ねこのくに
港から、おもちゃみたいな旅客船に乗って35分。
瀬戸内の、海の上に浮かぶ小さな島。この島は――『ねこのくに』と呼ばれていた。
初夏。
七海は、我先に降りようとする他の旅客に揉まれながら、船着き場にかけられたタラップを降りた。
底が分厚い編み上げブーツが、ゴムのマットにきしんで、ゴツゴツと音を鳴らす。
この時期のブーツはファッション的には少し変だけど、これからのことを思うと、仕方がない。
改めてそう思った七海は、缶バッジをじゃらじゃらつけた帆布製の肩掛けカバンをかけ直す。
「おう……」
タラップを降りてすぐ、住民たちの熱烈な出迎えに、思わず声を漏らした。
七海は、明るい金髪に青のインナーカラーを入れたウルフカットを無意識にかき上げる。
そこからちらりと見えた耳には、ピアスがいくつもきらめいていた。
茶色、茶色、茶色、茶色、茶色。たまに白。
七海や、他の旅客の足元に絡みつき、じいっと見上げてくる熱視線。
(よくきたなにんげん。さっそくだが、えさくれ)
「ごめんよ、エサは持ってないんだ」
七海が一番大きな猫にそういうと、
(なんだ、ひやかしか。つまらん)
声をかけられた猫が「ふん」と鼻息を鳴らす。
するとそいつをはじめ七海の周りにいた猫たちが、さっと他の旅客の足元へ絡みつきに行った。
この島は、いつのころからか猫が増え始め、いつの間にかその数を爆発的に増やした。
今では、人間の数より、ずっと猫のほうが多い。
「あの……安藤七海、さんですか?」
猫たちの輪から抜け出した七海に声をかけてきたのは、名札を下げ、作業着を着たおじさんだった。
パンクバンドのTシャツにリストバンド、それにホットパンツ。
そんな七海の格好が刺激的すぎるのか、ちょっと腰が引けている。
「はい」と気の抜けた声で七海が答えると、
「役場の大西です。お待ちしておりました」
おじさんは、名刺を取り出して丁寧に頭を下げた。名刺を受け取った七海は、それに目を落とすと、
大西武彦。○○市保健所生活衛生課第3班係長――と書いてあった。
それをみた七海は、紫色のバラが意匠されたカードケースから名刺を取り出し、
「安藤です。今日はどうぞ、よろしくお願いします」
完璧な営業スマイルを見せて、少し丁寧に会釈する。
だいたい田舎のおじさんは、このギャップで好感触を得ることができる。
「よっ……よろしくお願いします」
大西も、多分に漏れず、七海のギャップにやられたようだった。
七海がこの島にやってきたのには、訳がある。
彼女の飯のタネは、旅行情報を発信するオンラインメディアのライターだ。
だが、もうひとつの顔があった。
「猫を観光のタネにしたいけど……問題があるんですよね」
船着場から役場の出張所へ歩く道すがら、七海は大西の話を聞いていた。
あらましは、メールでやりとりできている。だけど、実際に顔を合わせて聞くことも大事だ。
この島には車がない。移動手段は基本徒歩。車輪のついた乗り物は、台車かネコ車だけだ。
「ええ。表立っては、猫の管理です。糞尿や夜鳴き、感染症に死体の処理……」
「餌やりにだけ来る観光客には、無縁の問題ですよね」
「はい。それに、島民だって猫好きの人ばかりではないですから」
「わかります。どっちかといえば、迷惑な存在でしょうね」
歩いているだけでも、何匹もの猫が七海をナンパしてくる。
一方の大西には、猫たちは狎れているのか、馬鹿にしているのか、まったく寄り付かない。
「糞尿の片づけは、持ち回りでしていますけどね。毎日大変です」
「そうでしょうね。それに、こんなに猫がいると――」
そのとき、七海は、ちら、と島の奥にある小山に目を向けた。
何か、こちらを監視するような気配がする。
「あら。気づかれちゃいました」
七海がにこりと大西に笑いかけた直後。
「走って!」
七海は大西の手を取って、急に走り出した。
「え、ええ?」急に若い女性に手を握られて、おじさんはちょっと仰天している。
七海はぐいっと大西の手を引き、ほんの少しの距離を走ると、
ガシャン!
