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あなたのために私は。



 ◇




「──絶対に駄目だ」


 診療所の一角で、話を聞いたウェイドさんから返って来たのは、きっぱりとした拒絶の言葉だった。



「どうしてですか! どうしていつも、私だけを仲間外れにするのですか?!」



 貴族の淑女としてはしたない素振りだと分かっていても、喉が張り裂けんばかりに大きな声を上げることを止められない。

 ウェイドさんから拒絶されたという現実を受け入れられない。受け入れたくないという気持ちが先行してしまい、彼がそう言ったことを厭うのだと分かっていても、私は感情の発露を止められなかった。


 今ここで引き下がれば、もう二度とこの手が届くことは無くなってしまうと思えたから。


 この場所は帝都の高級レストランの個室のように多少賑やかにしていようとも憚られることの無い空間とは違い、仕切り板で区切られただけの場所である。同じ診療所内にいるはずの治療中の患者たちや、ブランさん達にも私の金切り声が届いていようとも、構わない。


 私の醜態が晒されることよりも、ウェイドさんに拒絶されたままの方が、よっぽど辛いことだから。


「リリス。お前は俺やメアとは違う。無理をして俺たちに染まろうとなんてしなくていい。このまま俺たちと一緒に居ても、お前は不幸にしかなれないんだ。だから」

「無理なんてしていません! 私は、私の意思でウェイドさんと共にありたいんです! あなたと一緒なら、どんなことでも乗り越えられます! 何も怖くなんて無いんです! だから」

「まあまあ、二人とも、落ち着きなよ。冷静じゃないまま話し合っても、余計話が拗れるだけだよ」


 ……こんなつもりじゃなかったのに。


 断固として譲る気配のない頑ななウェイドさんと相対していると、そんな思いばかりが募り上がる。私はただ、ウェイドさんの往く道に付き添いたいだけだと言うのに、彼は私を拒絶する。

 彼が歩む道の先で、ウェイドさんを凍えさせる厳しい寒さから包み込んで温めてあげられるような、外套のような存在になりたかっただけなのに。


 隠し事はしないで欲しい。

 もちろん、人には触れて欲しくない秘密の一つや二つ、あるのが当然だということは分かっている。

 けれども、私たちはこの世界でたった三人きりの逃亡者。世界一の大国であるオリア帝国に反旗を翻した大逆人である。

 それなのに、ウェイドさんが苦しんでいることも知らずに診療所にいたことが、私自身にとっては恥じ入るべき所存。それは被害者女性たちを軽んじているとか、そんなつもりは毛頭ない。彼女たちの境遇に憂愁に閉ざされる思いであることに違いないが、私にとっての最優先事項はウェイドさんだ。

 その旨を伝えたかっただけなのに、ウェイドさんは私を深入りさせないよう拒絶する態度がどうしても納得がいかず、声を荒げてしまった。


 ウェイドさんが私を拒絶するのは、私を巻き込まないためだという彼の優しさからくるものだということは重々承知している。

 だけど、ここでそんな優しさを向けられるとまるで、それは私と言う存在が彼にとって不要であると言われているようで、苦痛を覚えずにはいられなかった。



 ──私とメアさん、何が違うんですか……?



「……そもそもの発端はお前だろう、メア」

「えー。こうして面倒事になる気配しかなかったから黙ってたんじゃない。だからこうして事後承諾の形を取ったんだよ? 彼女にも、知る権利の一端はある訳だしね」

「だとしても、だ。こうなることは、目に見えていただろ……」


 メアさんが間に入って、私とウェイドさんの間に流れていた剣呑な空気は流れていったものの、それでもまだ、湯冷ましを口に運べるほどの余裕はない。


「……」


 仲間外れにしないで。

 言葉にすればどこか子供じみていて、とっくに成人を超えた大人が抱くような感情ではないことが頭では分かっている。分かっているのに、自分の胸に蟠るこの感情を、自分一人で整理できるほど、私は大人じゃなくて。


「ウェイドの右眼の秘密。それを黙っていたのは悪いと思っているよ? けどね、これはもう、決定事項だ。それを今更ひっくり返すことはできないし、ウェイドもそれを望んでいない。彼の力は、有効的に使ってこそだ。右眼の力は、こんな追いやられた世界の片隅から、再び世界を変えるだけの力があるんだ。それを反対するとなると、僕たちの計画の邪魔をするってことになるけど、いいのな?」


