私はあなたの希望になりたい。
「──デゲントール様を、返せ!」
「……また、賑やかな」
重たい水桶を抱えて戻ってみれば、待ち構えていたのはここ数日ですっかり馴染みの光景と化した診療所の前の光景だった。
「あの御方こそが、私たちを救ってくださる救世主様だったのに……!」
「後から来てデカい顔をするな!」
私の足を止めたのは、轟々と飛び交う非難の嵐。
その中心にいる人物を捉え、診療所の出入口を封鎖するように集った集団を迂回しながら眉間にしわを寄せる。
「……アレは?」
「メア様が事情の説明をすると言って集めた村人たちです。いつもより多いでしょう? こんなことしても、何も変わらないのに……」
嵐の中心となっているのは、メアさんのようで。
相も変わらず、話題に事欠かない人である。
私を出迎え、事態の解説をしてくれたのは、すっかり親交を深めつつある診療所の看護助手。ノーラだった。彼女は水桶を受け取り、困った顔を見せる。
彼女はデゲントールの魔の手にかかった医師の下について診療所の運営を手伝っていた女性で、ここ一週間、共にデゲントールに傷付けられた女性たちを介助する仲間の一人だった。
そんな彼女に経緯を尋ねたところ、返って来たのは自罰的な感想で。
「……でも、私たちを救済してくれた人がいなくなって一週間が経過して、みんなの中で行き場の無い怒りだけが胸の中に渦巻いているんだと思います。そこに矢面に立つ人がいたら、それをぶつけたくなる気持ちも、少しだけど、分かるんです。私だって、立場が違えばああしていたかもと思うと、あんまり責められなくて……」
「おい、お前ら! 診療所の連中だな」
沈んだ面持ちを見せるノーラに横槍を入れるかのように、集団から声が上がる。
「一早くそいつらに媚び売って、いい身分を手に入れたからって、俺たちを見下してんじゃねぇよ、おい!」
「はぁ? 何を言ってるの? ノーラ達は──」
「リリス様。……いいんです」
「ノーラ……」
「こうしてメア様の下で働かせてもらっている私のような者は、彼らの下から先に逃げたのも同じ。彼らが戦おうとしているのを横目に、私は現実と向き合うのが怖くて、逃げ出したのです。だから私のような者には彼らを止める権利も無ければ、彼らと一緒になって誰かを糾弾できる立場にもありません。リリス様、どうか、彼らがやりすぎないよう、見守っていてあげて下さい」
根も葉もないどころか、荒唐無稽ないちゃもんだ。
彼女たちの名誉のために口を挟もうと意気込んだものの、当人であるノーラに遮られ、私は黙り込むしかなかった。
そしてノーラはそれだけ言うと受け取った水桶を手に、覚束ない足取りで診療所の向こうへと去って行ってしまう。私はその背に向かって「そんなことはない」と声を掛けるべきだった。でも、声を掛ける前に彼女は去ってしまって。
私は彼女の献身的な姿勢を知っている。
彼女だけではない。診療所に勤める女性たちの献身によって、この村の人たちは確かに救われてきたはず。今もメアさんに向かって罵声を飛ばす人の中には、ノーラや、メアさんにお世話になった人は多く居るというのに、彼らとノーラ達では何が違うと言うのか。
それこそ、彼女たちはこの一週間、ほとんど働きづめで被害女性たちの面倒を見てくれている。
