09.ペアのいない理由
ヴァルドと別れたティニアは、一人、重い足取りで三年の演習場に向かった。
さっきまで賑やかだった四年の訓練場とは違い、こちらの空気は落ち着いている。遠くから聞こえる、剣の交じり合う音と掛け声が、やけに遠く感じられた。
そこにイザーク先生の姿が見当たらない。
先生を探してきょろきょろと演習場を見回していると、それに気づいたロイクが対戦を中断して、ティニアに駆け寄ってくる。
―――エリシアも一緒だ。
「ティニア、イザーク先生を探してるのか?先生は、さっきの爆発した場所に向かったよ。
――あれやったの、四年の演習場にいた、オリオンさんだろう?」
「一体、向こうで何があったの?」
二人に口々に聞かれて、ティニアは思わず口をつぐんだ。
確かに、この学園であんなことをするのは、兄のオリオンくらいのものかもしれない。
だけど、何があったかも分からないままに、兄がやったと決めつけられているのが、なんだか嫌だった。
それにそうだったとしても、エリシアの前で兄の失態を話したくはない。
どうせ呆れさせるだけの話を、エリシアなんかに聞かれたくもない。
また子どもっぽい感情に包まれて、ティニアの心が翳っていく。
それでも、(同じ学園生として、聞く権利はあるものね……)と諦めて、ティニアは手短に理由を伝えた。
「兄が魔法に失敗して、校舎に当てたみたいなんです。兄がご迷惑をおかけしてすみません」と、ティニアは頭を下げた。
「魔法……?やっぱりオリオン様だったのね……」
呆れ顔をしたエリシアのため息に、(だから言いたくなかったのよ!)と、ティニアは内心反発してしまう。
「はは……そうだったみたいだね」と苦笑するロイクも許せなかった。
(ロイクは、私がいつも、そんな兄さんのことを心配しているのを知ってるくせに!)と思ってしまう。
勝手に裏切られた気持ちになっていた。
ぐっと唇を噛んで黙り込んだティニアが怒っていることに気がついたのか、そこでロイクが話題を変えてくれた。
「ティニアは今まで、オリオンさんとペアを組んで訓練していたんだろ?ひとまず今日の練習が終わったなら、ここで僕たちの訓練を見学しているといいよ。
訓練が終わったら、ティニアに癒しの魔法をお願いしようかな」
「もう――何よ。ロイクったら、私の癒しの魔法に不満があるわけ?そんなことを言うなら、もう訓練後に、癒しの魔法はかけてあげないんだから」
拗ねてみせるエリシアに、「そうじゃないよ。エリシアの魔法に不満なんてあるわけないだろう?」と、また二人はいつものように、楽しそうにじゃれあい始めた。
もう見ていられなかった。
ティニアだって、別に同情してもらってまで、『ロイクに癒しの魔法をかけてあげたい』――なんて思うはずがない。
「ごめんなさい。私、イザーク先生に報告を頼まれてるの。ヴァルドさんと仮ペアが決まったから、今日中の手続きをお願いしなくちゃいけないし、これで失礼しますね」
そう言って、ティニアは二人の顔も見ないでその場を立ち去った。
もうこれで、ロイクとペア組む可能性は、完全になくなった。
まさか自分の口からその言葉を告げる日がくるなんて、さっきまでのティニアは想像もできなかった。
だけど――悲しみはあっても、後悔はない。
こんなに悲しい思いをしてまで、ロイクのペアという立場に縋り付きたくはなかったからだ。
結局、兄オリオンの降級は、学園長によって認められた。
というより―――認めざるを得なかったようだ。
その後会ったイザーク先生は、疲れ切った顔でため息をついていた。
「これ以上、学舎を破壊させるわけにはいかんしな……。あの能力を世に放つわけにもいかんから、退学にもできんし……」
その言葉に、ティニアは平身低頭謝ることしかできなかった。
「ティニア、オリオンをそばでよく見ておいてくれ」と言われてしまっては、「はい」と答えるしかない。
兄オリオンと一緒の帰り道、「もう!今日は絶対父さんに言いつけるから!」と怒ってみせたが、機嫌のいい兄には効いていないようだった。
「明日から、ティニアの隣の席にしようっと!」と浮かれた言葉を返されて、ますます苛々させられるだけだった。
帰ってから早速両親に話したが、もう二人とも怒ることを諦めたらしい。
「本当にしょうがない子ね。――ティニア、オリオンをよろしくね」
「お前は本当にしょうがないやつだな。まあ、しっかりティニアを守ってやれよ。
―――さあ、夕食にしようか」
