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真実のパン  作者: asklib
リョウ
4/29

透明な革命者

 「もし、あの噂が本当なら…」

 「イシ条約」で戦火は鎮まった。だが、街に満ちるのは安堵ではなく、飢えと絶望だった。銃声が止んでも、空腹が鳴り止むことはない。むしろ、秩序だけが先に形を成し、肝心の命は後回しにされているように感じられた。

 図書館で偶然手に取った本に、歴史上の無名の改革者たちが紹介されていた。彼らも最初は非力だった。その夜、赤ん坊を抱いて泣く母親の姿を目にした時、リョウの心に初めて「変えるのは自分だ」という明確な火が点いた。

 それは留置所で芽生えた怒りが、ついに行動への衝動へと変わる瞬間だった。

 「何かしなければ…でも、自分に何ができる?誰かがやるべきことを、自分がやっていいのか?」

その問いに、リョウは日々思い悩んだ。彼は夜ごと、自分の非力さと恐怖と戦っていた。会社は冤罪で解雇され、ありあまる時間で政治や経済を独学した。図書館に通い詰め、本を読みあさった。そこで彼は、過去の革命や改革の歴史を学んだ。多くの改革者たちもまた、最初は非力で無名だったことを知り、勇気を得ていった。

 さらに様々な本を読み進め、革命に成功した指導者と失敗した指導者の違いについても研究した。そして一つの結論にたどり着いた。

 「一番を目指さなければ革命者は失敗する」

これまでの人生で彼は常に中途半端だった。学業も仕事も、そこそこでよしとしてきた。しかし、この社会を変えるためには、そんな生き方では通用しない。全力で挑み、一番になるか、あるいは何もしないか。中間はない。

 「それでも、誰かを待っている時間に、誰かがまた飢えて死ぬかもしれない。だったら、やるしかない。そして、やるなら徹底的にやる」

 その思いは、彼の内側で日に日に強くなっていった。妄想は現実的な計画へと変わり始めた。社会を変えるには何が必要か。まずは人々がパンに困らない世界を作る。それには、政治の力が必要だ。リョウは自分の部屋の壁に、行動計画を書き始めた。まずは地域から。草の根から変えていく。一人ではなく、共に戦う仲間を見つける。

 敗戦からまだ間もないため、選挙というルールはあるものの、具体的な制度はまだ確立されていなかった。それでも、立候補の道があるならば、それを選ぶべきだと彼は考えた。問題は、どう人々の心を掴むかだった。

 リョウは地域の集会への参加は控えた。まずは、話し方で人を惹きつける術を磨かねばならない。中途半端な演説では聴衆は去ってしまう。抑揚のつけ方、間の取り方、リズム。話す内容よりもこちらの方が聴衆の心を動かせる。

 彼は話し方を中心に練習した。小さな飲み屋に通い、聴衆を引き付けるための技術を磨いた。最初は笑われたが、やがて彼は店一番の話し手となった。かつて存在感のなかった青年が、今や人々の注目を集める存在へと変わりつつあった。よし、これなら街頭の演説でも聴衆を引き込める。


 半年後、統一選挙が告示された。


 選挙に立候補するための道のりは、リョウの想像以上に険しかった。壊れたビルやボロボロの住居が並ぶ街にひとつだけ、かろうじて威厳を見せようとしている施設があった。それが役所だった。リョウはそこへ向かい、立候補の手続きをするつもりだった。

役所に出向いたリョウは、これまでの小心者のイメージを脱ぎ捨てようと、できるだけ無表情かつ口数を最低限にするよう努めた。しかし、内心は震えていた。「僕が、政治を変えられるのだろうか」という疑念が、再び頭をもたげてきた。それでも、もう後戻りはできない。倒れた老人の閉じた目、飢える子供たちの姿が、彼の背中を押した。

 どこに行っていいのかわからない。窓口が沢山ありどの窓口も長蛇の列で聞くに聞けない。人々の疲れた表情、諦めの色が漂う役所の空気が、リョウの決意を揺るがせそうになった。一瞬、逃げ出したくなる衝動に駆られたが、彼はその場に立ち続けた。

そこで、役人らしき人を見つけた。なぜ役人と分かったかというと、当時はみな貧しくやせ細り、服も破れているのが普通の中で、その人だけは姿勢よく歩き、服も最低限度に綺麗だったからだ。その姿を見て、リョウは社会の不均衡を改めて実感した。

 その人に「統一選挙に…」と言いかけたところ、途中で話を遮られ指であちらへ行けと指示された。言葉一つ発することもなく、まるで虫けらを追い払うかのようなその仕草に、リョウは屈辱を感じた。しかし、それも含めて変えなければならない社会の姿なのだと、彼は奥歯を噛みしめた。

 「選挙事務所」と明らかに間に合わせで書いた張り紙があるドアがあった。リョウは大きく息を吸い、覚悟を決めた。「よし、ここからはさらに無表情かつ口数を減らそう」と自分に言い聞かせた。

その姿を、窓口に並ぶ行列の人はどのように思っているのだろうか。「あんな若造が何をしようというのか」「また何か騙されるのではないか」という視線を感じた。いや、そんな小さなことを考えてはだめだ。リョウは自分の使命を思い出した。

 ドアを開けると、無機質な部屋があり、想像とは裏腹に一人だけ年配の老人がいた。彼のデスクには書類の山が積まれ、その傍らには冷めたコーヒーのカップがあった。明らかにやる気がない様子に、リョウは一瞬戸惑ったが、これがチャンスだと思った。