突然、赤茶けく錆びた古いネコ車が頭上から落ちてきた。
コンクリの地面へ落ちた拍子に、錆びたねじや砕けた鉄片が飛び散る。
ねじが頬をかすめて「きゃっ」大西が、女の子みたいに叫んだ。
「……結構なご挨拶。この距離で、この力。かなりのモノノケでしょうね」
物陰から七海を監視するかのようにいる猫を目にくれて、七海はさらりとそう告げた。
「や、やっぱりですか……」震える大西の手の中でくしゃっとなっていた七海の名刺。
そこには、「御巫 安藤七海」と書かれていた。
◇
「みかんなぎ、ですかー」
出張所にたどり着いた七海と大西を待っていたのは、丸い眼鏡をかけたひっつめ髪の女性職員だった。
七海から名刺を受け取った女は、この不思議な肩書の名を読んだ後、
「みかん、みかん……」と言いつつ奥へ引っ込んだ。
「白戸さん。ボクにも、お茶頂戴」
脂汗を垂らした大西は、自分のデスクにおいてあった農協のロゴがプリントされたタオルで顔をぬぐう。
そんな様子を、七海は古い革張りのソファに座って眺めていた。
やがて、白戸と呼ばれた職員が、お盆の上に、麦茶とガラス器に入った何かを手に戻ってくる。
「グレープ……フルーツ?」
ガラス器の中には、くし形にカットされた、大ぶりな黄色い柑橘が入っていた。
「河内晩柑、といいます。和製グレープフルーツなんて、よく言われます」
ウエットティッシュも用意されているから、どうやら手で食べるものらしい。
「もしかして、アレルギーとか、あるんですか?」
白戸は(しまった)みたいな顔をして、七海の顔をまじまじと見る。
「いいえ。はじめて食べます。酸っぱいんですか?」
すると白戸はにししと笑い、「どうぞ」と勧めた。七海はひとつ手に取り、思い切って口にする。
(甘い……)
さわやかな甘み。グレープフルーツのような酸味や苦みは薄い。
「酸っぱくないでしょ?」
「ホント。これ、おいしい。帰りに空港で買って帰ろうかな」
「連絡先さえいただければ、いくらでもお送りしますよ。なんせ、こっちじゃ押し付けあうぐらいですから」
「えっ……こんなに美味しいのに?」
「わたしも最初はびっくりしたんですが、田舎あるあるです」といって、白戸もひとつ口にした。
「ところで、みかんなぎ、とは、何をなさるお仕事なんですか?」
白戸はのんきな口調で七海に尋ねた。
「もともとは、宮中で祭祀を行う巫女だと聞いています。でも、大正時代以降は役割が変わりまして」
「大正時代」白戸はあっけにとられたような顔をする。
「ええ。当時、ヨーロッパに肩を並べるため、日本は近代化を進めていました。その一環として、日本各地に残っている『いろんなもの』を何とかしないといけなくなったそうなんです。それをどうにかするのが、御巫の仕事」
「わぁ。なんだかオカルトですねぇ」
「ええ、ガチのオカルト。その後も、土地の開発やら高速道路を作るやらで、なんかあるたびに、こうやって呼ばれます」
「民間なんですか?」
「いちおう、内閣府の特殊法人で技官ってことに。非常勤ですけど」
七海の説明をそこまで聞いて、白戸は納得したらしく、手を打ってため息をついた。
「それで、ですよ。さっきのは……」
やがて、本題に入ろうと大西が割り込んで、口を開いた。
「猫のモノノケの仕業です」
言下に七海は言い切った。
「やはり」大西は、さっき拭いたばかりだというのに、もう額に汗を浮かべている。
「化け猫ですか? それとも猫又?」
今度は、白戸が食いついてくる。
「うーん……その程度なら大したことなくて、きっと金華猫と呼ばれる猫怪でしょうね」
たくさんしゃべってのどが渇いたので、再びむぐむぐと河内晩柑をほおばりながら、七海は答えた。
「キンカネコ? キンカンみたいな猫ですねー」
麦茶を飲みながら白戸がそう言ったので、七海は大西を見て、
「白戸さん、役場の方なのに面白いですね」
大西は、苦笑いをしながら、頭を横に振った。
「白戸さんは地域おこし協力隊で……まあ、それはさておき」
「ああ、すみません。話が脱線しましたね。確認ですが、本件は……」
「はい。この案件、市の観光課が主管なんですよ。この島を『ねこのくに』として観光名所にしたい。でも、問題が2つあって、ひとつは先にお話しした猫の管理。で、もうひとつは」
「神隠しですね」
「ええ」といって、大西は麦茶を口にした。
「たまに、なんですが、この島にやってきた観光客が、消えるんです」
「消える。ええと、それは、自殺ではなくて?」
「この狭い島の中で、そんなことできる場所なんて限られています。それに、わざわざこんなところで自殺するくらいなら、他にもっといいところなんていくらでもあるでしょうに」
「猫に見守られて死にたいとか」
「猫も、活動範囲はこの集落だけです。200匹はいるんですけど、わざわざ道もない山の中に行きたがるヤツはそんなにいません」
「うーん。何か他の……犯罪的なものとかの可能性は?」
「まさか。こんな島でどんな犯罪を……」
「……ドラッグとか?」
七海の言葉に、大西がぎょっとした顔つきになる。
すると、白戸が勢いよく手を挙げた。
「はい白戸さん」
七海の言葉に、白戸はスマホを取り出す。
「ちょっとこれ、見てください」
白戸が手にしていたスマホの画面には、地面をぐにょぐにょとのたうち回る外国人の異様な動画。
「えっと、これ、ヤバい奴でしょ」
「フェタンニルっていう麻薬です」
「それと、何か関係あるの?」
「次はこっちを……」
白戸が次に見せたのは、自分で撮影した動画のようだ。