それなのに彼女たちが逃げた? そんなことを言う奴は誰であろうか。
彼女たちは決して逃げた訳じゃない。
むしろ、彼女たちの方が真っ当に現実と向き合っていたとすら思える。彼女たちの方こそ、身を粉にして戦っていたと言えるのではないだろうか。
それを今、目の前であーだこーだと叫ぶだけで行動を起こそうともして来なかった人達に責められる筋合いなど、無いではないか。
そう思うと無性に腹が立って仕方なく、手持ち無沙汰になった私が頭のおかしな連中に文句の一つでも言ってやろうかと勇んで足を踏み出したところで、騒ぎの中心にいるメアさんと目が合ってしまう。
目が合ったメアさんの人差し指を鼻先に立てる姿に、私の体は硬直を選択せざるを得なくなる。
「……君たちに、夢はあるかい?」
静かに、と体現する姿は私だけでなく村人たちにも有効だったのか、不思議とメアさんの決して大きいわけでは無い声はまるで飛び交う非難の声をすり抜けるかのように全体に行き届いた。
「もちろん僕にも、夢がある。当然、深い仲でもない君たちにそれを教えるつもりは無いけど、デゲントールにも、夢があった」
メアさんの言葉に、先程まで溜まりに溜まった鬱憤を晴らすべく奮起していた人々が固唾を飲む音さえ聞こえてくる。
先を促す静寂に目を細めたメアさんは滔々と語り出す。
「彼の夢は……無知で蒙昧な君たちを奴隷にして、自分だけの楽園を作ることだったのさ」
「っ……!」
あの地下室を知っている私からすれば、納得のいく目的。
あの男は下衆以下の人間だった。救済をするつもりなど毛頭なかった。
ですがそれを知らない彼らには、メアさんの言葉は到底納得できないものらしく、怒りを誘われた村人たちは更に苛烈さを増した怒号でメアさんに迫る。
「っ、ふざけるな! 嘘でも言っていいことと悪いことがあるだろう!」
「そうだ! 俺たちの教主様を愚弄するな!」
「私たちはただ静かに暮らしていたかっただけ! それなのに、あなた達が来て、全てが変わってしまった!」
「返せ! 俺たちの暮らしを!」
「俺たちの、教主様を!」
「あの人だけが、私たちに救いをもたらしてくれていたのに!」
ノーラへの誹謗を目の当たりにしたせいか、私には彼らの怒りが正当だとはとても思えなかった。
あの小屋の存在を知るのは、ウェイドさんとメアさん、それから私に加えて、診療所に勤める女性たちと、村と私たちを繋ぐパイプの役割を果たしてくれているウォルマンさんのみ。
村人の中であの小屋の存在を知るのはほんの一握りであるため、信じられないというのはまだ理解できる。けれども、診療所に運び込まれてきた女性たちの姿や、彼女たちを救うために今も奔走し続けるノーラ達を知っても尚、そのような無神経極まりない発言を口にできる人間性というものに、私は目の前の村人たちに対して私の理解を大きく飛び越えた軽蔑すら抱いてしまう。
被害女性たちの世話をする身として、これ以上黙ってなどいられない。
ここは診療所の目の前だ。
中で体を、心を休めている彼女たちにもこの声は届いているに違いない。
ただでさえ彼女たちの傷付いた心をさらに深く傷付けるつもりなのか、といきり立ったところで、またしても私の行動はメアさんに抑制される。
──パァンッ!!!!!!!!!!
