後編
耳かき講習会は大盛況だった。この国、耳掃除は魔法でやっていたもののそれはめちゃくちゃ神経を使う高難易度技術だったらしく、耳かき棒を使っての掃除は目から鱗の新技術という体になるそうだ。風を起こして吸引する、という魔法だけでも難しい部類に入るのだが、さらに耳垢だけ、鼓膜を傷つけない、などの条件があるとその難易度ははね上がる。最悪傷つけてしまった場合も治癒魔法や魔法薬を使えばいいのだが、そこでどうして原始的にかきだそうとならなかったのかが疑問である。しかし細かいことを考えるのはやめよう。どうせ分からない。
ただ一つだけ、予定外のことが起きた。私が講習会をやると聞きつけたご令嬢が「あたくしにも教えてくださる?」とやってきたのだ。今回は医療従事者向けであると一応伝えたのだが、まったく引く気がない。「教えてくださる?」なんて疑問形を使っているが、それ以外の選択肢など初めから与える気のなさそうなつよつよお嬢様っぽかったので、混乱を避ける為に彼女には別室で教えることにした。
このつよつよゴージャスお嬢様は、ジェンマ侯爵家のデライラ様というそうだ。お名前も強そうである。ジェンマ侯爵家といえば、保守派の重鎮だ。伝統と貴族の血を貴び、正しくノブレス・オブリージュを謳うのが我が国の保守派の祖であるらしいが、昨今はそこに若干違う解釈が混じり選民思想が強くなっている。なので、我が家のように中立派に属する貴族たちは柔軟な革新派の意見に傾くことが増えてきていて、今は無理に保守派と交流を持たなくてもいい、と義父からも言われていた。でも、今回に限っては来てしまったのだから仕方がないだろう。ちゃんとあとで報告しよう。
しかしまあ耳掃除できなくて困っているだけかもしれないし、何でも疑ってかかるのはよくない。私は気持ちを切り替えて、つよつよお嬢様に耳掃除の仕方を教えた。実際、彼女は言葉の端々に棘はあるけれど、講習自体は素直に受けていた。
これはもしや、本当に耳かきをしてみたかっただけなのだろうか。私は敵意のなさを表す為にできるだけ明るく優しげに声をかけた。
「楽しいでしょう。夢中になってしまいますよね」
「……そうかしら。ですが、これで結婚相手が見つかるのなら安いものでしょう」
「はい?」
……残念ながら、違ったようだ。もし耳かき好きなご令嬢なら、お友だちになれるかもと淡い期待を持ったのが悪かった。世の中、そう上手くはいかない。つよつよお嬢様は満足すると「ご苦労でしたね」と上から目線の労いを残し、去っていった。一応、私も今は侯爵令嬢であるのだけれど、生粋か否かというのは彼女の中では大きなことなのだろう。
寂しさとは異なるざわめきを感じつつ、この日の講習会は終了した。つよつよお嬢様以外は想定の通りに進み、彼女のこともそこまで大事にならなかったので成功したと言っても過言ではない。何にせよこれで、この国に耳かきが浸透すればいいのだ。そうすればヴァル様と婚約を解消したとしても、次の婚約者に耳かきをさせてもらえる可能性が高まる。
程々の人がいい。恋もしないでいい。怖い目にはあいたくないし、嫉妬で身を滅ぼしたくもない。ただ耳かきをさせてくれてその時に笑って会話ができるような、そんな人がいい。
貴族の家に生まれておいて、しかも突然分不相応で使い物にならない大量の魔力を持ってしまって我儘を言っている自覚はあるが、これは願望だ。人間の欲は底がないらしいし、留めることができないのなら口に出さないだけ私は理性的だろう。それなのにそんな言い訳をしながら眠った夜は、決まってヴァル様の夢を見るから叱られている気分になるのだ。……切実に誰かにメンケアしてほしかった。
―――
ところで私とヴァル様は依然婚約者であるから、夜会にも一緒に参加しなければならないのだ。しかし今まで「まだ作法に自信がなく」「ダンスが不得意でご迷惑をおかけするので」と、なんやかんや理由をつけて断っていた。それは私も悪いが、最初の夜会参加が王宮なのはハードルが高すぎる。その上、デート帰りにそのまま連れて行くのは本当にやりすぎだと思う。
