三節 後顧2
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「──そろそろ、追手が村を見つけた頃かな」
出立から五日が過ぎた頃、不意にメアが零したその言葉に、場の空気がシンと静まり返ったのを肌で感じた。
これまでの険しい道のりに加え、夜が訪れる度に迫り来る魔物の襲撃。
行軍を経験しているはずのウォルマンやブランでさえも息を荒くさせ、喋る口数もめっきり減って来ているのだ。行軍は疎か旅にすら慣れていない者達にとっては、地獄のような五日間だったに違いない。汗を垂らし、涙を零し、弱音を吐く。それを何度も繰り返しながらも、誰一人としてその歩みを止めることがなかったのは、彼ら彼女らの覚悟の表れであろう。
そんな中で聞こえたメアの言葉を、気に留めるなと言う方が無理な話で。
あの村がお世辞にも彼らにとって良い思い出がある場所では無いとは言え、同じ屋根の下で幾日も時を共にした同胞たちが残る場所だ。それを今更「関係無い」と切り捨てられるほど彼らも人の心を捨ててはいないようで、遠く来た道を眺めるメアの言動にその場の全員が注視する。
「メア殿。その追手、と言うのが何か、説明して下さりませんか?」
「僕たちが帝国のお尋ね者だというのは説明しただろう? それじゃあまだ足りなかったかな」
「此処にいる者が皆、帝国の治世に明るいというわけでは無いのです。兵士と騎士の区別も無い者が大半。後学のため、どうか、ご教授願えませんでしょうか?」
慇懃な例を取るウォルマンに対して、メアは泥や土に塗れて汚れている同行者の面々に視線を巡らせた後、ゆったりと口を開く。
「人探しには元より、人海戦術が最も効率的だ。そのため帝国では罪を犯し逃亡した者を人相書きと共に全国へと配布し、懸賞金をかけて指名手配することも珍しくない」
「賞金首とかが、その代表的なものですな」
「そうそう。それで元々僕たちを追っていたのも、帝国の小さな編隊や賞金稼ぎが主だったけれども、入ったら出て来られないと噂の密林、メトロジア大森林に僕らが立ち入ったことに加えて、僕らの協力者が帝国を本気にさせてしまってね。彼らってば、手加減ってものを知らないんだ。更なる追手を引き出させない程良い塩梅ってのがあるのに、それを知っててやらないのがまた質の悪い話だと思わないかい?」
「は、はあ……。それよりも、協力者、ですか?」
「その件に関しては時が来たら話すよ。とにかく、協力者が有能だということが伝わればいいからね。お陰で、帝国は僕たちの捜索に本腰を入れなくちゃいけなくなったのさ。国の面子を賭けて、僕たちを始末しに動いたんだ」
「し、始末しに……?!」
メアの語った内容に、休憩を取りながら耳を傾けていた面々の顔に、困惑の色が浮かぶ。
ただでさえ色濃かった疲労がより一層濃くなったように見えるのは、気のせいじゃないはずだ。
ウォルマンやブランですら息を切らす道程、そして日程である。
なんの訓練も経ていない一般市民である彼らは、自らの息を整えることで精一杯で、会話に加わることすら出来ない。あのエディですら、俺やメアに「やっぱりお前たちのせいかよ」と噛み付く余裕すらない。
メアが建てていた行軍日程から考えると、進みはかなり遅れているのが現状。
休憩を多くとらねばならず、歩みは非常に遅れている。
けれども、森林闊歩に不慣れな面子は今日までよく付いて来られたと褒めてもいいくらいの根性を見せている。
ほんの数か月前までは町で平和に暮らしていて、兵士に求められるような過酷な環境でのサバイバル術など持ち得ないのはまだしも、療養明けで体力もままならない者達がいる中でこのペースを保っていられるのは奇跡と呼んでもおかしくないくらいだった。