神社の石灯篭の陰で、猫たちにまみれて、地面でぐったり、ぐにょぐにょしている若い女性の姿が映っていた。
「……これ! まさか!」
食いついたのは大西だった。
「こんなことが本庁に知れたら、大変なことになるぞ!」
生活衛生を担当する大西としては、薬物問題なんて大ごとなのだろう。
(ああ、この人はつまらないタイプの公務員なんだな)と思った七海は、
「いやいや、問題にするの、そこじゃないでしょ」
ジト目で大西をにらむ。大西は、目線をかわすように再びタオルで顔をぬぐった。
そんな様子を気にも留めず、白戸は、
「フェタンニルとは違うと思うんです。このあとしばらくしたら、何事もなかったかのように立って帰っていきました」
「ふうん……もし金華猫だったら、人を魅了して生気を吸うなんてことをしてるから、ありうるかも」
「じゃあ、この人は生気を吸われて?」
「おそらくね。酩酊状態になってたかもしれない。この動画、いつ、どこで撮ったんです?」
「先週の土曜日、すぐ近くの神社です。ご案内しましょうか」
「ぜひ」
夕方に帰りの船が出るまでには終わらせたい。
そう思っていた七海は、すらりと立ち上がり、白戸に案内するよう、手を差し伸べた。
◇
その神社は、出張所の裏手にある細い道を進んだところにあった。
その途中には、猫の餌やり場が設置されている。
観光客が好き勝手にあちこちで餌を撒かないようにする処置だ。
今も数人の観光客が、持参した餌を食べさせていた。
目的の神社は、石でできた小さな鳥居の向こうに、急な石段が組まれた小さなものだった。
木造の本殿の脇に、石灯籠。そしていくつかの摂社が祭られている。
「ここです、ここ」
白戸が指さした石灯籠は、何の変哲もないものだった。
今も、白い老猫が、基壇の日陰になるところで、昼寝をしている。
「なるほど。ここね……」
七海は、すぅ、と息を吸って瞑目した。感覚を、物理的な世界から、霊的な世界へとシフトさせる。
瞼の裏に、ぼんやりと色彩のようなものが浮かび上がる。
確かに、モノノケの妖気はわずかに残っている。しかし、邪気のようなものは感じられない。
と同時に、神域であるはずの神社も、精気が微弱だった。
「掃除はしてあるけど、あまり参拝する人はいないようね」
「ええ。もう、住人もほとんどいませんし、神主さんは、いくつもの神社を兼務されているそうですから」
人の信仰が乏しくなった神社は、モノノケの類が住み着く。
この社は、まだ維持管理がなされているから、不法占拠する輩こそいない。
だけど、神の威光が弱まっているから、モノノケが境内にまで入り込むことを許してしまっているのだろう。
(お前さん、何者だい?)
ふと、七海は誰かに声をかけられた。
その拍子に目を開けると、白戸は声が聞こえていないのか、神社の外廊下に背を預けて、海を眺めている。
七海はきょろきょろとあちこちを見回した。
(こっちだ。下、下)
すると、物陰から、昼寝をしていた白い老猫が、顔だけ見せた。
「だれ?」
(それはこっちの言い分よ。島のもんではないし、ただのにんげんでもなかろう)
「そうだけど」
(親様の試しにもひるまずに、のんきに千絵ちゃんを連れて歩きおってからに)
「試し……親様……ああ」
七海は、港から歩く途中、ネコ車が降ってきたことに思い至った。
(千絵ちゃんがおるからの、ワシらとて手荒いことはしとらんのだぞ)
「千絵ちゃんって、白戸さんのことね。あなた、さては化け猫?」
すると、失敬な、と言わんばかりに老猫は物陰からしっぽを2本見せた。
「ああ、ごめんなさい。猫又なのね。化け猫だなんて言って、失礼しました」
猫又は、化け猫が年を経て成長したモノノケである。
「わたし、七海っていう御巫。あなたのいう、親様と話がしたくて、東京から来たんだ」
(東京というのはあれよな。てれびで見る、にんげんがようけおるところだろう)
「そう。それで、どうすれば、親様とお話しできるのかな」
すると、老猫は目を細めて、
(親様が、おぬしのような小娘にお会いになる道理はなかろう。まずは、わしが験試ししてやる!)
しゃあっと一声鳴くと、七海に異変が生じた。
みるみると、石灯籠が大きくなっていく。神社も白戸も、老猫も大きくなる。
違う。七海が小さくなったのだ。
「ちゅう」
ひとこと発しようとして、七海は自分の声に耳を疑った。
「ち……ちゅう!」
「ふぉふぉふぉっ……今のおぬしは、白鼠よ」
遥か頭上から、巨大な老猫が見降ろしてくる。
七海は自分の体が、まっしろい毛に覆われていて、手足もかぎ爪のようになり、ピンクのしっぽが生えているのをまじまじと眺めた。
「元の姿に戻るまでの間、この老骨から逃げ切ってみよ」
そういうや否や、老猫がこっちに飛びかかってきた。
「ちゅう!」
七海は慌てふためきつつも、素早く走って一撃をかわす。
だが、老猫は素早く体をひねって巨大な手を伸ばす。
ぶうん、という風切り音がして、七海の真横を鋭い爪が通り過ぎる。
七海は一目散に石灯籠から離れ、神社の社殿に向かう。
白戸の様子を見ると、あっちを向いて微動だにしない。おそらく、結界を張られたのだろう。結界内の出来事は、物理世界には干渉しない。
「ち、ちゅう」
社殿の基礎部分まで走ってきた七海は、老猫がすぐ背後まで来ているのに気づいていた。
「ほれほれ、どうした」
老猫が、再び飛びかかって両の手で七海を捕えようとする。七海は、飛びかかる老猫の方へ向くと、その下を潜り抜けるように駆けだした。
「ほう、なかなか」
老猫は余裕たっぷりに空中で体をひねると、そのまま急降下して、逃げる七海を背後から捕らえた!