「っ?!」
罵声や怒号が飛び交う中で、突如として鳴り響いた、破裂音。
それは思わず耳を塞ぎたくなる程の轟音で、しばらくの間耳の奥がビリビリと震えるような感覚が続いた。
そうして誰もがその音の正体に注目せざるを得なくなったところで、メアさんは短く息を吐いて語り出す。
「……僕の後ろで療養を強いられている被害者の姿を、君たちが知らないとは言わせないよ。彼女たちが何で傷つき、何で苦しんでいるのか、もう一度よく考えてから発言したまえ。その上でもう一度聞かせてくれ。……君たちの夢は、何かな?」
私やノーラの気持ちを代弁してくれたかのような言葉に、ここはメアさんの独擅場なのだと思い知らされる。
そうして再度繰り返された問いに誰もが言葉を失い沈黙を強いられる中で、一人の女性が声を上げた。
「わ、私は……! ただこのまま、静かに、穏やかに過ごしていたかっただけなのに! あなたたちが来たせいで、全部台無しになった! 全部、あなたたちのせいじゃない! それを、私たちが悪いみたいに言わないで!」
夢を語るのは、無料だ。
けれど、夢を見るのに努力は欠かせない。
誰よりも努力を重ねた人を誰よりも傍で見てきたから、努力の大変さはよく知っている。
どれだけ苦しくても、どれだけ辛くても、努力を止めなかった者だけが夢を掴める。
それを、夢が叶わなかったからと言って、あまつさえ人の所為にするだなんて……。
「君の夢は、静かに暮らしたい、と。なるほどなるほど……。ならその夢は、もしも僕たちがこの小さなコミュニティに乱入せず、あの男……デゲントールに黙って付き従っていたままであれば叶ったと、君は本気で思っているのかな?」
「っ、そ、れは……」
そんなはずはない。
彼女の願いは、この村の住人ほぼ全員がうっすらと抱いていることに違いない。ともすれば被害者の女性たちもまた、同じ考えだっただろう。
しかし、その夢の結末がああなると分かれば、彼女の願いは決して叶わないということが分かる。
同じ女性があんな目に逢っているのを知っていながら頷けるほど、彼女は残酷ではなかったようで、口ごもる。
ならばと、異性が口を挟むようで。
「そ、そんなの、お前たちが言っているだけだろう! デゲントール様が、俺たちをここまで導いてくれた教主様が、あ、あんなことを……するわけがない! これも全て、お、お前たちの仕業なんだろう!」
「風説ではそう言われているらしいね。痛くもない腹を探られて、僕としても実にショックだ。もし仮に、そうだとしたら、僕にどんなメリットがあるのやら……。でもまさか、君のような人からそれを糾弾されるとは思ってもみなかったよ。僕も驚きだ」
「な、な、何が、言いたい……!」
「──デゲントールと一緒に彼女たちを甚振った、君のような人間から、まさか正義を振りかざされるとは、思ってもいなかった、って言いたいんだ」
メアさんの発言によって、反論を口にした男性の元に視線が集まる。それはまるで、号令されたかのように一つの漏れもなくその場に集う人の数の倍分だけ、視線に晒される。
「ち、違うッ! 俺は、そんなつもりじゃ……!」
「ハハハ、見事な自供をどうもありがとう。そして、君たちに微々たるものとは言え、善悪の区別が認識できることに、感謝を」
壇上から慇懃に礼を取るメアさんに物言いたげな視線が刺さる中で、男の顔色は土気色に変わっていく。
──彼女たちを傷付けたのは、デゲントール一人じゃない。
それは、診療所に被害者女性たちが運び込まれた日。検診を終えたメアさんから重々しく告げられた言葉だった。
その意味を理解するのに時間を要するほどに信じがたい内容。しかしそれを噛み砕き、飲み下した私やノーラを含めた女性たちは、もれなく言葉を失った。
それと同じことが、今この場でも起こっている。
瞬く間にこの場の空気が凍り付いていく。まだ夏も始まったばかりだと言うのに、上着が必要に思えてくるほどの寒気だ。
恐らくあの男性一人だけではない。
該当する人物はきっと、芯まで凍り付くような恐怖を味わっていることだろう。
