10.兄と、仮ペアの彼
「お前たち、始業時間だぞ。早く席につけ!
――ああ、そうだ。授業に入る前に、先に紹介しておく。
そこと、そこの席に座った男二人は、今日から同じクラスになった者だ。そいつらを気にすることなく、皆は自分のことに集中するように。じゃあ授業に入るぞ」
静まり帰った教室に、救世主のように現れたイザーク先生は、ティニアを取り巻く生徒たちの様子に少し眉を上げたが、なんとなく何があったかを察したようだ。
特に話題に触れることなく、『早く席につけ』と言うかのように、軽く手を振っただけだった。
兄オリオンとヴァルドの紹介も、これ以上なく適当だった。
ティニアはもう何も考えないことにして、そっと教科書を開いた。
今日の教室も、イザークが話す声と、ティニアが必死にペンを動かす音だけが響いていた。
やっぱり、どうしても意味が分からない。
焦る思いで顔を上げると、ティニアをじっと見つめる兄オリオンの視線に気がついた。
『どうしたの?』と口パクで伝えると、「いや〜僕の妹はすごく真面目で可愛いなって思って」と答えてくる。
やめてほしい。
「私はオリオン兄さんと違って、初めて聞くことばかりなの。ついていくのに必死なんだから、邪魔しないで!」
そう小さな声で怒ってみせた。
「え〜兄さんだって、今まで授業なんて聞いたことないから、初めて聞くことばかりだよ?ティニアも、そんなに頑張らなくても大丈夫だよ」
「大丈夫なわけないでしょう?私は、教えてもらう前から、なんでも知ってる兄さんとは違うの。
私がこのまま何も分からなかったら、ペアを組んだヴァルドさんに迷惑がかかるのよ。兄さんもヴァルドさんを見習いなさいよ」
そう言って、静かに授業を受けているヴァルドに視線を向けると、ヴァルドは堂々と居眠りをしていた。
「………」
黙り込んだティニアに、兄オリオンが「この男より、兄さんの方が立派だろう?」と聞いてくる。
「そこの二人!オリオン!ヴァルド!お前ら授業の邪魔だから出て行け!訓練場で特訓でもしていろ!
ティニアも、お前の魔法は特殊だから、授業を受ける必要はない。もう習得してるだろ。
それより、その邪魔な二人を連れて行ってくれ、頼むぞ」
「え……習得……?」
先生の言葉に戸惑ったが、「ティニア!購買でアイス買ってあげるよ!」とはしゃぐ兄と、「……授業、終わったのか?」とあくびをするヴァルドと、ティニアは廊下に出るしかなかった。
「頼むぞ」と頼まれてしまっては、しょうがない。
結局――ティニアは、三人で庭園に座って、アイスを食べている。
「習得……してるのかしら?知らないうちに、体に力をためているっていうこと?」
じっと自分の手を見るティニアに、兄オリオンが「なんのことさ?」と尋ねる。
「昨日の授業でね、先生が言っていたの。実戦の中で、『治癒師は、力をためておかなきゃいけないタイミングがある』って」
ポツリとティニアがつぶやくと、兄が首をかしげる。
「ためる?ティニアの場合、ためる必要ないだろ?体内で治癒魔法を練り上げてるんじゃないんだから。
ティニアは、大地から治癒力を引き上げてるんだろ?あんな吸水ポンプみたいに、治癒魔法の雨を降らせること、他の誰にもできるはずがないじゃないか。
僕は体内で治癒魔法を練り上げてるけど、母さんとティニアは違うんだよ。
だからティニアの治癒魔法は、特別なものなんだよ」
「……そうなの?」
「そうだよ。気が付かなかった?」
ティニアは「うん……」と答えたが、今まで家で自己流で勉強してきたティニアは、他の治癒師の魔法を見たことがなかった。
幼い頃は、怪我をすれば母があっという間に治してくれたし、治癒師に会う機会もなかった。
「そっか。……良かった。せっかくペアを組んでもらったのに、『こんなに落ちこぼれじゃヴァルドさんにも迷惑かけちゃうかも』って昨日の夜に急に心配になったんだ。
昨日のノートを復習するのに、母さんに聞いても、『最近の治癒学は難しいのねえ』ってしか言ってくれないし、焦ってたんだ」
ホッとして息を吐き出すと、とても胸が軽くなった。
「母さんとティニアは似てるよね。ティニアの方が可愛いけど」という兄の言葉は流しておく。
「俺もティニアの力に恥じないように、もっと鍛えんとな」
それまで兄オリオンとの会話を、黙って聞いていたヴァルドが口を開いた。
だけど彼の言葉は少し大袈裟だ。
「エリシアさんも『あのヴァルドさん』って話していたし、ヴァルドさんはすごく強いんでしょう?
昨日、お家の人に、一年降級したことを怒られませんでしたか?」
「エリシア?」
『誰だ?』というように聞き返すヴァルドは、エリシアのことを本当に知らなかったようだ。
「赤い髪の女だよ」という兄オリオンの説明に、「…ふうん?」と分かっていないような返事を返していた。
「うちは昨日話した通り、みんな腹立つくらいに大喜びしてたぞ。『休みの日は、ぜひうちの演習場に呼びなさい』って言われたけど、しっかり断っておいたから」
やはりヴァルドの家は、うちと似ているようだ。
母も兄に、「またお友達を連れて来なさい」としょっちゅう声をかけていた。
おかしくなって笑ってしまう。
「お家に演習場があるんですね。私とオリオン兄さんは、今まで家の裏で練習していたんですよ。魔法を浴び過ぎて、家の裏が花畑になってます。
ずっと前に案内した場所、覚えてますか?あれからもっと広い花畑になってるんですよ。
母さんと、『お花屋さんでも開こうかしら?』って話すほどなんです。
また今度、見に来てください。母さんも『お友達が来てくれた』って大喜びしますよ。私もよかったら、お家に呼んでください」
ヴァルドの家族も安心させてあげようと、ティニアは声をかけた。
「……いいのか?それは、見てみたいな。
それにティニアが嫌じゃなければ、休みの日にうちの演習場を使ってくれたらいい。訓練に付き合ってくれるなら助かるよ」
ははと楽しそうに笑うヴァルドに、「はい」と答えると―――当然のように兄オリオンも、「わ〜ヴァルドの家、楽しみだな〜」と答えていた。
「………お前が俺の家に来たいと思ってるなんて、思いもしなかったが」
「何言ってんだよ。僕はずっとヴァルドの家に行きたいと思ってたけど、遠慮して言えなかっただけじゃないか」
「……そうかよ」と呆れながら答えるヴァルドは、どこか機嫌が良さそうだ。
(行く時は花束と、クッキーを作らなくちゃ)
今まで勉強ばかりで、ロイクの家以外に遊びに行ったことがないティニアも、『初めて友達の家に遊びに行く』気分で、とても楽しみになっていた。
教室からは追い出されてしまったが、心は軽かった。
昨日のお昼までは、飛び入学を目指してきたことも、飛び級を選んだことも、全てか無意味だったように思えて仕方がなかった。
ここから始まる学園生活も、気の重いものになっていたが、今は兄のオリオンもいるし、ペアを組んでくれたヴァルドもいる。
降級を選んでくれた兄にも、「ありがとう」と伝えたいが、そんな言葉を口にしたら、また何か暴走し出すかもしれない。
感謝の気持ちを癒しの魔法に込めて、二人の頭から静かにそっと降らせてみる。
小さな光の粒がふわりと舞い、二人の髪に溶けていく。
これからは少しだけ前を向ける気がしていた。