 「立候補します」


 リョウはできるだけ堂々と言った。声が少し震えたが、老人は気づかなかったようだ。

 老人は彼を見て小さく首を振った。そして、

 「政治家など、誰もがなりたがらない職業だ、それは皆からいじめを合うからだ。お前なんかに務まらない」と冷たく言った。

 リョウは逃げ出したい衝動に駆られた。老人の目には明らかな軽蔑の色があった。この見るからに小心者の青年が、冷やかしにでもきたとでも思われたのだろう。しかし、もう後には戻れない。リョウは立ち尽くし、自分の存在意義を問い直した。「今ここで逃げたら、また以前の自分に戻ってしまう」その思いが、彼の背筋を伸ばした。


 「立候補します」


 リョウはもう一度、今度はより強い意志を込めて言った。老人との視線を逸らさず、真っ直ぐに見つめた。その目には、かつての臆病さはなかった。

 老人はしぶしぶ書類を一枚渡した。「ここに所属と名前と住所を書きな」と言った。

名前と住所はすぐに書けるが、所属とは何なのだろう。会社は辞めたから無職とでも書けばいいのか。リョウは迷ったが、口数を減らしたいため、黙っていた。空白のまま提出した。

 すると老人は「よし、書いたのならそれで受け付ける。あと受付に必要な手数料は持ってきたか?」と言いつつ、所属の欄に”無所属”と記入した。日々のこまごまな収入をすべて集め、手数料分のお金を持っていたため、リョウはそのお金を払った。選挙に関する注意を長々と話されるだろうと思ったが、老人はため息をつくだけだった。

 「お前さん特に選挙に協力してくれる人はいないだろうから、選挙の規則説明は無駄だろう」とだけ言った。

 後でリョウは知ることになる。「賄賂も禁止なのだが、私には賄賂するお金もないことは一瞬で分かって言わなかったのだろう」ということを。この社会の腐敗は、日常の隅々にまで染み付いていたのだ。

 「もう選挙期間は始まっているから街頭とかで講演しな」と老人は言い、最後にリョウに聞いた。 

 「政治家になって何がしたいんだ?」

 リョウは一瞬考え、最も基本的な人間の権利について口にした。

 「パンを配る」

 それはシンプルな言葉だったが、彼の決意のすべてが込められていた。パンは単なる食べ物ではなく、尊厳と生きる権利の象徴だった。飢えずに生きる権利、それは全ての権利の基礎だと彼は考えていた。

 老人はあくびをしながら、いやあきれながら「これで手続きは完了したから、あとは結果を待つだけだな。もうここですることはないから早く部屋から出てくれないか」と言った。

 ようやく立候補はできた。第一関門突破。しかしこれは始まりに過ぎないことを、リョウは知っていた。

 選挙運動は孤独だった。家族も友人も、彼の決断を理解する者はいなかった。

 「お前が何をできるというのだ」「また誰かに利用されるだけだ」という声が彼を取り巻いた。しかしリョウは拘置所での長い時間を使って、どう語るべきかを何度も練習していた。内容より声の抑揚と、話す間の取り方が重要だと悟っていた。彼は持ち金をはたいて印刷したビラを配りながら、小さな広場で演説を始めた。

 最初は誰も耳を傾けなかった。ビラは受け取ってもらえず、彼の声は空しく響くだけだった。かつての同僚も彼を見て笑うだけだった。「あんな影のような存在が、政治家だって?」という嘲笑が聞こえてくるようだった。

 それでも彼は諦めず、毎日同じ場所で同じ言葉を繰り返した。雨の日も、風の日も。喉が枯れるまで、足が棒になるまで。彼の中でも何かが変わっていた。

 「私たちには、生きる権利がある。パンを手に入れる権利がある」

 その真摯な姿勢に、少しずつ足を止める人が増えていった。特に若い母親たちが、子供を抱きながら立ち止まるようになった。飢えない世界を夢見る彼女たちの目には、希望の光が灯っていた。選挙権は男性にしかなかったが、女性たちも熱心に耳を傾けた。むしろ女性の方が多く聞いてくれているように思えた。子どもたちさえも、彼の周りに集まり始めた。

 「あなたは本当に変えられるの?」と問いかける目に、リョウは真っ直ぐに応えた。「一人では無理でも、皆と一緒なら変えられる」と。その言葉に、人々は少しずつ心を開き始めた。

 リョウの集会は徐々に大きくなっていった。初めは十人にも満たなかった聴衆が、やがて百人を超えるようになった。彼の言葉は単純だったが、真実味があった。リョウ自身が貧しさを知っているからこそ、響く言葉だった。そして、彼の姿勢そのものが、変化の可能性を示していた。かつての影のような青年が、今や人々の前で堂々と語るリーダーへと変貌していたのだから。

 投票日を迎え、結果が街中に張り出された日、リョウ自身が最も驚いた。


「当選者:リョウ」


 候補者4人中3人が当選する選挙だったが、最下位での滑り込み当選だった。それでも、彼はついに政治家になったのだ。その瞬間、リョウの心には喜びと共に重い責任感が芽生えた。今や彼は単なる一市民ではなく、多くの人々の希望を背負う存在となった。

 一位ではなかったことに、リョウは一瞬落胆した。しかし、すぐに気持ちを切り替えた。一位でも最下位でも、得られる権利は同じだ。大切なのは、その権利をどう使うかだ。彼は目の前の選挙結果の紙を見つめながら、固く誓った。

 「必ず変えてみせる。人々が飢えない世界を作る」

 この日から、リョウの本当の戦いが始まることになる。

2025.4.26 改訂

- 赤ん坊を抱いた母親が涙を流しながら乳を与えられない姿を見た時、リョウの心に火が点いた。

+ 図書館で偶然手に取った本に、歴史上の無名の改革者たちが紹介されていた。彼らも最初は非力だった。その夜、赤ん坊を抱いて泣く母親の姿を目にした時、リョウの心に初めて「変えるのは自分だ」という明確な火が点いた。


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