「そんなつもりじゃなかった……ね。じゃあ、どういうつもりで女性の体を甚振ったんだい? デゲントールに言われるがまま? それとも、甘い蜜が吸えると思って自分から進んで? それとも、その両方かな? ……一時の快楽のためだけに人生を奪われる側の気持ちを、考えてみるといい。無論、どれだけ償おうとも、君がその立場から逃れることは一生無いということも含めてね」
言い切ると、男は膝から崩れ落ち、ごめんなさい、すまなかった、と涙と共に慟哭を繰り返す。
どうしてもっと早く踏み止まれなかったのか。
それを責めたい気持ちで拳を握る手に力が込められるが、私が動き出すより早く、傍に居た村人の一人が男を殴り付けた。
「なんてことをしたんだ、お前はッ──!」
「……こらこら、落ち着きたまえ。僕は別に、戦火の火種を投げ入れたいわけじゃないんだ」
集団暴行に発展しかねない状況をいち早く止めに掛かったのは、彼を責める理由を与えた張本人、メアさんだった。
「強姦は立派な犯罪だ。死罪、とまではいかないが、彼は法に裁かれる立場にある。だが、君らは法ではない。彼に暴力を振るえば、振るった者もまた、罪で裁かれることになる。いいかい、法は君たちを守る最後の砦だ。それを自らの意思で破ると言うのであれば、君たちは法によって裁かれる覚悟をするべきだ。……安心したまえよ。何も度が過ぎなければいやがらせも陰口も咎めるつもりは無いからさ」
「こ、こんな奴をお前たちは擁護するのか?! 守る価値など無い、最低な行いをした男ではないか! 同じ男として風上にも置けない、クズだ! 人間のクズだ! 法とは、そんなやつを守るためにあると言うのか?! そんなもの、無い方がいいではないか!」
「……話、聞いてた? その言い分だと、デゲントールの罪を認めているようなものだけど、自覚はないのかね。……君たちの表情を見る限り、その意見にあらかた同意の風潮が見えるね。そんな君たちでも分かりやすいよう教えてあげようか」
この場におけるほとんどの村人は囲いの中心で蹲る男に対して明確な怒りを抱いているのが分かる。どうしてその怒りを、少しでもデゲントールに向けられないのか。私には彼らの頭の中を理解できず、不思議に思うことしかできなかった。
「法とは何か。それは、国が定める社会規範であり、強制されるものだ。だけどこれは、先にも言った通り、君たちや、君たちの持つ財産などを守るためのルールだ。それを破った者には罰が与えられる。……では、今、この森の中で何を以て法と定めるか。ここには法の守り手である国の目もなければ、執行官もいない。それはつまり、帝国の定めた法の強制力が届かないと言っても過言ではないのさ」
誰もが懐疑的な表情を浮かべながらも、メアさんの言葉に耳を傾けていた。
戯言だと突っぱねることもできたろうに、誰もそれをしなかった。それはつまり、メアさんの言葉に曲がりなりにも答えが宿っていると確信しているからだろう。
「なら、どうして誰も自由にならなかった? 限られた食物を分け合うのではなく、奪い合わなかった? なぜ、この森から出て行こうとしなかった? 神父様がそう言ったから? それが本当に正しいとも限らずに信じたのは何故か? ……それは、僕たちが分別ある人間であることの証拠だ」
デゲントール……あの男がどれだけ腐った人間だとしても、あの男の言葉は正真正銘、教会が説いている言葉だ。
聖神教の教えは俗世に浸透していることから分かる通り、人を人たらしめる精神性を有しており、その上で生きることへの意味と、神への祈りを説くものである。
だからと言って、必ずしてもその教えが正しいとは限らない。そして、あの男が本当に聖神教の教えを説いていたのかも甚だ疑問が残る。けれども、これまでこの村の中で諍いらしい諍いが起こった形跡が無いことから、教えは正しかったものだとメアさんと私の間で答えが出ている。
もしくは、この村に住まう呪い人の多くが優れた人間性を宿しているからか、というのも候補に上がってはいたが、メアさんは真っ先にその可能性を切り捨てていた。曰く、期待するだけ無駄だから、だそう。