 言って、メアさんは私の目を覗き込んでくる。

 けれど私は、バツが悪い心地で斜め下を向くことしか出来なくて。


「……ウェイドさんは、それで、本当に良いんですか」


 ──世界を変える力。


 メアさんがそう言うのだから、きっとその力は紛れもない本物なのだろう。

 たった一夜で世界を変貌させるに至った力の欠片なら、きっと出来る。そう思えるだけの説得力は込められていたし、反対する理由は無いと言える。


 だけど、私が心配なのは、ウェイドさんの方だ。


 彼の中で膿んだ傷と化し、彼を内側から苛み続けるのは、帝都での一件。


 シャーリィ・ウィ・アルルサップを石化させた事件だ。

 あの時彼が自分自身を痛めつけた傷はすっかり塞がっている。けれど、彼の胸に残る心の傷には、きっとまだかさぶただって出来ていないし、触れるには繊細かつ慎重を期すべきだ。だと言うのに、それに直結するような右眼の能力にあまつさえも触れ、終いにはその力の制御だなんて、あまりにも彼の心を蔑ろにしているような行為だと言える。

 その段階でウェイドさんに無理矢理次のステップに進めだなんて、メアさんは余りにも慈悲が無い。

 メアさんが常軌を逸しているからと言って、人の気持ちが分からない、と言うのは人を傷付けていいようになる免罪符じゃないのだ。


 人の心の形なんて、誰にも見えない。

 本人にだって見ることも出来なければ、触ることも出来ない。だから、どれだけ傷付いているかは、長い時間をかけて確認して、また更に長い時間をかけて修復して行くしかないというのに。

 それを、ウェイドさんはその傷を抉るように、ましてや、人を傷付けて制御の仕方を覚えたというではないか。


 きっと本人でさえも気付かないくらい、彼の心は傷付いていてもおかしくない。


「あぁ、問題無い。これが、俺に出来ることなのだから」

「問題……、無くなんか、ありませんよ! 平気なわけ、無いじゃないですか!」


 ずっとウェイドさんを見て来たから分かる。

 彼は、とことんまで兵士に向いていない人間だ。彼は余りにも、優し過ぎるから。


 彼に出来るのは、人を救うことだけだ。人を傷付けることに酷く怯えているのを、私はよく知っている。


 ウェイドさんは、お酒に酔うと良く本音を零していた。目が覚めればその時の事は覚えていないようだけれど、私は彼との一瞬さえも鮮明に覚えているから知っている。

 彼が敵と戦う前に神の雫(ミューズ・ア・ムール)を飲んでいたのは、恐怖心を打ち消す自己暗示のため。機竜の操作も、剣技の冴えも、身のこなしも。全てはウェイドさん自身の実力に過ぎない。


 だからこそ、自己暗示を経ていない、いわば生身の状態の彼が、どんなに悪人だったとしても人を傷付けて平気なはずが、無かった。



「自分でも気づけない程に傷が小さくとも、あなたは傷付いています! そうやって小さな傷を増やしていった先で、あなたは折れてしまうんです! これ以上、ウェイドさんが不必要に苦しむなんて、意味が無いじゃないですか!」



 ──兵士としての自分は嫌いだが、人を救えるこの仕事は好きだ。


 酒に酔って赤らめた頬をふにゃりと歪めてそう言ったのを、覚えている。


 そんな彼はいつも、機竜から地上へ降り、特設基地に戻るまでの間、騎兵とオペレーターを繋ぐ唯一の媒体である耳飾り(インカム)を、決してオンにしてこなかった。

 そうして繋がりが断たれれば、周囲の環境も音も何も私に聞こえないと、聞かせまいと思っていたのかもしれない。

 だけども、その間に何が起こっているのか知らない私ではない。


 ウェイドさんとの通信が切れたからと言って、現場の様子が知れなくなるわけでは無い。メアさんやワーグナーさん、他のオペレーター達と密に情報を交換しているオペレーター室では、彼の周りで起こっていることはすべて把握できる。

 だから、彼が救ったはずの人々から罵倒を受け、石を投げられても黙っていたことも全て知っている。


 彼が敢えて沈黙を選ぶと言うのなら、私も黙ろう。黙って、彼に寄り添うだけでいい。だけど、もし彼が傷付き、蹲り、動けなくなってしまった時には、私が声を上げなければならない。彼が傷付いているということを、私が知らしめてあげなければならない。彼の傷付いた心を、辛い現実から遠ざけてあげなければならない。


