表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/15

第一一話:地下監獄〈かんごく〉のやみに現れたヒカリ*〔泥中の華〕

 片峠が出て行ってから、一瞬の事だった。


 サクラという女子生徒——(こう)(らい)(ばし)(さくら)——は、ぼっちの男子生徒——(かた)(とうげ)(すすむ)——の一連の姿を見て、深刻な程に‥‥かれは息が詰まる様な(しょう)(そう)感を抱えて居て、恐らくその為に‥‥発作を抑える為に、ひとりになれる空間に逃げ込もうとして居るのだ‥‥という事を察知した。(なん)と無く勘付いた。‥‥自身(おのれ)もその様な事を数え切れぬ程起こして()り、かれと同じ様な事を(いく)()と無く繰り返して居たからである。だからこそ——これ(ほど)(まで)に早く直覚した。

 

 ‥‥‥‥。

 ————。


 彼女の胸中には、何とも知れない気持ちが、(いく)(ばく)かの焦りと不安を(ともな)いながら、湧き起こって来た。自分でも不思議だった。そうして「かれの事を助けなければ、ならない‥‥そうしないと‥‥!」と思った途端、勝手に身体が——口が動いた。


 彼女は()弁当の()(はし)を置いて、座って居た席から立ち上がった。


「わたしも‥‥ちょっとトイレに行って来る」


 ——そうして()弁当箱の(ふた)も閉めずに、足早に教室の()(いり)(ぐち)に駆けて行ったのは‥‥共に、近くに座る仲間の女子生徒から、サクラと呼ばれたひとりの人間であった。


 彼女は、仲間の女子生徒の返事を待つ事無く、遮二無二、かれを追う様にして教室を抜け出して行った。

 かれが駆けて遠ざかって行く‥‥。

 その音は廊下の暗い窓の外、走り去り()(あま)(あし)に、やがて段々淡々と()き消されて行った。


 特に何も、サクラに言う事が無かったふたりは、彼女を引き止める事もせず、少しの間駆けて行く女子生徒を目で追うだけである。()(なぜ)サクラが出て行ったのかは流石(さすが)(おお)(よそ)察知が付く事であったが、彼女らは、ワザとらしく()()にも「何事か?!」とでも言う風に顔を見合わせた。


 ‥‥少し()って、走る音がしなくなる程サクラが離れると、それを()(はか)らったかの様に


「何をしに行くのでしょうねぇ‥‥」


 (れい)(じょう)(ぜん)としたひとりの女子生徒——(かい)(どう)(むつ)()は気圧の低い、か細い声でそう断言した。


「え?う〜ん‥‥」


 旋毛(つむじ)のアホ毛をピョンピョンさせて考え込む振りだけして、何も考えて居ない、かのギムリと呼ばれたちっこくて丸っこい女子生徒——(そら)()(ぎん)()であった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 この世の〈ヒカリ〉よ!()しあるのなら、どうか俺を救ってくれ‥‥!どうか救ってくれ!

 救いは無いのか?救いは来ないのか‥‥?生きて居ても‥‥俺は(たとえ)倫理的に生きて居ても‥‥一生、ズッと(むく)われる事が無いのか?‥‥無い。恐らくそうだ。


 倫理的に生きて居ても、ズンズン‥‥俺にはどうにも出来無い‥‥周りから圧し付けられる負担(苦しみ)が増すだけだ。この先、俺にはシぬしか救いの方途(みち)が無い。


 イキグルシさ‥‥それが余りに強い(ゆえ)身体(からだ)が必死になって強迫的に繰り返す、引き()った呼吸は、一向に(おさ)まる気配は無く‥‥()()(まで)も続く。


 それどころか、暗い教材置き場の部屋の中で(うずくま)る一方であるのが、俺にイキグルシさだけを集中して意識する様にならしめた。


 イキグルシサ——(セッ)(パク)(しょう)(そう)(フン)(ゲキ)(きょう)()


