14.一度の出会いだったけど
オリオンの家は、ハッキリ言って居心地が悪かった。
「あ、僕の部屋は散らかっているから通せないんだ。ここで課題をしようかな。ヴァルド、僕の隣に座れよ」
オリオンが「ここで」と言いながら、ヴァルドをダイニングテーブル席を指差した。
一緒に付いてきた妹が、オリオンの言葉に首をかしげていた。
「え〜?オリオン兄さんの部屋、いつもキレイじゃない。こんな場所じゃなくて、兄さんの部屋の方が、落ち着いて話せるでしょう?」
「ティニアは、可愛い上に優しいよね。……でも兄さんの部屋を友達に見せるのは、恥ずかしいんだ。
ティニアも前に座っていたらいいよ」
「え……?私が前に座っていたら、邪魔でしょう?」
「全然!こんな可愛い妹が前にいたら、課題がはかどるし!」
軽い調子で言いながら、オリオンはヴァルドの椅子を引き、「ここ、どうぞ」と促した。
「………」
敢えて何も言わなかった。
だが、ヴァルドに興味を示した妹のために、この場所を選んだのだと分かった。
そうでなければ、この男が自分を隣に座らせるはずがない。内心では、ヴァルドが隣にいることを、(鬱陶しい)と思っているだろう。
――ヴァルドが同じことを思っているように。
『自分の領域である部屋に通さない』という拒絶を見せながら、溺愛する妹をヴァルドの真正面に置いて、こちらを観察しやすい位置に座らせていることは明らかだった。
(さすが、『無礼な天才』と言われるだけあるな)と、ヴァルドは納得しかない。
目の前で、こっちをチラチラと見てくる無礼な妹も、無視すればいいだけのことだ。
「………」
無視すればいいだけのことだ。
(それだけのことだ)と、ヴァルドも分かっている。
だが、これだけ見られていたら、さすがに気になる。
この天才の妹は、無礼にも真正面から堂々と、食い入るようにヴァルドを見てくるのだ。
その無遠慮な視線に苛立ちが募り、「お前、こっち見んなよ」と言ってやろうと、ヴァルドは顔を上げて妹を睨んだ。
「……え?」
妹の目が、銀色に光っていた。
窓から差し込む夕陽を受けて、細かい光の粒がキラキラと揺れている。
さっきまでは確かに――平凡な、落ち着いた緑色だったはずだ。
今は、オリオンの髪色と同じく、煌めく銀の気配を帯びていた。
「お前―」
「あ。課題終わりました?じゃあ、ヴァルドさん、怪我を治しましょうか。体のあちこちが怪我だらけですよ、痛かったでしょう?」
『お前、目の色変わってないか?』と言うつもりだったが―――妹の言葉で、ヴァルドは戸惑った。
(…怪我?今は大きな怪我なんてないし、何言ってんだ?古い怪我を庇って、どこか動きが不自然になってるって言いたいのか?
――この天才の妹は、剣士を見る目を持っているのか?)
そんなことが頭を巡り、黙り込んだヴァルドに、更に妹が言葉を続けた。
「じゃあ、治癒魔法をかけますね」
その言葉に、ヴァルドはハッとする。
(コイツ、治癒師か!……なんで『怪我だらけ』なんて言うのか理解できんが、迷惑だ!)
「遠慮する。別に治癒の必要はない」
そうハッキリと告げてやった。
妹の遊びに付き合うつもりなんてなかった。
たとえ天才の妹だとしても、こんな子どもがまともな治癒魔法を使えるはずがない。
治癒院の、熟練治癒師の治療でさえ、魔力が体に流れ込む時は、吐き気がするほど気持ちが悪い。
見知らぬ魔法など、受け入れられるはずがない。
だからハッキリと断ったつもりだった。
たが、さすが『無礼な天才』の妹だけあって、勝手に治癒魔法をかけられた。
いつものヴァルドだったら、キレているところだ。
相手が子供だろうが関係なく、怒鳴りつけていたはずだ。
下手すれば、胸ぐらを掴み上げていたかもしれない。
だけど、信じられないことに、頭の上から降り注ぐようにかけられる治癒の魔法は、驚くほど心地よいものだった。
柔らかく、温かい。
大地に包まれているような、安心感がある。
ヴァルドに降り注ぐ澄んだ魔力が、陽に照らされ、キラキラと輝いていた。
剣以外に心が動くことはないと思っていたが、その魔力があまりにも美しく、言葉を失くした。
いつも変わりないと思っていた体が、軽くなっていくのが分かる。意識することもない怪我が、消えていくのも感じた。
『治癒師は、剣士の力を高めるものだ』と、学園で聞いた言葉が、ストンとヴァルドの心に落ちた。
「はい、お終い。ヴァルドさん、小さな傷でも軽く見ないで、ちゃんと治癒院に行った方がいいですよ」
ティニアのかけた声で、ヴァルドの意識が目の前に戻る。
「あ……ああ。治癒魔法も悪くないな。……ありがとう。おま――あ、いや。ティニアちゃんに感謝するよ」
