第三話:『順位制』を伴って拡大する闘争領域内部に於けるひとつの『除外属性』〔教室一〕
六時限目後、七時限目前の休み時間——次の授業は数学。
数学、きつい。すごくきつい。教科書の文字を目に入れるだけできつい。
俺が理系有利のこの世界で何故態々文系なんかを志望したのか?それが分かれば俺の数学の能力なんて直ぐ知れる。
ソリャア数学が極端に苦手だからだ!!
数弱の俺は、数学の問題を解こうと考えれば授業中五度は頭が痛くなるし(然し頭を痛めて考えても半分は間違える)、かといって無駄な抵抗をやめて先生の話を聞く為に少し気を抜けば、それだけで眠りに落ち‥‥「ガタン!」と椅子から転げ落ちる。
俺は今月だけで三回はこれをやった。今月といっても始業式が始まって未だそこ迄経って居ない時期にもうコレだ。
‥‥恥づかしいかって?そんな気持ちは一切無い。椅子から落ちる事自体であれば今更ぼっちの俺は人の目等(そんなに)気にはならない。
ともかく、そんな俺が居る教室の様子は——解いて来た予習問題を、名簿順であたった当番として、授業が始まる前に書き込まねばならん哀しむべき人を除いて‥‥人々は相も変わらず机に身を乗り出したり、主人の不在を良い事にその空いた他人の席に座ったり、或いは自席に座りながら後ろや横の人たちの方へ身体を向けたりして、思い思いにクッチャベッて居る。当然、友達〇人のぼっちの俺に話し掛けて来る人間等ひとりも居らない。
こんな楽しげな学級の人々の声が、俺の耳には好き勝手に祭り囃子が鳴り響いて居る様に聞こえて、これは最早騒音に近しい。
集団のキイキイ音に痛む右耳を、頬杖付いて押さえつつ‥‥煩わしい、最も音を発して居る所を、俺のぼっち特有の無表情で覗き見れば、そこに在ったのは真中央の席からやや廊下側に向かって広がる人の塊。集団としては六人か七人程度であろうと思う。休み時間が半ばを過ぎ、教室内での彼らの五月蠅さは一層増しつつあった。
これぢゃあ人々は、身を寄せ合ってひしめくサルかツルか畜生かと同等ぢゃ無いか。
ここはサル山か?それとも畜生教室だったか?否、高校二年、数え年一八歳にもなる殆ど大人の人たち、で占められて居る集団だ。
人間の学生も、こういう自分たち以外の事には目もくれずキャアキャア騒ぎ立てて居るという点では畜生と性根は同じだ。勿の論、同じ教室に居る俺も、その「人間の学生」の中に入って居る訳だが‥‥。
時に動物らしさを隠そうともしない人間という生物。
そんなひとばかりで構成されて居るこの我が学級二年一組の教室——ひとつの小社会を見渡せば人の山、群れ、集団は幾つかの仲の良いグループ‥‥それと何人かの誉高き†独歩猶存の士†とに分かれて居る。
そういう「人間の学生」たちで占められた学級または学年という小社会はどの様に秩序立てられて居るか。
こうした学生たちの小社会を支配して居るのは‥‥当然——スクールカーストだ。
この忌々しいスクールカーストの空気感によって、どれだけの人々が痛み、苦しみ、悩み、暴力を受けて来た事か‥‥考えるだけで心が苛まれる。
カースト、サル山社会‥‥から今し方連想して思い付いた事だけども、丁度ふたつ前の生物の講義で、授業の進みを無視して読んだ生物資料集に載って居た話として、特定の動物(サルやニワトリ‥‥等)には、多数のそれら‥‥で構成された、個体集団、所謂群れに於いて見出される、生態——『順位制』という物があるらしい。そうして畜生の中にも秩序があるとの事だ。
その順位制とは——エサを始めとする資源の分配や、冬季のサル団子の中でより温かい場所にするか冷たい場所にするか‥‥そういったことが起こる度にイチイチ争って居ては仕方無いので、どうせならそれぞれの個体の「力」の優劣等を以て、最初から上下関係を分けてやろう、社会の中で出会ったら各々の順位の上下を確認しよう、という事だと俺は理解して居る。
その事を初めて知ったので良く分からんし、数分図を見ただけだけど‥‥。
特に理由の無い理不尽な暴力が下位者のサルやニワトリたちを襲う!