それもこれも、彼ら自身が決して歩みを止めなかったから。
そしてそれを為し得たのは、食料や水の大半を彼らに割り振るために俺やメア、リリスとウォルマンの分を削って彼らに分け与えているからと言うのが、大きく関わっているだろう。
メアに至っては、村を発ってから今まで、ほとんど水以外口にしていない。であれば俺もそれくらいは、と協力を申し出たところ、「君は夜間のために体力を削らない方がいい」と言って最低限の食事量をキープしてくれていた。ルートの算出とついて行くことだけの自分には、大したエネルギーは必要ないと言って。
夜間は一所に固まる村人たちを、音も出さずに近寄って来る魔物たちを屠り続ける。なるべくなら音を出さず、襲撃があったことすら気付かせないまま終わらせたいのだが、それも日を追う毎に難しくなってきていた。疲労が蓄積しているのだろう。
そんなカツカツな状況の中、リリスやウォルマン、ブランが更なる協力を申し出てくれるが、水と食料面以外で彼らが協力できることは無い。
特にブランは病み上がりである。それに連なる被害者女性らのバックアップも、リリスと二人で任せている。更にウォルマンは、彼の誠実さを知ればわかる通り、同行組の精神的支柱でもあるのだ。万が一にも無茶をして脱落する羽目になれば、この苦境を乗り越えるのがさらに困難になる。
誰が欠けても支障が起こり得る状況の中、必要以上の苦痛を強いられるのは俺とメアだけでいい。
それが俺たちの担う責任だから。
俺が守らなければならない、命だから。
「国の面子、ということはつまり……皇帝陛下のご意思、ということですか?」
息を飲み、恐る恐ると言った様相で尋ねたウォルマンの言葉に、メアはあっさりと頷き返す。
「新皇帝、レオポルド陛下は、皇帝の私兵とも呼ばれる近衛騎士団を動かしたのさ。追手の正体は、それだ。陛下の命令でしか動かせない、騎士団が動いた。その意味は、騎士の中で選ばれた者だけが称号を賜れる近衛騎士の実力は、君たちも知っているだろう?」
そんな一般市民である彼らに対するメアの問いに返って来たのは、沈黙だった。
一般市民の中では、一兵卒でさえ頭の下がる対象である。そこに士官や尉官の区別はない。必要無いからだ。
彼らにとっては等しく命を懸けて戦う者である以上敬意を抱くのは必然であり、そこに上下の区別など必要な者が知っていればいい、と言うのが一般市民が抱く帝国軍人へのイメージなのであった。
そんな彼らが明確に違うと判断付くのは、凱旋を行う機竜小隊や前線部隊の存在だ。彼らの中では英雄とすら呼べる者達である。その更に上の立場である騎士や近衛騎士となると、彼らにとって違いは分からないものだ。
帝国領の南端にある「喘鳴の塔」と呼ばれる古代の遺跡。その正体は天を衝く巨塔であり、それを下から見上げるのと同じで、一定の高さを超えたその先からは、高度の差など最早微々たるものにしか見えなくなる。
もしも位としての高さを論じるのであれば、近衛騎士の英傑ぶりを知っているのが前提条件として欠かせない。そしてそれは恐らく幾ら語ったところで知らぬ者には到底理解できない話なのかもしれない。
「……その話が本当だという証拠は、どこにあるんだよ」
「エディ」
「だって本当だろ?! あの閉鎖された場所で、どうやって外の出来事を知るんだよ。追手が切り替わることも、その追手が何なのかも、それがどれくらいで着くのか、とか……。分かりっこないはずだろ? それが分かるのは……そうなるように手引きした連中くらいのはずだ」
誰もが困惑する中、メアの意見に食って掛かるのは、血気盛んな若者。獣人種のエディ。
恐らく、一行の中で最も疲弊していると言っても過言ではない様相。
頬はこけ、目は血走り、自慢の尻尾も毛艶が悪い。
