序章
その日、私はできるだけ明るく害のないお馬鹿を演じた。いや、あるいは猫を被らなかっただけかもしれない。
「なら、エマ・テゾーロ嬢。君の結婚条件は何なんだい?」
まだ耳馴染みの薄い苗字で呼ばれた私は、清々しいまでににっこりと笑ってみせた。貴族令嬢らしからぬ、ぴっかぴかの笑顔であったと思う。
「許されるのでしたらそれはもう、わたくしに耳かきをさせてくださる方ですわ」
「ミミカキ?」
「ええ、一ヶ月でそこそこ溜まる方だったらなおのことよいですわ」
「……ふむ?」
きょとんとして声を漏らしたその人は、やっと年相応の表情を顔に乗せた。けれどそれもすぐに引っ込めてしまうのだから、皇太子殿下というものはすごい。彼がこれまでどんな英才教育を受けてきたのか私には想像すらできないが、十八歳になったばかりでもうポーカーフェイスが完璧であるのはさすがはあの皇帝陛下のご子息である。
教育の賜物であるだろうが、本人の資質も大きそうだ。本当に優秀な人だと思う。話していると動悸が治まらない。ああ、でもこれは決して恋なんてキラキラしたものではないのだ。危険信号を体中が発している。冷や汗も止まらない。怖い。早く帰りたい。こんな小者を次期国家元首の前に出さないでほしい。
そんなことをずっと考えていた面談だった。「お茶でもいかが?」なんてフランクな呼び出しであっても、皇太子殿下からのそれであれば意味がまったく違ってくる。本気で殺されるのかと思った。
―――
ところで私、エマ・ファルファラ改めテゾーロは転生者である。この世界のことは別段知らない。また、前世が日本人であったことは覚えているが、記憶はあやふやな部分が多く家族や自分自身のことだってあんまりだ。死に方だって覚えていない。そもそも死んだのかすらも分からない。いっそのこと全部が全部、自分ではない誰かの夢の中だとしても納得できてしまう程度にふわふわしている。でもあちらの世界の有名な誰かが言った「我思う、故に我在り」という言葉を胸に適度に頑張ろうと決めたのだ。
と、まあ、ふんわりした自認転生者である私だが、生まれがすごくよかった。田舎にただっぴろい土地を持つ、豪農風味なファルファラ子爵家の第一子として生まれたのだ。田舎なので流行りものはあまり手に入らないが逆に言えばそれだけで、美味しい食事に綺麗な空気、可愛い馬に牛に羊に山羊に犬に猫……。その上、腐っても貴族なのでお世話係がいて最新式の電化製品がなくても不便なく、しかものびのび育ててもらえた。
家族仲もよく、高位貴族でないからそこまでギスギスとした腹の探り合いに巻き込まれることもなく、三つ下の弟はちょっと生意気だけど可愛くて、本当にいい家に生まれたと感動が止まらない。私は第一子だけれど女の子なので、どこかにお嫁に行かなければならないけれど、今世の父は「やだあ、まだパパと一緒にいようよう……」と毎回泣いて母に「いい加減になさって」と叱られていた。なので、私に婚約者はいなかった。ただ、それでも年頃になればそれなりの条件の人を見つけてくれるのだと信じていたのだ。……多分、それもいけなかった。
この国の貴族子女は、学校に通ってもいいが自宅教育を選択してもいい。だって、あまりにも生活が違うのだ。このルーチェ帝国はものすごく広大で、北は豪雪地帯があって冬は雪に閉ざされる地域もあれば、南は暑すぎて昼間に外出しようものならものの数十分で肌が焼け火傷をする地域もある。生活が違えば必要な政策も違う。将来為政者になる貴族子女だからこそ、子ども時代に同じ学び舎で対話しお互いを知る重要性もあるが、それでは各地域に適した教育が不十分になる可能性もある。そのメリットデメリットを天秤にかけ、各家が判断するのだ。
そして私は勿論行かなかった。別に帝都に興味はないしどうしてもやりたい研究や勉強もないし田舎者ってだけで虐められそうだし、と行かない理由を並べ立て領地でのほほんと家庭教師に勉強を教えてもらっていた。疲れたら馬に乗せてもらったり犬と散歩したり猫を吸ったりして楽しくすごしていた。それが許される身分だった。……それなのに。
「さて、エマ様。本日は久しぶりに魔力測定を行いますぞ。以前のやり方を覚えておられますかな?」
「はい、先生」