でもこの順位制、何処かスクールカーストにニテや居ないだろうか?
では、下らない事にむやみにヒトに当て嵌めて思考して見よう。サルやニワトリの順位制の如く、この学生社会——ある程度プリミティヴなヒトの集団に於いて重視され、また支配秩序を作り出す「力」とは何だろうか。
それは、——どれだけ全ての人に好ましい思いをさせられるか、言い換えればどれぐらいその集団の成員の感情に即応して居られるか——である。
つまり各々の「好悪の感情によって形成される、〈善悪尊卑の規範〉に即する事の出来る能力」がその「力」に相当する。
これによって形成されたヒトの秩序、その中に於いて救い様の無いぼっちの俺が数え切れない程何年も連続して受けて来た物は、半端無く地獄的理不尽さを有して居た。
理不尽で暴力的、サルやニワトリの様に——動物の生態、順位制の如く、「力」か何かの優劣によって感情的に階層秩序を立てさせられる、人間々々。
大抵下位者の苦痛を何とも思わない、連想もしないさもしい「感情による規範」。そしてそれは大概女性達の感覚に基づく価値観に従って押し付けられて居るのだ。恐らく。
想い起こして見れば良い。スクールカーストトップの人間たちの姿を‥‥。思い浮かべる典型的な彼らの姿は、「溌剌・活発」とした「良いセンス」の「面白い」「見目の好ましい」人たちであろう。そうかな‥‥?‥‥‥‥そうだよね?
で、それが「誰の視点」に基づいて「好ましい」と判断されるかといえば‥‥純に男性のそれによる面も僅かに一部はあるかもしれないが‥‥恐らくその多くは「広く女性の視線」に基づいて、である。多分。
女性たちによって主体的に、或いはカレラの有毒な価値観に大いに影響された男性たちの視線によって、この「好ましい」「善悪美醜尊卑」の『感情による規範』が然と確立されて居る。
色々解って居るとは思うが‥‥女性という人間たちには他人への「感情の」「強制力」がある。感情的な価値観の規範によって従わせる無形の力がある。カレラの他人に与える感情的印象と、それに基づいて形成される沢山の理屈によって。
カレラが連なって感覚的に同調し、「ワタシたちがそう感じれば」いとも簡単に白を黒と強弁し得て‥‥然もその不当な言い分が小社会、己が小社会にて通って仕舞う、という理不尽な事は小中学生の時から何度もあったでは無いか?
こうやって自分たちは‥‥むやみに虐げられて来たでは無いか!
‥‥ジブンたちは『自業自得』だと、『あらゆる性格、容姿、能力、道徳心、向上心、要素全てに於いて劣って居るのだ』と、『ウジウジして居るのだ』と、『誰でもやろうとすればすぐ変われるのにも関わらず何もしない愚図』であると‥‥「弱い」=「劣っている」存在は、すなわち絶対に「性格が卑劣」で、「異常な性癖」を持ち「性的に醜く」、「有害な加害者」であり、然もまったくの「無能」でありかつ永遠に「道徳の敗者」だと、そう言い渡されて、そしてそれは『世界にとって、社会にとって、人々にとって、妥当で正しい認識からなる行為だ』として、ああいう風にされて来たでは無いか!!