「ち……」
「ほほ、これで終いよの」
両の手で抑え込まれつつも、何とかはい出そうとする七海。老猫は両手にぐっと体重をかけて抑え込む。
「さらば!」
老猫はそう言って、くわっと牙をむき、七海に思い切りかぶりついた!
「ふぎゃああっ!」
だが、七海を丸かじりしようとした直後、もんどりうって転げ回ったのは老猫だった。
老猫が七海だと思って抑え込んでいたのは、白い玉砂利だったのだ。固い石に思い切り齧りついたのだからたまらない。
かろうじて牙が折れなかったことを肉球ですばやく確認した老猫は、細い目をこらして七海を探す。
「!?」
老猫は総毛だった。
なんと、境内のあちこちに七海が変じた白鼠に似た鼠たちが、数十匹と駆け回っているのである。
「幻術を使いおったか! 小癪な!」
冷静さを欠いた老猫は、当たり散らすように、好き勝手走り回る鼠を追いかけまわしはじめた。
当の七海は、石灯籠の一番てっぺんで、息を潜めてその様子を眺めていた。
老猫は境内の向こうの方まで偽鼠を追い回した後、ぜいぜいと息を切らしてよたよた戻ってくる。
「謹請。請除猫災、捧以玉石……ちゅうちゅう如律令!」
そこへ七海は神咒一行唱えると、それまで境内中に散らばっていた鼠たちが、一老猫へ向かって猛スピードで襲い掛かる!
「にゃんと!」
体力切れを起こしていた老猫は、哀れ玉砂利の小山に生き埋めになった。
(威力は最弱にしているから、ただ埋もれただけだろうけど)
そうこうすると、やがて、七海は、むくむくと自分の体が大きくなっていくのに気づいた。
そして老猫が、ほうほうの体で小山から首を出して息をついているのが見える。
(よし、勝った)
そう思った直後、白戸がこっちを向いた。そして、不思議そうな顔をする。
「あの……安藤さん? どうして、石灯籠なんかに登ってるんですか?」
ごく当たり前の突っ込みに、七海は石灯籠にしがみついて赤面した。
きしし、と老猫が意地悪な笑みを浮かべるのが見えた。
◇
(ワシの験試しに勝ったことは認めてやろう。しかたない。親様のところへ連れて行ってやる)
負けを認めた老猫は、しぶしぶ七海にそう言った。
(ついてこい)
老猫は、それだけいうと、すたすたと歩き出した。
「ついてこい、って言ってみるみたい」
七海は白戸にそう伝え、老猫の後をつけ始めた。
朝に島について、数時間は経ったはずだ。猫に餌付けをしに来た旅客たちは、公園のベンチなどでめいめい、弁当を食べている。
その弁当までも狙おうと、若い猫たちがうろつき回っていた。
(最近の若い連中は、自分で雀やら魚やら取ろうとしない。ふがいないものだ)
(にんげんに慣れるのも考えものよ。飢えて死ぬ子が減ったのはよいがのう)
(今では、親も子も、だれが誰やらわからんぐらいに島猫が増えすぎてしまった)
(親様は、この島の猫すべてに験力を施して、安全と健康をもたらしてくださるが、それも限界があるのう)
途中、老猫は愚痴とも嘆きともつかない言葉を七海に吐く。
1匹と2人は、家々の隙間を縫って、てくてくと歩いていた。
「家はたくさんあるんですけど、誰も住んでいないところも多いんです」
老朽化して、今にも崩れそうな家を見た七海に、白戸が告げる。
「仕事がないからと島を離れた人。入院して、そのまま戻らなかった人……そんな人ばかりで」
「それでも、島に残る人もいるんでしょ?」
「ええ。どんなに不便でも、やっぱり、生まれ故郷を離れたくない人がほとんどです」
「土地と人とは切り離せない。そういうもんなんでしょうね」
(猫と人もよ)と老猫は振り返らずに言った。
「白戸さんは、どうして、こちらへに?」
少し坂になった道を上りながら、七海が問う。
「わたし、ですか。――ええっと、実家は青森なんですけど、仕事で東京に来て――」
少しの間があって、
「――それなりの会社で働いてたんですけど、働きすぎて一度潰れちゃったんです」
「……ごめんなさい、変なこと聞いちゃいましたね」
「いいんです。今は、この土地に来て、猫と人をつなぐ仕事に、打ち込んでますから」
「え、それが仕事なんですか?」
七海が驚いた声を上げると、
「いいえ。実際には、この島の何でも係なんです。本当は、この島には役所もJFもJAもないから、総合窓口」
「ああ、なるほど」
そんな話をしながら、路地をグネグネと進む間にも、あちらこちらから猫が顔をのぞかせる。
そして、それらと出会う度に白戸は手を振ったり、声をかけたりしている。
「白戸さんは、猫、好きなんですか?」
「普通です。別にすごく好きでも、苦手でもなくて」
「じゃあ、なんで挨拶なんかしてるんです?」
「どうしてでしょう……。まあ、みなさん住民の方ですし? 餌やりとかはしませんけど、お世話とかはしてますよ」
(千絵ちゃんはワシらに親切だし、べたべたと畜生扱いせぬから、猫気があるのよ)
老猫の言葉に(なるほど)と七海はうなづく。
と、そこへ。
物陰から、ぬらり、と人間が姿を現した。
猫がデザインされたTシャツを着た、中年の女だ。よく見ると、全身猫グッズだらけだ。
女は、老猫を見つけると、
「あら! かわいい猫ちゃん!」
といって、すばやく近づき、抱き上げる。
老猫はとっさのことに不意を突かれて、なすすべもなく抱えあげられた。
(こやつ、なにもの!)