そう言って先生は大きな球を机に置いた。それは魔力量を調べる魔道具なのだ。まんまるで透明な球はまるでガラス玉のようであるけれど、そうではない。バスケットボールくらいの大きさのそれは、ガラスではなく水棲の巨大モンスターから採った牙を加工したものだそうだ。……バスケットボールくらいの球を削り出せる牙を持っているモンスターがいるのは、まあ、この際置いておこう。怖いからあまり聞きたくない。
魔力測定は、健康診断の項目の一つだと思えばいい。この世界の人間は多かれ少なかれ魔力を持っていて、支配階級の貴族たちは一般に平民より多い。これは国を興した貴族の祖先たちが大量の魔力を持っていたことが理由とされていて、まあ、それによるいざこざはお察しの通りだ。なので貴族子女は一定数より魔力が多いことを望まれる。前回の測定では平均より少し多いくらいだったので家族も喜んでくれ、私もほっとしたものだ。
さて、今回はどうかな。平均前後、できればちょっとだけ多めであれば文句はないのだけれど、と気楽に触ったその球は、いとも簡単に私の未来を変えてしまった。
「わ……っ!?」
いきなり光った魔力測定の球は、嫌な音を立ててばらばらに砕けてしまった。先生は目をまんまるくして腰を抜かして、けれど暫くすると立ち上がり「大丈夫ですぞ。しばしお待ちを」なんて言って出て行った。これ弁償となったらいくらなんだろうと呆然として砕け散った巨大モンスターの牙の残骸を眺めるしかなかった私は、もしかするとこの時に逃げ出すくらいの行動力が必要だったのかもしれない。
暫くして戻ってきた先生はほかにも見知らぬ人を複数に連れていて、また魔力測定の球を私の前に置いた。もう一度やれというから触ると、その球もまた砕けてしまう。これが意味することはつまり、私の魔力は並の測定器では測れないということだったらしい。
そんな筈はない。そんな筈がある訳ない。今までほんの少し平均より上だっただけだ。特段魔法が得意でもなく、また下手でもない。私は平均値どまりの田舎の平凡な下位貴族の娘である。何かの間違いに違いない。そう必死で訴えたのに先生は「それを調べる為に帝都に行きましょう」の一点張りだった。この国の一般的なデビュー年である十六になっても社交界に出ず、十七になっても領地から一歩も出たことのなかった私は、あと半年とちょっとで成人の十八歳になろうというある日、いきなり帝都に強制連行されることが決まってしまった。
父は「パパも一緒に行く!」とやはり泣いていたが、この時丁度、鳥の疫病が流行り出していてその対応の為に領地から出ていけなかった。母はドライで「楽しんでくればいいでしょう。もう一年もせずに成人なんですから、一人で行ってきなさい。これも人生経験です。困ったことがあれば遠戚のテゾーロ侯爵が助けてくれますから、下手なことをしなければいいだけです」とまるで隣町にお使いにでも行かせる程度の気軽さだ。弟は弟で「姉さんが帝都に? じゃあ、お土産よろしく。あとまあ、気をつけて」なんてちゃっかりしているんだか寂しがっているんだか分からない挨拶をくれた。それらは全て私が領地にすぐ戻る前提の言葉だった。けれど、そうはならなかった。
馬車に乗った時点でぺしょぺしょとホームシックになる私に、先生たちはいかに帝都が楽しく華やかな所かを語ってくれた。全然そそられなかったが、あまりにも先生たちが必死に慰めてくれるのでなんとか気分を立て直し、転移魔法を所々使いながら三日もかけて帝都に着いたのだ。そこで私は様々な検査を受け、教会に行き、学校に行き、最後には帝国城に連れて行かれた。
「あのぅ、テゾーロのおじ様、わたくしは一体どうすれば……?」
「心配しなくていい。陛下のお相手は私がする。エマは聞かれて、分かることだけを答えなさい。答えられなければ私を見ればいい。そうすれば私がどうにかするから大丈夫だ。だから、そんなに緊張をするな」
「うぅ、はい……」
この時にはもう遠戚のテゾーロ侯爵が正式に私の後見をしてくれており、皇帝陛下への謁見の際にも一緒に来てくれた。侯爵は父と仲がよかったこともあり、よく子爵領に遊びにきてくれていたから私からすれば本当にただの縁戚の優しいおじさんだったので非常に心強かった。けれど謁見時のことは、あまり覚えていない。あまりにも緊張して、いつ心臓が飛び出てしまうかずっとひやひやしていた。ただ、これだけは忘れられない。
「ははは、緊張しいのファルファラの娘よ、聞け」
「は、はい、陛下……っ」
「急に魔力量が増加する子どもというものは過去にもいた。お前だけではない。だからこそお前のそれは病でも呪いでもない、正しく祝福である。分かるな?」