そして彼らの頭の中に印象として存在する、総じてこの「卑劣な弱者」たちへの自分たちの所業に、カレラは一切の罪悪感も抱かなかった。
大体女性という人間たちは肯定的な感覚印象を引っ提げて親の腹の中から出て来る。同じ文句を男性から言われるか女性から言われるか、また男女が同じ状況であってどちらがより「同情」されるか。そしてカレラ特有の睦み方による、どうしようもない程の「同調」の集団的押し付けの強さ。世の中の歪み。
如何に見ても女性という人間たちは、プリミティヴな小社会の中で秩序として優先される『感情による規範』に於いて特権的地位を得て居る。言うに言われん悍ましい理不尽な災害、災難を至る所で惹き起こして居る。カレラは自己をして、世の弥栄を妨害せしめて居る‥‥。言う迄も無くそれは学校の小社会ばかりの話でも無いが‥‥。浅ましき|ジノセントリズム《Gynocentrism》が社会に蔓延して居る‥‥。
もうこうなったら、明らかに面倒臭い方向に行き掛けて居るので、無駄な小社会に対する批判だけは止そう。
俺は、教室の真ん中でギャアギャア騒ぐ六、七人の集団に意識を戻した。
そうして‥‥その中で一番目立って見えたのは、そんな「女性による」「感情の規範」を何の気無しに——いや正当化の理屈だけは考える気が有る様だ——異なる性別でありながらすっかり心底内面化して仕舞った、徳と慈悲と「なにか」を頭に内蔵しない『彼』——カーストトップのイケメン男子。少し言い過ぎた気がするので取り敢えずやたら高評価して置くが、多分そのイケメンさたるや学年一だろう。俺には何が人の見た目として好ましいのか良く分からんけど。
で、そんな彼は今日も変わらず、この学年に上がる前から——というよりこの高校の——恐らく入学式の日からの付き合いであろう、いつもの変わらない友達の取り巻き女子生徒という人間四、五人達と話して居る。六、七人集団の残りは男子生徒。多分取り巻きの人間たちも容姿のレベルは高い。多分。多分‥‥。
俺は学級の人間関係を詳しく知らない為に、正確なメンバーが割り出せないが、恐らくこの塊に属して居るのはその位だと見る。
前後左右も顧みず騒ぐ、この有り得ない立ち振る舞いがクラスに許容されて居るのから見て取れば、彼らはほぼ、二年一組、この学級の|核心階級《〈所謂『陽キャ』グループ〉》に属して居ると言って良い。これは確実。間違い無い!
そんな俺の不情理な偏見はつゆ知らず、取り巻きの、複数の良く分からない女子生徒という人間たちに囲まれて絶賛学生生活を送って居る学年一のイケメン。
「ねえ、大津くん、次の数——」
イケメンの方を向いて、俺には個人を識別出来無い、ひとりの女子生徒という人間が、自分の数学の帳面を彼のイケメン男子に見せながらそう言った。
あのイケメンの名は大津か。大津‥‥大津‥‥よし、憶えた。どうせ一時間もしない内に忘れるのでこれに意味は無いが。生憎俺の特別製の頭脳は余程の事が無い限り、他人の顔と名前が憶えられん様に出来て居る。
俺はこれらの光景を、苦々しい、という訳でも無く現実感の無い眼で、まるであれらが別世界の存在かの様にぼんやりと見つめていた。
青春?
大凡人間の人生に於いて最も純なる恋愛が可能な時間?
友人または恋人たちと睦み合う、いとも尊い貴重な時期?
