二節 帰還1
◇
「……大きい」
「あぁ、帝都は大きいな」
空飛ぶ機竜。眼下に広がる帝都を見下ろし呟くのは、すっかり機竜での移動にも慣れた様子のカタリナだ。
帝都に住まう国民は、機竜の離着陸を一種の娯楽のように捉えているらしく、機竜の離着陸に関して不満の声を聞くことは滅多に無い。彼らにとって、機竜の存在は帝国の平和の象徴のように思われているのだろう。
「オリア帝国首都オーレリアにようこそ、カタリナちゃん。ウェイド、いつものやらないの?」
『そうだな。最後かもしれないんだ。聞かせてくれよ、いつものやつ』
機竜を操縦しながら振り返るメアの言葉に続いて、耳飾りを通じてワーグナーの声が聞こえる。二人の声音は、どこか楽し気で。
「お前ら、揶揄ってないか? まあいいけど」
「……いつ、もの?」
期待するみたいにこちらを見上げるカタリナに、俺は少しだけ照れ臭くなって咳払いを一つ。いつもは何の気も無しに高揚した気分そのままに問うから、こうして待ち構えられて求められるのはなんて言うか……少し、気恥ずかしい。
だが、ワーグナーの言う通り、最後かもしれないんだ。ならば笑って、問いかけよう。
「……帰ったらまず、何がしたい?」
「お風呂! もう一週間も水浴びしか出来てないしね!」
『飯だな! 味気ない行軍飯には飽き飽きだ! ……さて、ウェイドはどうしたい?』
俺の問いに、二人が用意していた答えをそれぞれ口にする。
機竜小隊での行軍の度に、聞いていたら、それが恒例になったのだ。メアには、終わりだと区切りをつけることで仕事と日常に境目を作っている、なんて言われたこともあるが、俺はそんなつもりで聞いていたわけではない。ただの、興味本位で聞いていただけに過ぎない。だがそれも、最後かと思うとどこか寂しくて。
聞こえてきた二人の威勢の良い声にカタリナがびくっ、と体を震わせる。
「俺は、そうだな──」
お前たちはいつもそれだな、と苦笑を浮かべながら震えたカタリナを宥めつつ、俺は帝都に戻る二日間に渡る旅程を思い出していた。
『──全部、説明してくれるんですよね?』
飛び立って最初にしたのは、ほったらかしにしていたリリスとの通信だ。
レオ殿下のオペレーター伝いに俺の現状を聞いたらしく、通信を再開して、いの一番に聞こえたのがその声だった。
普段のうんざりするほどの声量に反して、彼女のドスの利いた声と言うのを初めて聞いたお陰で、俺はその瞬間、冷や汗が止まらなくなった。とは言え、俺の取り繕った返事を受けた後はいつもの様子に戻って俺の鼓膜を破壊するべく捲し立てられた。
彼女の声音に涙が滲んでいたのに気付いた時にはなんて言えばいいか分からなくなってしまい、メアやワーグナーから飛んでくるアドバイスを参考に何とか泣き止ませて約束を取り付けることに成功したのであった。通信ではなく一度会って話そうと約束を取り付けた後、メアからは「別れ話でもすんの? それとも復縁迫る感じ?」と揶揄われた。
そのことを思い出して、俺は二人の声に答える。
「リリスと会って話す、だな」
『リリス嬢も、前途多難だな』
「ねー、本当に。ワーグナーがウェイドに勝ってるのは女性経験くらいだよね」
『……おい、どうして今ここで俺を刺したんだ?』
耳飾りから聞こえてくる二人の会話に笑みが浮かぶ。
この心地良い会話は、帝国貴族としてではなく、同じ機竜小隊に勤めて幾度となく死線を乗り越え、命を預け合った仲だからこそ生まれるもの。そんな唯一無二の関係が、今日終わりを迎えるのだと思うとぐっと胸が締め付けられる思いで、鼻の頭がツンとなる。
「……」
「なに、泣いてるの? かわいいとこあるじゃん」
「泣いてねぇし」
機竜を失った今の俺が機竜小隊にいられる理由は無い。
二日前は肉体的にも精神的にも疲弊しきっていたから小隊に未練はない、なんて言ったが、そんなのは一時の気の迷いだ。
今の俺は、この小隊を……正確には、この遊撃隊から離れることに大きな寂寥感を抱いていた。
そのことを口にも態度にも出すことは決してしないが、そのことを感じ取っていながらいつも通りの帰路を演出するメアとワーグナーの二人には感謝しかない。
