第04話:私メリーさん今女神の間にいるの
― ある少女の追憶 ―
……みんな死んでしまった。
……私を残して。
……忌火も消えた。
……私を置き去りにして。
……私に罪だけを残して。
私はどうしたらいいのだろう?
これ以上生きている意味などあるのだろうか。
……楽しそうな笑い声が聞こえる。
私が笑っている?
違う、私はもう笑えない……
友達? 家族?
違う、みんな死んでしまった……
ルリ?
違う、ルリは寝ている。
……この声、知ってる。
そうだ、あのとき聞こえた声だ。
ああ、そうか……幻聴じゃなかったのか。
私を笑っていたのか……
父さんの死が、そんなにおかしいか。
母さんの死が、そんなにおかしいか。
先生の死が、みんなの死が、そんなにおかしいか。
私がそんなに滑稽か。
いいだろう。ならば今度は私の番だ。
お前たちを殺してやる。その死体を踏みつけ今度は私が笑ってやる。
私には罪がある。その償いは……私の人生は……全てをお前たちにくれてやる。
私は教会へ向かって歩き出す。眠っているルリたちの横を静かに通り過ぎ、先生の書斎へと入る。
机の2段目、二重底になっていることを私は知っていた。
先生の手帳には初代聖女についての記述が残されていた。私はその手帳と用意されていた荷物を手に取り、一人で教会を後にした。
一度だけ振り返る。ルリ、ダルおじさん、ニールさん、タリアさん。ごめんなさい……さようなら。
私はいつものようにアルナプルナ大聖堂の図書庫で、古い史書の頁をめくっていた。
普段は聖術や傷、病、毒など、ヒールに関する図柄入りの資料や、書物ばかり読んでいる。だが今日は気分転換に、初代聖女の記事を開いてみた……という体裁だ。
「これより受ける聖女の癒しは、戦場の死より苛烈苛烈になろう。されど導きの光は共にある。ニト様のため恐れるものは何も無い」
これは、幾多の戦場を駆け抜け、幾多のエルフと刃を交えた勇猛な戦士ルドウイークが、聖女の待つ神殿へ向かう際に残したとされる言葉だ。
英雄らしい言葉ではあるが、どこか作為めいている。あまりに美しく纏まりすぎていて、まるで歌劇や吟遊詩人のために脚色された台詞のようだ。
本の前で難しい顔をしていたら、司書のお爺さんが笑いながら、かなり古い未整理の文書を見せてくれた。
これは……今読んでいる書の下書きだろうか? いや、下書きの前の覚書といった方がいいだろう。
興味深いのは、脚色の過程が書かれていたことだ。当時の戦果、実際に述べた言葉、周りからの印象、それらから自然な言葉へと置き換えていく過程だ。
そして当然、元の言葉も書かれている。
「やだー! ヒールやだー! うわ~ん!!」
なるほど得心がいった。英雄は記録の中でさえ英雄を望まれる。
『ニトの首飾り』の名も、そのあたりの事情から生まれたに違いない。脚色を取り除けば、『聖女が怖いから聖石封じ込めますの壁』だろうか。
禁忌もおそらく後付けだ。しかし、こちらは本心も混じっているのだと思う。死の痛みはあれど聖女が一方的に味方すれば、国の拮抗は崩れ、均衡など保てなくなる。
故に私は、聖女になったときには平等に接するつもりだ。私の相手は、人の敵すべてなのだから……
気になるのは初代の聖女、聖女ニアベル様だ。いえ、聖女にベルを付けるのはニト教の風習なので、聖女ニア様と呼ぶのが正しい。
彼女も同じように悲鳴が聞こえたという。逆ですね。だから私は聖女を目指した。では、あの笑い声も……?
ニア様は、ニト様に仕えた巫女の一族であったという。戦争末期、ニト勢はライプニャーナに追い詰められていた。
彼女は自らの意志で、少数の精鋭と共に当時魔族が占拠していたアルナプルナへ忍び込み、聖石を得て帰ってきた。
だが、ニト様が自ら封じられるのを見届けたあと、記録はぷっつりと途絶えている。彼女自身が書いたとされる書物も、ひとつとして残っていない。
大聖堂に入って驚いたのは、聖石のことが隠されていなかったことと、聖女聖術の研究が禁じられていたことだ。
けれど、ノイマン先生の主題はニア様、いえ、ニア様のみ使えた聖女聖術だった。先生は一体何を研究していたのだろうか? そして何者だったのでしょう?