女は老猫を抱きしめると、額に頬ずりをする。
(やめい! 香水臭い!)
老猫は嫌がってもがくが、女はお構いなしに老猫を自分勝手に愛で始めた。
「あの……その猫、嫌がってますけど」
やむなく七海が、やんわりと女に注意する。
すると女は、キッ! と七海を睨み据え、
「何よアンタ! 猫を可愛がってるんだから、いいじゃない! ほら、この子こんなに喜んでるわよ! アンタに何がわかるのよ!」
島の静かな昼の空気をかき乱すように、ヒステリックな声を上げた。
(この方……毎週、島に来られるんですよ……すごく猫が好きな方のようで)
何コイツ、という表情を露骨に浮かべてしまった七海に、白戸がそっと耳打ちをする。
「いや、だって、そんなにもがいてるんすよ……?」
老猫は、なぜか爪や牙で自衛することもできず、ただ、ウナギのようにぐにゃぐにゃもがくことしかできない。
「何?! アンタ、わたしのこと馬鹿にしてるの?! うちにはネコが10匹いるのよ! アンタんちは何匹よ!」
「いや、うちのマンション、ペット禁止なんで」
「ペット! 猫ちゃんを、ペット呼ばわりするなんて。動物の権利を知らない人に、この島に来てほしくないわ!」
「じゃあ、あなたはいったい何してるんですか。この島で」
すると女は、勝ち誇ったかのようにふんぞり返り、
「わたしは、猫の保護活動をしているのよ! 可哀そうな野良ちゃんにご飯をあげたり、おもちゃをあげたり!」
(この人、餌場のルールを守らなくて、あちこちで好き勝手、餌やりしている人なんです)
「そこの人、あなた役場の人でしょ! 知ってるんですからね! どうして猫の保護シェルターを作らないの! 雨風に打たれたら、猫ちゃんたち可哀そうでしょ!」
女は白戸を指さして、口角泡を飛ばす。「だいたいねえ……」とさらに言葉が続き、早口でわけのわからないことを口走り始めた。老猫は、観念したのかぐったりしている。
(どうしたの? 猫又なんだから、験力でどうにかできないの?)
(霊視してみよ。このにんげんは、とんでもない邪気にあふれて、ワシらの力を吸い取りよる……)
七海は、女の敵意が白戸に向いているのを盾にして(ゴメン)と思いながら、瞑目した。
(うげ……)
突如、どす黒い、じっとりとした湿った気が漂っているのを感じた。
それは女から噴き出している。そのどす黒さの原因は、怒りと劣等感の感情だった。
(ここまで露骨に出ている邪気、触りたくないなあ……)
怖気を感じながら、七海はその黒々とした粘液質の煙に手を伸ばす。
触れた瞬間、指先から肩の付け根まで、一気に鳥肌が立った。
それは、女の持つ怒りと、恨みと、劣等感の結晶だった。
うまくいかない自分の人生への不満と、周りの人間が幸せな家庭を築いていることへの妬み。
両親への怒り。ありのままの自分をだれも愛してくれないことへの絶望。
それらが凝縮され、蒸留されて結晶化した、おそるべき怨念だ。
(とはいえ、それを招いたのは自分の考え方ひとつじゃん)
七海がそう思ったそのとき、ぶわ、と女の体の背後から、黒い煙状の何かが膨れ上がった。
黒くて粘液質で、いくつものぬらぬらとした触腕を持つ、多眼のグロテスクな存在。
七海の言葉を聞いてしまったのか、どろどろとした敵意をさらけ出して、周囲に怒りをぶつける相手を探している。
(『穢れ』だ!)
(ぎゃあ。これはワシにはどうにもできん。助けてくれい!)
