02、過保護な兄
ティニアの婚約者の、三歳年上のロイクはとても素敵な人だ。
背が高く、端正な顔立ちをしていて、輝くはちみつ色の髪も、琥珀色の瞳も、陽だまりのように温かい。
それに真面目で責任感があって、剣の才能にも恵まれている。
努力家で、誠実で、とても優しい。
―――誰もが憧れる、完璧な王子様のような人だ。
可愛がってくれた祖父はもういないが、子供のころから「大きくなったら、ロイクのお嫁さんになるんだよ」と言われてきたし、ティニア自身もずっとそう信じて疑わなかった。
幼いころの三歳差は大きくて、長い間子ども扱いされていたけど、14歳を過ぎた頃から、ロイクも『妹』ではなく『婚約者』として接してくれるようになった。
それが嬉しくて、ティニアはますます飛び入学への思いを強くしたわけだが―――どうやらロイクにとって、ティニアはいまだに『妹』でしかないらしい。
………そもそも『婚約者として接してくれている』と思っていたこと自体が、ティニアの勘違いだったのかもしれない。
騎士を目指すロイクが、学園一年生の時からずっと、エリシアをパートナーに選んでいることは知っていた。
ロイクがエリシアにティニアのことを話していたように、ティニアもずっとロイクの口から、エリシアの話を聞いていたからだ。
ロイクは、いつでも手放しで彼女を褒めていた。
「エリシアはすごく努力家なんだ。みんなはエリシアの才能を褒めるけど、彼女は誰よりも遅くまで練習してるんだよ。
立ち振る舞いも完璧でさ、きっとあれも努力の賜物だと思うんだ。
彼女を見てるだけで、『僕も頑張らなきゃ』って背筋が伸びる思いがするよ」
ティニアは、ロイクが彼女を褒めるたびに、不安になっていた。
「彼女は誰よりも遅くまで練習している」
――その事実をロイクが知っているのは、ロイクもその練習に付き合っているからだろう。
「見てるだけで『僕も頑張らなきゃ』って背筋が伸びる思いがする」
―――それはエリシアが特別な存在だからだ。
エリシアがロイクの心を揺さぶり、彼を奮い立たせているんじゃないだろうか。
剣士と治癒師は、お互いに影響し合う存在だ。
どんな相手とでもペアになれるわけではない。
相性の良さが必要だし、二人の絆が深いほど、治癒はより強く働き、剣士を勝利へと導くという。
そうして育まれた絆が、深い愛に変わり、ペアを組んだ二人が後に結ばれることも少なくない。
そんな経緯を経て結ばれた二人は、『アストラの恋人』と呼ばれ、憧れの象徴とされてきた。
その『アストラの恋人』に憧れを持って学園に入学する者も多い。
ゆえに入学する者の多くは、たとえ外に恋人がいてもそれを公にしない。
それは一見不誠実に見えるかもしれない。
だけど、当然ともいえる話だ。
誰も、他に心を決めた人がいる者と、絆を深めたいとは思わない。
より強いパートナーを得るために、恋人の存在は隠すこと―――それはこの学園の、暗黙のルールになっている。
だからロイクが3歳年下の婚約者のティアナの存在を隠していたのも、決して特別なことではなかった。
暗黙のルールは有名な話だし、ティニアだって理解している。
誰もが一流の剣士と治癒師を目指しているのだ。別に悪いことではない。
だからロイクがエリシアに、ティニアを『妹』と紹介しても、ティニアは否定しなかった。
ロイクが学園に入学する時に、寂しさを隠せなかったティニアに、ロイクは優しく慰めてくれた。
「ティニアが学園に入学したら、一緒にペアを組もう」
その言葉を信じて、(私が飛び入学したら、ロイクがパートナーになってくれる)と勝手に思い込んでいただけだったのだ。
三人で並んで帰る帰り道、足元から長く伸びる影は三つだ。
左端の一番短い影がティニア。
真ん中の飛びぬけて長い影がロイク。
右端の、真ん中の影と比べてバランスのよい長さの影は、エリシアだ。
真ん中の長い影はずっと右端を向いていて、時にじゃれ合う動きを見せていた。
―――影までが、ティニアとエリシアの差を見せつけている。
今朝、ロイクと二人だけで登校した時の弾むような気持はもうしぼんでいた。
学園に向かう時のロイクは、「帰りは訓練で遅くなるから待たなくていいよ。夕方には風も冷たくなるから、ティニアが風邪をひいたら大変だ」と言っていた。
あれは言葉通りに、ティニアを心配して「待たなくていい」と言ったのではなく、「エリシアと帰るから、待っていてほしくない」という意味で言ったのではないだろうか。
だからティニアを先に送りつけようとしているのではないか。
ティニアの胸に、薄暗いモヤのようなものが広がっていく。
「ティニア?本当に大丈夫?体調が悪いなら、背負って帰ろうか?」
一人影を見つめて歩くティニアが気になったのか、またロイクが心配そうにティニアの顔をのぞき込んだ。
けれど、かけられた言葉を素直に受け取れず、ティニアは内心反発してしまう。
(背負って帰る、だなんて。それこそ子供じゃない!)