「分別、それは善悪の判断。理性そのものを指す。もしも理性ある人が本能のままに動けば、それは獣と変わりない。理性を捨てるということは、人であることを止めると言っても過言では無いからね。理性はセオリーだ。理性があるから、君たちは獣に落ちず、他人から何かを奪ったりしなかった。そうだろう? ……答えは簡単さ。それが答えになる。人の理性こそが、準拠するべき法となる」
「な、なら、ならば……! 私たちはこの男を罰するべきだと思っている! それは、理性とは言えないのか?!」
「言えないね。なぜならそれは個人の意見の範疇に留まるからだ。君たちはその状態を、理性で動いていると断言できるのかい?」
「そう、言われると……」
「人が人を裁くことはできない。代わりに、法が人を裁いてくれるんだ。では、この場における法とは何か。それは──彼女たちだ」
そう言ってメアさんが指差した先は、診療所だった。
その中に誰が居るのか。話題の渦中にある人物など、すぐに思い当たったようで、村人たちから困惑のざわめきが起こる。
「自分が傷付けた人に何を言い渡されるか……それが彼女たちを傷付けた君たちへの罰だ。許しを得るのも罰を受けるのも、全ては彼女達次第。……もちろん、今は面会謝絶だからね。執行までの猶予の間、君たちはどう動くべきか、身の振り方を考えるべきだ。ちなみに、僕のオススメは素直に謝罪することだね。それが受け入れられるかどうかは、望み薄だろうけど」
「ちょ、ちょっと待ってください! 君たち、って、どういうことですか?! この男以外に、罪に加担した者が、私たちの中にいると?!」
「その通りだけど? ああもちろん、君たちを惑わすために言っているわけじゃないからね。疑心暗鬼は不和をもたらす要因の一つだ。だからと言って僕が答えを口にするのは、話が違うだろう? 聖神教の教えを理解しているのなら自ら打ち明ける方がいい。罪の告白は、確か、減罪になるんだろう? なら、どうすべきかは当人が一番理解しているはずだよ」
メアさんが言うには、最低でも三人は共犯がいたと言っていた。つまり、この場で茫然自失となっている一人を除いて、あと二人はこの場で息を潜めているということになる。その事実がどこまでも浅ましく思えてしまう。
もしも私が村人の一人であったなら、そんなことを仕出かした人物と一緒に生活なんてできっこない。だからこの場で糾弾すべきだと思った私の考えは妥当だったようで、村人の多くがそれに追随する形で声を上げ始めた。
その熱は瞬く間に伝播して行き、先のようにメアさんの掛け声一つで押し留まるような勢いではない程に燃え広がっていく。最早収拾付かないかに思えた、その時。雷鳴でも落ちたかのような轟音が、村全体に響き渡る。
「静まらんかッ! ……まだ、話は終わっておりませんぞ。皆々様」
「うん、ありがとう、ウォルマン。でも、叫ぶ前に一言頂戴ね」
いつから控えていたのか。メアさんの背後に立つウォルマンさんが険しい表情で村人たちを睥睨する。
「──今の話で理解してくれたと思っていたんだけど、どうやら違うみたいだ。もう一度言うよ。彼らを裁くのは、法だ。人では無い。そしてその法は、裁く権利は、彼らが傷付けた張本人たちにしか持ち得ないものだ。つまり、傍観者を気取り、行方不明となった彼女たちを探そうともしなかった君たちに、彼らを糾弾する権利はないんだよ。もちろん、僕たちにもね。それが分かったのなら、本題に移ろうか」
「ほ、本題……?」
「こいつの次は、俺たちに罪があるとか、言うんじゃないだろうな」
「わ、私はただ、救いを待っていただけで……!」
メアさんの言葉に神妙さが増す村人たち。
その様子をまるで見世物でも見ているみたいに眺めるメアさんはどこか不気味で。
「僕たちは、そう日が無いうちにこの地を後にする。君らの言った通り、余所者は去るんだ、喜んでくれよ」
「っ──!」
「そこで君らの今後について参考がてらに君らの夢を聞いたのだけれど……どうやら参考になるほどの数は用意されていないようだ。僕は悲しいよ。夢の一つも持てない暮らしなんて、果たしてそれは健全と言えるのだろうか」
「メア殿」
「ああ悪い悪い。ついつい話が逸れてしまうのは僕の悪い癖だ。……そこで、だ。僕は君たちに選択肢を与えようかと思う。一つは、このまま自分たちの力で生きていくこと。もう一つは、条件付きだけど僕たち共に来ること」