「はい」
「そしてその祝福は、帝国の為に使われるべきだ。お前も貴族の血を引く者なら、それも分かっているな」
「はい、勿論です、陛下」
「よし、よい返事だ。であるから、お前はこれからテゾーロの娘となり帝都で結婚をしなさい」
「は……」
「話は以上だ。アルフィ・テゾーロ、よい縁を整えるように」
「承知いたしました、陛下」
え? という音を漏らさなかった私は、本当によくやった。皇帝陛下にものを聞き返すなど、場合によっては死罪ものだ。テゾーロ侯爵が返事をし、私たちはそのまま謁見の間から出て行った。……そして、今に至る。だって皇帝陛下の御命令である。逆らうなんてあり得なければ、遅れることも間違うことも許されない。私はその日の内にテゾーロ侯爵家の養子となった。
そうして私はファルファラ子爵令嬢からテゾーロ侯爵令嬢になり、帝都での婚活が始まったのである。訳が分からなすぎて、もう笑うしかなかった。
―――
父からの支離滅裂な手紙を解読したり侯爵令嬢としての作法の学び直しをしたり、帝都での常識を叩き込んだり交友関係を頑張って広げてみたりしていれば、戸惑っている時間などまったくなかった。やることが多すぎた。
いくら陛下からの命令であるとはいえ急なことであったのに、テゾーロ侯爵夫妻は私にとてもよくしてくれた。義父となる侯爵は私がホームシックを拗らせないように定期的に子爵領の話を教えてくれたり絵を買ってきてくれ、義母となる侯爵夫人は「女の子にしかできないことがしたかったのよ」とドレスや小物をたくさん買ってくれる。……申し訳ない程の厚遇だった。
ちなみに侯爵夫妻の二人の子息たちは私より十歳と八歳年上で、二人とももう結婚をしている。跡継ぎである第一子グレイソンは侯爵領の統治をしており、第二子であるマテオは伯爵家に婿入りしこちらも伯爵領の領地経営を任されていた。つまり二人とも本来帝都にはいないのであるが、私が養子になったと聞いて飛んで帰ってきたのだ。
再会するまでは「お前のような田舎者は侯爵家に相応しくない」とでも言われるのかとびくびくしていたが、久しぶりに会った二人は子どもの頃のままの笑顔で「本当に僕たちの妹になったのか、エマ!」と喜んでいた。確かに昔はよく遊んでくれた二人だ。
おしとやかに育てたがっていた私の母の目を盗んで乗馬を教えてくれたり森での歩き方を教えてくれたり、なんなら簡単なモンスターの倒し方も習った。魔法を使って湖の上を歩く方法を教えてくれたのも彼らで、その時にちょっと溺れかけたりもしたけれど今では鉄板の笑い話である。私からすればこの二人は、親に隠れてちょっと悪いことを教えてくれる親戚の楽しいお兄さんだったことを思い出した。
その時分に「エマが妹だったらなあ」と言われていたが、あれはそこそこ本気だったのかと少し驚いた。一緒にやってきていた二人の夫人も「まさか義妹ができるなんて」と好感触だ。本当に助かった。
思ったよりもテゾーロ侯爵家に歓迎をされた私であるが、陛下の命令には続きがある。むしろおそらくこれが本命なのだが、それが「帝都での結婚」なのだ。しかしいくら名門テゾーロ侯爵家の養女であっても、田舎くささとどんくささが抜けきれない内は良縁に恵まれるのは難しいだろう。陛下の命令の件もありそれなりに縁談は来ているそうだが、義父は独自の伝手を使いもっとよい縁を探すと意気込んでいる。だから私は死に物狂いで勉強した。期待に応えたいというプラスの感情もあったが、そうしなければならないと強迫観念にも駆られていたのかもしれない。そのくらい、私は陛下が怖かった。目力というかオーラというか、思い出すだに恐ろしい。
子爵家の父母に手紙を出したり弟に帝都の流行りのお菓子を送ったりしていると郷愁を感じざるをえない。ああ、私ののんびり満喫生活は終わりを迎えてしまったのだろうか。馬に乗りたいし犬と散歩に行きたいし猫も吸いたい。新鮮な牛乳で作ったアイスととれたて卵のオムレツも食べたい。……でも、陛下がものすごく怖いからやるしかないのだ。死にたくはなかった。
そうやって一生懸命帝都で生きていた私だったが、ある日急に皇太子殿下からお手紙が届き、冒頭に戻るのだ。
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文章内の耳かきはファンタジーです。実際に行う際は、お医者さんの指示に必ず従ってください。




