11.ティニアの日常
「母さん。あのね、私がロイクとペアを組むことは、もうないと思うんだ」
夕食の準備を手伝いながら、ティニアは静かに口を開いた。
ロイクとエリシアが二人でいる姿を見た日から、(そうなるだろうな)と諦めに似た気持ちで思っていたけれど、認めるのが怖くて、今までは口にできないでいた。
だけど兄オリオンとヴァルドと過ごす中で、心は落ち着いてきている。
あれだけ毎日ロイクのことを話していたティニアが、学園に入学した途端、「ロイク」という名前一つ出さなくなったのだ。
母がそれを気にかけてくれているのは分かっていた。
(いつか話さなくちゃ)と思いながらここまできてしまったが、今ならやっと話せる気がしていた。
ヴァルドと過ごした時間は、まだひと月ほどにすぎない。
それでも、なんとなく―――
『剣士と治癒師は相性があり、自分とロイクの間にはそれがなかった』ということが感じられてきた。
もっともティニアは、これまで剣士といえばロイクと兄オリオンしか知らない。
だから他の剣士との相性は分からない。
それでも、今感じていることが、間違いではないような気がしていた。
もし今ロイクとペアを組んだとしても、ヴァルドの時のように、ロイクに細かい治癒魔法をかけられる自信がない。
どうしても感じてしまうロイクへの反発心が、魔力の流れを乱し、魔法を遮ってしまう気がするのだ。
兄オリオンが、エリシアを軽くあしらってから、エリシアがティニアに話しかけることはなくなった。
それに倣ってか、クラスの女子たちからも距離を置かれている。
そして―――ずっとエリシアの側にいるロイクとも、言葉を交わすこともなくなっていた。
最初はそれをとても寂しく思ったが、悲しくなるたびに兄オリオンが癒しの魔法をかけてくれるし、ヴァルドも黙って側にいてくれる。
そうして気がつけば、ロイクのいない生活が、ティニアの日常になりつつあった。
ロイクは、少し遠い存在に感じてきている。
もちろん――この先の気持ちは分からない。
だけど、ずっと信じてきたロイクを、以前のように信じ切ることはもうできない気がしている。
きっとこれから先に、ロイクとペアを組めたとしても、この心の中に刺さる棘のようなものは消えないのではないかとも思っていた。
「ロイクは、卒業までエリシアさんとペアを組むことを約束してるんだって。
……エリシアさん、想像していた以上に綺麗な人で、ロイクとすごくお似合いなんだ。私はロイクのこと、ずっと婚約者だって思ってたけど、それは私の勘違いだったみたい」
「ロイクは私のこと、妹だって話してたんだ」
―――その言葉は飲みこんだ。
それは自分が子供っぽいことを認めてしまうように感じたからだ。
話しながら、いつの間にか手伝う手が止まっていた。母のセレナは、そんなティニアに、「あら、そうなの?」と何でもないことのように言葉を返した。
「母さん……『あらそうなの』って。おじいちゃんが『ティニアはロイクと結婚するんだぞ』って、あれだけ言っていたのに、私がロイクと婚約者じゃなくなってもいいの?」
ティニアが決心してやっと伝えた言葉を、適当に流されたように感じて、ティニアはむくれてみせる。
「え?別にいいわよ。ロイクくんだってそうだけど、ティニアだって、ティニアの選ぶ人を選んだらいいのよ。
おじいちゃんだって、ティニアが選ぶ人と一緒になってほしいって思ってたはずよ。子供の頃のティニアは、ロイクのことが大好きだったら、そう言ってただけよ」
母セレナの言葉に、ティニアは目を見開く。
「え……そうなの?」
「そうよ。当たり前じゃない」
ふふふと母は笑う。
「だって、ティニアのお父さんだって、『僕は親父が、親父の友達とどんな約束をしていたとしても、絶対にセレナを選んだよ』って言ってるもの」
「あ……そうなんだ」
単に惚気られただけかと、ティニアはまた手元に意識を戻して、サラダの盛り付けを始めた。
「そうねえ……。ティニアのペアになってくれている、ヴァルドくんなんて良い子じゃない?