思わずムッとして顔をそむけてしまう。
こんな風に拗ねるほうが子供っぽいと分かっているけど、もう笑えなかった。
「ロイク。いくら可愛い妹さんだからって、ティニアさんはもう17歳なのよ?こんな道の真ん中で、子供みたいに背負われて喜ぶ女の子なんていないわよ。
―――ロイクったら本当に困った過保護のお兄さんね。
ねえティニアさん、ティアナさんの家ももう近いし、疲れているのなら私が回復魔法をかけてあげるから、もうしばらくだけ頑張って歩ける?」
ただえさえ最悪の気分でいるのに、その上エリシアの子ども扱いする言葉に、情けなくも涙がこぼれそうだった。
ぐっと唇をかみしめる。
頭がぼうっとして、耳が詰まる感じがした。遠い膜越しに声を聞いているみたいだ。
こんなところで泣きたくはない。
エリシアの回復魔法なんて受けたくはない。
こんなにもエリシアを拒絶する気持ちが強いのに、エリシアの回復魔法なんて効くわけがない。
それに本当に体調が悪いならば、ティニアが自身に回復魔法をかければいいだけだ。
だけど「大丈夫です」とも「放っておいてください」とも言えなかった。
今ひと言でも言葉にしたら涙がこぼれてしまう。泣いたらきっと涙は止まらない。
絶対に泣きたくない。
誰か―――――
「ティニア?やっぱりー」
ロイクの言葉途中で、突然に誰かにサッと担ぎ上げられたと思ったら、馴染みのある優しい魔法に包まれる。
途端―――どうしようもないぐしゃぐしゃな思いが和らぐと、ス――ッと息が吸えた。いつの間にか息を止めていたらしい。
「オリオン兄さん……」
ティニアを抱き上げてくれたのは、ティニアの兄のオリオンだった。
家の近くまで帰ってきたティニアの強い感情の揺れを感じて飛んできたのだろう。
人並みはずれた治癒才能を持つ過保護な兄は、無駄にその能力を使って、いつでもティアナのピンチに駆けつけてくれる。
そして無駄に勘のいい兄は、ロイクとエリシアを見て、ティアナに何があったか勘づいたらしい。
「ティニアお帰り!!帰りが遅いから迎えに来たよ~。帰りを待っている間、兄さん心配で寿命が縮みそうだったよ。やっぱりこれからは兄さんと一緒に帰ろう?
―――あ、ロイク、ここまでティニアを送ってくれてありがとう。あとは僕が連れて帰るから大丈夫だよ。
あのさぁ……学園への送り迎えはロイクに任せようかと思ってたけど、やっぱりかわいい妹が心配だし、これからは僕が送り迎えするよ」
兄オリオンが、ティアナに向けていた優しい声色のままに、ロイクを冷たく突き放していた。
いつもだったら「オリオン兄さん!何言ってるのよ!」と叱るところだが、今は過保護な兄の愛情に安心しかない。
ロイクに裏切られたわけではない。
エリシアに意地悪をされたわけではない。
お似合いの二人に勝手に傷ついただけだ。
こんなことで泣きそうになるティニアが幼稚なだけだ。
―――頭の中では分かっている。
だけど今はこれ以上ロイクとエリシアを見ていられなかった。
「ロ―――明日からオリオン兄さんと帰るね」
「ロイク」と呼びかけようとしたけど、エリシアの前では「ロイク兄さん」と呼ぶべきだろう。
兄の癒しの魔法で張りつめていた思いは和らいだが、だからといってロイクを「兄さん」と呼びたくはなかった。
ティニアはロイクの名前を呼ばずに、二人に向かって『さようなら』の合図として小さく会釈する。
ティニアを抱えたままのオリオンがふぃっと方向を変えたせいで、ロイクの顔はもう見えなかったが、またいつの間にか止めていた息を、今度は静かにはきだした。