今日はこの前話していた観光牧場に子馬を見に行ったのだ。子馬はすごく可愛くて、母馬の傍をちょこちょこと歩いていて、すごい可愛かった。そりゃあ語彙もなくなる程に。まだ生まれて二カ月も経っていないので遠くから眺めるだけだったけれど、それでも可愛いものは可愛いと認識できるから不思議だ。そのあとは羊に餌をあげたり牧場で飼っている猫を撫でたり新しくできたというカフェに寄ったりして充実した一日をすごした。筈だった。
いや、おかしいとは思ったのだ。いつもなら帰路に就くのは夕方前なのに昼過ぎくらいには帰ろうと言われるし、何故か侯爵家ではなく公爵家に連れて行かれるし、着替えさせられて化粧までされるし。まあ、着替えさせられた時点でもう何となく察してはいた。そういえば今日は王宮で夜会があるらしいというのも知っていた。でももしかしたら違うかも、疑うのはよくないかも、と馬鹿正直にヴァル様を信じた私が悪いのだ。
「そうむくれるな」
「あら、むくれてなんていませんわ。このような華やかな夜会に連れてきていただけて大変光栄ですもの」
「……今回はどうしても参加しなければならなかったんだ」
「さようですか」
私は、優雅に微笑んでみせた。たくさん練習したから、そこまで下手なものではないと思う。だから私がむくれていることなんて誰にも悟られない筈だし、そもそもこの場でヴァル様に文句なんて言わない。私だって猫を被れるのだ。付け焼き刃であるからいつボロがでないかひやひやものであるが、私はもう子爵の娘ではなく侯爵家の娘。失敗は許されなかった。
どんなに美しくて豪奢なドレスにしり込みしても肩がこるくらい大きな宝石のついたネックレスに恐れおののいていても、それを見せてはいけない。ヴァル様にもテゾーロ家にも迷惑がかかる。
大丈夫、挨拶だってきちんとできた。ダンスもさっき終わった。ステップを間違えることもなく、足を踏んだりもしていない。ちらちらとこちらに向けられる視線だって、悪意あるものばかりではない。大丈夫、ちゃんとできている。私はゆるく拳を握り、ぐ、と背を伸ばした。
「もしそのように見えていたのでしたら申し訳なく存じます。少しばかり緊張をしておりまして」
「来て早々に帰ることはできないが、もう少ししたらすぐに」
あれこれと心配してくるヴァル様に、いろいろと思うところはある。突然連れてきておいてなんなんだとか、ご機嫌取りをするくらいなら連れてこなければよかったのにとか、せめて説明をしてくれればとか。けれどそれは私が今まで逃げ回っていた結果だとも理解できる。特にこの夜会は、定例のものにしては最大規模だ。次期公爵であるヴァル様にとっては、欠かせない社交だったのだろう。現に盛装したヴァル様はとんでもなく素敵で、この華やかな場に相応しかった。
そうなると、自分の子どもっぽさには呆れ返るし、嫌になる。しかしそれを表に出してはいけない。大丈夫、為せば成るって誰かが言ってた。それに嫌なことも苦手なことも始まったら終わるのだ。私はもう一度、今度は嫌味なく微笑んでヴァル様にぴたりとくっついた。婚約者としては別におかしな距離ではない。内緒話がしたいだけだ。
「本当に大丈夫ですわ。それともわたくし、そんなに振る舞いは変です?」
「そ、そんなことはない、完璧だ。だが……」
「なら、もうあんまり仰らないで。せっかく綺麗に着飾ってもらったのですもの。すぐに帰ってしまうのはむしろ勿体ないですわ」
「……ああ、とてもよく似合っている」
「ふふん、でしょう」
そう、今夜の私はぴっかぴかに綺麗なのだ。公爵家のメイドたちとヴァル様の母君であるヴェリタ公爵夫人がすごく張り切ってくれて、鏡を見た時には「これが、私……!?」というのを体験した。お化粧とドレスと宝石の力は強い。そのドレスたちに気おくれしている時点で本物には敵わないのだろうが、それでも私史上最高の仕上がりだ。
その上で似合っていると言ってもらえたなら、それがさらなる自信になる。それがヴァル様ならなおのことだ。お世辞でもいい。だって現に、肩から力が抜けていくのを感じる。自分のことながら現金だと思いつつも、私はいつもの調子でこそこそと話を続けた。