 今にでもシぬのでは無いか——とさえ思う、処理出来る量を溢れた頭の中の感情‥‥。これに()って、身体が勝手にわれの知らぬやり方で動き出さんとする。精神が()(タン)を来たし掛けて居る。それを何とか抑えようと‥‥食い止めようと‥‥頭の中だけに何とか(とど)めようと‥‥。


 俺はブレーキの効かぬまま斜めった坂を転げ落ちる車を運転して居る様な、絶体絶命の状況とさえ感じて居た‥‥高校二年生の俺は車を運転するどころか免許も取ってや居ないが。

 止まらない勢いの車を何とかして収める為には、(みづか)ら壁に向かって激突するか、車体ごと近くの川に落ち込む(ぐらい)しか無い、つまり自分で自分を終わらせるか‥‥或いは酷く傷付けるしか考えられぬ状況に陥ってしまった。後で冷静になって見ればもっと良い方法が浮かぶかも知れないが、今はこれをするしか無い。必死になってジショウ(コーピング)による対処の(すべ)を実行するしか無いんだ‥‥それも、より酷いやつを。‥‥その思いに頭が支配された。


 ——病的な速さで繰り返す呼吸をする俺は、(つい)に首の脈に指と爪を立てて、それを始めようとした‥‥その瞬間であった‥‥。



 ——扉を優しく静かに開けて素早く入る者が居た。

 穏やかに扉を閉める前に差した光に、黒い制服姿の女子を見た。



 制服、強烈な香りはしない。甘く(ただよ)う優しい髪の匂い。この匂いを俺は知って居る。‥‥こう、らい、ばし‥‥(こう)(らい)(ばし)だ。


 どこか遠くに砕け散って行って仕舞って、実際には俺の(ソバ)にはマッタク存在しないだけに‥‥やたらと俺の目に大きく映って魅了する、モノの(きょ)(ぞう)の様な‥‥「 ゼッタイ『救援(たす)けられたい』。そうなる筈だ!」という、俺が()て居る‥‥切実にヒカリ輝く大きな希望。それに(すが)りたくて、彼女は自分の事を助けに来たのだ、と怯えながら心の底から信じた。その通りであった。

 

「大丈夫片峠くん?!‥‥‥‥もう大丈夫。もう大丈夫ですから‥‥私がいますから‥‥安心していいですから‥‥」


 ——切実に求めても永久に救いの来なかった俺には、われを確実に救うてくれる‥‥助けを、救いを(もたら)しに来た彼女を‥‥逆光天使を‥‥()()(こう)から(あらわ)れたる、飛天や聖女、観音様の御姿かと、()(まご)うた。身から(すが)りたい気持ちになった。


 そうして‥‥おづおづとしながらも()(さま)俺と肩が()れる(まで)(そば)近くに来た高麗橋は‥‥それから何も言わず、俺の背中を‥‥()()(まで)もほんわかな感触がする‥‥彼女の右腕と、その(てのひら)()て優しく抱え込む様にして、穏やかにさすり始めた。


 自分の過呼吸と(おさま)らぬ()(えつ)。それを(いだ)き込み、寄り添い、穏やかに(しづ)めんとする高麗橋。

 (しん)(ぢゅう)に、様々な感情が次々に()き起こって(おそ)って来た。

 ——(ほとん)ど全て強烈な初めての感情だった。それらは女性に包まれる恐怖なんかよりもよっぽど強く、それを(ちょう)(えつ)して居る。全ての(けが)れを押し流して()み込む(おお)(なみ)の様な‥‥大き過ぎて、俺には処理し切れない、胸の奥に流れ込んで行く感情。


 彼女は(ささや)く。

 耳元で優しく、心から語り掛ける様な声で‥‥

 震える我が子を安心させる様な声で‥‥


「ごめんね、大丈夫。大丈夫ですから。クラスメイトは家族ですから、心配しないで。あなたは大丈夫ですから。私がどんな時でも助けてあげますから‥‥大丈夫。大丈夫ですよ‥‥」