メアさんの掲げた二本の指に、村人たちが騒めく。
彼の意図が読めないことに加えて、どちらが自分達のためになるのか、考えあぐねている様子で。
「好きに選んでくれていい……とは言うけれど、そんな簡単には決められないよね。だから期限を設けようと思う。五日後。それまでにウォルマンに希望を提出してくれ。無回答は必然的に前者、居残り組に振り分けるから、よろしく」
「ま、待て! 条件、って言うのは、なんだ?」
「それは、五日後に開示しよう。それまで、自分の生きる道を言うのに大いに悩むと良いさ。それから、残る加害者についてもね」
そう言って引き上げていくメアさんの背に誰かが縋り付くわけでもなく、徐々に喧騒が増していく。
村人たちは当人同士で話し合い、中にはウォルマンさんから条件を聞き出そうとする者もいる。その誰もに通ずるのは、全員が眉間にしわを寄せていることだった。
突如として突き付けられた未来の選択。それに戸惑う姿を見ても私には、彼らを憐れむ思いなどほんの僅かすら湧いてこなかった。
それを見届けた後で、私は診療所の中に入り、待ち構えていたかのようなメアさんに声を掛けた。
「メアさん」
「やあやあ。ウェイドとの関係に悩みつつも僕に打ち明けるかどうかを今になってもまだ考えあぐねているリリスちゃんじゃないか。僕の演説ってばどうだったかな?」
「……演説が終わっても尚、性格の悪さが滲んでいるように思えます」
「ハッハー! 素晴らしい評価をどうもありがとう。それで? 僕に聞きたいこと……いや、その顔は十分に考え終えた後の顔付きだ。言いたいことは何だい? 懐の深い僕が何でも聞いてあげよう」
たった今、人の心に猜疑心を植え付けるような最低な真似をした人とは思えない程にいつも通りの軽妙な笑みを湛えるメアさんは、きっと悪い人だ。
そして、彼のせいではないけれど、世界中に紫の光を降らせた直接的な原因を持つウェイドさんも、たくさんの人から恨みを買って、きっと悪い人なのかもしれない。
ウェイドさんは、帝国に引き返せば私一人なら保護してくれるなんて言うけれど、きっとそんな悪い二人と一緒に居た私は、例え帝国に引き返したところでロクな目には逢わないと思う。
「……メアさん」
「うん?」
どちらに転んでも酷い目に逢うのなら、私は迷い無く、愛する人と一緒に居られる方を選ぶ。
そうだ。
初めから迷う必要なんて無かった。
悩む必要なんて無かったんだ。
私はずっとそのつもりでいたけれど、口に出して言わなければ伝わらないこともある。口に出して伝わらなければ、態度で示す。今までもそうしてきたのだから、今更ここで怖気づく必要なんて、無い。
だから私は、ウェイドさんのために綺麗なままでいる覚悟を、捨てる。
もっと貪欲に、もっと苛烈に彼への愛を証明しなければならない。
彼に相応しい私になるための一歩を、踏み出す。
ウェイドさんが自分を悪人だと言うなら。
私はあなたに相応しい、悪い子にだってなる。
──私は、あなたの希望になりたい。
夢を自覚するのも、夢を語るのも、何もかもが、遅すぎたくらいで。
村人たちのように、夢を夢のまま終わらせるなんて、絶対にしたくない。
だから、もう置いて行かれないようにしないといけない。
「──私をお二人の、共犯にしてください」
ハッキリとそう告げた私に、メアさんは待ってましたと言わんばかりの笑みを深めるのだった。
私はもう、遠慮したくないから。
補完という名の、言語解説。(補足ver.)
【残された村人たち】
デゲントールの【催眠】の影響が少なく、救われたいという一心のみで彼を信仰していた者達。
ゆえに、【催眠】の効果が薄れてもなおもデゲントールを信じ、彼が再び救済の途を進む日を今か今かと待ち侘びている者達。そのため、彼らの崇めるデゲントールを排除したウェイドたちには攻撃的。
何故なら、デゲントールに従っていれば救われるから。デゲントールに従っている方が楽だから。
変化するきっかけは十二分に与えられている。これより先は、彼らの意思次第。