「ですが、そうですね。心配していただいてなんですがわたくしだって心配ですわ、ヴァル様のことが」
「私が?」
「そうですわ。いつまで経っても相応しい方を探す素振りもなく、こんな規模の大きい夜会にわたくしを連れてきてしまってどうするおつもりです?」
「……またその話か」
「また、ではなくずっとしている話ですわ。本当にそろそろ動き出さないと」
「エマ、私は」
ヴァル様が何かを言いかけたその時、一瞬だけ近くの音が消えた。何事かと振り返ると、そこにはあのつよつよお嬢様が立っている。さすがの美しさだ。堂々としている姿も教本の通りだろう。しかしわざと人をかき分けてやってきたらしい彼女は、明らかに私たちに用があるふうであった。関係性の薄いジェンマ侯爵家のご令嬢がヴェリタ公爵家の跡取り息子とその婚約者にどういうつもりで声をかけにきたのか、周囲はすぐにざわめきを取り戻したけれどそんな好奇に満ちていた。
「お久しぶりです、ヴァル様。あら、珍しく本日はエマ様もいらっしゃるのね」
「……久しく、ジェンマ侯爵令嬢」
つよつよお嬢様の嫌味っぽさより、固いヴァル様の声に驚いてしまう。しかし彼女はヴァル様のことを名前で呼ぶのか。つまりヴァル様と彼女には何かしらの関係性があるということなのだろう。挨拶をしようとした私をヴァル様が後ろ手に隠すあたり、あまりよい関係ではないようだが。
「まあ、昔のようにデライラと呼んでくださっていいのに」
「まだ午睡が必要だったあの頃のように? まさか、貴女だってよいお年だ。これから整えられる縁談の為にも、そのあたりは弁えるべきだろう。私のことも名で呼ぶのはやめてほしい」
「あら、あたくしは気にしませんわ。あたくしたちの仲ではありませんの」
どんな仲だ。おそらく子ども時代に交流があったのだろうとは察せられる。帝都に住む貴族子女は幼少期に派閥関係なく集められて交流すると聞くから、それなのだろう。
でも見て、ヴァル様のお顔がすごいことになっているから。客観視って大切だと思うよ、本当に。
そんな私の心の声など聞こえる筈のないつよつよお嬢様は、止まらない。自信があるのはよいことだが、勝算はあるのだろうか。
「ねえ、ヴァル様、あたくしもエマ様に教えていただいてミミカキを習得しましたの。是非体験いただきたいですわ。我が家にご招待いたしますので」
「結構だ。私には元々ミミカキが上手い婚約者がいる」
「ですが、エマ様ではお話が合わないこともあるのではありませんか? ほら、出自が我々と違いますもの。あたくし、ご相談に乗れると思いますの」
「必要ない」
ここまで取り付く島がないのは何故なのだろう。私が知らないだけでこの二人には元々何かしらがあるのだろうか。確かにつよつよお嬢様の話の進め方はよくないかもしれないが、そこまで拒絶してしまうと逆に返しが怖い。
「そんな、そのような強がりはおやめになって。あたくしなら、高位貴族に生まれた苦悩を理解し支えて差し上げることができます。エマ様では難しいでしょう? でも、この方の出自を考えれば仮に解消をしたって、ねえ?」
いや、ねえ? じゃないだろう。こっち見るな。
それにしても強い、さすがつよつよお嬢様だ。実際、彼女の言っていることはあながち間違っていないと私も思う。けれどこの場で高らかにそれを言ってしてしまうのはどうなのだろう。私はテゾーロ侯爵家の正式な養女だ。しかも遠縁ではあるが、血の繋がりも確かにある。庶子だといって虐められる、というパターンもどうかと思うが私はそれにすら当てはまらない。しかも私の養子縁組は陛下の命だった。……結構多方面に喧嘩を吹っ掛けていやしないだろか。
仕方がないからここは精神年齢高めの私がこの場をどうにかしてみせよう、と身を乗り出そうとしたのだが、それはヴァル様に後ろ手で止められてしまう。
「自分がどんなに恥知らずなことを言っているか分からないのか? 私たちの婚約を整えたのは殿下で、そしてここは帝国城だ。わざわざお膝元で堂々と自身の不徳を晒すとはどういう神経をしている」