老猫は命の危険を感じて、必死にもがいた。
七海は、考えるいとまもなく、さっと女の手から老猫を奪い取る。
その途端、『穢れ』の多眼が、ぎろり、と七海に向けられた。
冷たくて、同時に火傷しそうな熱を帯びた視線だ。見つめられただけで、病を発する邪眼である。
(ぎゃっ!)
七海は、その邪眼に肺腑と背骨を締め上げられるような息苦しさを感じたが、
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
何とか苦し紛れに四縦五横の刀印を切って、邪眼を惑わす格子を組んで事なきを得た。
『穢れ』の多眼は、格子に惑わされて、あちこち視線が定めらない。
その隙に七海は『祓詞』を唱えあげる。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 御禊祓へ給ひし時に生り坐せる 祓戸の大神等諸諸の禍事罪穢有らむをば 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし召せと 恐み恐みも白す」
そして老猫を肩の上に乗せて、柏手を二拍打つ。
二拍目を打った時、『穢れ』が、ぶもり、と大きく膨らんで、ぷつ、と頂点が破れた。
ぶしゅうう……猛烈な臭気を伴う黒いガスがそこから吹き出し、たまらず七海は口をふさいで鼻を覆う。
生ごみを何日も放置したような悪臭に、目が沁みる。
(たまらぬ!)
老猫は、七海のカバンの中にもぐりこんだ。中にもぐってもまだたまらないのかジタバタしている。
やがて『穢れ』はガスが抜けきって、くたくたのガスが抜けた風船のようになった。
(祓えたのか?!)
カバンの中から老猫が尋ねる。
(いや、この人の性根を清めることができないから、一時しのぎだね……)
直後、世界は元に戻る。
「あら……」
それまで白戸に激高していた女は、ふと我に返って呆けたような顔をしていた。
「あなたも、猫がお好きなんですか? 猫好きの人に、悪い人はいませんからねえ」
女は、老猫を肩に乗せた七海に向かって、ほほほと笑いかける。
白戸は、急に相手の様子が変わったので、「え? え?」と困惑顔だ。
(いやいや、お前さんは、十分悪人だろうて)
そう老猫が毒づいたのを知っているのは、七海一人だった。
◇
「ああいうマナーを守らない観光客も、気を付けないといけませんよねー」
「そうなんです。あくまで基本は、島民の方の生活ですから……」
(ほんとよのう。さっきはひどい目に遭うたわい)
さっきの女とそそくさと別れた2人と1匹は、やがて、坂の上を登り切った。
このあたりは、木々や草に覆われていて、絶えて人の気配がない。
そこには、四角く大きな建物が鎮座していた。
つたや木々、草に覆われて、緑の中からわずかに、コンクリートらしき灰色が見える。
入り口近くには、地蔵がいくつも並んでいた。
「学校……? でも、地蔵が並んでる」
「隣がお寺なんです。もう、廃寺になっていますけど……」
七海がわきを見ると、屋根が崩れて大穴の開いた寺が、雑木の陰に隠れて見えた。
「もともと、お寺があって、そこを小学校にしたのが始まりなんです」
白戸がそう七海に言うと、墓石のような石柱に『海鳴小中学校』と彫ってあるのがうっすら見えた。
「老朽化が激しくて、今は立ち入り禁止になってるんです」
入り口には、黄色と黒のロープが、申し訳程度に張られている。
風が吹いて、ぶらぶらと揺れていた。
「猫にとっては関係ないみたい」
老猫はロープの下をのそのそと潜り抜けると、こっちを向いた。
「安藤さん……行かれますか? 中は危ないですから、応援とかあったたほうが……軍手とかもいりますし」
「いや、大丈夫」七海はカバンの中をまさぐった。
「軍手なら、持参してます」取り出したのは、甲の部分に大きく星が縫い込まれた軍手だった。
それに、折り畳み式のヘルメットと、それに装着できるLEDライト。
「あ、でも、ごめんなさい。自分用しかないです」
てきぱきと装備を整える七海を見て、白戸はどうしようかとおろおろしている。
「ここからは、わたし一人で行きます。白戸さんは、先に戻っていてください」
「でも……」と言いかけた白戸の唇に、七海はまだ軍手をしていない人差し指をそっと押し当てた。
「大丈夫。これは、御巫の仕事ですから」
そうして、まるで猫のように、にや、と自信たっぷりに笑いかける。
白戸は一瞬その場で固まったものの、「はい……」と小さな声で返事して、少し顔を紅潮させた。
(おぬし、誘惑の術でも使こうたのか)
(験力は使ってませんー。普通にしただけですー)
(にんげんは年中サカリがついておると聞いたことがあるが、メス同士でも交尾するのかの)
(サカってませんー。わたしにはちゃんと番がいますからー)
(ふぅん。まあよい、この先に、親様がおられる。粗相のないようにな)
(はーい)
七海は、老猫の後を追っていった。