‥‥取り敢えずこの俺と同じく、青春、友人関係、恋愛関係の可能な時を彼らは過ごして居る。然しながら机に孤独に座る俺の姿と彼らの有り様を見れば判る事であるが、彼らと俺とでは何から何迄状況が違う。
この俺と六、七人ひとりひとりとをわかつ、この何ともならぬ現実は所謂『闘争領域の拡大』なんて者では無い。もっと致命的な『不具者』と『満足者』との差異だ。もっと言えば『不具者』と『満足者』との「限界」だ。
能力が無い俺、つまり不具者は一般人の規範上初めから『闘争領域』に「存在しない筈の存在」であるのだ。「存在しない存在」である筈なのに、不具者の悪い側面だけが、その領域に於いて露出させられ可視化せられて、その好悪の較差によって都合良く満足者を引き立たせたり或いは蔑まれたりひたすら弄ばされるだけの者としてのみ、存在が許されて居る。俺の様な者は都合悪くこの地位にこうやって押し込められて居る。そうして世のひとびとの倖いは理不尽に妨げられて居る。誰によって?——『 ひとびと』に因って。
俺はこれを何も無根拠の冤罪として言い立てて居る訳では無く、彼らが俺の様な「卑劣な」人間の話題を口にする時は、いつもこの様である。
休み時間に机に突っ伏して居る俺の耳に、こういう事が極偶に入って来る。
ここに於いて、俺らの様な人間は放り出された除外階級、卑劣な物体、除外属性である。むやみに使うべきで無い言葉だが、ある意味にて「アウトカースト」であるとも謂える。又た、「スゴくスペシャルな人間たち」とも謂える。色んな意味で一般ピープルとは違う。こんな俺らの様な人間には、二次元や「萌え」のコンテンツを除けば友情や恋愛等という物は全く無い。
致命的な程の人間関係・親密さの希薄。
俺という人間はひとと上手く話す事が出来無いし‥‥コミュニケーションに齟齬が生じまくる。だからこそ人間関係が形成れない。然し別に喋るのが尋常ならざるストレスだから、やたらとこういう人たちに話し掛けられて来ないだけそれでも良いが‥‥。
まあ、過去の経験とストレスに自って、正直言って恋愛や友人関係等を希求する脳の機能すら停止して仕舞って居るので、『そう』なって居るからといって何か俺がどうこうなる話でも無い。
「一切、関係が無い」。何とも無い。産まれて来てから何も。
言わずもがな、俺が基本的には女性という人間(等)に接触したがって居ないというのは、もう既に当たり前な事として判って居ただろう。
人々の押し付ける理不尽な「価値観」というドつぼタコつぼに嵌まって、大切な我を忘れて仕舞ってはならない。「命を喪う事」と「女性という人間(等)と関わる事」とが、大凡殆ど等価なだけだ。知った事では無い。さっき言った通り他の性別や属性との人間関係についてもそれに準じるリスクはある。
大体、女性という人間の顔もあまり識別する事が出来んし。アレラの周波数の高いつんざく声を聞いていると、場合によっては耳が苦しくなって軽く視界が歪み始めて辛いし‥‥。
まあ言って仕舞えば、××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××(規制)。
他にも言いたくても言えない事が山程ある。この様に、俺にとっては避けても客観的に十分問題が無い様にする為に、というかありとある問題を蒙らない為に、『カレラ』を始めとする人間たちは避けなければならない存在でしか無い。
そんな俺にとっちゃあ青春なんて生まれてこの方知った事では無い。友人どころか知り合いレベルの会話をする人間すらこの学校には居ない。それに俺は態々小中学校での人間関係から解脱する為にひとりだけこの高校に入った‥‥。
肯定的に俺の事を捉えれば、世の中にはこんな人も居るのだと‥‥そういう事が学べる、実に魂の学びになる本当に有意義な一生であると思う、とスピリチュアルに逃げて見た!