「で、ですが、エマ様は元は田舎の子爵家の娘で、あたくしは」
ぴり、と皮膚に魔力を感じる。痛くはないが、確かな刺激だ。これは魔力の多い人が怒りなどの感情で起こしてしまう事象の一つで、周囲に魔力を放出してしまうことによって起きる。その発生源は、ヴァル様だ。
私は思わず、ぎゅうとヴァル様の腕に抱き着いた。慌てすぎて、どうしたらいいのか分からなかったのだ。だってここは帝国城だ。こんな所で魔力暴走なんて起こしたら、罪に問われるまでいかなくても確実に醜聞になる。
その必死の思いが通じたのか、ヴァル様は息を呑んで魔力を治めてくれた。しかしふう、と息をつく暇もなく、第三者の声が割って入ってくる。
「少なくともそういった下世話な話は隠れてするものだよ。身分が低い相手であれば礼を尽くさなくてもいいなんて、幼稚で低俗な考えは特にね」
「で、殿下……っ」
……どうして、皇太子殿下がここに。さっきまで中央付近で大勢に囲まれて談笑してたじゃないですか。話がややこしく、いや、大事になってしまう。
「身分とは、そういう子どもじみた嫌がらせの為にあるんじゃないよ。君はもう少し勉強をしたほうがいいね。あと、何度も似たようなことしか言えてないけど身分以外にテゾーロ嬢と戦える要素がないの? 随分薄っぺらいんだね」
「あ、あ……。あたくし、そんなつもりでは……」
目の笑っていない殿下に微笑まれて、つよつよお嬢様は逃げて行ってしまった。大丈夫だろうか。もう若干可哀想である。……いや、貴族として敵対してこようとした人に慈悲の心を持つべきでないのだろう。むしろこれからジェンマ侯爵家に何かしら因縁をつけられないように義父たちにこのことを報告して、それから。
「ヴァル、自分で処理できなかったからってそんなに怒らないでくれよ。僕がやったほうが後々面倒にならないだろう?」
「仰る通りです、殿下。感謝申し上げます。しかし、そういう問題でもないのです」
「初恋を拗らせている奴は怖いなあ。じゃあ、僕はもう行かなくちゃ。テゾーロ嬢も楽しんで」
「はい、殿下。お心遣いに感謝いたします、ご機嫌よう」
普段あまり考えないようなことをぐるぐると考えていたからだろうか、殿下に対するお礼や挨拶が一呼吸遅れてしまった。まあ、許してもらえているようであるし、このくらいならいいだろう。これから暫く社交界の話題はあのつよつよお嬢様になるだろうから、私の失態を事細かに語り継ぐ人は少ない筈だ。
「エマ、我々も行くぞ」
「はあ……」
殿下が去ったことにより緊張が悪い意味で解かれ脱力した返事しかできない私は、ヴァル様に促されるがままに歩きテラスに連れてこられた。多少風が冷たいが、会場の熱気から解放されほっとする。
「さっきはすまなかった。ジェンマ侯爵家には毎回抗議しているんだが効果がないんだ。今回は参加させないと聞いていたんだが、まさかあんな馬鹿なことをしでかすとは……」
「ヴァル様が謝罪されることではありませんわ」
「……彼女とは何もない。本当に子どもの頃に数回会っただけだ。縁談話は来ていたが、ヴェリタ公爵家としても今は保守派と繋がりを持つ気はないから断っていた。個人的にも彼女はない」
「ないって……。言い方がよくありませんよ」
仮にも侯爵令嬢になんて言い草だろうと渋い顔になってしまう。それにしても彼女はここまで冷たくされて、それでもヴァル様にアプローチを続けていたのは何故なのだろう。親に言いつけられていたのか、それとも彼女自身が本当にヴァル様のことが好きだったのか。前者であればジェンマ侯爵家の見込み違いであるし、後者であっても好きだから何をしてもいい、という考えはよくない。何にせよアプローチの仕方を間違えたのだなあ、と思う。
だってつよつよお嬢様は、黙っていれば私よりよっぽどヴァル様とお似合いだった。生まれ持っての風格とか、そういうものもあるのかもしれない。けれどきっと彼女は、幼少期に泥まみれになることもシェフにお願いをしてつまみ食い常習犯なることもなかったのだろう。あれだけの立ち居振る舞いができるレベルまで、ずっと勉強やお稽古を続けていた筈だ。努力の結果と言わざるを得ない。そんなふうに生きてきた彼女がぽっと出の私に敵意を持つのは仕方のないことだろう。害されるのは困るが、それはそれとしてやはり、ヴァル様と私は不釣り合いで――。