「……私は、美味しいもの。いっぱい、食べる」
「そうだな。いっぱい食わせてやるからな」
「ん!」
カタリナの元気いっぱいな声に、俺は目端に浮かんだ涙を拭って微笑みかける。ワーグナーと言い合いを続けながらも後ろに気を遣うメアには気付かれていたかもだけど。
「そろそろ降下態勢に入るよ。この後は、手筈通りにね」
「ああ、何から何までありがとう。メア、ワーグナー」
『気にするな! ……と言いたいところだが、感謝しろよ、ウェイド。これが今生の別れになるって訳じゃないんだ。またいつか、必ず会おう。我が戦友よ』
「もちろんだ、ワーグナー」
『それと、今度はカタリナ嬢にも会わせてくれよな。常連の店に連れてってやるから』
「貴族御用達の店は遠慮願うぞ? もうあんな目には逢いたくないからな。だけど、楽しみにしておく」
「ん。楽しみ」
機竜小隊の編隊は遊撃隊が荷物と共に先行し、衛生班や整備班を運搬する本隊が後に続く。
つまり、メアとワーグナーの機竜が荷物と共に先に到着するため、俺とカタリナはレオ殿下の目につかずに帝都に入れるということになる。
「……おお」
「カタリナ。しっかり掴まっていろよ。舌噛むぞ」
ズズズ、と機体を揺らして帝都城壁に沿って作られた発着所に降り立つ機竜。
既に帝都側から迎えの人材が見えているが、彼らは既にメアが買収済みだという。
どこまで手を回しているのか。
しかし、メアの手助けはここまでだ。帝都に入ってからどうなるかは、まだ誰も分からないのだから。
「メア、何から何まで、本当にありがとな」
「いいから、早く行きなよ。……次に会った時に僕が可愛くなりすぎてて見蕩れちゃっても知らないからね~」
「あぁ、メアはいつでも可愛いさ。俺の知る限り、一番だ」
「……そういうこと、誰にでも言ってるんでしょ? 知ってるんだからね。シャーリィから聞いたよ?」
「本心なんだけどな」
首を傾げる俺に、呆れ半分でくすりと笑うメア。
カタリナが降りるのを手伝った後、俺は最後にメアと目線を交わす。
「……また会おう」
「うん、またね。……僕が言うのもなんだけど、君は良い奴だよ」
機竜の発進時にメアとワーグナーを含めた三人で行うみたいに、メアが拳を突き出す。彼の言葉の意味は分からなかったが、俺はいつものように拳をぶつけ合う。
ふと思い立ってワーグナーの方を見てみると、機竜の操縦席から拳を突き出しているのが見え、そちらにも拳を向ける。
「光栄なことだ。お前も……まぁ、良い奴だよ」
「そこは言い切ってよ。もしくは最高だ、とかね。まぁ、そっちの方が君らしいか。ほら、さっさと行きなよ。殿下たちは君を置いて来たものだと思ってるんだから。見つかったらややこしくなる」
良い仲間だった。良い奴らだった。
……涙が零れそうになるのを冗談で誤魔化して、今度こそ二人に背を向け、その場から去って行く。
機竜の発着、及び保管を担う整備場を離れ、通い慣れた道順を通って街並みに出る。
どこに行くべきかなんて分からず動かしていた歩幅が緩くなってきたところで、カタリナが俺の顔に手を伸ばして心配そうに声を掛けてきた。
「……泣いて、るの? お腹空いた、から?」
「泣いてない。ただ少し……眩しかっただけだ」
だから俺は強がってそう答えたのだが、カタリナの小さな手に頬を伝う涙が拭われる。これでは誤魔化した意味がない。
「とりあえず、一番危険な宿に先に行こう」
「……ごはん、は?」
「リリスと話す時に一緒に済ませよう。それまで、待っててくれるか?」
「……ん~」
カタリナは了承とも不承とも取れる反応を見せるが、俺は一度緩めた歩様を速めて、目的の宿へと急ぐ。
帝都にマイホームなんぞがあるはずもない俺にとって、月更新の借り部屋が帝都での俺の住処。そして俺の住まいはメアやワーグナー、それからリリスやフュリーズに聞けばすぐに分かってしまう。メアによって緘口令が敷かれているとは言え、俺が帝都に入ったことがバレるのにそう時間はかからないだろう。殿下が俺とカタリナを追っているのであれば、宿を確かめに来させるに違いない。