はあ‥‥。
一体どうしてこうなって仕舞ったのだろう‥‥。
こんなネガティヴな事でさえ平気で授業の合間の妄想として考える様になった俺。嘆きのひとつやふたつみっつよっついつつは言いたくなる。
先づ始めに俺は運動が余りにも出来無い。特に球技。俺の運動神経が悪いだけでは無い。他人の意図の解らない事が広汎に影響を及ぼした結果である。人間のやる事が一体何なのかが分からない。何が「適切な」コミュニケーションの条件なのかがわからない。人との関わりには隠された条件、脳の構造上俺には察知する事の出来無い条件が無数にあって、それに自分が何度も何度も違反して他人に嫌われて行く‥‥という事だけが理解出来る。
下手に人並みに正義感を持って居た為に、俺は苦悩して‥‥この事を悟った。
遅くとも小学校高学年迄には他人と意図してコミュニケーションをとる事が無くなった。つまり自らをして傍若無人にせしめた。そしてそれとほぼ同時に児童期特有の無邪気な万能感——人と話す事への根拠無き好感が消滅し、入れ代わりに無能者特有の痛苦、苦悩と無力感と絶望、焦燥、烈しい不安とが立ち現れる様になった。他人の視線がこちらを向けば、今すぐに罷るのでは無いかという程の恐怖と焦燥感に襲われる様になった。
無能者たる自己に出来る最大限の、人々への幸福に資する事というのは、可能な限り人々の目の前に現れず、そして喋らない事だと心得た。然し——そうしても尚他人の貫く俺への視線は一向におさまらなかった。
それどころか人と話さない事は「俺は『無能者』である」という事を示す明らかな目印となって仕舞った為に、益々俺は無能で性格の腐った、道徳心の劣った醜い人間である‥‥と皆なに思われる様になった。
ひととの間で適切な身の振り方が出来無いのは、俺が自分からそうなる様にして、「劣った人間」になって居るからだ‥‥こう扱われて、言うに言われん事を何年間、数えるのも厭になる位の間ズッとされて来た。
ああそうさ、精神は、不可逆的に歪んで不健全な物になったさ。心だけで無く身体もズタズタに切り刻んで今となっては数え切れぬ程傷痕たっぷりに傷つけたさ。それで本当に誰が見てもいよいよ醜くなって、『有害な存在となって』、だから俺を誰も助けない、目を向ける事さえも浅ましい事だと、その様な事は世に正当化されたさ。
『〈彼等は【気持ちが悪い】から〉』おぞましく有害で不快な存在だし、常に批判されて当然の存在だ』となったさ。
でもついに俺は誰も憎む事が出来無かった。ネガティヴに捉える事があってもそれだけは出来なかった。プリミティヴな赤子のやる事には憤りこそはしても、然し憎む事だけは出来ん様に人間の心というものは出来て居るから。出来る丈「その赤子たち」を良い方向、より栄えて行く方向へ導く様に‥‥そんな事を考えて実行するだけだ。
そんな赤子ら(勝手な決め付け)の六、七人。彼らは互いに自々を友達として皆なが皆な認識して居るのか。ぼっちの俺にはそんな下らない事が気になる。
『私たちは[友達]だもんね!ズーッと一緒だよ♪』
アニメなんかで偶に登場人物が発する様なセリフである。
創作の中では確かにそうかも知れない。ただ、そんな「我ら天に誓う。我ら生まれた日は違えど、死すときは同じ日・同じ時を願わん」といった事が、ホントに「友達」という人間関係であり得るのだろうか‥‥?
ぼっちの俺には分からない。そんな俺は度し難い人間かも知れないが‥‥。
‥‥だって考えて見れば良いぢゃん、俺が考えるには友達、と言う人間関係はひとの関係の中でも飛び抜けて下等で欠陥ある関係だ。
まるで三国志の様に、一旦は[友達]として人々が睦み合ったかと思えば互いに裏切り、傷つきあい、煩わせ合い、悪み合い、対立し合い、葛藤しあう。果ては関係を無残に崩しあう。尾を曳く禍根を残して。
趣味の昂じたビジネスライクなフレンドシップとかでも無い限りは殆ど絶対にそうだ。恋愛関係はもっとそうだ。
ぢゃあ、それが縦義理の物でも良いとして、はた親族関係はどうだろうか。
三国統一後の司馬氏の様に——家族内で争うなんて事は、何らかの稀な恋愛的思惑や権力、財産が絡まない限り殆ど無い[要出典]し、仮に希薄なものとなったとしても、一般的に、その関係は嫌でも続き、概念的には消滅しない。
一員を助け合う。扶け合う、救け合う。それが家族だ。それらを友人に対して出来るか?
