……」
「きっと大丈夫ですよ。駅前の掲示板に広告も掲載しますし、学院の生徒にも広まれば来館者がいないなんてことにはならないかと」
学生証を提示すれば入館料無料、というのは主都の国立博物館でも行われている施策だ。オルテンシアも学生時代、何度も利用した。
幸いにもレステには魔法学院があるため、彼らに興味を持ってもらえればきっと多くの学生が訪れてくれるだろう。
「そうですね……。多くの人に楽しんでいただけるよう、頑張らないとですね。ああ、そうだ。広告用のポスターは後で私が掲示板に持っていきますよ。ついでに、備品の買い出しも行ってきます」
「でしたら、シグルズさんとご一緒してはどうでしょうか? ちょうど、インクが足りなくなったとおっしゃっていたのです」
先程までずっとオルテンシアといたのに、リーナはいつの間に聞いたのだろう。
なんとなく、いつもリーナはオルテンシアの行動を先読みしたり、考えていたことについて言及したりする。
まるで、心を読んだかのよう。これも、妖精ならではなのだろうか。
「そうでしたか。では、シグルズさんと行ってきますね」
シグルズを探して収蔵庫に向かうと、何やら書き物をしていた途中だったようだ。
話を聞いて二つ返事でついて来てくれたが、机の上にあったインク壺が新しいものに見えたのは気のせいだろうか。
「このお店で最後ですね。そろそろ博物館へ戻りましょうか」
「荷物は俺が持とう」
「すみません、ありがとうございます」
買い出しを終えて、オルテンシアの荷物をシグルズが代わりに持ってくれる。
予備の筆記用具と掃除道具を少し買い足しただけのつもりだったが、想定よりも重たかったので助かった。
少し時間がかかってしまったようで、遠くからは時計塔の鐘が鳴り響いていた。
レステの街に来てから、ノクトレアにいた頃と違って時間に追われることがないため、街中もゆっくりと歩くことができる。
特徴的な煉瓦作りの街並みに、広場の噴水に集まる人々。その近くでは、魔法学院の制服をまとった学生たちが、試験の内容について難しい顔をして話し合っている。
通りのカフェからはいい匂いが漂っていて、テラス席では人々が穏やかに談笑していた。
道端に並ぶ手入れされた花壇を見て、イヴェッタへのお返しを用意するのを忘れていたのに気づいた。
また今度、何か彼女の好きなものを用意しよう。
妖精の好むもの、と思うとなかなか難そうに感じるが、イヴェッタならあんがい流行りのスイーツでも喜んでくれそうな気はしないでもない。
「お嬢さん、少しゆっくりしていこうか。すぐ近くに行きつけのカフェがあるんだ」
ぼーっと街並みを眺めながら歩いていれば、シグルズに引き留められる。
「いいですよ。私でよければ」
「よかった。せっかく引っ越してきたばかりなのに、君を博物館にこもらせてばかりな気がしていて。といっても、ここの学院に通っていたのだし、そこまで新鮮でもないかな」
「そんなことはありませんよ。学生時代は寮に引きこもってばかりだったので、正直言ってこの街のことはよく知らないんです」
「だったら、尚更出かけないとだ」
そう言いながらシグルズが案内してくれたのは、大通りから一本裏道に入ったとことにある小さなカフェだった。
橙色のランプが暖かい雰囲気を醸し出していて、蓄音機からはゆったりとした音楽が流れている。
「いらっしゃい……なんだ、アンタか。そっちは新しい恋人さん?」
ウェイターの青年とは顔見知りのようで、からかうようにオルテンシアのことを見ている。
恋人という言葉に驚くあまり硬直してしまったが、シグルズは否定も肯定もしなかった。
「そうだと言ったら?」
「別に言いふらしたりしないさ。ちょうど他にお客さんいないし、好きなとこ座って」
そう言われカウンターに二人並んで座る。
(新しい、ということは、他に誰かと来たことがあるのかな……)
スマートに気遣いをしてくれるし、エスコートも手馴れている。普段の振る舞いからして、恋愛経験豊富なように思っていたがやっぱり間違いなかったようだ。
こぢんまりとしたお店だけあって、二人きりとなるとなんとなく距離が近いように感じてしまいそうで、変な勘違いをしないように気を引きしめる。