* * *
ライラが聖女のヒールに倒れたとき、少し遅れて到着したマリアはオリビアを追い出し、その背中で女神像の部屋を塞いでいた。
「開けて! 開けてください! シスター・マリア!! 私も一緒に戦います!」
扉を叩きながらオリビアは懇願する。聖女という恐怖に立ち向かうために。
「だめだ! オリビア、おまえは逃げろ! ここは私が1秒でも長く耐えるから! 早く!」
「いやです! 私も一緒に戦います! 死ぬときは一緒です!」
死にません。むしろ健康になります。
「行け! 行ってマザー・ロレッタを連れて来てくれ! 早く!!」
「うぅ! すぐに戻りますから! それまで死んじゃダメですよ!」
死にません。むしろ健康になります。
「マザー・ロレッタ……オリビアを頼んだぜ」
「とてもすばらしい同僚愛ですね。シスター・マリア」
メリーは微笑んでいた。長年の憑き物でも落ちたような晴れやかな表情で。
マリアは背中に体重をかけながら、震える足でなんとか立ち上がる。
「ここは死んでも通さないぜメリー。いいや、聖女メリー!」
だから死にません。とても、とても健康になります……肉体は。
「ニト教では、聖女になった時に『ベル』の名を与えるのでしょう。では、聖女メリーベルなのでは?」
「覚えていねえよ」
「そうですか。まあ、急に呼び方を変えるのも難しいでしょう。今まで通り、メリーでいいですよ」
強気な態度を見せるマリアにメリーは慈悲深い笑みを浮かべる。それはとても美しい笑顔だった。
しかし、その笑顔に見惚れる時間は与えられない。
瞬きの間に距離を詰め、メリーはマリアへと腕を伸ばす。その笑顔からは慈悲が消え、代わりに狂気を孕んでいた。
だが、マリアも超人的な反射速度でメリーの腕を掴む。
左右から手を広げマリアの頭を鷲掴みにしようとするメリーと、その腕を掴みそれを拒むマリア。
「ヒールは手からしかできない。そうだろ? 聖女」
「メリーでいいですよ。ただし『様』はつけなさい。女神に選ばれた神の化身ですよ」
「はっ、さまはつけないが、ざまあはつけてやるよ!」
軽口をたたきながらもマリアは劣勢に立たされていた。
(くそっ……腕が)
かつて騎士だった頃なら、この程度で押し負けることはなかった。だが、あの事件で毒を飲まされて以来、腕に思うように力が入らない。
それでもメリーの力に拮抗できているのは、常人離れした身体強化の聖術のおかげだった。
「その腕……くくく、いいですね。あなたみたいな人がこんな辺鄙な場所でシスターをしているのが不思議でしたが……なるほど、納得しました」
メリーが楽しげに目を細める。
「傷……いえ毒ですね。大丈夫ですよ。すぐに癒して差し上げます」
メリーはさらに力を込める。手と頭の隙間が、じわじわと狭くなっていく。揺らぎひとつで潰れそうなほどに。
直前まで迫る癒死の恐怖に、マリアの頬を汗が伝う。だが、迫っているのは、紛れもない癒しだった。
「なぜ聖女になった!? 聖女がどんなものか、知らないわけではないだろう!」
「はい。よく知っていますよ。癒しの代償として地獄の苦しみを与える。そして、みんなに嫌われる。でしょう?」
メリーの表情は変わらない。いや、微笑すら浮かべている。
「知っているならなぜなった!? 人を癒したいなら治療師になれ!」
「それでは病や傷の悲鳴が聞こえないじゃないですか」
「……おまえはいったい何を言っているんだ?」
「理解しなくていいですよ。私も理解してもらうつもりはありません。さぁ、諦めて癒されなさい」
「私は……絶対に諦めない、あ・き・ら・め・てたまるかーーー!」
悲鳴にも似た叫びとともに、マリアは聖力を爆発させ、メリーの腕を強引にこじ開ける。
しかしその瞬間、メリーは意図的に力を抜き、まるで彼女の動きを予測していたかのように、同じ方向へ腕を広げた。
結果、お互いの力がすれ違い、マリアはつかんでいたメリーの腕を自ら手放してしまう。
「えっ……?」
呆然とするマリア、正面にあるメリーの口角がゆっくりと吊り上がっていく。
下から回すように腕を差し込み、マリアの頬をがっちりと挟み込む。
限界まで見開かれるマリアの瞳。その視線の先で、メリーはいたずらを成功させた子供のように笑っていた。
「つーかまーえた♪」
崩れ落ちるマリアの横で、狂ったような笑い声が響いた。
「ヒャハハハハハハハハハハハ!」
……つかまえた。
私はお前たちをつかまえた。