彼の疲弊は主に、精神から来るものだ。それも全て、彼の生き死にの綱を握っているのが、彼の信用できない俺とメアだからというのが大きな要因だろう。
夜毎に、魔物が襲い来る。
その事実は眠りを妨げるのに十分な理由だ。
多くの同行者は魔物の襲来に怯えて眠れない日もあったようだが、それは初めだけで。今では夜が来れば疲弊を訴える体に引きずり込まれるように眠りについていく。だから十分な睡眠とは言えずとも不足しない睡眠時間を確保してこれまで付いて来られているのだが、エディの場合、追い詰められた状況も相俟って獣人として感覚が鋭敏になっていることに加え、魔物の撃退に関して頼みの綱が俺しかいない、という状況において、安心して眠ることなど出来るわけがなかった。
人は睡眠を奪われると判断が疎かになると言うことを、自分の身で実証済みである。習性の違いがあるにしろ、それは恐らく獣人でも変わらない。
ただでさえ寝不足の彼にとって本当に信じられる存在がイムさんしかいないこの状況は、彼を精神的に追い詰めるには条件が整い過ぎていたのだ。
そんな状況下で噛み付いて来たエディの意見は例の如くただのいちゃもんなのかと思いきや、追い詰められたがゆえに見えた一つの答えはある意味では真髄を突くような意見であった。
「その追手は……、お前らが仕組んだんじゃねぇのかって、言ってんだよ!」
「エディ。エディ、一旦、落ち着いてくれ」
あの村の中に居て、外の情報を拾うことは数えるほどしか無かった。それも全て、メアの口からもたらされる情報ばかり。
もし仮に能動的に動いていたとしても、外部の情報を手に入れるのは難しかったかもしれない──否、不可能だったに違いない。
そう言い切れるくらい、あの村は外界との繋がりを断っていた。
それなのにどうしてメアがその情報を持ち得ていたのか。
俺もまた、エディの気迫に飲まれたかのように懐疑的な視線を伴いメアを見る。
俺では、彼の言っていることを否定できないからだ。あり得るかもしれない可能性を孕んでいるからだ。
俺だけでなく、話に耳を傾けていた誰もがそんな視線を彼に向けていた。
しかし、俺の目にはメアが村の方を静かに見つめる横顔だけが見えるのだった。
その横顔から伺えるのは、冷静さを取り繕う様でも、善意を疑われ憤慨する様でもない、ただただ平然としたメアの横顔だけがそこにある。
これだけの視線に晒されてなおも平然としていられるメアが恐ろしく、同時に彼らしくもあることに頼もしさすら感じつつ、瞬く間に不安が募る空気の中で俺はメアの肩に手を掛けた。
「おい、メア──」
「僕は言ったよね。信じるのではなく、疑うことを覚えるべきだって。それが出来る君は貴重な人材だよ。褒めてあげたっていい」
「な、なんだよ、ち、近寄るな……っ!」
けれど、俺の手が触れる寸前でメアは振り返る。
振り向いた先、メアの表情に浮かんでいたのは、悦を含んだ笑みだった。
両手を掲げてエディにじりじりと詰め寄るメアの姿は、心底嬉しそうに見えた。
もしや、疑問を提示する彼もまた、メアの中では不条理に挑まんとしているという判定なのだろうか。俺にはその区別はつきそうになくて。
「冗談はさておき、端的に言ってしまえば、協力者から情報を得ている、というのが答えだ。その方法と言うのが、空を飛ぶ手紙さ」
「伝書鳩、ということですか?」
「帰巣本能が優秀な伝書鳩を活用するには、僕も協力者も常に所在地が変わるから難しい。そこで利用するのが、特定の匂い……フェロモンにのみ反応する『フジツガイ』という鳥を使ってお互いの情報をやり取りしていたのさ。協力者もまた追われる身。追手の情報には事欠かないと言う理由なのさ。これで納得出来たかな」
「納得は、出来たが……それで、その追手が村に来るから、出発を急いだわけか」