抑々勝手に思うに、もともとヒトの人間関係は、親族の概念を敷衍したその延長線上に形成された物であって、先生と児童、師弟関係、君臣の関係、がその解り易い最たる物だ。これらは親と子の様な関係に相当する。当然その人間関係によっては姉妹兄弟に相当する様な事もある。
他にも義兄弟、義姉妹の関係等もあるが‥‥それからまたその親密さの度合いを数段劣化させて家族的忠孝扶養の美徳をグズグズにさせたのがこのいとも劣悪なる友人関係、或いはその他の知り合いの関係なのだ。
簡単に人を悪み、蔑み、利用し合い、嗤い合う、この薄汚い人と人との友達関係が、本質的に尊い筈が無いだろう。だからこそ、俺は、決して友達等は創らない。作れない。俺は創れない‥‥。
と、ともかく人間関係——友人にしろ、恋人にしろ、知り合いにしろ——それらは、心を不当に煩わせて苦しめ、そうして人に痛しき業を為る者にて最たる者である。
唯一そうで無いのは、あたたかな、対立せぬ家族の如き人間関係のみ。
ところで、『本物が欲しい』とか『欺瞞』だとか、こうしてうるさく友人関係だか恋人関係だかの中に本物を求めて居る‥‥そんな事をやって居るキャラクターが何かのアニメに居た様な気がするが、俺が思うにこの「本物の人間関係」というのは、親族関係の中にあり得るし、又そこにしかあり得ないのでは無いか?
親族関係にしか、嘘偽りの無い本物の関係は無い。親族関係程強固で基本な関係は無い。
畏くも我が君、若しくは一神教に於ける絶対的な唯一神、または拠り所とする尊い神々様や仏様、更に言えば師事する対象たる人間等への、献身的な忠孝、素直に帰順し奉る念は、さっきからの事として、元より父への親愛忠孝の念、母への慈愛孝養の念等を敷衍拡大応用したるものに過ぎぬ。だから、この理屈によればあらゆる人間関係のコピー元である親族の関係は、真に本物。
どんなものにも負けない本物とは親族関係のことである。ソースは古事記。「うがらまけじ」というでは無いか。
強いて友人関係に本物を求めるとすれば、この本物たる親族関係を敷衍拡大し、ある人間と相互に、自分たちを「同胞の家族である」と承認し、まるでその様に扱う事によって『本物』の人間関係、友人関係、あるいは恋愛関係が得られるであろう。『みなはらから』とはまこと尊いみおしえでは無いか?人類皆家族という概念等は、世を弥栄えさせるまこと尊い観念で無いか!!‥‥これはチョッと言い過ぎか‥‥?
場合によってはこうした『本物』の関係も存在する一方、学級の皆なは、自分からそうしてる事なのに、この苦しみからなんとしても逃れたいと思いながら稀薄で酷薄な人間関係の中に身を投じ、心身に痛苦を自分から纏わり付かせて勝手に悩んで居る。自分がこうするのは已むを得ず、関係を切るに切れないとして‥‥。‥‥いや、若しかしたらそうぢゃ無いかも知れんわ。さっきの言葉を断言するの止めとくわ。確信が無いわ。そこそこ已むを得ないかも知れんわ‥‥。
それはそれとしてこうなるのも仕方の無い事だ。ミミズは土の中にいるのが幸せで、イワシは大勢で泳ぐのが幸せ、そしてシラミは人にしがみつくのが幸せだ。それは今生の身体に与えられた課題だ。神に、なるように作られた自分たちはその神の設計図通りに生きるしかないんだ。
生きて居て自分の限界に突き当たらぬ限り余り意識されない様であるが、人間は、肉体と精神と機会と知能により拘束されていて、それの動ける通りにしか行動出来無い。各々の魂、各自の修得度合いに分かれつつ、相応しい形に愛と徳性と経験と知性と悟性、そして嬉びの度合いを深めて行く。
仮にそうでないのであれば無意味に人と人との間に無理解なぞ生じる筈が無いのである。俺はそう思いたい。ぢゃ無いと俺はイヤだ!何だったんだ俺の小中学校でのアレは!