「へぷち」
……ああ、しまらない。
私はいつだってこうだ。こんなに綺麗にしてもらったのにくしゃみの音さえ間抜けで、もうなんだか泣きたくなってくる。そんなふうに静かに落ち込んでいると何の脈略もなく肩をぐ、と抱き寄せられた。
「エマ、寒いのならもう少しこっちへ来るといい」
「……」
なんとなく抵抗する必要性が感じられなかったので、そのままヴァル様の好きにさせてみる。すると、ハグでもするみたいに向かい合って抱き込まれた。……あったかい。何だかぐだぐだと考えるのが馬鹿らしくなってきた。そもそも私はそういう性質の人間ではないのだ。
「……ヴァル様は、本当にわたくしと結婚するつもりなんですか」
「当たり前だろう」
「どうして? わたくしと結婚することによって、ヴァル様にどんな利益があるんです? 殿下の仰っていた初恋の方はいいんですか?」
質問だらけで、要領を得ない。分かっているのにやめられなかった。考えるのをやめた結果、思ったことがそのまま口に出てしまう。それなのにヴァル様は面倒くさがらずに答えてくれるらしい。
「さっきも言ったが、私たちの婚約を整えたのは殿下だ。そもそも断ることを想定されていない縁談なんだ。そして、君の膨大な魔力はヴェリタ公爵家にとって有益であり、また同じく中立派のテゾーロ侯爵家との繋がりも強固なものとなる。保守派と革新派に挟まれる中立派は、その時々によって動きを変える必要があるから横の繋がりが強くなるのは好ましい」
「初恋の方は?」
「……私の初恋はエマだ」
「……は?」
まったく聞き捨てならなくて見上げると、ヴァル様はバツの悪そうな顔で視線を逸らした。いやこれは恥ずかしがっているふうでもある。ああ違う、そうではなくて。
「別に、私は拗らせていたなんて思っていない。ただ殿下がああ言っているだけで」
「待ってください、違います。いつどこで恋が芽生える瞬間があったんです? ……はっ、耳かきですか?」
「違う」
明確な否定のあとに、ヴァル様は何故かすっと目を細めた。
「子どもの頃、私は君に魔法を教えてもらった。君はまったく覚えていないようだが」
「……絶対それ、わたくしじゃないです」
「君だ。あと絶対という言葉を安易に使うなと言ったのは君だぞ」
「だって絶対に違います。わたくしは人に魔法を教えたことなんてありません。それにもしヴァル様に会っていたら、それこそ絶対覚えている筈ですもの」
「あの頃は目の色も髪の色も変えていたんだ。魔法が発露しなければ、そのまま分家の養子に出されていたからな」
「……えっと?」
いや、目と髪の色が違うなら話が違ってくるのではなかろうか。子どもの頃というのがいくつくらいの時を指しているのかは不明だが、色の印象は大きい。けれど私は人に魔法を教えたことなんて覚えていない。もしかしてこれは人違いでは……。
しかし私が眉間に皺を寄せても、ヴァル様は構わず話続けた。
「私は同年代の子どもたちより魔法の発露が遅かった。今でこそ人並み以上に扱えているという自負があるが、十歳まで火の粉の一つも出せなかった」
「そんな話、聞いたことありません」
「両親が必死になって私を隠していたからだ。逆に魔力が多くて上手く扱えず暴走するので外に出せない、と嘯いてな」
思った以上に重たい話で困惑を隠せない。この国は魔法至上主義ではないが、それでもかなり重要な資質の一つとされている。知力体力気質、そして魔力。それがこの国の、いや世界的にも人を評価判断する基準だ。
知力が低くとも体力があるなら力仕事に向いているといえるだろうし、体力がなくとも知力が高ければ研究開発など学術や知的財産係の職に就ける。どちらもなくとも気質が真面目であったりコミュニケーション能力に長けていれば必要とされるだろう。しかし、それらは魔力があってこそだ。