こくり、と頷き「その通りだ」と言ったメアに対して、言うか言うまいか悩みの果てに絞り出したような苦悶の声を上げたのは、ウォルマンであった。
「その追手と……対峙することは、その、叶わなかったのでしょうか」
ともすれば即撤回されかねないような発言に、誰かが息を飲む音が聞こえた。
俺も、考えなかったわけでは無い。
メアから追手の話を聞いてまず先に思い浮かんだのはそれだったから。
「無いね」
俺の提案を切り捨てた時と同じように、複雑な感情が混ざり合った空気の中、メアはたった一言で返事をしたのであった。
「しかし……」
「もし仮に対峙していたとして、村が戦場になった時、どうやってみんなを守れるって言うのさ。辛くも追手を撃退できたとして、次にやって来る追手をもう一度追い返せるとは限らない。追手は一度退ければ終わりって訳じゃないんだ。それに、あの村は閉鎖空間。補給なんて望めない場所だ。いずれジリ貧になって敗北は免れないだろう。ましてや、背後にいるのが僕たちを恨んでいる人間だなんて、いつ裏切るか分かったもんじゃないでしょ」
「それは……」
言葉を失うウォルマンの隣で、俺も息を飲んでしまう。
それでは、まるで……
──遠回しに、村に残った連中は守る価値が無いとでも言っているかのようではないか。
そう取られてもおかしくない発言。
貴族的な言い回しに長けているメアであれば、言葉の裏を取らせる言い方も、裏を取られない言い方も含めて使い分けるはず。今後のことを考えるのであれば、ここでその意図を含んでいると取られるような発言はしないはずだ。今後の士気にも関わってくるから。
気力だけで歩いている彼らから士気を奪うということはつまり、彼らを見捨てるも同然。
その可能性はいつでも孕んでいると伝えられてはいた。
出発前に、メアから小さな声で、いつでも彼らを切り捨てる覚悟をしておくようにと告げられたのを覚えている。それに対してもちろん俺は抗議したものの、共倒れだけは絶対に避けなければならないと説得される始末。
それでも、俺は出発から間もなくして彼らを守り抜く覚悟を決めた。だからもしもメアが既にその気であるなら、俺は断固反対の意思を示さざるを得ない。
──まだ、それを判断するには早い段階だ。
彼らに希望を抱かせた以上、それを叶えるのが希望を見せた者の責務。
切り捨てる覚悟や途中で見限るなど、デゲントールと同じ所業や絶望は二度と繰り返させない。
その為にも、俺はメアと対立することさえ厭わない。
「それに……」
「メア、俺は──」
けれども、続くメアの言葉に俺は、自らの覚悟すら揺らぐ思いを植え付けられるのだった。
「──今頃……、村は全滅していてもおかしくないけどね」
その言葉に、俺は息を飲まざるを得なかった。
補完という名の、言語解説。
【喘鳴の塔】
帝国の南西部。カヴセール自治領を超えた未開拓の深い森の中に立つ、見上げるだけでも息が切れると言われる巨塔。帝国の南端にあり、帝国の侵略の道を阻む壁として立ちはだかるアウフグス山脈の標高をも越え、雲も越える高さを誇る意図不明の建設物。
塔内部からもアーティファクトと思しき物品が出土したことから、遺跡群の一つとも考えられている。しかし、塔内部から発掘されたアーティファクトは他の遺跡から発掘された物とは比べるべくもないほどに保存状態が悪く、発見されたアーティファクトはほぼ全てがガラクタということもあり、一攫千金を夢に見る盗掘師が立ち入るのが精々。住み着いた魔物も多く、人の手が入ったのは中階層までである上、掘り出されるのはガラクタばかり。お陰で人の手が入らなくなって久しい存在。打ち捨てられた遺跡の一つ。
また、頂上に到達すれば願いが叶う、なんて一部では謳われているがその真相は不明である。