殿下は話せばわかってくれるはず……、なんて言うのは早い段階で諦めたことだ。
レオ殿下は、俺のことを守るべき国民、だなんて思っていない。それこそ、敵国の兵士、くらいに思っているのだろう。そうでもなければ、あんな目は出来ない。それくらいあの人は俺の話を聞かないし、無理難題ばかりを押し付けてくる。
今回の一件で大して驚いてもいなければ腹を立てていないのも、殺されかけたのが初めてじゃないからだ。……とは言え、耳を斬り落とすのは些かやり過ぎであるが。
……俺が何をしたって言うんだ。
軍規違反ですか。そうだった。
「おばさん! 部屋の荷物全部馬車に詰めるから、手伝って!」
「おぉ、おかえり! なんだい、帰って来て早々に! 軍規違反でもしたのかい!?」
冗談のつもりだろうけど冗談になってない。
一言目に核心を突かれると人間って動けなくなるんだな、と知ったのはこの時だった。
「……まさか、本当にやっちまったのかい。まあ、いつかはやるだろうと思っていたけどさ」
「ただいま……」
「……よし、よし」
どんな危険思想の持ち主だとでも思われていたのか、宿の女将さんの言葉にあからさまに落ち込む俺をカタリナが慰めてくれる。レオ殿下に徹底的に虐められてフュリーズに慰められた時よりも惨めな思いだ。
「その子供はウェイドの隠し子か何かかい? うちに住むならもう一人分の料金は貰うからね」
「悪い、おばさん。今日で引き払うことになるかもしれないんだ」
「今日で、って随分急だね。先週更新したばっかりじゃないか。お金は返さないよ?」
「荷物を積み込む手間賃ってことで、勘弁してあげる」
「そこは──俺の都合だから倍額払うよ……、くらい言えないのかい」
「それがこれから宿無しになる俺に言うセリフか?」
冗談だ、と言って笑うおばさん。
来る途中で拾って貸し切った野馬車を宿の前に止めてある、と説明すると、おばさんは「退屈しないねぇ」と言って笑いながら荷物を運びこむのを手伝ってくれた。
流石に乗合馬車一棟を貸し切りにするのは痛い出費だが、荷物を全て置いて行くよりはマシだ。それに、故郷へのお土産以外に飲み代にしかならなかった給金だ。余りに余っているそれの出番が今こそ、と思えば、出て行く貨幣もどこか嬉し気だ。やはり、経済は回してなんぼらしい。
しかし、運び込んだ荷物と言っても、俺の私物はほぼゼロ。日常生活は軍の支給品で賄われていたし、家具も備え付けのもので俺のものではない。ゆえに、馬車に詰め込む荷物の九割は弟妹たちへの土産物で埋まっている。
「これで、全部ですか……?」
「これで全部だね。それにしても、よくもまあこれだけ買い漁ったものだね」
「こっちに来て五年分だしな。女将さんとは卒業してからの付き合いだから、三年くらいか?」
「早いもんだねぇ」
「──お話し中のところ失礼します」
積載量限界まで詰め込まれた荷物の山を見て達成感に浸っていると、背後から突然声が掛かり、もう迎えが来たのかと歯噛みしつつ振り返るとそこには、
「私、皇帝直轄近衛部隊所属、ハリスと申します。第三機竜小隊遊撃隊所属、特別騎兵のウェイド様ですね」
レオ殿下の手先とは思えないような、敵意の一切を感じない礼儀正しい美青年が恭しく伺いを立てるかのように立っていた。
補完と言う名の、言語解説。
【機竜整備場】
帝都外周にある、機竜専用の整備場。発着場を兼ねる施設は当然関係者以外立ち入り禁止であるが、機竜が編隊を組んで飛び立ち、無事に帰って来る光景は国民に希望と安寧をもたらす光のよう。そのため、外周部に暮らす帝都民からは機竜の整備で発生する音や振動には寛容な態度を示してもらっており、トラブルは最小限に抑え込まれている。
また、機竜整備場は帝都の観光スポットの一つでもあり、初めて機竜の発着を見た者は、金属の塊が空を飛ぶ迫力を前に誰もが言葉を失うのだとか。その迫力で吊り橋効果も期待でき、常勝の帝国軍にあやかるように恋愛が成就するというまじないも世間では流行っている。