01.可愛い妹
葉が茂る壁の向こうに、はちみつ色の髪がふわりと風に揺れた。
刈り揃えられた、低木の生け垣より背の高い彼は、ティニアの待ち人だ。
ティニアは、ベンチから弾かれたように立ち上がる。
走って生け垣を回り込み、「ロイク!」と彼の名前を呼ぼうとして―――その言葉を飲み込んだ。
ロイクが、目を奪われるほどの美人と並んで歩いていたからだ。
女性の艶やかな深紅の髪が、夕日を浴びて宝石のように輝いていた。
瞳までも同じ色に燃えている。
美しい顔に優雅な微笑みを浮かべる彼女は、そこにいるだけで圧倒的な存在感を放っていた。
並んで歩く二人の姿はまるで絵画のようだ。
お互いに見つめ合って親しげに会話をする二人は、道の先に立つティニアにまだ気づかない。
ティニアは声をかけられないまま、ただ彼らを見つめていた。
そのまま立ち尽くしていると、ロイクがやっと気づいてくれた。
目が合った瞬間―――「ティニア!待っててくれたのか?」と駆けてきて、嬉しそうな笑顔を向けてくれる。
(いつものロイクだわ)
変わらないロイクの笑顔に、ティニアの心の中を覆っていた不安がスッと解ける。
「うん。一緒に帰ろうと思ってね」とティニアもいつものように笑顔を返した。
「もう!ロイクったら、私にもちゃんと可愛い妹さんを紹介してよ」
ロイクと歩いていた女性が、また自然な様子でロイクの隣に並び立った。
彼女が拗ねて見せると、ロイクが今度は彼女に笑顔を見せる。
―――ティニアに見せる笑顔よりも、ずっと気安いものだ。
「ごめんごめん。エリシア、この子がティニアだよ。飛び入学で一年早く入学したたばかりの、僕の自慢の妹なんだ。
――で、ティニア。この人が前から話していた、僕とペアを組んでいるエリシアだよ。エリシアはこのアストラ学園で、学年トップを誰にも譲ったことがない、将来有望な治癒師候補なんだ」
「何それ?ロイクこそ、このアストラ学園で学年トップを誰にも譲ったことがない、将来有望な騎士候補じゃない」
「いいね、それ」
あはははとおかしそうに笑い合う二人の会話に、ティニアは曖昧に笑う。
息の合った仲の良さを見せつけられるようで、心臓がキュッと締め付けられて苦しかった。
居心地が悪そうにしているティニアに気がついたのか、エリシアが「ロイク笑いすぎよ。ティニアさんも困っているでしょう?」と、ロイクの腕をパシッとたたいて、ティニアに微笑んだ。
その微笑みはまるで幼い子に向けるように、目尻が優しく下がり、口元は柔らかな弧を描いている。
―――やはり目を奪われるほどの美人だ。
「ティニアさんのことは、昔からよくロイクが『可愛い妹だ』って話してたから知っていたのよ。ティニアさんは17歳よね?このアストラ学園に一年も早く飛び入学なんて、本当に賢い妹さんなのね。ロイクが可愛がるのも分かるわ」
エリシアの言葉に、ティニアが何も答えられずに口ごもると、ロイクが代わってエリシアに答える。
「そうだろう?とても大事な妹なんだ」
「優しい『ロイクお兄さん』ね」
「まあね」
楽しそうに言葉を返すロイクと、揶揄うエリシアの会話は軽く弾み、笑い合う二人の姿はとても自然だった。
―――二人を見つめるティニアの心だけが暗く陰っていく。
『大事な妹』
ロイクは以前から、ティニアを『妹』としてエリシアに話していたらしい。
『妹」という言葉が、棘になってティニアに突き刺ささっていた。
だけどそれは違う。
ティニアはロイクの妹なんかではない。
―――婚約者だ。
もちろん、貴族のように正式な書面を交わしたわけではない。
ただ、仲の良かったティニアの祖父とロイクの祖父が、「子供は男同士で叶わなかったが、孫同士こそは結婚させよう」と笑い合って交わした、他愛のない口約束にすぎない。