ぼうぼうと伸びた草むらに、人が踏み分けたような跡がある。
老猫はそこをすたすたと進んでいく。
手前の、まだかろうじて使用に耐えられる建物の脇を抜ける。
急に緑が濃くなり、日が差さなくなり、陰気が迫ってくる。
ちちち……と名も知らぬ虫の声が、どこからか聞こえてきた。
「この敷地の中には、猫がいないのね」
「ここは親様の縄張り。不用意に入ったものは叱られる」
「なるほど」
建物の裏手には、すでに窓や扉が朽ち果て、コンクリの躯体とそれに絡まるツタだけの建物があった。
割れたコンクリの階段を一段一段上がっていく。
振り返ると、島の全景と遠くの海が見えた。
ただし、生き物の気配はまったくなく、異様なまでに静まり返っている。
すると、
コーン……
と、何かが階段の上から落ちてきた。
それは、ものすごいスピードで階段をはね落ちてきて、七海の顔を狙う。
「っ!」
七海は軍手をはめた手で刀印を結び、星のマークを眼前に向けた。
すると、さびたジュースの空き缶が、空中で停止して、ぎゅるぎゅると音を立てながら回転する。
「ふんっ!」
七海が大きく鼻息を吹き、気合を入れると、空き缶はその場にぽとり、と落ちた。
「親様っ!」
老猫が、階段の上を見て一声鳴いた。
老猫の声に七海も上を見上げる。
そこには、白いワンピースの、小学生くらいの女の子がいた。
◇
七海が見上げた先にいた、白いワンピースの少女。
彼女はこっちを見ると、「うふふ」と笑う。
「親様。こちらのにんげんが、親様に話があると」
老猫はそう大きく鳴いた。
だが親様と呼ばれた少女は、
「せっかく我がわかる者が来たんだから、ちょっと遊びたいのじゃ」
あどけない少女の声で、そう返事する。
「にゃんと……また親様の気まぐれか。……娘、なんとか耐えろ」
「何とかって……」
七海がそう口にした直後、巨大な猫の手が、頭上から振り下ろされる。
「どわっ!」七海は思わず退いて、その拍子に階段を踏み外した。
「うわあああっ!」
ゴロゴロと階段を転げ落ちて、踊り場に倒れ伏す。
「いくのじゃーっ!」少女の声がした。
ずどん、という激しい衝撃音。間一髪、七海は横へ転がって、巨大な一撃を避けたのだ。
「やるな!」
七海は手すりにつかまり起き上がると、次の一撃に備える。
「えいっ!」
また猫の手が見えた。振り下ろされるその手を避けながら、七海は階段を数段駆け上がる。
(階段を上がり切ったら勝ち、捕まったら負けって事ね……)
七海は親様の攻撃を避けながら、徐々に階段を上がっていく。
途中、おろおろする老猫がいたが、今は声をかけるような余裕はない。
やがて、もう少女の姿が眼前に迫るところまで駆け上がった。
「じゃあ次はこっちじゃ!」
「え、あ、待って!」
すると親様は、さっさとゲームを放棄して奥の建物へと逃げていった。
七海と老猫も後を追う。
建物の中に入ると、一気に視界が暗くなった。
風化したコンクリ床に、朽ちたもののいまだに形をとどめている机やいす。
枯れ葉や木の枝なども散乱して、いかにも廃墟といった風である。
「隙あり!」
少女の声がどこからか聞こえる。すると、椅子と机がガタガタ言いながら、七海に向かって飛んでくる。
「うわっ!」七海はかろうじてそれを避けると、机は壁に激突して壊れた。
「当たったら危ないでしょうが!」
「当たるぐらいならお話にならないのじゃ!」
物陰のどこかで、親様はこっちを見ている。だが、七海は次々と飛来する机やいすをかわすので精一杯だった。
親様の攻撃の手がやんだ瞬間、七海は素早く神咒を唱え、柏手を打った。
「日皇太神を奉り請ひ 百度の置戸を以て 祓給ひ 清給ひ 朝日の豊榮の光照す所の聞えしめせと申す!」
ぱっと周囲が明るくなる。日の神の神威により、暗闇を照らして隠れたものを照らし出す秘術だ。
「みぎゃっ!」
急な光に襲われて、柱の隅で丸くなっていた親様を、七海は素早く見つけて摘まみ上げた。
すると少女だった姿が、しゅるしゅると煙を上げて、1匹の白猫になる。
ただし、尾は5本生えていた。
「捕まえた!」
いつまでも目のあたりを手で押さえてくしくししている親様を、七海は勝ち誇ったかのように老猫に見せた。
老猫は、口をあんぐりと開けて、固まってしまった。
◇
「我は悪いことはしておらんのじゃ!」
再び少女の姿に戻った親様は、素直に自分が金華猫であると白状した。
七海が持参した供え物である、猫のおやつ「にゃ~る」をことのほか気に入ったのも、功を奏していた。
「人間どもが、我を求めてきているからいけないんじゃ!」
3本目のにゃ~るに手を伸ばしつつ、親様は、不満たらたらだった。
「え……それってどういう?」
「もうじき、奴らの世話をしてやらんといかんから、ついてくるのじゃ」
ちゅうちゅうと上手にペーストを吸い上げた親様は、七海と老猫を奥の部屋にいざなった。
奥の部屋に入ると、七海は「っ!」と息をのんだ。