そう言われて、いつものように夕食が始まっただけだった。
翌日、兄オリオンと揃って教室の扉を開けるとクラスのみんなの目が一斉にティニアたちの方へ向いた。
その視線の多さに怯んで、思わず足が止まってしまう。
兄オリオンが、「ティニアの席どこ?一番後ろの、ここにしておく?窓際だと、退屈な時に外も見れるしね」と、勝手に他人の席まで手を引いていこうとする。
兄がさり気なく癒しの魔法をかけてくれて、ホッと息がつけたティニアは、「兄さん、こっちよ」と自分の席に案内した。
ティニアに指定された席は、三つ席が並ぶテーブルの一つだった。ペアのいないティニアが、昨日は一人で使っていた席でもある。
兄オリオンが端の席に先に座ったのを見て、(ヴァルドさんは端っこの席がいいかしら?)と思いながら、ティニアは真ん中の席に腰掛けた。
兄と座る席にロイクがやってきて、(今日の朝練は早かったのね)と思いながら、ロイクを見上げた。
兄オリオンが側にいてくれて、ずっと癒しの魔法をかけてくれているので、今はティニアの心は少しも乱れることはない。
「おはようございます」とロイクと―――後ろに立つエリシアに笑顔で挨拶ができた。
「おはよう。オリオンさんもおはようございます。
オリオンさんがこのクラスにいるっていうことは、学年を移動したのは、やっぱりオリオンさんだったんですか?」
ロイクが兄オリオンに尋ね、兄は肘をつきながら、なんでもないことのように答える。
「まあね。大事なティニアのためなら当たり前だろう?」
「まあ……そうだったんですね。昨日ティニアさんから、ヴァルドさんと仮ペア認定されたって聞いたから、私たちびっくりして。『まさかあのヴァルドさんじゃないよね』って噂していたんですよ」
ロイクに代わって答えたエリシアが、にっこりと兄オリオンに微笑んだ。
その輝くばかりの魅力的な笑みに、(オリオン兄さんも、一目で恋に落ちちゃうんじゃないかしら?)と気になって、ティニアはじっと兄を見つめた。
「――え?君、誰?なんで会話に入ってくるの?」
兄の言葉に教室がシン………と静まる。
どうやら兄オリオンは恋に落ちることができなかったようだ。
いつものように、『妹には限りなく甘いけど、他人には限りなく冷たい』兄だった。
―――やめてほしい。
重い空気に押しつぶされそうだった。
見たくはないのに、「信じられない」というように目を見開くエリシアの顔が目の端に映った。
「……オリオン兄さん。このとても綺麗な方は、こちらの方のパートナーさんなんだよ」
と、せめて「綺麗な方」と褒め言葉を添えておいた。「ロイク」とも呼べずに、「こちらの方」と説明する配慮も忘れない。
「え?ああ、そうなんだ!ごめんね〜。僕、よほどの実力者じゃないと、なかなか顔と名前を覚えられなくて。――そっか〜、こちらの方のパートナーさんだったんだ。お似合いだね!」
明るい兄の言葉だけが、教室に響いていた。
ロイクの顔が引きつっている。
いつもは「ロイク」と呼ぶ兄までが、ロイクを「こちらの方」なんて呼んだからだろう。
なるべく見ないようにしているが、美しい顔を歪ませたエリシアが、やっぱり目の端に映り、ティニアは必死になる。
「兄さん。この方は、去年の『ミスアストラ学園』なのよ。私だって、入学式の日にその噂を聞いて、納得したのよ。こんなに綺麗な人を知らないなんて、兄さんくらいのものよ」
エリシアが昨年の美人コンテストで、『ミスアストラ学園』に輝いたのは本当のことだ。
知ったのは入学式ではなくて、昨日の話だが、そんな数日の誤差はどうでもいい。
噂で知ったというより、クラスメイトの女子が、ティニアに聞こえるように話していたからだった。
ロイクとエリシアは、クラスの皆から公認されているのだ。割り込むように、突然にクラスに入ってきたティニアを警戒しているのだろう。
――実はそれも、気が晴れない原因の一つだった。
「え?そうなの?ヴァルド、お前この人知ってる?去年の『ミスアストラ学園』だって」
「あ?……俺に聞くなよ。誰だよ、この女」
急に兄オリオンの視線が上を向いたかと思ったら、ティニアの後ろにヴァルドが立っていた。
「おはよう、ティニア」と挨拶をするヴァルドもまた、ペア以外には塩対応の者のようだ。
「ヴァルドさん……」と言葉を失くすしかなかった。
彼が今までペアを組めずにいた原因が見えた気がしていた。
いたたまれない時間だけが、過ぎていく。