だけどティニアにとって、それは立派な約束だった。子供の頃から、ロイクと結婚すると信じて疑わなかったし、ロイクだって同じ気持ちでいてくれていると思っていた。
だからこそ、将来騎士を目指す三歳年上のロイクに早く追いつきたくて、治癒師を目指すティニアは、幼い頃からアストラ学園の飛び入学を目指して一心に頑張ってきたのだ。
アストラ学園は、剣士と治癒師を目指す者ならば誰もが憧れる学校だ。
最難関校として名高く、入学するのも難しいが、卒業はさらに困難だと言われている。
ただ通ってるだけでは卒業できず、 『定められたいくつかの試験に合格しなければ卒業は認められない』と容赦がない。
課されるその試験には、『必ず剣士と治癒師は、ペアを組んで挑まなくてはならない』という絶対条件もある。
ペア同士、お互いの力を合わせて試験を突破することで初めて、卒業と将来への道が示されるのだ。
そもそも怪我がつきものの訓練からして、治癒役がいないと剣士は実習に参加すら出来ないため、パートナーの存在は絶対だ。
そんなアストラ学園への入学は原則18歳からだが、例外的な特別枠として、17歳からの飛び級入学が認められている。
ティニアがその枠を目指したのは、一年でも早く入学してロイクの隣に立ちたかったからだ。
でき得る限り早くロイクの絶対的存在になりたかった。
「――ティニア?何かあった?元気ないな。今日は入学して初めての授業日だったし、疲れたのか?」
ひと言も話さないティニアを、ロイクが心配そうな顔でのぞき込んだ。
ティニアは二人の弾む会話に入れなくて疎外感を感じていただけだが、そんな子供っぽいことは言えなかった。
「――うん。少し疲れてるのかも。今日授業で学んだ治癒術は、独学で勉強していたやり方と違って、驚くことが多かったから」
ティニアの独学で勉強していた治癒魔法は、学園の授業で学ぶ方法とは違って驚いたのは事実だ。
だけど治癒の先生は「ティアナさんは、ティアナさんのやり方でいい」と言ってくれたし、今のところ疲れるようなことも大変なこともないが、他に気持ちの隠しようがなかった。
ロイクにはいつものように笑顔を返したつもりだが、うまく笑えているだろうか。
「ティニアさん。治癒魔法で困ったことがあったら何でも聞いてね。『ロイクの可愛い妹さん』のことはクラスのみんなも知っているし、私たちのクラスに気軽に遊びに来て大丈夫よ」
エリシアが不安がっている子供を慰めるように、ティニアに優しい声をかけてくれると、またロイクが嬉しそうに会話に加わった。
「ありがとう、エリシア!」
「もう!どうしてロイクがお礼を言うのよ。本当に過保護なお兄さんね!――ねえ、ティニアさんも一緒に帰りましょう?もうすぐ暗くなるしお家まで送っていくわ。
――ねえ、ロイク。ティニアさんのお家の方も心配しているかもしれないわ。ティアナさんを、先に家に送ってあげましょうよ」
「そうしようか。――行こう、ティニア。先に送るよ」
二人の会話に、ティニアはまた置いて行かれる気分になる。
ティニアは、一人で帰れないからロイクを待っていたわけではない。
ロイクと二人でゆっくり話したかったから、放課後の練習訓練を待っていたのだ。
ティニアは、婚約者のロイクと当然二人きりで帰れるものだと思っていたが、ロイクにとって当然一緒に帰る相手はエリシアだったようだ。
『ロイクの家の近所に住むティニアの方を先に送る』だなんて。
そんな回り道をしてまでティニアを先に送るなんて、そんなのまるで、早く邪魔者を切り離したいみたいだ。
ティニアがいなくなったその後に、また二人きりで話しながらエリシアを家まで送るのだろうか。
いつでも心は近くにあると思っていたロイクの気持ちは、今はとても遠く感じる。
三人でいるのに、ティニアだけが孤立して、ひとりぼっちでいるような気分になる。
心は沈み、三人で並んで歩き出した足はとても重かった。