 ……そう、思っていたのに、彼は一人で動いてしまった。彼は一人で取り返しのつかない事をしてしまった。だから、駆け付けるのに半月も要してしまった。


 あの時、あの瞬間。

 私がセナ村に駆け付けた時、ウェイドさんは息をしていなかった。

 何度も何度も何度も何度も彼の心臓を叩いて、息を吹き込んで、ようやく呼吸をしてくれた時、私はこの為に生きて来たのだとさえ思えた。


 同時に、もう二度とこんな思いはしたくないとも痛感させられて。


 だと言うのに、帝都で離れ離れにされて、再び会えたと思えば、彼は命の危機に瀕していて。


 次に彼を襲った凶器は、彼の心の臓ではなく、彼の心を貫いた。

 招かれたのは、精神の崩壊だった。


 その負荷に私が関わっていると知りながら、目が覚めて拒絶されるかもしれないと知りながらも、私は彼の傍を離れるのを拒んだ。


 これ以上、彼が苦しまなくて良いように。私にできるのは、彼と共にあることくらいだから。


 その思いの丈を吐き出したところで、きっと彼は、止まってはくれないことも、薄々分かっていて。


「だとさ」

「……これは、俺が必要だからやるんだ。誰に押し付けられているわけでもない。純粋な、俺の意思だ。これ以上、余計な口を挟まないでくれ」

「……っ」


 案の定、ウェイドさんは罰を求め、彷徨い歩く。

 止まって欲しいのに、歩き出してしまう。


 ……私では、彼を、引き留めておけない。


 彼の精神の強さがそうさせているのかもしれないが、彼の心は、もうずっと長いこと、裸のままなのだ。いつ崩れてもおかしくない状態なのだ。


 だけどもう、私が追い縋っても、彼は振り向いてくれない。足を止めてすらくれない。


 棘のある言葉は、ウェイドさんの口から漏れる吐息に苛立ちが混ざっていることも含め、恐怖を覚えるには十分すぎるもので。


 ──ウェイドさんに、嫌われる。


 私を苦手に思い、遠ざけようとしている今の時点でさえも怖くて震えが止まらない。けれど、嫌われたくないという自分の身可愛い理由だけで引き下がった結果、このまま見過ごしてウェイドさんの身に取り返しのつかないことが起こる方が、もっと怖い。


「ほら、ウェイドも自分の意思だし、眼の力には慣れたって言ってたし。いい加減、引き下がったら?」

「……ま、せん」

「え?」

「有り得ません!」


 だから、声を上げるしかない。

 貴族の身分の頃なら決して袖を通すようなことなどなかった麻の服を皺が寄るくらい強く握り締めて、叫んだ。


 これを言えば、必ずウェイドさんの逆鱗に触れる。


 そう分かっていながら、私は乾いた唇の隙間から漏れていく言葉を、止めることが出来なかった。


「……自分の家族を殺した力に、慣れる、なんて……絶対に、有り得ません! ウェイドさん! ご自分でも、気づいているはずです! そしてそれは、必ず無理に繋がります……その犠牲は、あなたの──」




「──、黙れッ!」




 刹那、診療所の内部は、水を打ったような静けさに包まれる。仕切り板の向こう側はすぐにざわざわとした喧騒が取り戻されるものの、私たちの間には、重たい沈黙が流れているままで。


「……黙れ、黙ってくれ。もういい。もう、聞きたくない」

「ぁ……」


 堪えるように、言って。ウェイドさんは立ち上がり私の横をすり抜けて行ってしまう。私には、その背に追い縋ることも、手を伸ばすことも許されずに。


 それは、完全なる拒絶。

 彼はもう、私に対して心を閉ざしてしまった。

 私は、言ってはいけないことを口にした。


 彼を大切に思う余り、彼の大切なものに無遠慮に触れてしまった。


 ……また、遠くへ行ってしまった。


 その事実に、私の目からは知らず、涙が零れていく。


 私には泣く権利なんて、無いはずなのに。

 辛いのは、ウェイドさんの方なのに、泣くのはいつも、私ばかり。


 そんな私の前に、ハンカチが差し伸べられる。


「彼の前で泣かなかったのは褒めてあげる。……でも、今のは踏み込み過ぎだよ」

「……」


 嗚咽を上げるのも苦しいくらい息が詰まる中で、静かにメアさんの声だけが、私の耳を震わせる。


「彼は、彼なりに現実と向き合おうとしている。自分にとって辛い現実とね。君はウェイドにとってあのくらいの場所まで踏み込める存在でいたいようだけど、彼はそんなこと望んじゃいないらしい。今の彼に……いや、君に。君に必要なのは、ただ待つことだけだよ。彼は、君とも向き合おうとしていたのにね。この結果は、僕としても残念だ。僕も僕なりに、君の恋路は応援していたから」

「っ、ぅく……!」


 耐え切れず漏れた嗚咽から遠ざかるように、メアさんも診療所から出て行ってしまう。


 そうして誰も居なくなった場所で、私は一人、声を押し殺して泣き続ける。


 彼を思って放った言葉は、誰よりもウェイドさんが一番望んでいない言葉だった。


 こうして私は完全に拒絶され、見捨てられた身となった訳だけれど、それでもまだ、ウェイドさんを好きだと叫ぶ心は確かにあって。


 曇りなき感情で彼のことを愛していると、本気で言える。


 それがゆえに、ウェイドさんに向けられた生理的嫌悪すら想起させるような眼差しは、思い出すだけでも私の心を深く抉るのだった。













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