この言い方だと魔力は元々あったようだから魔道具は使えたのだろうが、魔法が一つも使えないとなるとこの世界ではおそらくかなり大変である。魔法は使えて当たり前の世界なのだ。簡単な光魔法で夜道を照らすこともできないようであると、好奇の目どころか役立たずのレッテルを貼られるだろう。それどころか忌諱される可能性も高い。差別の的になってしまう。
それが貴族、しかも公爵家の御曹司がそうであったらなんて、想像するだけで恐ろしい。……人間、自分と違うものは見下しがちだし排除しがちである。そういうことは、どこにいっても変わらないのだ。
「今なら、あれが当時私を守る最適解であり公爵家の威信を下げない唯一の方法であったと理解できる。しかし、頭の足りない子どもにはそれは難しかった。……そんな時に出会ったのが君だ」
まったく記憶にない。魔法が使えないなんて珍しい人と会って何も覚えていないなんてあり得ないだろう。これはやはり人違い――。
「君は私の前で、何故か溺れた」
「話の流れが変わりましたね」
「まさか自分が溺れたことも覚えていないのか」
「それは覚えていますけど……。いや、え?」
七歳か六歳くらいの頃、私は確かに溺れかけた。今や義兄となったテゾーロ侯爵家の二人と湖に遊びに行っていた日のことだ。その湖は貴族の保養地として人気のエリアで、ほかにも複数の貴族たちが小舟に乗ったり湖畔で本を読んだりと思い思いにすごしていた。
そんな湖で二人はちゃんと私と遊んでくれていたが、そこは元気いっぱいの男の子の兄弟。周りが見えなくなることもある。そうなってもいいように私たちにはたくさんの使用人がついていたので、危険なんてある筈もなかった。
しかし当時の私は小さな子ども。転生者としての自覚もぼんやりとあったが理解はしておらず、あの時の私は正しく子どもだったのだ。そして子どもとは、大人が予期しないことを軽々とやってのける生き物である。魔法で湖の上に立つ方法を教えてもらった私は、二人が何やら言い争い追いかけっこに夢中になっている間に一人で綺麗な魚を追いかけ始めた。気付けば二人からは随分と離れていたけれど、近くにはおそらく使用人がついていた筈だ。だからやはり危険ではなかった。
けれど大事なことなのでもう一度言うと、当時の私は小さな子どもだった。魔法で湖に立ち、上から綺麗な魚を見ていて何故かふと、この魔法を解いたらその魚に触れるのではないかと思いついたのだ。気づいた時には水の中で、しかし次の瞬間には知らないお兄さんに抱き上げられていた。
「……まさかヴァル様があの時、私を助けてくれたお兄さんだとでも言うんですか?」
「そうだ。……何故か目の前で突然沈んでいった君を無我夢中で引っ張り上げようとして、その時に初めて魔法が使えたんだ」
「いや、え? そんなことって……」
咄嗟のことで動けなかったらしい使用人は、水浸しになった私を見て泣いていた。本当に悪いことをした。あの使用人はあくまで生活を整えてくれる用の使用人であって、ボディーガードではないのだ。多分落ち着けば使用人でも私を助け出すことはできただろうが、人間、本当にびっくりした時は声も出せなくなるものである。
それでも当時の私は水浸しになりながら「びっくりしたけど、ちょっと楽しかったかも」と呑気にしていたのだから我ながら大物だ。助けてくれたお兄さんにはきちんとお礼を言ったし、着替えたらまた遊べると思っていた。何ならお兄さんとも一緒に遊ぼうとしていたのに、使用人と戻ってきた義兄たちが顔を真っ青にして「帰るよ!」と言うからむしろごねたくらいだ。清々しいくらいの子どもムーブである。まあ、だから笑い話で済んでいる出来事なのだが。
納得はできなかったが帰ることになり、私は助けてくれたお兄さんに「次は絶対遊ぼうねえ」と言って別れた。そこまでは覚えている。顔は覚えてない。あのお兄さんはお兄さんで何故かお付きの人たちにもみくちゃにされていたから。……いや、話の辻褄が合うな。
「その時から君は私の唯一だった」
「どうしてそうなりました?」
「おそらく、私の唯一である君を助ける為に女神が魔法を使わせてくれたのだろう」
「理屈が変です」
「だから君は私と結婚をする義務がある」