 声のあたたかさ‥‥。

 聴覚が過敏なのがデメリットでも無く、(かえ)って耳元で(ささや)く高麗橋の声を‥‥脳髄(あたま)の中に幻惑の様に響かせて、()()(まで)も反響させて行く‥‥。

 ‥‥ただ聴こえる声の事以外は、何もかも、()()かへと()(さん)した。


 無邪気な子どもがへなへなと地面に座り込んで居る時の様に、俺は何も考えられなかった。俺の中には‥‥(こう)(らい)(ばし)の優しく(ささや)く子守唄の(ごと)き声の()と、(なに)か聖なる存在が(いだ)した様に感じられる言葉の内容と、息遣い、体の(ぬく)もりと、全身の肌で感じられる、彼女(ひと)の肉と骨格の、柔らかくも強さのあるしなやかでたおやかな感触‥‥その感覚しか無かった。

 俺は不意に身を任せ切って仕舞って居た。一切を彼女に(ゆだ)ね切って居た。無制限に響く『声』の正しさに、心の底から(がへん)ぜずには居られなく‥‥なって‥‥。自分の本質存在をやさしく抱きとめる(しん)(にょ)の様な声に、ひたすら(じゅん)(ぼく)に‥‥従おうという気持ちに、心が満たされて居た。気付けば、あれ(ほど)(はや)く反復して居た息が、落ち着き始めて居た。


 高麗橋の声が胸の奥にまで入り込んで、心に染み込んで精神と一体化してしまった様にさえ今感じて居る。そうして敏感な上ストレスに硬変した俺の心の中を——彼女が解きほぐして、不可逆的に(あらた)しく作り変えて行って居る様にさえ思えた。

「——————————」

「——————」

 ————。


 気付けば、俺は高麗橋の胸の中で泣いて居た。

 今になって初めて気が付いた。俺が自分からそうしたのか‥‥或いは彼女が引き寄せてくれたのかも‥‥わからぬ。わからぬが、優しく動く心臓の音。()(ぢか)に‥‥人の温かく湿(しめ)った(いき)(づか)いを感じる。

 彼女が息を吸ったり吐いたりするのに合わせて穏やかに‥‥そして優しく波の様に引いては寄せて行く、俺を抱き止める肩と胸の動き。(うづ)もって‥‥それに一番押された時の、息が出来無い温かさに包まれる安心感。——これが何よりも切実に欲しかった。して欲しかった。胸の中に(いだ)かれて頭も背も優しく撫でて欲しかった。今‥‥信じられなくとも俺はそうされて居た。()()(まで)も救って、受け入れてくれる人間に、初めて心身全てが包まれて‥‥やっと俺は落ち着きを取り戻した。


 俺は、(いだ)かれながら、顔を後ろの方にぶつからない様に上げて‥‥高麗橋の眼を見た。安心する優しい微笑を(たた)えて居る。その眼は、俺には何とも全ては判別出来無い、複雑な感情の入り混じった眼に見えるが、しっかりとした彼女の優しさが表れて居る、様に、俺は感じた。


「ぅうっ、高麗橋、さん、ありがとう」


 ゆっくりと、俺を抱く腕が離れる。


「いいんですよ。学級(クラス)の一員は、みんな、家族‥‥なのですから。私に‥‥こうして(たよ)っていただいても、大丈夫なんですよ‥‥?あなたも‥‥そう言ってましたでしょ?」


 そうか‥‥そうなのか‥‥そうだったのか‥‥。


「‥‥そうだね‥‥。高麗橋さん、ほんとにありがとう」


「‥‥別に、名前、『(さくら)』って呼んでも良いんですよ。あなたと私は『クラスメイト』‥ですもの‥‥、ね?‥‥そっか。そういえば片峠‥さんは‥‥(なん)て名前、でしたっけ?‥ね?」


 ‥‥名前?そうか、そうだ!そうだった!俺の名前は——。


「——(すすむ)(かた)(とうげ)(すすむ)。‥‥(ある)くと書いて(すすむ)——」



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 帰ってきたサクラに、教室の後ろの方の座席に座って御弁当を御箸で(つつ)く、ふたりの女子生徒たち——令嬢然少女のムツミと、ちっこい丸眼鏡少女のギムリは気付いた。