『お前』と呼びかけて、(確か名前は――『ティニア』だった)と思い出し、ヴァルドは急いで名前に変えて、妹の名を呼んだ。
「ヴァルドさん、『ティニアちゃん』って呼ばないでください。『ちゃん』づけで呼ばれるほど、私は子供じゃないですから。『ティニア』って読んでくださいね」
『ちゃん』づけが、子供っぽいのかは分からないが、この妹が、その呼び方を嫌がるなら――
「そうか?……じゃあ、ティニア、ありがとう」
「はい」
『ティニア』と呼び方を変えるヴァルドに、彼女は満足そうに頷いていた。
そのあと出された手作りのお菓子は、さっき癒されたばかりの体に、さらに力が満ちてくるようだった。
結局はご馳走になった夕食もそうだ。
「父さん!この方が兄さんの友達のヴァルドさんよ!」と、嬉しそうに紹介されたオリオンの父も、息子とは違って穏やかな人物だった。
ヴァルドにとって、この『無礼な天才』の家の居心地は、決して悪くなかった。
だからといって、そこでティニアを好きになった訳ではない。
4歳も年の離れた子供のような女の子を―――そして、婚約者のいるような子を、好きになるはずがない。
ただ忘れられなかっただけだ。
相変わらず治癒魔法を体に入れられるのは気持ちが悪くて、治癒師とペアを組む気は起きなかったが、それは別にティニアの入学を待っていたからではない。
ヴァルドは、異常に妹を溺愛する変人とは違う。
だけどおそらく―― オリオンは、ヴァルドを警戒したのだろう。
もしかしたら、最初にヴァルドがティニアに取った態度が、気に入らなかったのかもしれない。
『治癒のお礼に』と用意したお菓子やプレゼントは、渡すことは叶わなかった。
純粋なお礼の気持ちだったが、オリオンは「そんなのいいよ」と橋渡しを引き受けようともしなかった。
それに―――どんな魔法を使ったのか、一度訪れたあの家に、二度とたどり着けなかった。
もう二度と関わることのない人だと思っていた。
二年になって、ティニアの婚約者が学園に入ったと聞いた。
その男――ロイクが、他の治癒師とペアを組んだという噂も耳にした。
だがヴァルドには関係のない話だった。
ペアの絆が成績を左右することも、『無事卒業する』ことを目指すなら、婚約者や恋人の存在を伏せるのは当たり前のことだとも知っていた。
(アイツ……婚約者のくせに)
ヴァルドには関係はない。
それでも――学園で他の女と、まるで公認カップルのように振る舞うロイクを、ヴァルドは苦々しい思いで見ていた。
ヴァルドでさえ抱く思いなのに、あの異常に妹を溺愛するオリオンが、何も感じなかったはずがない。
それでもオリオンが、ロイクをティニアの婚約者に認めていたのは、ティニアがまだ学園にはいなかったからだろう。
ロイクは、たとえティニアが飛び入学しても、二年も飛び級してくるとは、予想もしていなかったはずだ。
(天才のオリオンでさえ、飛び級がなかったから、そう思いこんでいても仕方がないとは思うが……ティニアが側にいながら、他の女を優先した時点で終わりだったんだろうな)
そうヴァルドは考える。
もちろんヴァルドだって、ティニアの飛び級を予想していた訳ではない。
だけどあの日、マリウス先生に呼ばれて、かけられた言葉で気がついた。
「三年に上がったばかりの治癒師がいるんだが、ヴァルド、お前一度ペアを組んでみないか?特別な魔力を持った者だから、治癒師嫌いのお前でも合うかもしれんぞ」
先生の言葉に、治癒師に『特別な魔力』を持つ者なんて、一人しか思い当たらなかった。
(ティニアだ!)と確信を持ち、迷わず受けた提案だった。
まさかイザーク先生が、「可哀想な者がいる」とティニアに声をかけたとは思わなかったが、それで結んでくれた縁に、ヴァルドは感謝している。
見込みのない想いだと、ずっとわかっていた。
それでも――忘れることができなかった。
今回、巡ってきた仮ペアのチャンスを、他の誰にも渡すつもりはない。
そのための降級なら、望むところだった。
思いがけなくオリオンも降級してだが、幸いにもあの天才は、今回はヴァルドを遠ざけようとはしないようだ。
ヴァルドはティニアのそばに常に付いているが、互いの家への行き来を拒む様子はない。
(本当に――敵に回すと厄介な男だ)
ヴァルドは静かに息を吐き出した。
そのため息をどう受け取ったのかは分からない。
だが父エルドは、「どうだ? これが情報の力だぞ」と、してやったりの顔を向けてきた。
「……そうかよ。じゃあ一つ、親父にも情報をくれてやるよ。
ティニアは、『ティニアちゃん』って呼ばれるのを嫌ってるんだぜ?」
「……は?」
一瞬で固まった父に、「聴取力、落ちたんじゃねえの?」と、ヴァルドは肩をすくめてみせた。