「そのだからは、どこにかかっているんですか」
「どこだっていいんだ。君が私と結婚をすることに変わりはない」
至近距離できっぱりとそう言われ、顔に熱がかっと上る。そういえば、そうだ。今、私たちは抱き合っているのだった。
「わ、訳が分かりません……」
そう言い返すのがやっとだった。きっとほかにも言うべきことがある気がするが、もうそれしか出てこなかったのだから仕方がない。私は耳まで熱くなった顔を隠す為、ヴァル様の肩に額を押しつけた。
「分からなくてもいい。いつも通り呑気に私の隣で笑っていてくれれば」
「呑気にって……。でも、わたくし、本当に魔力しか取り柄がないですよ? その魔力だって自分では上手く使えないのに」
「オセロにカルタにすごろくにまるばつゲーム、あとるーびっくきゅーぶ? だったか。どれも君が考案して、子爵領はそれらボードゲームの受注で随分潤ったそうだな」
また話の流れが変わろうとしている。私はまた眉間に力を込めて、首を振った。
「違うんです。それらは本当に子どもの頃に思いついただけの偶然の産物で、本当に今はそういうのが一切ないんです。大体、まるばつゲームなんて地面に描けば誰でもできるし……」
「るーびっくきゅーぶは現在進行形だろうに。まあ、最大の功労と言えばミミカキだろうな」
「ミミカキ?」
「君の言う通り、この国の人間は耳垢が溜まりやすい体質の者が多いらしい。講習会からあまり日がたっていないから施術を受けた人数はまだ少ないが、適切なミミカキのおかげで耳の聞こえがよくなったと評判だ」
「それは、よかったんですけど……」
耳かきがこの国で市民権を得られそうで、それはよかった。これで私も心置きなくいろんな人に耳かきを勧められる。……でも、やっぱり何かしらの誤解があるように思う。
「そんな評判のよいご令嬢を婚約者に持つ私が、今からわざわざ手放すと?」
「え、ええっとぉ……」
「あと、君は君が思っているよりはるかにしっかりとやっている。特に皇妃殿下からの評価が高い」
「皇妃殿下はお優しくていらっしゃって……」
「お優しいだけの方に皇妃が務まると思っているなら、その考えは改めるように」
皇帝陛下や皇太子殿下と違い、皇妃殿下は唯一私が緊張しすぎないでお話ができる方だった。急に侯爵令嬢になった私を気にしてくださり何度かお茶会に招いてくれたのだ。いつの間にか皇妃派の派閥にも入れてもらっていて、私の帝都での社交が今のところ成功しているのはひとえに皇妃殿下のおかげなのである。
まあ、さすがに思惑ゼロの福祉の心でよくしてもらってるとは思っていない。そこまでお花畑ではない。ただ私の利用価値なんてたかがしれているのによくしてくださるので、優しい方であることには変わりないのだろうと判じただけだ。だからこそ皇妃殿下が困っている時や助けが必要な時、私が何かすることによってそれがよい方向にいくなら手伝おうと思っているだけで。……はっ、こうやって忠誠を誓わせるのが目的で? いや、やっぱり私レベルの人間の忠誠なんてそんな力にはならなさそうだけれど。
「それに何より、私たちの結婚は陛下と殿下にも望まれている」
「……それは薄々感じていましたが、あれはどうしてなんでしょう」
「私が望んだから、というのもあるが、君と私の魔力を受け継いだ子どもを公爵家から輩出させたいのだろう」
「え」
「私に貸しを作り、公爵家とよい関係を保ちつつ次代の為に優秀な子どもをもうけさせ、国家運営を更に確固たるものとする。……それ以外のこともお考えだろうが、これ以上の深追いはいけない。分かるな?」
私は、一生懸命に頷いた。陛下方の考えを推察しようなんてそんな恐れ多いことをしてはいけない。こんな話を帝国城でするなんて、誰に聞かれるか分からないのにヴァル様も怖いことをする。ああでも、ここまで近づいてこそこそと話しているのだから滅多なことでは聞かれることはないか。
あ、そうだった。近いんだった。またその事実に気付いてしまって、かちりと体が固まる。ついさっきまで、あったかいな、くらいしか思っていなかったのに!