あの子、前にうちに来た時、ティニアの育てた花を大事に持って帰っていたし、母さんのご飯だっておいしそうに食べてくれたわ。すごく良い子じゃない。
ヴァルドくんのお家の方だって、よくしてくれているんでしょう?
オリオンとも、なんだかんだ言って仲良さそうだし………オリオンが認める子なら、きっとあの子もティニアも邪魔なんてしないわよ」
「兄さんなんかに、私の相手を認められなくてもいいわよ。それにヴァルドさんに失礼だわ」
ティニアがぶうっとむくれてみせると、母セレナはふふふとおかしそうに笑った。
母も、ロイクはティニアの婚約者だと認めていたのかと思っていただけに、母の言葉は意外だった。
『ロイクとは、実は婚約者じゃなかった』という事実に、やっぱり胸は痛むけれど、心のどこかでホッとしている自分もいる。
(おじいちゃんや、父さん母さんの期待を裏切ってしまった)と、勝手に思い込んでいたのかもしれない。
(いつか時間が経てば、このロイクを想う気持ちも、忘れることができるのかも……)と、ティニアはぼんやりと感じていた。
夕食を囲みながら、ティニアはふと大事なことを思い出す。
「あ、そうだ母さん。今度の休みの日に、またヴァルドさんのお家の方が呼んでくれたの」
「あら、そうなの?」
「うん。だからね、クッキーを焼くのを手伝ってくれないかな。前に持って行ったクッキー、お母様もすごく喜んでくれて、『また食べたいわ』って言ってくれたの。今度はお父様も一緒なんだって。だから少し多めに焼いていこうかなって思うんだ」
母セレナは、「もちろんいいわよ。――そうね。もっとたくさん焼いてあげないと、この前はヴァルドさん、ほとんど食べられなかったんでしょう?」とふふふと笑う。
「そうなの。あのクッキー、疲れが取れるんだって。――あ、裏庭のお花もまた摘んでいこうかな。魔法の練習をしていた場所だからか、お花にも治癒効果があるみたい。小さい傷なら、飾っておくだけで一晩で消えちゃうんだって」
「あら、それは便利な花に育ったのね」
「うん。今日の朝、ヴァルドさんに教えてもらったの」
それは今朝、学園に向かう途中の話だった。
ティニアは最近、兄オリオンとヴァルドの三人で登下校をしている。
イザーク先生から、「相性を深めるために、なるべく一緒に過ごせ」と言われたからだ。そのとき先生は、「……オリオンも入れてやれよ」と、面倒くさそうに付け足していた。
そして今朝も三人で歩きながら、ヴァルドに誘われたのだ。
「ティニア。悪いが、今度の休みはうちに来てもらえないか?親父が『俺だけ会えなかった』ってうるせえんだよ。うちの家族、揃って騒がしいだろ……」
ヴァルドは申し訳なさそうな顔をしてたが、ティニアは嬉しくなって頷いた。
「ヴァルドさんのお母様、本当に格好よくて素敵ですよね。私も、またお会いしたいです。今度は、もっとたくさんのクッキーを持っていくって約束してるんですよ」
ティニアの返事に、ヴァルドがどこかほっとしているように見えた。
やっぱりヴァルドも、兄オリオンのように「お友達と仲良くしてる?また連れていらっしゃい」と、何度も家族にせがまれていたのだろうか。
だけどティニアは誰かを安心させるためではなく、本当にまた行きたいと思っていた。
前に一度、兄オリオンと訪れた時、ティニアはとても楽しい時間を過ごした。
ヴァルドの母は、渡した花束を「まあ!この花、すごく癒されるわ」と目を細めて受け取ってくれたし、クッキーも「身体が軽くなるわね」と、大げさなくらいに喜んでくれた。
たとえそれが気遣いの言葉だったとしても、やっぱり嬉しかった。
(前の日に母さんとクッキーを焼いて、休みの日の朝に花を摘んで……)と、週末を楽しみにしながら、ふと気がつく。
もしかすると―――
ロイクとエリシアがいつも一緒に帰っているのは、二人も先生から「相性を深めるために、なるべく一緒に過ごせ」と言われているから、なのかもしれない。
(でも言ってくれなくちゃ、本当のところは分からないわ)
ティニアは細くため息をついて、それ以上ロイクのことは考えないことにした。