「あの、シグルズさんの同僚のオルテンシアと申します。すみません、恋人ではなくて……」
「知ってるよ。この人から飽きるくらい聞かされてるものでね」
釈明をしようとすれば、またしても驚くようなことを言われた。
「グレイナーシャ魔法博物館、だろ? 開館したら遊びにいくから、うちにもチラシ置いてってくれよ」
「いいんですか! ありがとうございます」
「お互い様だ。オレも、シグルズには日頃世話になってるからな」
メニューを受け取り、適当にコーヒーを注文する。
どうやら、彼とシグルは仲の良い友人のようだ。
「あの、私の話をしているって……」
「あいつの言う事は真に受けなくていいから」
先程のことについて聞こうとすれば、にこりとした表情できっぱりと言われてしまった。
オルテンシアは黙って頷く。きっと、仕事の話をしているだけで、なにもオルテンシアのことばかり話ているとは言われていないのだ。自意識過剰だったかと反省する。
(なんだか、気まずい……)
以前の勤め先では、同僚と食事に行くようなことはあまりなかった。こういう時はきまって、幼い頃から習い事ばかりに追われていないで、もっと社交性を身につけておけばよかったと後悔する。
「そういえば、さっきも魔法学院の話をしたけれど、お嬢さんもあの制服を着ていたのかな?」
「そうです。もうずっとデザインが変わっていませんからね。いつ見ても、装飾品はもうちょっと減らしてもいいと思います」
「制服姿、見てみたかったな。きっと似合うだろう。俺は外の国から来た人間だから、魔法学院はちょっと憧れるんだ」
自分の制服姿なんて大した面白みもないだろうに、気を利かせてくれたのだろう。
「そういえば、シグルズさんのご出身って……」
「ルゥス王国だよ。ずっと山奥の田舎から来たんだ。お嬢さんが聞いて楽しめるような面白い話はできないよ」
シグルズは肩をすくめる。
ルゥス王国は北方の雪深い小国で、関連する魔石の展示品が博物館にも収蔵されている。
あの国に関する話題も出したことがあったのに、今の今まで知らなかった。
それなりに長い付き合いになってきたと思っても、オルテンシアはシグルズのことをほとんど知らない。
お互い、自分自身の過去を開示しないことも理由なのだろう。
面白い話はできない、と言ったシグルズの表情には、少し陰りがあった。
オルテンシアも、自分の過去は探られたくはない。
「そういえば、シグルズさんは、どうして私をお嬢さんと呼ぶのですか?」
「どうして、って」
シグルズからは、君かお嬢さんとしか呼ばれていない。
何か話題を変えようとして、とっさに口にしてしまったが、これでは名前で呼んで欲しいと言っているみたいに聞こえてしまう。
「いえ、その、ただ気になっただけです。忘れてください」
「では、名前で呼ばせてもらってもいいということかな。オルテンシア」
「は、はい……」
自分の名前に特別な思い入れはなかったはずなのに、なぜだろう。
その声で呼ばれると、ずっと特別なもののように思える。
「店で口説くなよ」
ちょうどそのタイミングで、先程の青年がコーヒーを運んできた。完全に聞かれていたらしい。
「口説いてないさ。仲良くしてるだけだよ」
「いかがわしい言い方もやめろよ。それと、これは今回だけのサービスだからな。ゆっくりしていってくれ」
飲み物と一緒にテーブルに置かれたのは、小さな桃のタルトだった。
お礼を言おうと思ったら、返事を聞くまでもなく彼は去ってしまう。
「広告だけでなくスイーツまでいただいてしまって、よいのでしょうか……」
「気にすることはない。あいつ、サービスしたがりなんだ。今回だけって言うけど、次に来るときはまた別のケーキを出してくれる。いつもそんなことばかりしてるから儲からないんだよ」
「な、なるほど……」
「それと、名前で呼ばなかったのは、オルテンシアがそこまで踏み込んで欲しくなさそうだったからだよ。でも今は、少し変わったみたいだ。ちょっとは俺に慣れてくれたかな」
顔を見ては勝手にドキドキしていたのは、とっくにバレていたみたいだ。
「どうでしょう。シグルズさんみたいな綺麗な方、何度見たって慣れませんよ」
オルテンシアがそう言うと、シグルズは楽しそうに笑ってくれた。