「もう一度言うが、何にせよ、これは初めから断れない縁談だ」
「ひゃっ」
「君はこのまま、私と一緒に幸せになればいい」
ぐ、と顔が近づいてくる。のけぞりってしまいたいのに抱きこまれているからどこにも行けない。ああ、心臓の音が煩い。
「……愛してるんだ、エマ。私と結婚してくれるな?」
「はわ」
忘れてた。この人、顔がいいのだった。しかも盛装していていつも以上に華やかで格好いい。ああ、知能指数が下がっていく。いや、待て。初恋だのなんだのって、それこそ子どもの時の話だ。幻滅されて捨てられるオチなら、やはり危険を回避しておきたい。でも陛下や殿下の思惑があるなら無理かも。というか、貴族として結婚するなら愛とか恋とかそういうのはなくてもよくて。待って、それならこの半年間のヴァル様とはすごく上手くやれていたし、なんなら素を見せてしまっているので気を遣う必要もないしヴァル様の耳掃除だってしてあげなくちゃだし、だから、だから……?
「返事は?」
「ひゃい……」
私はもう混乱したままで、またヴァル様にしがみついた。キャパオーバーとはこのことだった。でも、ヴァル様はこんなことでは怒らないからいいのだ。もう責任をとってもらおう。やっぱりなし、なんてきっとこの人は言わないのだろうから。
―――
その後、結婚した私たちはというと――。
「大体、何故あんなに逃げ腰だったんだ。断れない縁談だというのも本当は分かっていただろう」
「だって途中でやっぱりやめた、とか言われたらと思うと逃げたくもなるでしょう」
「あり得ないが」
「……ええと。それにヴァル様は殿下と仲がよろしいので、なんとかなるかなって」
「その割に無意識だろうが距離は近く頬を染め笑顔は可愛くてで、私は非常に大変だったんだが」
「知りません。何のことです、それは」
「帝都での勉強も私に恥じないようにと頑張っていたらしいじゃないか」
「それは……。仮にも次期公爵閣下の婚約者があんまりにも不勉強だと、駄目かなって……」
「あとその自己肯定感の低さはなんなんだ。私の前では天真爛漫であるのに」
「て……? い、いえ、私のは自己評価が正確なだけで自己肯定感が低い訳では……」
「いいや、低い。君は自分の努力にも価値にも無関心すぎる。何なら一からお教えしようか」
「け、結構ですっ。あんまり意地悪ばかりすると、今日は耳かきしてあげませんからね!」
「……卑怯だぞ。それに意地悪じゃない」
「こちらだって卑怯じゃないです。人聞きの悪いことを言わないでください」
とても次期公爵夫妻とは思えないやり取りをしつつ、平和にやっていっています。
読んでいただき、ありがとうございます。
よければブックマーク・評価・いいねなどしていただけるととても嬉しく思います。
文章内の耳かきはファンタジーです。実際に行う際は、お医者さんの指示に必ず従ってください。