 (あん)(じょう)、サクラが(すすむ)の所に行った、というのは分かって居たふたり。(しか)しそれを裏付ける確実な証拠は無かったのだが、()ぐ、ふたりは気付いた。それはそこ(まで)目立つ物で無かったのにも(かかわ)らず。


 サクラの黒い冬季セーラー服は、その(そで)と、主に(あと)()()そことが、ひとの涙で濡れて‥‥(しお)()れて居たのである。(しづく)の涙に濡れた部分(ところ)は、少しだけ色味が深かった。

 サクラは静かに、自分の御弁当箱のある席に座った。

 イマイチ()に落ちないが、表情(かお)にだけは表さない‥‥そんなムツミは、あれが(すすむ)の涙であると強く理解して居た。‥‥一方ギムリはどうでも良いのか、何故(なぜ)か、顔の右の方にある()れ物を手で優しく(いじ)り始める。

 ムツミは‥‥(すすむ)の‥‥教室の隅で挙動不審に下を向いて過ごすコミュ障ぼっちの、(ろく)でも無い男子生徒の体液が服について居るのを「同意してないのに」見せられて、それを少しだけ嫌に思った。


 思わず反応して


「うわぁ、きも‥‥」


 とムツミは言った。


 ‥‥聞こえた。届いた。

 ムツミの(げん)が聞こえたサクラは、さっき(まで)(すすむ)(なぐさ)めて居た事と一緒に、夕暮れの放課後、あの時、自分の方が(かれ)に慰められて居たのを思い出した。あの時、自分は苦しくて泣いて居た。(みだ)りにも、彼を自分に重ね合わせて仕舞った。


 ‥‥つらかった。

 自分も、(すすむ)も。

 サクラは、奇妙な事に、自分がそう『気持ち悪い』と言われて居る様に錯覚して仕舞った。自分の事を、目の前でその様に言われて居たら‥‥と思うと、そのショックは計り知れなかった。余りに悲しかった。その様に言われるのが。


 ‥‥じゃあ、必死に慰めた、慰められた自分はどうなるのか‥‥。


 サクラは、出来る限り普通に笑顔で話している様にしつつも、少し涙で目を濡らして、


(むつ)()ちゃん‥‥苦しんで‥‥ないてる‥‥苦しんで‥‥なくない‥‥ないて、泣いて、泣いてる人、分かってないの、ある?苦しくない、ひとに‥‥そんな、反応は、あるの‥‥?‥‥あるの、間違ってないですか?無いん‥‥じゃない‥‥?どうかしてない‥‥?間違ってない‥‥?わたし間違ってる‥‥?の、正しい、事だって‥‥わからないの、間違えてる?‥‥のかな‥‥わたしって‥‥そう。うん、かな?‥‥あれ‥‥‥‥?私‥‥間違って?正しくない?の、わかる、の、わからなくなっちゃった。ごめん‥‥片峠くん、の為に優しい、事、思い‥‥理解するの、正しくなるって‥‥おかしかった?‥‥‥‥ごめんなさい。(むつ)()ちゃん」


「‥‥」


「‥‥あ‥‥はい。ええ。そうかも‥‥ね、そうですね?!わたし!も、櫻の事、わかってるから。櫻、だいじょうぶだいじょうぶ」


 そう言う彼女の有り様を見て、ムツミはこう返さざるを得なかった。ギムリは今、自分が分からなかった事が(わか)る、という様な表情を、知らず知らずの内に自己(おのれ)の顔に浮かばせて居た。


「(げ‥‥(むつ)()(さくら)の地雷踏んぢゃったよ‥‥)」


 ()れ物を手指で触りながら話を聞いて居たギムリは、思わず顔のそれを(つぶ)しかけた。何故(なぜ)か急に頭のアホ毛がピンピョコと立って仕舞った‥‥。ともかくギムリは、ひたすらいたたまれない気持ちになったのだった。


 (さん)(にん)の間に(ただよ)う妙な空気を変えるべく、ムツミは、再び話し始めたのだった。


「——‥‥——‥‥——‥‥‥‥。——。‥‥でもね、‥‥‥‥——」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