でも‥‥こうしてやや賢しら振った言語不明瞭・意味不明瞭な良く分からない真実?物事の本質?を言葉として普通の他人とは違う形で捉えられるのも、俺がぼっちでかつコミュニケーション能力が相対的に低いからである。この様な友人関係、物事の本質、真理が、より本質に近い形で俺の前に立ち現れて居るからこそこれを理解して居る。
そして俺の感得したその「人間関係の要諦、真実、本質」は、あのクラスの仲の良い(様に見える)コミュ力——最近の言葉で謂う所の『(正しい)人間力』——の高い六、七人の集団の中であっても、必ず通底して居る。俺のこれと、彼等のそれとは完く共通して居る。
そうだよ。真実だよ。コミュ障ぼっちの俺にとっての真理だよ。本質だよ。俺の見出した真実は何もひとつだけでも無い。
忘れ得ない真理といったら‥‥「二次元が至高であって三次元(女性とこの世)がゴミだ」と言うのは理論的にもサンザ説明され尽くされてきた一般的な道理ぢゃんか。コレは真理であって何かの性向でも無い。人間に普遍的に宿る真実であって特定の人にしか無い性質では無い。
頻りに三次元の優越性を捲し立て押し付ける人間は、『物事の本質』を理解できて居ない。分かるか。証明された真実なんだよ!絶対、あのロクシチニン集団たちは三次元こそ素晴らしいとか言って来る‥‥(勝手な被害妄想)。
休み時間も残り二分を切ったので、あれ程うるさかった彼らも自分の席に着き始めた。
‥‥ところで、今更ながらの話になる。若しかすると不自然に思ったかも知れないが、何故あの六、七人連中は、入学式——つまり一年生の初めからの仲である筈なのに、こうして学年が上がった二年の四月になっても固まって同じ学級に居るのか?
彼らは運が良かったからでは無い。この学校には、(余り)学年毎のクラス替えという概念が存在しないからである。もう一度言う。殆ど、クラス替えという概念が存在しない偏屈な学校だからである。
正確には一年の内から——|特別習熟度クラス《所謂特クラ(学力上位学級)》も含めて——文理の学級で分かれる。で、学年が上がっても、学級の人間関係が変わらない様に、かなりの程度で基本的に前年と同じ学級の人間で固める様に調整される。更に、学年別のフロアーも、それぞれ入学した一年生の時から固定、となって居る為、基本的に各々が最初に入ったクラス教室から、動く事は殆ど無い。
学年が上がる時に志望先が変わったとか、学力評価の変動とかで——ひとクラス三人とかそれ位の転属移動があるが、それでも基本的にほぼ同じクラス、およそ同じ成員、ズッと引き継がれる人間関係。恐らく卒業しても。
この出会ってひと月の関係が三年以上引き続く事が、俺の様な傍若無人な絶望系ぼっちにどういうイベントを引き起こすか。そう——
限界迄間延びして居る、いまいち興味を惹かないのに流れ続ける異国の音楽の様な妄想の流れ。それをちょん切る様にここで七時限目の始まりを知らす絶望のチャイムが鳴った。
‥‥絶望だ。
数学だ。
俺は観念して教科書と帳面を開く。
前を見れば、当番の人が解いて来た数学の途中式と答えで、黒板のスペースの半分は埋め尽くされて居た。
多分‥‥直感的な物だが、かれ——あの"イケメン"と話して居た女子生徒という人間——の解答は、今俺の手元にある問題集の、似た様な問題と比べれば——恐らく解き方も答えも合って居るものと思われる。俺はこの予習としてやって来た問題の自分の解答と、前の黒板に書かれた——女子生徒という人間の解答とを照らし合わせた。
‥‥やはり俺は、何から何迄間違えて居た。
やっぱ、きついなぁ‥‥。