段ボールを床代わりにした若い男女数人が、床に転がってぐねぐねしている。
白戸の動画で見た女性と同じ状態だ。
「ああー。おやさまー」
「はやく、はやく、お願いしますー」
彼らは、親様の姿を見つけると、幽鬼や餓鬼のごとく、よろよろと這い寄ってきた。
「な、なにを……」
「人間どもは、どうしようもない生き物なのじゃ……」
哀れなものを見る目で、親様は彼らを見た。
「よく見ておくのじゃ。同族のあさましさを!」
親様はそう言って、ぶるりと、体を震わせると、巨大な猫の姿に転じた。
「白い……もふもふ!」
七海は思わず声を上げた。まるでワゴン車ぐらいの大きさの、白くて優美で、毛足の長いもふもふ。
それが親様の正体だった。親様は、腹を見せてゴロンと横になる。
すると、幽鬼のような人間たちが、親様の元へ這いより、そのもふもふへ体を預けて、全身がうずもれる。
「ふぉおおおおおおお」
男女いずれもが、獣のような恍惚の声を上げ始めた。
「……おぬしらにんげんは、猫を吸うのだそうな? なんとも奇妙な風習よの」
老猫が、七海に声をかけた。猫吸い。そう、これは猫吸いだ。
親様が、身を横たえたまま、七海に言う。
「我は、やむなく人間に我を吸わせている。そのかわり、死なぬ程度の生気をもらっておる。あまり何日もこうしていると、人間はおかしくなるか死んでしまうので、3日程度が限度じゃがな。しかし、それでもしばらくすれば、我を求めてまた島に舞い戻ってくるのじゃ」
「じゃあ、神隠しは……」
「よほど人間の世界はつらいのだろうのう。みな、『帰りたくない。猫になりたい』と泣いておるのじゃ」
「たしかに、人間の社会は辛い」
「それに、我も人間たちから生気を吸わねばならぬ。そうしなければ、200余匹の子どもたちを守っていけぬゆえ」
ああ、そういうことか。
七海はそこで、得心がいった。
島の猫は、増えすぎている。そう老猫は言った。
金華猫は、島の猫たちを守るために、験力を使っているとも。
しかし、年々数が増え続ける島猫を相手に、とうてい力が足りない。
しかも過疎の進むこの島では、人間の生気を安定して手に入れることは困難だ。
だから、島外から人間を招き入れて、その生気を吸って験力を保つしかない。
「我は、もうだいぶ飽きたのじゃ。でも、子どもたちのためにはこうせねばならぬ……」
親様は、胸の奥から吐き出すようなため息をした。
それを聞いた七海が、
「あの……神隠しは人間の世界では障りがあります……そこで、良い方法があるのですが」
「方法とな?」
親様の耳が、ぴくんと動いた。
◇
七海の提案に従って、前代未聞のプランが実行された。
ひとつは、200頭余りいる島猫たちの多くを、島外に移送する計画である。
自治体が提案し、地元の獣医師会と愛護団体が協力して、全国に里親を求めたのだ。
発案したのは、保健所の大西係長……ということになっている。
『ええ、まあ。全国に、わたしたちの島で育った子どもたちの、里親になっていただきたいわけでして……』
テレビカメラに向かい、しどろもどろで説明する彼の姿が、「田舎のがんばる公務員」と好意的に取り上げられたこともよかったようだ。
ニュース番組だけでなく、ワイドショーでも取り上げられて、一躍話題になった。
結果、短期間に子猫たちから若い猫まで、100匹以上が島の外に出て行くことになった。
残ったのは、いまさら島外で暮らすのは厳しい、老猫たちばかりだった。
いずれ数が減っていき、十数年後には、島に猫はいなくなるだろう。
それから、島に、ゲストハウスができた。これも、七海の提案だった。
『ねこのくに』という風変わりな名前のそのゲストハウス。
島猫を愛でる人のための宿泊施設であり、里親に出した子たちの里帰りのための場所だった。
そしてその実は、親様への猫吸い依存から離れられなくなった人間たちの滞在施設だ。
切り盛りするのは、都会から地域おこし協力隊としてやってきていた女性(白戸だ)と、小学生くらいの女の子。
『猫たちの国に遊びに来てほしいのじゃ!』
特に女の子は、島の住人をはじめ、ネット民たちにもアイドル扱いされて、人気沸騰中だ。
東京に戻った七海は、ひとり、自室でノートパソコンを立ち上げていた。
冷めたコーヒーと、メンソール入りの紙巻タバコ。カチャカチャという音だけが、あたりを支配している。
書いているのは、島の滞在記。
今、話題の島の記事とあって「すぐ頂戴!」と懇意の編集者から頼まれて、急ピッチで原稿を書いていた。
切りのいいところまで原稿を書き上げると、七海は、大きく、伸びをした。
ゴキゴキと肩を鳴らすと、
「わたしも、猫吸ってみようかなぁ……」
そう独り言ちて、そっとタバコに手を伸ばした――。
(おしまい)
本作で勝手に島猫を応援しています。
よろしければ以下ご覧ください。
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